太郎君の秘密
予想通り学校は、今日明日と閉鎖になった。
今日は捜査のため。
明日はあと片付けのためだ。
わたし達は鞄さえ回収させてもらえずに、家に帰された。
電車やバス通学、あるいは自転車通学の人達には、いくらかのお金が渡されるか、先生達が送っていくか、家の人に迎えに来てもらうかして、それぞれ帰っていく。
わたし達は、たいした距離じゃないので、歩いて帰る。
といってもそれぞれの家じゃなくて、一番学校に近い、龍子の家に集まることになったの。
なにしろあいつらの狙いは太郎君だったから、今のうち今後の対策を考えておく必要がある。
ゆっくり歩いても十五分ほどで、龍子の家だ。
その間太郎君は、迷惑をかけてごめんなさい、といったっきり、口をひらかない。
なにか事情があるのだろうけど、麗香も龍子も、無理に聞き出そうとはしなかった。もちろんわたしも。
まあ、わたしは何かしてあげたわけじゃないしね。
それにどんな理由があっても、こんな小さい子を無理やり連れていくなんて、絶対許せないもん。
だいじょうぶ。心配しないで。
わたしは何にもできないけど、麗香と龍子にまかせておけばだいじょうぶだから。
絶対あんなやつらに渡したりしないから。
「おやまあ、今日はずいぶん早いこと」
道場の裏っかわにある龍子の家に入ると、龍子のママが出迎えてくれた。
ちょっとふっくらしていて、ご近所では肝っ玉かあさんで通っている。
龍子の家には、道場の門下生が何人も下宿していて、それをひとりで面倒見ているのだからすごい。
わたしのママなんかとは大違い。
あのひとは若いつばめに夢中で、わたしのことなんかまるでかまってはくれない。
食事の仕度とか、お掃除とかは、通いのお手伝いさんがやってくれるから、別にこまらないけどね。
そう、全然こまらない。
こまってなんかいないの。
「麗香さんに、香澄ちゃん。いらっしゃい。そっちのお嬢ちゃんは初めてだね? お名前は?」
「花子です」
そうだ、太郎君はまだ女装したままだった。
「そう、花子ちゃんね。……あなたたち、お昼はまだでしょ?」
「あぁ。それから、みんな泊まっていくから、晩飯と布団も用意しといてよ」
「まあ、そう。じゃあ、ゆっくりしていってね」
龍子のママ、忙しい忙しいといいながら、台所の方へいった。
わたし達は龍子の部屋へいき、畳みの上に座布団を敷いて座った。
そして、作戦会議と思いきや、全然別の話しになった。
まあ、もうすぐごはんだっていうから、雑談くらいしかする時間ないんだけどね。
「せっかくですから、あとで花火買ってきません?」
そういいだしたのは麗香だ。
お祭り好きというかなんというか、麗香ってお嬢様しているくせに、騒がしいのが好きなのよね。
そのおかげで、わたしの起こす事件にも、色々と手を貸してくれるんだけど。
「花火なら、山ほどあるぞ」
聞けば、龍子のところの門下生が毎晩花火大会! をやらかすので、大量に在庫があるんだそうだ。
常時十人くらいは龍子の家に下宿しているし、門下生とかも練習が終わった後参加するから、みんな持ち寄ってきて、いつも使いきれないくらい集まる。
でも、ここって変な道場。
練習に来るのに、道着じゃなくて花火持ってくるってんだから。
まあ、龍子のパパってのが、好きこそものの上手なれ、を座右の銘として、楽しい練習をスローガンに掲げているから、道場がまるで近所の寄り合い所みたいになっているの。
午前中なんかだと、近所のおばちゃん達が、お茶のみついでに、美容体操がわりの軽い練習をしていくし、午後になると小学生の遊び場だ。
さすがに、夕方から夜にかけては、高校生とか大学生、それに社会人の人なんかも来て、まじめに練習しているみたいだけど。
「では、決まりですね。今晩は、ぱーっとやりましょう」
すでに麗香は今晩のことで頭がいっぱいらしい。
太郎君のたの字もでないうちに、お昼ごはんとなった。
龍子の家って、いつもにぎやかで楽しい。
ごはんとなれば、下宿人とか門下生とか、あわせて二十人くらいいるから、もう戦場のような騒がしさだ。
さすがにお昼は、学校とか会社に行っているから、それほど多くないけど、休んでいる人とか、フリーアルバイターの人とかがいて、なんだかんだいって十人以上になってしまう。
近所のおばさんとか手伝いに来てはくれるらしいけど、それでも大変なことには変わりない。
わたしは龍子の家に来ると、必ずおさんどんをする。
別にさせられるわけじゃないわよ。
自分からするの。
いつもは一人だけの食事だから、こうして大勢で食べるのが、とても楽しい。
いつもは引っ込み思案だけど、この時だけは別。
ここの人達はみんな優しくて、あったかいの。
龍子が優しいのも、わかるような気がする。
わたしもここで育ったら、龍子のように強く、そして優しくなれただろうか。
龍子のように。
わたしの家は、みんなが憎み合い、そして無視し合う。
もしかしたら、わたしはパパの本当の子供じゃないかもしれないけど、少なくともママと血がつながっているのは確かだ。
それなのになんでこうなってしまったのだろうか。
龍子のところでは、血のつながりのない人達が、こんな楽しそうにしているのに。
いったい何がいけなかったっていうの。
パパだって、ママのために一生懸命働いていたはず。
それなのに今は、帰りづらいから、仕事に打ち込む。
ママだって最初はパパのことを愛していたはず。
でも、仕事で帰ってこないパパをしだいに疎ましく思うようになっていった。
わたしが生まれた時、すでに家庭内は冷えきっていて、わたしはママの浮気の結果じゃないかという疑惑がうずまいていた。
そんなだからわたしは、通いのお手伝いさんに育てられたようなもの。
そのお手伝いさんだって、優しくしてくれたわけじゃない。
わたしは仕事を増やすやっかい者。
だからおとなしく、静かに、それこそ霞のようにしていないと、ぶつぶつ文句をいわれてしまう。
直接いわれるわけじゃないけど、それだけに心に突き刺さる冷たい言葉。
そのたびにわたしの心は凍りつき、唯一の非難場所、仮想世界に逃げ込む。そこにいれば現実世界の言葉は聞こえない。
ただ眠ったようにベッドに横たわっているだけだから、みんなの邪魔にもならない。
わたしにとって、理想的な場所だったの。
友達も作らず、わたしは毎日そこへ入り浸った。
そこには何でもあったから。
わたしを愛してくれる両親。
わたしを愛してくれる友人。
わたしを慈しんでくれる人々。
そこはわたしのユートピア。
そこでのわたしは王女様のように大切にされた。
仮想現実世界を実現するネットワークサービスが、桃源境といわれるのも当然の帰結であろう。
そこは自分にとって嫌なことがまったくない、理想世界に作り上げることができるのだから。
でもそれは、むなしい想像の世界。
いつしかわたしはそれに飽きて、むなしさに気がついて、別の刺激を求め始める。
ネットから出た時のギャップが広がりすぎて、かえってつらくなってしまったの。
仮想世界での幸せは、現実世界に持ってこれないから。
だからわたしは、理想を追い求めるのはやめてしまった。
そのかわり現実を見始めた。
仮想世界の中の現実を。
自分だけの理想世界では満足できない人は、公共エリアで様々な自己表現をする。
時には特定の人間しか入れないグループエリアで。
わたしはそんな所をのぞき見して歩いた。
公共エリアならわたしも入れるし、グループエリアでも、管理は素人のユーザーにまかされているから、結構ずさんなところが多い。だからちょっと注意深く観察していれば、そんな苦労することもなく、のぞけるのだ。
わたしだけの理想世界の構築がエスカレートしていったように、のぞき趣味――っていうと変態っぽいな――も、どんどんエスカレートしていく。
VRSは世界中のコンピュータとつながっていて、それらのコンピュータはVRS以外の仕事もしている。
いえ、このいいかたはちょっと変ね。
普通はVRS以外の仕事がメインで、VRSには余剰パワーを供給しているに過ぎない。VRSのためのコンピュータもあるけど。
わたしはVRSから飛び出し、そういった別の世界に侵入し始めた。
ミスティとなって。
いつからかしら。
ミスティと名乗るようになったのは。
そんなに前の話しじゃない。
たぶんミスティになってみればその記憶が残っているだろうけど、今のわたしじゃわからない。
わたしの記憶の多くは、ネットの隙間に置いてきてしまい、現実世界のわたしが覚えていられることは極少ないの。
でもこれだけは確か。
ミスティは年々力をつけ、すでにわたしではコントロールが難しくなっている。
だから高校に上がったころから、麗香にダイブ禁止令が出され、それ以来時々しか潜っていない。
その時々でも、問題を起こしちゃうってんだから、いやになる。
今回だってミスティが捕まっちゃった上、その捕まえた男の子がわけありってんだから、わたしって間違いなくトラブルメーカーだ。
しかも太郎君は普通の――ってのも変だけど――わけありじゃないみたいだし。
「襲ってきたやつら。あれはプロだ」
口火を切ったのは龍子だ。
昼ごはんをたらふく食べて――龍子のママってわたしには、いっぱい食べないと大きくなれないわよ、とかいって、それこそ逆流するんじゃないかと思うくらい食べさせるんだもの。
確かにこれじゃあ、龍子が大きくなるのもうなずける。
でも彼女って、身長こそあるものの、手足とかはすらっとしている。
それでいて、出るところは出てるっていうんだから、ほんとうらやましい。
わたしなんか、ちっこい上に、つるつるぺったんのずんどう。
なんか情けない。
あっ、こんなこと考えている場合じゃないか。
とにかくごはんを食べて、ちょっとゆっくりしたあと、わたし達は現状と今後のことについて、話し合ったのだ。
「あの動き。間違いなく、正式に訓練を受け、いくらかの実戦をこなしている」
「ですわね」
そういえば、龍子と麗香があれだけ激しく攻撃したのに、すぐ立ち上がってきた。きっと急所をずらして、致命的なダメージを受けないようにしたのだろう。
「廊下でしたから、ほとんど一対一で闘えましたけれど、一度にかかってこられたら、ちょっと危なかったですわ」
麗香や龍子はまだわたしと同じ高校二年生だけど、そこら辺の大人などでは、到底太刀打ちできないくらい強い。
共生体は人間の能力を向上させるとはいうものの、それも使いこなせなければ宝の持ち腐れ。
彼女達は百パーセント。いえ、それ以上に活用している。しかも人間の身体の方も十分鍛えているし、わたしのせいで、実戦も何度か経験している。
こういってはなんだけど、龍子のパパだって、彼女達に勝てるか怪しいものだ。
あっ、また脱線しちゃった。
「プロって、またどこかの秘密組織でも、からんできたの?」
ほんの一ヶ月かそこら前にあった事件。
その時もそんなのに襲われた。
でも、彼らは共生体を持っていなかった。だからそれ程苦もなく撃退できた。龍子がつかまっちゃったけど。
しかし今度は、プロで共生体つき。しかもみんな凶暴そうな動物ばかり。
わたしみたいにうさぎとか、しまうまとか、ハトとか、そんなのじゃやってけないんだろうな。
「それはこっちが聞きたいくらいだよ。香澄、今度はどこに手を出した」
「どっ、どこって、よくわかんない」
ごめんね、龍子。
わたしって頭悪いから、あんまり覚えていられないの。
ほんとわたし、今回どこにアクセスしたんだろう。
異様に厳重なプロテクトがされていたという印象しかない。
わたしが答えに窮していると、自然にみんなの視線は太郎君(今は花子ちゃん)に集まる。
「よろしかったら、聞かせてもらえません? 君がなにから狙われているのか」
麗香は微笑み尋ねる。
いつものわたしを問い詰めるような笑顔ではない。いいたくなければいわなくてもいいよ、という微笑み。
なんでぇ。わたしの時はあんなに、あんなに恐いのに。
わたしはちょっとふくれる。
まあ、いいか。
わたしって無理やりにでもいわせられないと、内にしまいこんじゃうタイプだから。
「知らない方が、たぶん身のためです。みなさん、ほんとにお世話になりました」
太郎君はそういって、ぺこりと頭を下げる。
そして部屋を出ていこうとしたの。
「お待ちなさい。もう、わたくしたちは首までどっぷり漬かってしまっています。いまさら手を引けませんわ」
「その通り。トラブルは香澄でなれているから、まかせなって」
彼を止めた麗香と龍子に対して、太郎君は寂しそうな目をして微笑む。
「ありがとうございます。でも、とても個人でどうなるようなものじゃないんです。ぼくを捕まえに来たのは、たぶん内閣調査室。通称JCIAですから。日本政府の非合法諜報員。それが彼らの身分です」
なんですって!?
JCIA。
アメリカ中央情報局の日本版。
つまりスパイってこと。
今じゃ経済戦争に負けて、第一級国家から、滑り落ちそうだけど、昔の冷たい戦争時代には、多くのスパイ達が暗躍したって、歴史の時間に習った。
「昨日、遊園地でいきなり別れたのは、それに発見されたからなんです。あの後ちょっとやりあって、振り切ったと思ったんですけど」
もしかして、あの時ちらっと見えたスーツ姿の男達かしら? 遊園地に来るにはふさわしくない格好だから、わたしだって変に思ったのに、そのまま見過ごしてしまった。太郎君の窮地にすら気づかず、ミスティのメモリーカード、つまりわたしのことだけを心配していたのだ。
わたしは悔しさと驚きに、打ちのめされる。
「なるほどね」
「そろそろ出るのではないかと思ってましたら、別の一件で出てきたみたいですわね」
なんか驚いてるのわたしだけ。
麗香も龍子もいたって冷静なの。
なんでかって聞いたら、麗香はいずれわたしが、そういうのとぶつかりあうって予想してたんだって。
このところだんだんトラブルが大きくなるし、自分でも不安になってはいたものの、そんなことまで考えていなかった。
まさか自分が、国家権力とやりあわなくちゃいけなくなるだなんて。
わたしって認識不足。
そういったことなど、麗香が説明した後、太郎君はしみじみといったものだった。
「はあ、苦労がしのばれます」
ずーん。
こんな小さな子供にまでいわれるわたしっていったい。
これでも迷惑かけないようにはしてるのよ。
現実世界では、元々迷惑をかけないようにおとなしく静かにしているし、ネットに潜るのも、できるだけ我慢している。時々どうしてもつらくなると、無意識のうちにヘッドセットを着けている時もあるけど。それだってひと月に一度か二度くらい。
ほとんど毎日入り浸りだった以前に比べれば、ずっと少なくなってる。
でも、その反動か、起こす事件も大きくなっているけど。
「ほんと大変なのよ。わかってくださる? 香澄ったらわたし達に頼りっきりですし、そのくせお返しもしてくださらないの。たいしたことをお願いしているわけではありませんのに」
「れいかぁ」
あんまりいじめないで。
確かにお返しできないのは心苦しいけど、麗香ったらあんなことやこんなことや、とても言葉にできないようなこといってくるんだもの。
そんなこと、わたしできない。
だから収支は赤字続き。
そのうち差し押えられちゃうかも。
いえ、押し倒されちゃうかも、だ。
わたしは情けない顔で、麗香を見る。
「太郎君はちゃんとお礼してくださるわよね」
「はい。ぼくにできることなら。……でも、本当にお世話になっていいんですか?」
「だいじょうぶですわ。おねぇさまにすべてまかせておきなさい。そうしたら万事うまくまとめてみせますわ」
だいじょうぶなのかなぁ。そんなこといって。
あいてはスパイよ。日本っていう超巨大国家なのよ。
そしてここは日本。
事実上彼らの好き勝手できる。
そんな絶望的な状況で、ほんとに勝算があるのかしら。
「ところで、先払いしてもらっていいかしら?」
「はい?」
太郎君はわけがわからず、きょとんとして、麗香に引き寄せられていく。
麗香ったら、わたしだけじゃなくて、太郎君までその毒牙にかけようっていうの!
でも、太郎君は今、女の子の格好しているし、はっきりいって見た目は美少女である。男と女なんだから、別にいちゃついてもおかしくないんだけど、はたから見るとほとんど危ない関係。
見ている方が恥ずかしいよぉ。
わたしと麗香も、他の人からはこんな風に見られちゃってるのかな?
彼女って、ひとめはばからず抱き着いてくるから。
でも、いっぱい弱みをにぎられちゃっているから、拒めないのよね。
弱みを解消できる見込みもないし。
このぶんでいくと、一生麗香に頭が上がらないかも。




