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エンドレス・トラブル  作者: T.HASEGAWA
エンドレスの始まり
2/34

不審な人物が。気のせいだと思いたいけど……

 一週間は何事もなかった。……たぶん。


 わたしが気が付いたのは一週間後だから、もしかしたらもっと前から兆候はあったかもしれない。

 ふと気が付くと、部屋の窓の下の小さな通りの向こうに、その男の人が立っていたのだ。


 それだけなら、まあ普通の光景。


 そこは小さいながらも公園だし、待ち合わせ場所として使用している人もけっこういるからだ。

 わたしがなぜその人に注目したかといえば、……それはまあ……実は……。

 はっきりいうと、わたしの好みだったからだ。


 …ポン(耳が飛び出た音だ)。


 重度の赤面症で、男の子とまともに話したことすらないが、わたしだってそういうことに興味はある。いや、人一倍興味があるからこそ、男の子の前に出ると、真っ赤になってしまうのかもしれない。女の子の前でも赤くなるから、関係ないかもしれないけど。


 そんなことはどうでもいいか。


 とにかくその男の人――男の子という歳ではない――は、美形という言葉がしっくりくる数少ない男性だろう。


 わたしって面食いかな。


 二階から見下ろしても、すごく長身なのがわかった。たぶんわたしなんか彼と並んだら、彼の肩にも達しないに違いない。

 彼に抱き締められたら、きっと彼の胸の中に顔をうずめることになるだろう。


 ちょっとそのシーンを想像して、わたしはむなしくなる。


 そんなことできっこないわ。この現実世界(リアルスペース)では。

 女の子とさえ、ろくに話すことのできない香澄が、男の子と付き合うだなんて、想像の中でしかありえないこと。

 でも想像の中ではなんでもできる。そう、仮想現実世界ヴァーチャルリアリティスペースのミスティのように。


 まあ、そんなこんなで、その男の人を見ながら、ありもしない想像|(妄想?)を巡らせていたわけだ。


 彼は誰か――もちろん彼女だろう――を待っているようだった。かすみ草の花束をかかえて。


 …一時間……二時間。


 彼女は現われない。


 ふられちゃったのかしら?


 知っているってことは、わたしもずっと見ていたわけだ。彼のことを。

 なんか、覗きの常習犯になったような気分。

 わたしにあんな彼氏がいたら、絶対待たせたりしないのに。それどころか舞い上がって、一時間も二時間も早く、待ち合わせ場所に来ているに違いない。

 そんなつまらない想像を巡らせていた時、ふと見上げた彼と視線が交差した。


 ドキン!


 わたしは覗きの現場を見付かった痴漢よろしく、あたふたする。もちろん完熟トマトになっているのはいうまでもない。

 彼はじっとわたしの方を見ている。


 わたしがずっと見つめていたのに気が付いたのかしら?


 そうかもしれない。

 最後の方はそれこそ身を乗り出すようにして、窓とレースのカーテンすら開けて見ていたのだから。


 見られていないと思えば、わたしはすごく大胆になることがある。匿名性の高いVRSの中で、その本領を発揮するように。


 でも、現実世界でそんなところを見られたら、百万分の一秒で萎縮してしまう。高速度カメラでも、そうそう捕らえきれぬスピードである。


 彼は、そんなわたしの当惑など知らぬかのようにわたしを見つめ、そして微笑んだ!


 これは想像ではない。本当にわたしに向かってだ。


 天変地異の前ぶれか?


 それともそれは勘違いで、垣根の向こうに猫でもいるのだろうか?


 はたまた……いや、よそう。


 わたしに微笑んだのは間違いのない事実だ。それにどんな意図があろうと、今この笑顔だけはわたしのものよ。

 彼はこちらに向かって、ゆっくり歩いてくる。そう、わたし、の方へ。


 わたしは彼から目が離せない。


 なぜ、彼はこっちへ来るのだろうか。ふられたところを見られたせいで、居たたまれなくなって、帰ってしまうのかしら?


 それはありえる。


 わたしだってふられたところ見られたら、すごく恥ずかしくて、逃げ帰ってしまうに違いないもの。

 ふられることなんてありえないけど……。友達すらろくにいないんだから。

 彼は公園を出て、通りをまっすぐわたしの方へ来る。


 わたしは動けなかった。


 蛇に睨まれたかえる。いえ、狼に睨まれたうさぎかな。

 そんな状態になって、わたしはただ、彼を待ち受ける。

 このまま、回れ右してどこかへ行ってしまうのかもしれない。あるいは、覗き見していたわたしを罵り、罵倒するのかもしれない。


 それでもよかった。

 彼を近くで見られるなら。

 公園にいた時よりずっと大きく、はっきり彼のことが見える。

 それだけでわたしはよかった。


 言葉を交わすことなどとても無理だし、ましてや彼と知り合えるなど望むべきもない。

 想像の世界に浸るのはよそう。今だけは。


 現実を見つめるの。

 今を逃がしたら、二度と見れないかもしれない、現実を。


 でも、わたしにはそれが、現実だとは思えなかった。

 まるで、夢とうつつの狭間にいるかのように、たよりなくふらつく。

 だから、目の前に何かが降ってわいた時、わたしは何気なく受け取ってしまった。

 それが何か気付くまで、数秒を要する。


 だから龍子に、とろい、といわれるのだ。すぐにわかってもいいはずの物なのに……


 それは彼が持っていた、かすみ草の花束だった。


 わたしはそれを抱えるようにして胸に抱き、彼を見つめた。

 当然耳は飛び出てる。顔は真っ赤だ。

 でもうつむいたりせず、まっすぐに彼を見つめた。


「またね、うさぎちゃん」


 彼はそういって、去っていく。

 わたしは遠ざかっていく背をただ黙って見つめていた。

 彼が見えなくなっても……


 わたしが現実世界(リアルスペース)に帰ってきたのは、すっかり日が落ちてからだ。ネットに潜っていないのに、仮想世界(ヴァーチャルスペース)からもどってくる。そんなへんてこりんな気分を味わったのは、この日が初めてで……もしかしたら最後なのかもしれない。


 これって、世間一般にいう、ひとめぼれ、ってやつなのかな?


 ううん違う。単に男――きゃっ、おとこだって――に免疫のないねんねが舞い上がっているだけ。

 男の人から花束をもらえるなんて、一生に一度あるかないかという快挙だったから、血がのぼっただけなの。

 彼女にあげるはずだった花束の廃品(ごめんね)利用とはいえ、花束は花束よ。花束に変わりはないわ。


 わたしが男の人から、花束をもらったという事実! は変えられない。


 だから、ほんの少しだけ、本当に少しだけ、夢を見てもいいよね?

 気紛れな神様がわたしにくださった、小さな夢。

 そう思ってもいいよね?


 ――よそう。現実にはこれ以上進展しっこないんだもの。どう控え目にみてもわたしには無理だ。彼の名前も住んでいる所も、彼がどんな人かも知らないのだから。

 わたしがわかるのは、彼の容姿だけ。それも遠目で見た。

 これではまったく知らないと一緒だ。

 彼から訪ねて来てくれない限り、わたしは彼と会うことすらできない。

 でも、そんな事あるわけない。

 そんなこと……


 そんなことあるわけないのにあったのだから、うさん臭いことこの上ない。

 この世に生まれ出て、十七年目に突入しようかという今この時まで、男にいい寄られたことなんか、一度だってない。自慢してどーする。なんかいってて虚しくなってきた。


 でも本当のことだからしかたがない。


 それほど男、いや人間自体と接してきてはいないのに、ここへ来て急にもてだすなんて信じられないわ。

 彼は次の日もその公園に来ていた。かすみ草の花束を持って……


 わたしが、また来ていないだろうかと、未練たらしく窓の外を覗いたら、彼がいた。

 彼はめざとくわたしを見つけると、昨日わたしがメロメロになってしまったあの笑顔を振りまき、駆け寄ってきたのだ。


 わたしは、思わず窓を開けてしまう。


 昔、映画でこんなシーンを見たような気がする。

 確か吸血鬼は窓の外にいて、彼は窓を開けることができない。もし彼の誘惑に負けて窓を開けてしまったら、吸血鬼の餌食となってしまうの。


 迷うことなく窓を開けてしまった私は、もう吸血鬼の虜。


 逃げる術はない。


 彼がどんな悪人だろうと、自分を暗闇の中に引きずり込む悪魔だろうと、引き返すことはできないのだ。


 彼は昨日と同じ様に、窓の下に来ると、かすみ草の花束を投げ上げる。


 野球、いえ、フットボールかな?


 なんヤードかはわからないけど、彼はロングパスを再び決め、わたしも再びうさぎさんとなってしまうの。因幡の白兎みたいに、赤剥けになったうさぎに。


「なんで……」


 わたしは勇気を振り絞って、口を開く。


 生まれてから、これほど勇気を振り絞ったことはないほどの勇気。

 普通の人から見たらちっぽけな勇気かもしれないかもしれないけど、わたしは口を開いたのだ。


「なんで…こんなこと…してくださるんですか?」


 つっかえつっかえ、ようやくそれだけ絞り出す。

 せっかく振り絞った勇気もこれでガス欠だ。


「もちろん、君とお近づきになりたいから。それではまた。かすみの君」


 彼は去って行った。

 昨日と同じ様に。


 そしてわたしはわかった。わかってしまったのだ。


 でも、今日だけ。

 今日だけは、夢の中に浸らせて。

 そうしたら、もう夢を見ないから……

 現実世界にいる時は、夢を見ないから。


 わたしはいつものように捕まって、会長室に連れ込まれた。

 麗香や龍子は、わたしの様子が少しでもおかしいと、すぐに気が付く。なんですぐにわかってしまうのだろうか?


 たぶんわたしって、わかりやすい性格なんだろう。


 つまらないことでうじうじ悩むし、すぐに顔や態度に出る。嘘発見器にかける必要もないほどだ。

 嘘発見器にかけるように、質問を適当に並べていって、すべてノーと答えさせる。それで顔が赤くなったり、耳が飛び出たりしたら、それは百パーセント嘘をついているって事なのだから。


 そんなだから、彼女達に嘘は付けない。

 特に麗香には。


 彼女にかかっては、それこそ自分の恥ずかしい秘密が、何もかもさらけ出されてしまうのだ。


 黙秘権を行使しても無駄なこと。


 わたしがひとこともいわなくても、わたしの反応を見ながらどんどん核心に迫ってくる。そんな時わたしはまるで、衣服を一枚一枚脱がされて裸んぼうにされるような、そんな情けない気分になるの。


 でも麗香は容赦しない。それが必要とあらば。


「男の方に花束をいただけるなんて! うらやましいわ。わたくしたちもそんなロマンチックな体験をしてみたいですわね」


 麗香はそう龍子にふるが、龍子は同意しかねるようだった。


「あたしは、今川焼きでも放り込んでもらったほうが、嬉しいね」


 硬派なおねーさまタイプの龍子であったが、実は大の甘党で、甘味所などに香澄はよく付き合わされる。なんでもわたしがいると、さまになる、のだそうだ。


 一度わたしが、麗香を連れて行ったら? といったら、龍子は困った顔をして、一度行って懲りた、と小さな声でいった。


 なぜ懲りたのかは聞けなかったけど、予想くらいつく。


 制服のスカートを生活指導で引っかかるぎりぎりまで短くして、かもしかのような細くしなやかな足を惜し気もなくさらけ出す。洗いざらしの髪は細めのリボンでポニーテールにまとめ、タイはラフに締め、ブラウスの第二ボタンまで開けている。長身を活かしたダイナミックな動きは、こんなラフな格好とよくマッチする。


 これが龍子の普段の格好だ。


 そんな格好をしている上、顔立ちがまるで宝塚の男役みたいに、きりっとしているから、すごく目立つ。


 対する麗香はというと、ロングストレートでサラサラの髪は腰のところまであり、両脇のもみ上げ付近のひと房を細い三つ編みにして後ろで留める。あるいは幅広のリボンでルーズにまとめるのが好みだ。スカートは標準より少し長めで、ふんわりと広がる感じになっている。タイはきっちりと、そしてブレザーの下に着るブラウスは少しフリルの入った、柔らかな感じがするものが多い。

 顔立ちも優しくて清楚。それでいて綺麗だというんだから、神様は不公平よね。


 二人を並べた時の感想は、ひとことでいうと、スケ番対お嬢様といったところか。


 この二人のギャップははなはだ大きく、たぶん二人が並んでいたら、不良に絡まれているお嬢様か、あやしい関係か、とかしか見えないだろう。


 わたしはといえば、いたって普通の格好かな。


 長くもなく短くもないスカート。

 オリジナリティーもポリシーもない髪型(ヘアスタイル)。だいたいそのまま垂らすか、ポニーテールか、時折麗香みたいに、細い三つ編みもしてみるけど、どうもしっくりこない。

 まあ普通の、たいして特徴もない女の子だ。


 だから、麗香といても、龍子といても、それ程違和感はない。

 三人並んでも、わたしが間に入れば、なんとなくバランスが取れるらしく、注目を浴びることもあまりない。

 そんなだから、彼女達が実は相当注目を集める人種――ここまで違うと人種が違うとしか思えないわよ――だと気が付くまで、結構時間がかかった。


 まあ、そんなことはどうでもいい。

 とにかくわたしは、昨日、一昨日にあったことを残らず絞り取られたというわけだ。


「ねぇ、麗香。やっぱりそうかなぁ……」


 わたしは最後の希望を持ってそう尋ねる。もし彼女が違うといってくれれば、もう少し夢が見られる。

 そんなわたしの希望むなしく、麗香はあっさりいう。


「まず、間違いないと思います。その方は、香澄が破壊工作を行なった研究所と、つながりがありますわね。わざわざ、香澄にひっかけた、かすみ草を持ってくるなんて、自信過剰気味のようですけど」


 やっぱり……

 わたしもそう思ったんだよね。

 凡才のわたしがそう感じるくらいだから、麗香なら明白だろう。


 わたしがもてるはずないもの。

 わたしに男がいいよってくるなんて、そんなこと、なにか別の目的があるとしか考えられない。


「それって、香澄の家を監視してたって事か?」

「そうではないと思います。香澄の周辺を探っていたのは、たぶんそれより前ですわ。犯人が香澄だとわかって、懐柔に来たっていうのが、一番考えられる線ね。こういうことに香澄、弱そうでしょ? 男で引っ掛けて、組織に引っ張りこもうとでも考えたのではないかしら」


 どうせどうせ。

 わたしは美形に弱いですよ。

 男に免疫がないわよ。


 麗香にねちねち苛められながらも、友達でいるのって、美形に弱いからなのかな? 麗香って黙って観賞するぶんには、なんていうか……ええい、いっちゃおう。わたしの理想の女性像なのだ。


 可愛くて綺麗でやさしそう。


 そんな麗香を見ていると、どんなにいじめられても耐えられちゃうから不思議。


「犯罪の証拠はなにもないですし、ここで強硬手段を取って、やぶへびになるより、懐柔して、香澄の必要なぶんだけワクチンをあげるから、ウィルスの製法データを返してくれるよう、迫ってくるんじゃないかしら?」


 クラッキングで得られたデータは証拠となりえない。

 それは不正な手段で入手されたものであるし、改竄されたり、データそのものが虚偽である場合も考えられるからだ。


 コンピュータデータは複製(コピー)消去(デリート)改竄(アップデート)も、簡単にできるから、証拠能力はまったくないのだ。

 しかも肝心のウィルスも死滅させちゃったから、たとえ訴え出たとしても聞き入れはくれまい。


「それで、どうすれば……やっぱり、追い払ったほうがいいの?」

「あら、もったいない。その方、好みなんでしょ? 付き合ったらいかが?」


 ええっ!

 そんなのできないよぉ。


 向こうはわたしの盗ったデータを狙ってるだけで、わたしになんか興味ないのに、それで付き合うなんて……


「それって、すごくやばくないか? 香澄に世界の運命を託すことになるんだぞ」


 なんとでもいって、龍子。


「だいじょうぶですわ。最悪でも、きっと香澄がワクチンを手に入れてくださいますから、わたくし達は平気です。もし手に入れられなくても製法データがありますし、香澄が適当に送った家から回収するという方法もあります」


 そういう問題、なのだろうか?


「なんかあたし、頭痛くなってきた」


 龍子はそういって頭を抱える。

 わたしだって頭が痛いよう。


「それは最悪の場合ですけどね。でも、向こうが強硬手段を採っていないのですから、こちらから仕掛けると、向こうも対抗して強硬手段に訴えてきますわ。向こうを刺激しないためにも、ここは引っ掛かったふりをして、時間を稼いだほうがよろしいと思いますの」

「香澄にそんな演技ができるのかねぇ……」


 龍子はそういってわたしを見下ろす。

 はっきりいってわたしもそう思う。

 きっと敵だとわかっていても、のめりこんじゃうわ。だって彼、すごく素敵なんだもの。


「別に演技じゃなくて、本気でもいいんですのよ。メモリーカードは龍子が持っていますし、香澄ではデータを引き出せませんから」


 そうだ、ミスティはわたしだが、ミスティの記憶のほとんどはコンピュータの中にある。わたしが覚えているのは、ミスティの行なった行動の極一部でしかない。


 仮想世界で理解した、覚えたと思ったことも、現実世界にもどると、綺麗さっぱりなくなってしまう。それらのデータは現実のわたしの頭の中には入りきれずに、仮想世界に置いてくるしかないからだ。


 だから、記憶場所(メモリーエリア)解除キー(パスワード)も香澄は覚えていないし、ミスティも記憶を消されているから、それを探すことはできない。探し当てさえすれば解除することくらい簡単だが、広大な仮想世界をあてもなく捜してたら、いったい何年かかるかわかったものじゃないのだ。


「もし香澄が男のいいなりになってしまったら、次の標的は龍子ですからしっかり守ってくださいね」

「捨てちゃうわけにはいかないのか? このカード」

「絶対捨ててはだめです。これはわたしくしたちの命を保証してくれる大事なものですから。もうデータが取り返せないと知ったら、抹殺されてしまうかもしれませんわ。証拠隠滅のために」


 麗香はそういって釘をさす。


 たしかに不法なハッキングで得たデータは法的証拠となりえないが、それを承知の上で利用しようとする者や、信じてしまう者もいる。

 そういう者達の中に、利害が衝突すると考える者が出ないとも限らない。

 研究をやりなおすにしても、そういった輩に暗躍されたのでは面倒だし、そういった可能性を消しておくほうが後々面倒がないと、向こうが考えないとはいいきれないのだ。


「わかった。肌身離さず持っている」

「おねがいね、龍子。香澄は、その人とデートでもしてらっしゃい。そして、彼の動きや言動を注意して観察するのよ。彼の目的が本当にウィルスの製法だけなのか、わたくしたちの抹殺まで考えているのか。それともその方は単なるアルバイトで、香澄をたらし込むだけに雇われた人なのか。彼がどんな立場にいて、どんな目的を持っているのか、探り出すのよ。逆にたらし込んでもいいわ。どんな情報でも、探り出したらわたくしたちに話すのよ。よろしい?」


 わたしはうなずく。


 でも、そんなことできるのかな、このわたしに。

 彼に見つめられるだけで、ぼうっとなってしまって、なにも考えられなくなってしまうのに。


「そうそう、もうひとついっておいたほうがいいわね。本気で付き合ってもかまいませんけど、向こうが本気じゃないうちは、操だけは守ったほうがよろしくてよ」


 彼女の古風ないい方に、わたしはちょっと首をひねり、そして真っ赤になる。


 操って……わたしまだ高校二年生だし、だってそんな怖いし……


 わたしの頭はパニックだ。


「麗香、あんまり香澄をからかうなよ」

「別にからかってなんて……いますけど」


 ずり。


 わたしは力が抜けて、ソファからずり落ちそうになった。

 いいんだいいんだ。わたしはみんなのおもちゃ。

 からわかれては赤くなり、赤くなったら、赤くなったとからかわれる。


「まあ、こちらのことは気にせず、気楽に付き合って頂戴。香澄は男の方と付き合って、少しは免疫を付けたほうがよろしくてよ。でないと本物の彼氏ができたとき、きっと大騒ぎになるわ」

「いまでも十分大騒ぎしているみたいだけどな」


 ううっ。


 そうよ。双方とも別の目的を持って、恋人を演じるだけなのに、わたしの心臓は破裂しそうなほどに高まっている。

 すごく落ち着かなくて、腰に力が入らなくて、へたってしまいそうなの。

 でもわたしに選択の余地はない。

 麗香がそうしろといったことをちゃんとやらないと、後でどんなに目にあうか。


 彼女は決して罵ったりしない。

 決して声を荒げたりしない。

 静かに、おっとりと、まるで何事もなかったように、まるでそう、世間話でもするように、わたしをじわじわいたぶる。


 表面的には何気ない世間話みたいだから、わたしは許しを請うこともできない。ただ、彼女の世間話を拝聴しているしかないの。針のむしろに座らせられているような、いたたまれない気持ちで。

 それに比べたら、男の人と偽装恋人を演じるなんてなんでもない。


 そう、なんでもない……はず。

 と、思いたいけど、実のところ自信はこれっぽっちもない。

 でもやらなくちゃ。

 でないと、麗香の静かな拷問が待ち受けているのだから。


 なにかに取り憑かれたかのように、わたしは時々意識を失なう。あの日から。

 ふと気付くと、部屋の中が真っ暗だったり、いつの間にか知らない道を歩いていて、迷子――この歳になって恥ずかしい――になったり。


 そして今も、気が付いたらわたしは遊園地にいて、メリーゴーラウンドの馬車に乗っていた。


 いつになく着飾って、彼の前にわたしは座っている。まるでわたしって夢遊病患者みたい。

 そういえば、現実から逃避したくなったときも、わたしは夢遊病患者みたいになる。

 仮想世界でひと暴れした後に、ようやく気が付いて、わたしは青くなるんだけど。


 でも今は、わたしは真っ赤だ。


 男の人と狭い空間で二人きり。

 急に彼のことが意識されて、わたしは膝の上に置いたポシェットをしきりにひっくり返す。

 彼はそんなわたしを見て、優しく微笑んだ。


「つまらないの? うさぎちゃん」


 わたしはあわてて首を振る。


「わたし、こういうの…初めてで…ちょっと、緊張しているだけ」


 うつむきながら、つっかえつっかえそれだけ話すのに、わたしは大変なパワーを使った。意識がどこかへとんじゃってた時のほうが、楽に話せたような気がする。


 たぶんそうなのだろう。わたしは仮想世界にいる時はすごく大胆になる。現実世界から遊離すると、わたしはわたしでなくなるのだ。

 でも、現実世界にもどってきたからには、わたしはいつもの香澄になってしまう。ひっこみじあんで赤面症の、つまらない小兎に。


 こんなわたしでは、きっと彼はあきれてしまうだろう。

 きっと愛想をつかしてしまうだろう。


 なんとかしなくちゃ、面白い話しをしなくちゃと思えば思うほど、わたしの頭は空っぽになる。


「…慎二さんって、わたしの……どこが気にいって、さそってくれたんですか?」

 ばかー。


 わたしは緊張すると、人が三人半は入れそうな墓穴(ボケツ)を掘る。

 つまり自分だけでなく、周りの人も巻き込んで、一緒に墓穴(ハカアナ)に入ってしまうというわけだ。


 こんな質問されたらこまるよね。

 わたしだってこまるもの。


 評価が甘くなるであろう自分でも、気にいっているところなんか皆無なのだから、他人ならもっと辛い点を付けるだろう。


 それにすっかり忘れていたが、彼はわたしの敵なのだ。……悲しいことに。


 はっきりいって義務で付き合っているのだから、あまりこまらすような質問をするべきではなかった。


「そうだね、まずこの、うさぎさんの耳が気に入った。それにすぐに真っ赤になるところもかわいいし。見てて飽きないところがいいね」


 どうせそうでしょうとも。

 見てて飽きないという自信だけはある。情けない話しだけど。


 ほっとかれれば(カスミ)のようなわたしだけれど、からかわれれば、それこそ二十四色もある信号機――そんなのないけど――のように激しく明滅する。

 それが面白いらしくて、龍子や麗香はわたしをかまうんだけど……


 彼もそうらしい。


 まあいいか。それでも。

 彼といられるんなら、そのくらい目をつむってもいい。彼が敵の手の者だとしても、かまわない。

 わたしは麗香達を裏切れないから、いずれ破滅の時が来るでしょうけど、それまでは彼とこうして偽りのデートを繰り返し、そしてちょっといい気持ちになるの。


 ふわふわと霞のように、天国を漂う。そんな気持ちになるの。


 麗香だっていったもの。本気になってもいいって。

 破滅の時が訪れたら、わたしはきっと、立ち直れないほど傷つくだろう。

 心の中にぽっかり穴があいてしまうだろう。


 でもいいの、傷ならいつかは癒える。

 そして、美しい思い出に変わるの。

 だからわたしは、今この時を楽しめばいい。


 ただ、楽しめば……


 彼と会った次の日は、麗香達の拷問にあう。

 残らず彼との事を話さないと、それはもう、この世とも思えぬ地獄を味わうのだ。

 斎藤慎二という彼の名前と、十九歳という年齢。大学の二年生だという話しから、デートの様子まで、彼がどうしたの、わたしがどうしたのなど、昼休みだけでなく放課後まで尋問された。


「なあ麗香。香澄のおのろけ話聞いて楽しいか?」


 龍子は延々聞かされるわたしの話しに嫌気がさしたのか、そういって話しを中断させる。


 おのろけ話しだなんて、そんなつもりは……あるかもしれない。

 少しだけ自慢したい。そんな気持ちはないこともない。


 なにしろ彼はかっこいいし、やさしいし、美形だし……あっ、やっぱりのろけてるみたい。


「えぇ、楽しいですわ。今後((デート)の参考にもなりますし、香澄のこんな楽しそうな顔は久しぶりでしょ。少し付き合ってあげても、よろしいんじゃありません?」


 れいかぁ。


 わたしあなたのこと誤解してたのかも。

 恐いなんて思ったりして。


 ただわたしがひねくれていただけだったのね。こんなに幸せだと、ちゃんと優しい言葉に聞こえる。


 ごめんなさい麗香。誤解していて。


 そう、いつもわたしを助けてくれるのは、麗香と龍子だけ。

 二人だけがわたしの味方なのに。それなのにわたしは麗香を恐がっていた。


 なにもかも誤解だった。


 あまりにあなたがやさしいから妬んでいただけだったのね。


 わたしはなにか、目から鱗が落ちるような気持ちで麗香を見つめた。

 彼女はやさしい天使のような眼差しで、わたしを見つめ返す。

 彼女の言葉はそのまま受け止めればいいのよ。裏の意味なんかない。麗香はいい人よ。幸せだと、人生が薔薇色に見える。それって本当だ。なにもかも許せそう。


「麗香、花しょってるぞ」


 龍子は、ぼそっとつぶやくようにいう。


「あらいやだ。わたくしも、男の方とデートする時のことを想像して、つい興奮してしまったみたいですわね」


 麗香は、いやねぇ、とかいいながら、背中の薔薇をしまう。


 そういえばいっていなかった。麗香の共生体が薔薇だということを。

 人生が薔薇色に見えたのは、彼女の出した真っ赤な薔薇の花のせいだったらしい。


「男ねぇ……男のどこがそんなにいいんだか……」


 二人を見比べながら、龍子はため息を付く。

 彼女はあまり異性に興味がないらしい。


「龍子って女の方がよろしいんでしたっけ? よくラブレターをいただいているようですけど……」

「ばっ、ばか。そんなもの、もらったこと……」

「ありますわよね? 後輩の女の子たちに」


 麗香は満面に笑みを浮かべ、くすくす笑う。

 女子校ではよくある話しで、龍子はたしかにその素質、じゃないか資質は完璧に備えている。


「れいかぁ、かんべんしてくれよ」


 龍子は情けない声を上げて、麗香を見る。


「別に恥ずかしがることはありませんわ。男にしろ女にしろ、おもてになることは、決して悪いことではありませんもの。わたくしも後輩の子から頂いたことがありますし」


 麗香はなんというか、美しい、あるいは可愛ければ、男も女も、いや動物でも気にしないらしい。


 わたしもちょっとだけ同意するけど……あくまでちょっとだけよ、本当に。

 わたしだって綺麗なもの、可愛いものは好きだもん。

 麗香より見境はあるつもりだけど。


 でも、敵と平気で付き合っているようじゃ、あまり変わらないかな?

 いくら彼が美形だからって……


「それで、いつまでこんな状態を続ければいいんだ? なにか他の手は打てないのか。長くなるとこっちの神経がもたないぞ」


 龍子は分が悪いと思ったのか話題を変える。


「向こうの出方次第ですわね。そのうちしびれを切らして行動に出てきますわ。その時どう行動するかで、その後の対応も変わってしまいますから、対応策を今から考えても無意味でしょう」


 それが一日でも遅く来ることを願おう。それだけ彼といられる時間が増えるから。


 だからわたしは、信じてさえいない神様にも祈る。どうか、どうか……


 わたしの祈りが通じたのか、彼があんな恐ろしい組織と関わっているなんて信じられないほど、普通に彼との逢瀬を楽しんだ。

 実際わたしは、信じてしまった。彼が普通の人だと。人類を皆殺しにしようという組織とは関係ないことを。


 そんな話題は微塵も出てこないし、そんな言動も、全然感じられない。

 あんな計画に参加しておいて、平気な顔でいられるものだろうか?

 下心があるのに、こんな楽しそうにできるのだろうか。

 彼はわたしといて心底楽しそうに見える。

 わたしが彼を喜ばせている。そう思うだけでわたしも嬉しい。


「どうしたの香澄ちゃん? 僕の顔になにかついている?」


 わたしはいつのまにか、横に座っている彼の顔をじっと見つめていた。


 夕暮れ時の公園。

 ベンチに腰掛けた二人。

 わたしは答えることができなくて、ただ、だまって彼を見つめる。

 彼も黙り込んでしまった。


 そして……


 えっ、えっ……


 彼の顔が近づいてくる。


 彼の横顔が、夕日に照らされて真っ赤だった。


 わたしもたぶん真っ赤なのだろう。夕日に照らされていない面も。


 耳がゆっくり伸びていくのと反対に、わたしは目を閉じた。


 ゆっくりと……


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