麗香、あなたって何考えてるの
わたしは走った。
ここまで完全変体して、四つ足で走るのは初めてだけど、本能は走り方を知っていて、足がもつれることもなかった。
普段出せる倍以上の速度で駆け抜け、空き地に達するのに、五分程しかかからない。
わたしは走りながら立ち上り、ゆっくりと元へもどった。
どこなの、龍子?
そこは空き地とはいえかなり広く、ビル建設かなんかの資材置場になっており、視界はすこぶる悪い。
わたしは鉄条網の破れたところから、中に入り込んだ。
空き地にはいくつかライトが設置されていたので、とりあえず歩くのに支障はない。
わたしは耳だけを伸ばしてみた。
聞こえる。激しい息遣いが。
こっちだ!
わたしは音のする方向へ、跳びはねるように向かった。
「はっ!」
激しい気合がほとばしる。
龍子にけり飛ばされた男は、そのまま宙を飛び、砂利の山に突っ込んだ。
彼女の周りでは、二人ばかりのびていたが、残った五人はいずれも格闘技の心得があるらしく、さすがの龍子でもかなり苦戦しているようだ。
彼女の家は道場を経営していて、彼女も幼い頃から父より手ほどきを受け、すでに父をもしのぐ腕前とか。しかし一人で七人も相手をするのは、いくら龍子でも無理だ。
「りゅーこ!」
わたしは思わず飛び出す。
「ばか、ひっこんでろ!」
それはないんじゃない、龍子。
確かに足手まといかもしれないけど。
「そいつを捕まえろ」
龍子を取り囲んでいたうちの一人が、わたしの方に向かってくる。
そいつはなにか細い棒状の物を持っていた。
「電撃棒だ。気をつけろ!」
龍子がそう叫ぶ。
ショックバトンって、先っぽに高圧電流が流れていて、最大パワーにすると熊でもおねんねするやつだ。
そんなのを食らってはたまらない。
わたしは、跳びはねるように逃げる。
うさぎの共生体を持っているだけあり、わたしは逃げ足だけは速い。走り、あるいは跳びはね、その男を翻弄する。
とりあえず龍子の方の戦力を一人減らしただけでも、役に立ったと思う。
でも、相手はまだ四人もいる。
龍子は目にもとまらぬ連続技で対抗するが、苦戦は必至だ。
「ちっ!」
横目で龍子の方をちらりと見ると、彼女は右肩を押さえ、じりじりと後退していた。
ショックバトンが肩をかすったらしい。
でもわたしの前には、男が立ちふさがっていて、そっちへ行けない。
りゅうこ、がんばって。
男達がショックバトンを振りかざし、龍子に詰め寄った。
そして、それを振りおろす!
ピシッ!
わたしは見ていられなくて、一瞬目を閉じた。
「うぎゃぁ!」
聞こえたその悲鳴で、わたしは閉じていた目を見開く。
地面に尻もちを付いている男達。
「れいかぁ!」
積み上げられた鉄骨の上に、ひらひらのワンピースを風になびかせ、麗香は立っていた。
「どうやら、間に合ったようですわね」
れいか、れいか。
「大勢で女の子をいじめるなんて……なんてうらやましい。わたくしだって我慢していますのに……」
わたしはその麗香のせりふでこけそうになる。
麗香ってそういう趣味だったの!?
わたしをいじめるのも、だからだったの?
「麗香、助けに来たのか、いじめに来たのか、どっちだ?」
龍子もあきれる。
「ちっ、仲間か。まとめて捕まえろ」
リーダー格の男がそう命じる。
この頃には、のびていた男達も気が付き、七対三でにらみ合うこととなった。
七対三とはいっても、わたしはほとんど戦力にならないし、龍子は利き腕である右手がまだ使えなかった。
よってまともに闘えるのは、麗香だけである。
対する男達は、七人。
中には龍子の攻撃を食らって、多少ダメージを受けている者もいるが、決定的な戦力ダウンにはなっていない。また、手には電撃棒を持っているし、体術的にも十分鍛えられていた。
ただし、男達には共生体がないため、反射神経や体力などの面では、わたし達の方が有利であろう。
わたし達は一ヶ所にかたまり、やつらを待ち受けた。
そしてやつらは、わたし達を取り囲むように迫ってくる。
「もう、逃げられんぞ。メモリーカードを渡してもらおう」
「はん、取れるもんなら、取ってみな」
龍子はペンダントにしたメモリーカードを見せびらかす。
「そちらこそ、引いたらいかがです? お怪我をなさらないうちに……」
麗香がにっこり微笑む。
わたしの背筋を冷たいものが走った。
フリルとレース、それに小さなリボンがたくさん付いた、白とパステルピンクの可愛いワンピースを着た麗香が微笑むと、すごく可愛い。
なのにわたしはすごく怖かった。背筋が凍りつきそうなほど……
「やれ」
男達は間合いをとり、そして襲いかかってくる。
「ぎゃ!」
「うおぉ!」
あっという間に、男二人が地に突っ伏した。
ショックバトンがあらぬ方向に飛ばされ、土管かなにかにあたり、鈍い音をたてる。
一人がひたいを、もう一人は、右手を押さえていた。
麗香の放った薔薇の鞭が、男達をなぎ払ったのだ。
「さあ、お次はどなたかしら?」
麗香、すごく楽しそう。
彼女は両腕を美しい薔薇の鞭に変え、次の獲物を物色する。
「たぁ!」
「やっ!」
麗香が薔薇の鞭をふるい、華麗に舞う。
彼女の鞭は美しいが、鋭い薔薇のとげが付いている。これで打たれれば、鍛え上げられた男達とはいえ、情けない悲鳴を上げ、屈服するより他はない。中にはなんだか気持よさそうにしている人もいるみたいだけど……
麗香の優美な戦い方とは対照的に、龍子の攻撃は激しくそして力強い。
彼女は虎の爪を出し、男達に挑む。左手と足技を中心に攻撃し、まだ回復していない右腕は守備に徹する。
さすがに虎の共生体を持っているだけあり、そのパワーは並ではない。
今も、長い足から繰り出されるまわし蹴りが見事に決まり、男の一人が吹っ飛んでいく。
そしてわたしは、彼女らの間に入って……逃げ回っていた。
うーん、情けない。
でも、参加することに意義があると思うの。たぶん……
麗香と龍子のコンビネーションにより、あっという間に男達は、リーダー格のとあと一人を残すだけとなった。
その時。
ドキューン!
えっ! なに? 銃声!?
わたしはとっさに、音のした方を見据える。
「りゅうこぉぉぉ!!」
龍子が、龍子が……
彼女は、信じられない、というような顔をして、ゆっくり倒れていった。
「りゅうこ、りゅうこ、りゅうこぉ!」
わたしは半狂乱になって叫ぶ。涙があふれ出た。
パン!
わたしの頬が小気味よい音をたてる。麗香にぶたれたのだ。
「れいか……」
わたしは力なく彼女を見る。
「だいじょうぶですわ。麻酔銃です」
龍子を見れば確かに血など流れていない。
よかった、よかった。
死んでないんだ。
わたしは、悲しみの涙をうれし涙に変えた。
でも、それは早計であった。
「応援が来たようですわ。ここはわたくしたちが引いた方が、よろしいようですね」
向こうの方から、十人くらいの男達がこちらに向かってくる。
「香澄、逃げますわよ」
麗香はそういって土管の山に飛び乗る。
でも…でも、龍子は?
彼女は倒れて動けない。しかしとても担いでなど逃げられない。
「早くいらしゃい」
麗香は男達を鞭で牽制しながら、わたしに命令する。
ミスティだった時とは立場が逆だ。
わたしはその声に逆らえずに、麗香の所まで跳躍した。
「まて、この女がどうなってもいいのか?」
男が龍子にナイフを突きつけている。
麗香、どうするの?
「べつにかまいませんことよ」
麗香はそういった。そういいきったのだ!
わたしも驚いたけど、もっと驚いたのは、男達の方だろう。
皆あぜんとしている。
「……麗香、本気?」
麗香がなにを考えてるか、わたしにはまったくわからない。
龍子がどうなってもいいの?
自分さえよければそれでいいの?
わたしはそんな非難の目で彼女を見据える。
「もちろん本気ですわ。わたくしが嘘をついたことがありまして?」
ひーん、ないから怖いんじゃない!
麗香が口に出したことは、必ずやる。どんな事があっても。
「お願い、龍子を人質にとってもむだよ。麗香は本当に龍子を見捨てるつもりなんだから」
わたしは男達の方に哀願した。
はっきりいって麗香の方を説得するのは、天地がひっくりかえっても不可能だ。
ならば、お門違いとはいえ、男達を説得した方がまだましだもの。
なにやら、変な雲行きに、応援に来た男達も変な顔をする。
「あら、見捨てるだなんて、人聞きの悪い。ちょっと預かってもらうだけですわ」
麗香は心外だわとばかりにいう。
「メモリーカードが欲しければ、龍子に手出しをしないことね。今はこちらが不利ですから、後で取り引き方法を連絡しますわ」
「なにをいっている。メモリーカードはこの娘が持っているはず」
男は龍子の胸元を探る。
しかし次の瞬間、薄闇なのに顔が青くなったのがわかった。
「ない! どこへやった?」
男はさらに龍子の身体をまさぐろうとした。
「おやめなさい。無駄ですわ。カードはわたくしが持っていますから……」
麗香は薔薇のつるの先っちょに引っかかっているカードを見せびらかす。
いつの間に!?
「明日の朝までには御連絡致しますから、それまで龍子を大事に扱って下さいね。もし彼女に危害を加えたら、迷わずこのカードを破壊してしまいますわよ」
「わかった。……連絡先はわかるのか?」
「研究所の方でよろしいかしら? それならわかりますけど」
「それでいい。それでは明日の朝、七時までに連絡をよこすように。それを過ぎたら、この娘はこちらで勝手に処分する」
処分だなんてそんな……
「その時は、どうぞ御随意に。……連絡を入れた時、龍子の無事を確認できるようにしておいて下さいね。それではごきげんよう」
麗香は一礼すると、土管の山の向こう側に降り立つ。
本当にいっちゃうの? 麗香。
「さっ、帰りましょう」
麗香がわたしに向かって微笑む。
うわーん、こわいよぅ。
わたしは未練たらしく、龍子を振り返り、そして麗香の横に降り立った。
龍子を置いていくのもつらいけど、麗香には逆らえない。
龍子ごめんね。
絶対、助けてあげるから。
どんな事をしても絶対に。
わたし達は闇の中を駆け抜けた。