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九章 離別の時




 ドドドドドッッッッ!!!


 瞬く間に“銀鈴”に飲まれ、俺の眼前でラミルーサは崩壊していく。


「た、助けてくれ……!!」


 ほうほうの体で男が草原へ逃れようと歩いて来た。が、そのフラつく足首に蔓が絡まった。掴まった哀れな獲物は、腹這いのまま勢い良く元街へ引き摺り込まれる。


 ぎゃあああっっっっ!!!


―――それはまるで、丘の姿をした鯨だった。緩く大地を波打たたせ、捕食した住人達をゆっくり咀嚼する。

「ちっ……あの野郎、抜け駆けしやがったな」

 宿屋で合流した時から勘付いてはいたが、まさか単身殴り込みとは。良い度胸だ。

(つまり、それだけ抜き差しならぬ侵食具合だった訳か)

 なら、奴の大事な婆さんだけじゃねえ。ほぼ同距離の聖樹や村も被害を免れない。なのに何も言わず出て行ったのは、せめてもの配慮のつもりか?微かな地鳴りをいち早く察知し、宿を飛び出していなければ確実にお陀仏だった。

「くそっ!餓鬼め、人をナメやがって」

 これだけ繁殖力の高い“死肉喰らい”だ。幾らウイルス持ちの小僧でもどうにか出来る相手ではない。

「時間が無え。仕方ない、あれやるか」

 夜の冷気を物ともせずに服を左半身だけ脱ぎ、“黒の絶望”へ命じる。


 バサッ!


 左肩甲骨に折り畳まれていた黒骨の翼を広げる。数回軽く羽ばたかせた後、鈴蘭畑と化した路上を低空滑走で飛び立った。

(ティー……無事でいろよ)

 叶わないであろう望みを心の中で繰り返し、ひたすら翼を動かす事五分。


「ここか?」パサッ。地上に降りて辺りを見回す。「民家が無くなってやがる……とうとう呑まれたか」


 目印になる筈だった数軒の家屋は、全て鈴蘭共の下で見事ペチャンコになっていた。それでも僅かに盛り上がってはいるが、余程注意して見ないと気付かない程度。


「ティー!貧乏学生!!何処だ!?」


 そういやあいつ、俺を捜し求めていたとか言ってたよな。可能性は低いが、もし仮に奴が生き残っていたら即第二ラウンド開始も有り得るぞ。まぁその場合、こっちがブチ殺す理由も十二分にあるが。そして逆のパターンなら……。


「おい!聞こえてるなら返事しろ!!」


 おかしい。小さい村だ、この大声で聞こえていない筈が無い。まさか死闘過ぎて双方、喋れない程の重傷を?


 グニュッ。「!!?おい、坊主!?」


 倒れたハイネの周りだけ花畑が円形に開け、黒い地面が剥き出しになっている。“銀鈴”に友人を喰わせたくない一心でした、心優しいティーの仕業だろう。

 長袍の中央に大穴を開けられた奴は、ようやく訪れた永遠の安息に微笑み―――絶命していた。

 目を凝らせば、死体の周りには散らばった無数の芥子粒が見受けられる。かつて自分が殺した男、ジョウン・フィクスから贈られたカーネーションの種だ。ズボンのポケット内で袋が破け、倒れた衝撃で撒かれたらしい。

「―――満足そうな顔だな、ええ童貞苦学生。“黒の城”での借りはまだ返してねえぞ?」

 前髪を引っ張りかけ、手を戻す。代わりにデコピンを食らわせてやる。バチン!

「これで赦してやらあ。俺は手前と違って極々々々良識的な大人だからな」

「うそだ」狂気の仔が心中で嘲笑ったが気に留めない。今は他にやるべき事がある。

 屈んでいた脚を伸ばし、改めて月明かりに照らされた花畑を見回す。“銀鈴”共は何故か敵の俺に頭を垂れ、行く道を自ら明け渡していた。


「そっちか―――すぐ行くからな、ティー」待っててくれ。





 今日ほど時間が長いと思った日は無かった。愛しい誰かを待つなんて、生まれて初めての事だから。

 崩落した村長宅へ急いで潜り、取って来た便箋と万年筆。それを使って書いた手紙に封をし、左手に持つ。これでいい……後はあの人が来るのを待つだけだ。


 ザッ。


 やっと訪れた黒の死神は無言だった。けれど同胞の私には分かる、彼の中にある全ての感情が。

「どうしてそんな目で見るの、燐さん?私、“死肉喰らい”なんでしょ?」


 ザッ。カタカタッ。


「駄目、早く殺さなきゃ……命の石を盗られてもいいの?」


 カタッ、カタッ。歩く度、球根ごと心臓を貫通した棍が背後で地面を叩いた。


「奪っちゃいますよ、本当に」

「ティー……俺と“黒の都”へ行こう。お前を絶対治してやる、だから」

 伸ばされた救いの両腕。僅かな体温が冷たい植物の身体に染みた。


 グサッ!


 半分欠けた“銀鈴”のナイフが半裸の胸を貫き、黒い翼の生えた左肩に球根を植え付ける。しかし相手は死を統べる人。今までと同じように内側から操らせてなどくれない。根を伸ばす気配はあるけれど、強力な免疫作用で傷口から広がらなかった。

「こんな事をされても?」

 分身と身体を自ら離す。胸に開いた傷口から流れる、一筋の赤。ナイフが目の前で急速に枯れていく。

 フッ、と視界が暗くなり、気が付くと再び抱き留められていた。


「―――ごめんなさい」

「謝るな!これぐらい何でもない!」


 分かっていたから抵抗しなかったのだろう。この化物はとっくに限界で、とても自分を殺す力など残されていない事を。最後まで優しい、初恋の人。


「燐さん、これ……」


 封筒を差し出した指先が、真珠の花弁に変わって風に散る。―――苦しみは、無かった。

 カランカラン。ハイネさんの棍が抜け落ち、舞い上がった鈴が私達を白く染める。


「綺麗……見て、燐さん。まるで雪みたい……」

「ティー、しっかりしろ!!」


 生命の色をした瞳は私を失う慟哭、そして……深まりつつある孤独の狂気に濡れていた。


「燐、さん……」


 散り逝く唇で最後に告げたのは―――この短い人生で最も美しい言葉だった。





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