一章 花売りの少女
「お花は如何ですか?」
街路の片隅で、私は何度そう言っただろう。
人々は足早に去り、こちらを向いてくれるのは二十人に一人ぐらい。その彼等も眉を顰めて背を向けてしまう。
「お花、いりませんか……?」
前と違って、もうお金なんか必要無いのに。一人でも受け取ってくれれば今日一日、私の生きていられる意味が出来るのに。
朝から立ち続け、そろそろ日が傾き始めた。人通りも段々と少なくなっていく。きっと皆、待っている家族がいるんだろう。一人ぼっちの私と違って……。
「ティーには私達がいるよ」
「一人じゃないよ。寂しくないよ」
村に置いてきた筈の花達の声が聞こえ、慌てて胸の前の花籠を覗く。「どうして」ちゃんと選別して三回も確認したのに。ピンクガーベラや黄色のフリージアの隙間から、やや傾いた真っ白い鈴が生えていた。
売る前に気付いて良かった。この鈴蘭達を渡したが最後―――二日前の光景を思い出し、背筋がゾッとなる。
(帰らなきゃ、今すぐに)
今朝摘んだばかりのガーベラとフリージアが可哀相だった。明日には萎れて売り物にならない、か弱い花達。誰にも受け取ってもらえないまま、彼等は捨てられてしまう。その悲しさが疲れとない交ぜになって、思わず涙ぐみそうになった。その時、
「この花って売り物?」
顔を上げると、吃驚するぐらい近くに男の人が立っていた。肩まで真っ直ぐ伸びた黒髪。女の人にも見える顔立ちと、この辺りでは見ない不思議なデザインの黒い服。思わず見惚れてしまうぐらい、その人は綺麗で格好良かった。
彼は目線を合わせる為だけに腰を屈め、私と向かい合っていた。澄んだ黒い瞳に真正面から見つめられ、胸が高鳴る。どうしよう……これ、一目惚れ?
男性はわざとおどけた仕草で手を振り、お嬢ちゃん?私の意識を確認する。
「あ!は、はい!で、でもお金はいりません。好きなだけ―――あ、駄目!!」
初恋の衝撃で頭がボーッとしかけていた。これは危険な花だ、人に渡すような物じゃない!
「何で?別にまだ萎れてねえけど?」
「あ、いえ、その……とにかく危ないんです」
「人を喰うとか?」
「え!?」
図星を指されて呆気に取られた瞬間、彼は籠の中の全てを両手で掴み取ってしまった。
「あ……だ、駄目です!本当に危険なんです!返して下さい!!」
「サンキュ」
軽快に走り去ったその後ろ姿は、まるで御伽噺の中の獅子のように凛々しかった。
「燐さん、突然飛び出して行かないで下さい」
ラミルーサと呼ばれる街、その門の外。花の塊を地面へ置く俺へ、木陰で隠れていたハイネ・レヴィアタが忠告する。
「十歳ぐらいか、あの子?―――また随分厄介な物に取り憑かれたな」
思い詰めた鳶色の目と、長く他人に切られていない茶髪を思い出しながら呟いた。
宿主から離された“銀鈴”が動かないガーベラ達を押し退け、ざわざわと茎を伸ばし始める。どうやら無警戒の馬鹿な寄生主を捜しているらしい。
「さて、まずはデータを取るとするか」
「そんな事が可能なんですか?」
「まぁな」
ぱっと見は黒いダイヤモンドの“黒の燐光”だが、その正体は超高度精密機器だ。宿主の生体調整は勿論の事、不死全体の人口バランスや“死肉喰らい”の分析機能も備わっている。尤も、主人格の誠はそれらを一切使用出来ないが。
ブチッ。「痛っ!何、この人間!?さっさと私達の養分になっちゃえ!!」
丸い花弁を一つ引き千切り、口に放り込む。その間にも本性を現した“銀鈴”がうねうね巨大化を開始した。
「―――成程な。分析完了、殺っていいぞ坊主」
「はい」
三節棍が唸り、花束の真ん中に収まった奴等の核、球根を潰した。
ブチッ!ギャアアアアアアッッッッッ!!!
「どうやら一体だけのようですね」
他の花を巻き込んで茶色く枯れた屍骸を注意深く掻き回しつつ、小僧は溜息を吐く。
「で、どうです?ティーを人間に戻せそうですか?」
結論から言えば全く俺の予想通りだった。恐らく質問した奴自身も、初めから答えなど分かっているだろう。
「なあ、あの子の住んでる村はどっちだ?―――奴等の住処を調べない事には何とも言えないな」
「……ここから歩いて三十分ぐらい南です。向かう前に街で当分の宿を取りましょう」同じく乗り気でないらしく、あっさり嘘に乗っかって提案してきた。「一日二日では解決しそうにありませんから」
「ああ」
再び街へ歩き出した俺へ、背後から問いが飛ぶ。
「燐さん……ティーを、好きになってしまったんですね?」
問いには答えず、黙って歯を食い縛った。