龍子を助けなきゃいけないのに
わたし達はとりあえず麗香の家に行く。
彼女の家はわたしの家の何倍も大きい。麗香のお嬢様ぶりは伊達ではなく、本物のお嬢様なのだ。
麗香の家に来たのは、わたしの家より警備システムがしっかりしているから。約束をやぶって襲撃して来たとしても、警備会社がすっ飛んでくるまでの数分を耐えれば、なんとかなる。
「こんばんは、香澄さん。お久し振りですわね」
麗香のママが出迎えてくれる。
「…おじゃまします」
わたしは蚊の鳴くような声で挨拶を返す。
さすがに麗香の製造元? だけあり、まだ若くて綺麗だ。物腰なども麗香とそっくりで、すごく柔らかい感じがする。いや、麗香がお母さんにそっくりなのかな?
「さあ、遠慮なんかしないで、お上がりなさい。お食事はまだかしら? それならすぐ作らせますわ」
ふと、時計を見ればまだ八時前。
長い時間がたったような気がしたけど、最初に襲われてから一時間も過ぎていないのだ。
「いえ、おかまいなく」
「食べておいた方がよろしくてよ。今夜は忙しくなりそうですから」
麗香にそういわれては、断ることなどできない。
「すぐに用意できますから、食堂でお待ちになって」
「はあ」
わたしは気のない返事を返す。
龍子の事が気になって、あまり食欲はないのだけれど、無理にでも入れておいた方がいいだろう。麗香が忙しくなるというなら、本当に忙しくなるのだから。
「まあ、まあ、麗香さん。お洋服が汚れてましてよ。先に着替えをしてらっしゃい」
汚れてる、のは確かだ。
白とパステルピンクのワンピースなのだから、汚れはすごく目立つ。
でもこれってどう見ても、血痕以外のなにものにも見えないはず。しかも結構飛び散っているのに、汚れてる、のひと言ですませられる問題なのかしら?
「いやだわ、いつ付いたのかしら? 香澄、食堂で待ってて下さる? わたくしちょっと着替えてきますわ」
わたしはうなずく。
麗香も麗香だ。よくこんな状況で、すっとぼけていられるものだ。
「そうそう、お母様。香澄と龍子の家に、電話していただけないかしら? 今夜はうちに泊まりますって」
「龍子さんもお見えになるのかしら?」
「いえ、龍子は来ませんわ」
「いらっしゃらないのに、泊まるんですね?」
「ええ、そうよ、お母様」
二人はにこやかに会話を交わす。
しかし、なにやら火花が散っているように見えるのは、気のせいだろうか。
「わかりました。電話しておきますわ。……でも、後でお話ししてもらえますわよね。協力してあげるんですから、仲間外れはいやですよ」
麗香のママはちょっとすねてみせる。
三十半ば過ぎのはずであったが、少女がそのまま大人になったようなかわいらしさがあった。
「もちろんですわ、お母様。ちゃんと片付きましたら真っ先にお話しします」
「楽しみだわ。……龍子さんのことですから、色っぽい話ではなさそうね」
最後の方はつぶやき声だが、わたしの耳にはしっかり届いた。
やっぱり母娘って似るのかなぁ。
いつも思うんだけど、なんか麗香が二人いるみたいで怖い。
娘が血痕を付けて帰ってきて、しかも友達のアリバイ工作を頼んでいるのに、まるで平気そうなんだもん。
二人は終始にこにこ笑って、仲のいい母娘が、おしゃべりを楽しんでいるみたいにしか見えない。
交わされる会話も、なんでもない日常会話そのものなのに、裏を知っていると意味が全然違って聞こえる。
麗香に姉妹がいなくてよかったと思うのは不謹慎だろうか?
わたしは麗香みたいなのが、何人もで会話したらどうなるだろうかと想像して、げんなりとなった。
――やめよう。
今は龍子を、龍子の事だけを考えよう。
ひとり敵地に捕らわれている、龍子の事だけを。
でも、龍子が捕らわれのお姫様って、ミスキャストのような気がする。
――あっ、わたしってやっぱり不謹慎。
食事を終えてすぐ、わたし達は作戦会議に……入らなかった。
入ったのはおふろだ。
いいのかな。こんなにゆっくりしていて。
龍子が今ごろ、心細く……は思っていないか、見捨てられて怒りまくっているかもしれないというのに。
麗香の家に比例して、おふろも大きい。
まるで温泉みたいなおふろで、わたしは麗香のおさんどんをしていた。
まあ、いいけどね。
麗香って、ほんと肌が透き通るように白くって、きめ細かくてうらやましい。
だからタオルなんかでゴシゴシ擦るような、不粋なまねはしない。そんなことをしたら、この柔らかな肌がだいなしだ。
わたしは、手のひらで丹念に、やさしく洗ってあげる。
麗香はその長い髪をアップにまとめているが、おくれ毛がちょっと濡れて、すごく色っぽい。
ちらりと覗ける乳房も、プリンみたいにプルンプルンしていて。おしりなんかもすごく形がよくて。でもそれでいて、ウエストはきゅっと締まっているのよ。
きっと男の子が見たら生つばごっくん、なんだろうな。ちょっとはしたない表現だけど。
えっ、わたし!?
わたしなんか、どうでもいいのよ。ほんとたいしたことないもの。
典型的な発育不良の幼児体型だもん。
見て喜ぶのはロリコンの変態くらいなものよ。BWHはほとんど変化ないし、ともすれば小学生に間違えられるくらいちっこいし。でもたまに、映画館などに行くと、小学生料金で入れたりして、ちょっとラッキーかな。――これってちょっと悲しいかも。
「さっ、今度はわたくしが洗って差し上げますわ」
麗香はそういって、わたしを座らせる。
「いっ、いいよぉ」
わたしは全身をピンクに染めて、あらがう。
「あら、わたくしでは迷惑ですの?」
麗香はそうやってすねる。
あーん、麗香って、ほんとかわいい。
わたしはますます肌を赤く染めて、うつむいてしまう。
「うん、おねがい」
わたしは小さな声でそういい、彼女に背中をむける。
彼女はうれしそうに微笑み、わたしの肌に優しくお湯をかけてくれた。そしてわたしは、まるで愛撫されるように、やさしく洗われてしまう。
いつもいじめられるけど、でも本当は優しい麗香。
だからあなたに逆らえない。だからあなたが好き。
龍子のようなストレートな優しさじゃないけれど、麗香には麗香なりの優しさがある。
わたしも彼女達みたいに、だれかに優しさを分けてあげられるようになりたい。
今はまだ、自分の事だけで精一杯で、いつも優しさをもらってばかりだけど、いつか彼女達のように、強さと優しさを兼ね備えた、すてきな女性になりたい。
そう、彼女達のような。
ほんのりと優しい光りが、薄く開けたまぶたの透き間から、差し込んでくる。
えっ、えっ!
わたし、寝てたの!?
わたしはあわてて飛び起きた。
当然、やわらかな毛布がずり落ちる。
ええっ! なんでわたし、はだかなの!?
淡いベッドライトに、わたしの肌もあらわな姿が浮かび上がる。
わたしはあわてて、ちっちゃな乳房を両手で隠し、だれかに見られていないかと、辺りを見回した。
れっ、麗香!
そう、麗香がわたしの隣に寝ていたのだ。
それだけなら、なんでもない。――ちょっとは支障があるけど。
ほんとにそれだけなら。
わたしが毛布をひっぱちゃっているから、彼女の上半身が見えている。柔らかな肌を惜気もなくさらして。
わたしは恐る恐る、毛布の奥の方を覗く。
恐れていた通り、わたし達はなにも身につけていなかった。完全に裸んぼうであった。
なんでわたしと麗香が、裸でひとつのベッドに寝ているのだろうか?
その先を考えるのが、なんとなく恐い。
どうしてこんな事になったのか?
確か、食事して、一緒におふろ入って、その後……えっ…記憶がない!
わたしはもう一度、思い出そうとした。
しかしやはり、おふろからあがった記憶がない。
「くしゅん!」
隣で寝ていた麗香が、かわいいくしゃみをする。
裸のうえ、毛布を半分あまりも取られていたのでは、くしゃみも出るだろう。梅雨前でだいぶ暖かくなったとはいえ、まだ夜になると冷える。
「かすみぃ」
彼女は寝ぼけているのか、そういってわたしに抱きついてきた!
「っ! ……れっ、れいか! ちょっと、やめ、おっ、おきて…ねっ」
わたしは真っ赤になりながら、麗香を引き離し、彼女を揺さぶった。
「あっ、香澄。もう目覚まし鳴ったのかしら?」
まだ寝ぼけているのかしら、麗香。
「目覚ましなんか、鳴っていないわよ」
「…なんで起こしたんです。もう一時間は寝ていられましたのに……」
麗香は、枕元の時計を見てぼやく。
見ればタイマーはAM一時にセットしてあった。
「なぜって……それより、なんでわたし達、裸で寝ているの?」
「おぼえてませんの? 香澄がおふろでのぼせちゃって、わたくしがここまで運んできましたのよ。香澄って軽いから、わたくしだけでなんとかなりましたけど」
のぼせちゃったわけね。
麗香って信じられないほどおふろが長いんですもの。からすの行水に近いわたしが、のぼせるのも無理ないか。
「わたしはいいとして、なんで麗香まで裸なわけ?」
訊きたくなかったけど、訊かなきゃ一生疑惑が付きまとう。
「もちろんこんな絶好の機会をみすみす逃す手はありませんわ。たっぷり楽しませていただきました」
ひーん、やっぱり聞かなきゃよかった。
いったいなにして楽しんだのよぉ!
「れいかぁ」
わたしは情けない声で麗香を呼ぶ。そして、最後の望みをかけて訊いた。
「うそだよね、冗談だよね?」
「わたくし、嘘が嫌いのな御存じでしょ。記念写真何枚か撮りましたから、後で見せてあげますわ」
そこでにっこり笑わないでよ! そんなうれしそうにしないでよ!
もうお嫁にいけない!!
――どうせ、もらってくれる人なんかいないからいいか。
麗香が責任とってくれるなら、いいかな。麗香、好きだし。……ちょっと怖いけど。
「責任とってね!」
わたしはそう、麗香に念をおす。
「もちろんわたくし、自分でしたことの責任は、自分で取りますわ。だれかさんとちがって」
うっ。しっかり反撃してくる麗香。
わたしってやっぱり、お尻に敷かれちゃうんだろうなぁ。
「まだ少し早いですし、もう少し楽しんでいいかしら?」
わたしはあわてて首を振る。
だって、こんなの初めてだし、やっぱりちょっと怖い。
「まあ、いいわ。とりあえず着替えて、お夜食でもいただきましょう」
あっさり諦めてくれてよかった。強引に迫られたら、逆らえないもん。
わたし達は、ラフな部屋着に着替える。
麗香のところってよく泊まりにくるから、わたし用の着替えを用意してくれているんだ。龍子用のも、ちゃんとそろっている。
龍子はわたし程泊まりにこないけど。
わたしは家に居辛くなると、麗香の所に逃げ込むから。
龍子の所にもたまにいくけど、麗香の家ほどではない。
――そういえば、なぜなんだろう?
龍子の所より、麗香の所に逃げ込むことが多いのは。
資産規模からすれば、確かに麗香の家の方が大きいけど、どちらも、わたし一人くらい泊まりにくる程度では、たいして負担になるわけではない。
うまくいえないけど龍子って、弱いものには優しく、強いものには厳しく、っていう愛し方なんだよね。
現実世界にいるわたしは、すごく弱い存在で、だから龍子はわたしを全力で守ってくれる。限りない愛をそそいでくれる。
それって、普通の時はいいの。
ちょっとだけ甘えて、心の重荷を解放できる。
それに、いつまでも甘えていたんじゃいけないって、わかるから。
でも、現実逃避寸前までいっている時は、それがわからない。だからわたしは龍子の無限の愛に甘え、溺れそうになるの。もう二度と、そこからはい上がれそうにないほど……
でも、麗香の愛はとても厳しい愛だ。弱者だろうと容赦しない。特に甘ったれている人間には。だからわたしは立ち直れる。ねちねちいじめられても、その奥底に、限りない愛があるから、わたしは彼女の言葉に耳を傾ける。
すごく落ち込んでいる時は、龍子の優しさより、麗香の厳しさのほうが、わたしにとって必要だと本能的に感じていたのかもしれない。
これだけ二人から、限りない愛を注いでもらっているのに、お返しできない自分がはがゆい。それどころかいつも迷惑をかけて。
でもいつか、愛を分けてあげられるほど強くなるから、それまで待っていて欲しい。それまで友達でいて欲しい。
おねがいだから……