ええっ! なぜあなたが……
二人は麗香を包み込むように抱き締め、時折彼女の身体をマッサージして解きほぐしてあげる。それを何度も何度も繰り返した。
わたしと龍子は自前の毛皮があるから、なんて事はない。龍子の方は寒冷地むけじゃないから、もう少し寒かったら耐えられなかっただろうけど。
いったいどれだけの時間がたったのか?
麗香を必死になって暖めていたから、とうに時間の感覚をなくしている。
冷蔵室のドアが再び開けられたのは、わたし達が閉じ込められてから、たっぷり三、四時間はたってからに違いない。
「だいじょうぶか? 早く出るんだ」
わたしはドアの方を見て、本当に凍りついたかのように動きを止めた。
「慎二…さん?」
それは昨日、草むらの中で別れたきりになっていた、慎二さんだった。
わたしは目を見開き、幻覚じゃないかとうたぐった。
「なんで、こんな所に……」
「質問は後だ。まず麗香を運びだそう」
龍子にいわれて、わたしは、はっとなる。
そうだ。
麗香を!
わたし達は麗香を冷蔵室の外に運びだし、冷たくなっていた服を引きはがす。
「れいか、麗香、しっかりして!」
わたし達は麗香の肌をさかんにこすり、呼びかけた。
麗香、もうだいじょうぶだから、目を開けて。
ねえ、麗香。
「んっ」
わたし達の声が天に届いたのか、麗香は小さく息をもらし、目を開ける。
「れいかぁ!」
わたしは思わず麗香に抱き付いてしまった。ふかふかのうさぎさんのままで。
「ここは天国かしら? おっきなうさぎさん?」
麗香も私を抱きしめてくれる。
抱きしめて……
……
ちょっとれいかぁ。
「もう離してよ、麗香」
いつまでくっついているつもりなのよう。
「だって、ふかふかで、あったかいんですもの」
そういって麗香は、さらに強くわたしを抱きしめる。
「いいかげんにしろよ、麗香。そんなことは後にしろ。それより歩けそうか?」
龍子が間に入って引き離してくれる。
「ちょっと指先がしびれているけど、もう少し暖めればなんとかなりそう」
麗香はそういって起き上り、かじかんだ指先などをときほぐしていった。
「それじゃあ、その間にあたしたちも着替えよう」
そうだった。わたし達は下着しか身に付けていないのだ。
自前の毛皮で全身が被われているとはいえ、おなかの方は背中の方に比べるとかなり薄いし、自前の毛皮だから、感覚的には素肌をさらしているのと変わりない。
「慎二さん、ちょっとむこうむいてて……」
わたしは急に恥ずかしくなって、そう頼む。
彼は快く承諾してくれて、あっちを向いた。
わたし達は麗香からはぎ取った洋服に手を通し、毛を引っ込めていった。
「ねえ、慎二さん。どうしてここに? 追われていたんじゃないの?」
ひと息ついたところで、わたしは質問する。
まさか彼は、再び組織にもどってしまったのだろうか?
「この研究所がある限り、僕達は追われ続けるだろうし、たとえデータを破棄したとしても、新たなウィルスが作られる。だから僕はここを破壊しに来たんだ。ここは組織の中枢部だし、ここが失われれば、組織は壊滅的ダメージを受ける。
幸い、僕のIDカードは失効していなかったから、簡単にここまでこれたけど」
彼が裏切ってからまだ一日とたっていないから、ID削除する暇がなかったのだろう。まあそれを見込んで、彼は忍び込んだらしいけど。
「龍子君がここに運び込まれた時のどさくさに紛れて忍び込んだ僕は、警備が手薄になる明け方を待って、活動を開始したんだ。その途中であの火災警報だろ。なんだろうと思って様子を見に来たら、君たちが捕まっていたというわけだ。
もっと早く助けに来たかったんだけど、その後から急に人通りが増えてね。ようやく隙を見て助けに来たんだ」
「ほんとうにありがとうございます。もう少し助けに来て下さるのが遅かったら、わたくしこの世にいませんでしたわ。なんとお礼をいったらいいものか」
「いや、お礼なんかいい。それより、早くここを脱出しよう。もう時限爆弾のスイッチが入っている。あと二十分ほどで、第一の爆弾が爆発する」
爆弾!
たいへん、早く逃げなくちゃ。
「麗香、歩けそうか?」
「だいじょうぶだと思います」
わたし達は、迷路のようになった通路を歩き始めた。
「タブレットを取られたのは痛いわね。あれがあれば、色々できましたのに……」
「タブレットをどうするんだい?」
麗香のつぶやきを慎二さんが聞きとめ、尋ねる。
「ここのコンピュータに色々と仕掛けがしてあって、それを起動させるのにはタブレットが必要なんですの。分身とはいえミスティですから、まだ解除に成功していないと思いますのに」
「僕のタブレットじゃだめか?」
彼はポケットからタブレットを取り出す。
「まあ、それはラッキーですわ。では、お借りします」
麗香は彼からタブレットを受取り、操作する。
そのとたん、ライトが激しく点滅し始めるわ、火災警報を始めとして、ありとあらゆる警報が鳴り始め、大変な騒ぎとなった。
ちょっとしたポルターガイスト現象みたい。
「なあ、こんなに派手にしてだいじょうぶか?」
龍子が心配そうに、麗香を見る。
「だいじょうぶですわ。これだけ派手にやった方が、わたくし達の居所がわかりづらいはずです」
麗香はそういって先頭を行く。
「ただの派手好きじゃねえのか……」
激しい騒音のおかげで、そういう龍子のつぶやきは、麗香に届かなかったらしい。聞こえていたら反撃を食らっていただろうから。
もちろんわたしには聞こえたけど。
わたし達は少し遠回りして、地上に出る階段の所まで行った。冷蔵室から最短距離で行くと、途中で様子を見に来たやつらと鉢合わせしてしまう可能性が高いからだ。
読みは見事に当たり、ここまで誰にも出会わずにこれた。
しかし、階段を閉鎖する扉前には、四人の見張りがついていた。
「龍子、よろしい?」
「いつでもいいぞ」
二人は身構え、そして一気に飛び出した。
先頭は麗香だ。
彼女は薔薇の鞭を最大限に伸ばし、慌てて銃を抜く男達の手を払った。
「うわっ!」
男達はたまらず銃を取り落としてしまう。
そこへ龍子が突っ込んだ。
ハイキックから右ストレート。そして、左手を虎の爪に変え、引き裂く。流れるような動きだ。
えっ、わたし?
わたしはもちろん、彼女達の応援だ。どうせ邪魔になるだけだもん。
慎二さんも一応武道の心得があるらしいけど、共生体をもたないのでは、彼女らについていけるはずもない。
実際、わたし達が手助けする必要などなく、あっさり見張りの四人は片付いた。
「早く」
麗香の呼びかけで、わたし達は階段の前の、殺菌室に入る。
もちろん殺菌する手間などかけずに、そこを抜けた。
そして、階段を上り最後の殺菌室に入った、その時、ドーンという警報をも圧倒する爆音が鳴り響き、床が大きく揺れた。
「きゃ!」
わたしはその音に驚き、揺れに足を取られて、慎二さんに抱き付いてしまった。
揺れがおさまった時、わたしは真っ赤なうさぎさんになっている自分に気が付く。
「ご、ごめんなさい……」
わたしは蚊の鳴くような声でそういって、彼からそっと離れる。ちょっと名残りおしいけど……
「第一の爆弾が爆発したんだ。ここからは一分おきに爆発するぞ!」
「急ぎましょ」
わたし達は殺菌室を抜けて、一般研究エリアに入った。
「この裏切り者め!」
後ろから聞こえる、怒りの声。そして……
ドキューン!
えっ、銃声?
わたしは驚き振り向く。
そして凍りついた。
慎二さん!
なんで、なんで、なんでぇ!
彼の胸の辺りが真っ赤に染まっていた。
彼はわたしに向かって微笑み、そして、倒れた!
「いやぁ! 慎二さん!!」
わたしは彼に抱き付き、彼を抱き起こす。
その横を何かがかすめていった。
麗香の鞭だ。
その先にいたのは、わたし達を捕えた、ここの所長だった。
「うおぉ!」
鞭は彼の首に巻き付き、絞め上げる。
ドキューン!
銃が一発、暴発するが、今度は誰にも当たらない。
やがて男は、動きを止めた。
「慎二さん、慎二さん」
わたしは彼をひざに抱き、彼の名を呼び続ける。泣きながら。
そんなわたしの声が届いたのか、彼は目を開けた。
ドーン!
再び爆弾が爆発し、壁や天井が崩れだす。
しかしわたし達二人は、じっと見つめ合ったままだった。
「かすみ…早く逃げるんだ。…生きてくれ…僕の分まで……」
「なにいってるの!? すぐ救急車呼んであげるから、しっかりしてぇ!」
血がどくどく流れ出している。
背中から胸まで、弾丸は貫通していた。
「僕はもう……助からない。君は…君だけは生きてくれ……」
「そんなのいやぁ! いっしょに…ねっ、いっしょにいこ……」
彼は答えずに、微笑んだ。
苦しさの中、わたしのために。わたしのためだけに!
わたしはなにもいえず、彼を見つめた。
「かすみ…あいしてる……」
彼は、かすれるような声でそういい、ゆっくりと目を閉じた。
「しんじさん……慎二さん、返事して! ねぇ! 慎二さん!?」
わたしは彼にすがり付き、泣きわめいた。
いつもの蚊の鳴くような声ではない。これ以上出ないというほどの大声でだ。
どのくらい泣きわめいていたのだろうか。次の爆発音が聞こえなかったから、そんなに長い時間ではないと思う。
わたしの肩に誰かの手がおかれ、わたしは振り向いた。
「香澄。彼にお別れをいいなさい」
れいかぁ。
悲しみにひたる時間も、彼を担いでいく余裕もないことを、その瞳は語っていた。辛そうな瞳で。
こんな辛そうな瞳をする麗香をわたしは初めて見たような気がする。いわなければいけないことをいう。これって簡単なことじゃない。本当なら誰だっていいたくないはず。悲しみに暮れているわたしに、さよならをいえ、だなんて。でも、わたしの事を心配しているから、あえていう。わたしと同じ、いやそれ以上に辛い思いをして。
わたしは涙でゆがむ彼の顔を見つめながら、ゆっくり顔を近づけていった。
ドーン!
すさまじい爆発音がする中で、わたしは彼と最後の口づけを交わす。
「さようなら、慎二さん。……あいしてる」
わたしは膝に乗せていた彼の頭をそっと床におろし、立ち上がった。
「もうすぐ崩れますわ。早く」
わたし達は、迷路のような通路を走る。崩れ落ちる瓦礫を避けながら。
どこかで火の手が上がったらしく、黒い煙も流れ込んできていた。
ドーン!
警報が止まり、ライトも消えた。
窓のないそこは、非常燈を残して真っ暗になった。
麗香はすかさず非常燈の下にあった懐中電灯を薔薇の鞭でひっつかみ、前を照らす。
わたしは走った。生き延びるために。慎二さんのために。わたしの事を本気で心配してくれる彼女達のために。
「ひかりが!」
龍子が嬉しげに指さす。
出口だ。
その向こうには、研究所の人らしき男達も見える。
わたし達三人は、その光りを目指してひた走った。