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わたしの悪魔さん  作者: 雪田
第一章 幼少期
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05.わたしの家族

「さあさあお嬢様、お召しかえのお時間ですよ」


 そう言って抱えあげられたのは、いつかお母さまがプレゼントしてくれた空色のドレスだった。

 セシアの中ですっかり毒舌メイドという渾名がなじみつつあるノンノも、普段はどちらかというと無口・無表情がトレードマークである。

 その顔に咲いた満開の笑みに、小さいころに着せ替え人形で遊んだ記憶がよみがえった。



   * * *  


 “私”が、人形の姿をまともに見ることができたのは、ここに来て一週間目くらいのことだった。

 この世界にもお風呂文化があるという事実が発覚したのだ。


 お風呂場は、脱衣所と浴室との間に仕切りがないため、広々として見えた。

 石造りの浴槽にはたっぷりのお湯。

 流し場は一つしかないが、個人が使う一般家庭のお風呂というよりも大勢で使うことを想定されているようである。

 一面タイルのようにまっさらな壁面には、大きな鏡がはめこまれていた。

 その中ではじめて、セシアという女の子と対面を果たした。

 介助してくれているメイドたちの腰の高さにも満たない身長。

 長く眠っていたせいなのだろう、本来は子どもらしく丸くあるべきどころがとんがって、骨が目立っている。腕も足も棒切れのようだ。

 白すぎる肌を覆い隠すように、まっすぐに伸びた金色の髪。

 湯気に反射するせいか、少しまぶらしいくらいの照明の中で、一本一本が透きとおって見え、すくってみれば指の隙間からこぼれていってしまう。以前の黒髪だったころよりもはるかに長いのに、軽い。邪魔にならないようにと、ノンノが頭上でひとつにまとめ上げてくれた。

 瞳の色は薄い。青というより、よく晴れた日の、薄い雲がかかった空を連想させる色だ。

 小さな身体は“私”の意思に従って、右へ左へと動く。

 きっと体力が回復すれば走ることも、くるくると踊ることもできるだろう。この簡易プールのような浴槽で泳ぐことだってできるはず。


 これは将来が楽しみだ。そして、悪い虫がつきやしないかと心配にもなる。

 母であったり姉であったり、ときには友達でいるような感覚にもなるけれど、一番近いのはたぶん、お人形で遊んでいるような気分、だ。

 “私”にとって、セシアのことはまだまだ他人の内だった。


 すべての衣服を脱いだあとに、首から包帯を取り去った。

 左上から右下にかけて何本も走る赤い傷。獣の爪でひっかかれたようにも見えるが、一つ一つの線はゆがんでいびつだ。

 そっと、触れる。

 すでに痛みはない。ならば、これは傷じゃなくて痕だろう。

 そうわかっていても触れるとぎゅっと締まるような気がして、慌てて鏡から目をそらした。


 時間が経てば消える? 大人になれば。

 化粧すればごまかせる? お母さまのあの白粉を借りれば。


 五歳の女の子の身体にあるものとしては不自然で、心臓が収縮した。

 首に巻かれていた包帯は、傷や痛みではない、何かを封印している。そんな気がする。

 頭の中の、触れられない箱。

 温かく身体を包みこむお湯に、憂鬱な色が混ざった気がした。




   * * *  


 空色のドレスへのお召しかえを終え、メイドの後ろをついていく。

 こちらに来てから三週間ほどが経ち、セシアは一人で歩行できるくらいに回復していた。

 とはいえ、着慣れないドレスは普段の薄っぺらい寝巻きに比べればかなりの重量感があり、ふわふわとスカートの裾が揺れるたびに、ふらふらとする足元は危うい。

 履かせてもらったぴかぴかのエナメルの靴に元気づけられ、この身体になってから一番長い距離を歩き、その部屋にたどり着いた。

 今夜は、晩餐会らしい。


 テーブルの向こう側に、お父さまが座っていた。

 おそらく特注サイズに違いない。まるで王様が座るような椅子には豪奢な金銀の装飾が付いている。

 隣にはお母さま。合わせてくれたらしい、水色のドレス。セシアのものに比べると身体のラインがはっきりと出るタイプで、少し艶っぽく見える。つまり、ナイスバディである。

 二人が並んでいる姿をはじめてみるが、まさにお姫様と金の豚。

 ぴたりで思わず笑ってしまう。あわてて、取り繕うようにお辞儀を付け加えた。

 執事がお母さま側の椅子を引いてくれたので、軽く礼をして腰かける。

 きちんとした椅子に座るのは、はじめてだ。

 標準的な大人のサイズにあわされているため、高い。ぷらぷらとする足から、靴が今にも脱げ落ちそうである。

 テーブルの上には、食器の準備がなされていた。

 小さなフォークとスプーンもあるが、これはおそらくその用途どおりにデザート用に残しておかなければいけないものだろう。

 テーブルマナーという単語が頭をよぎるが、そんな知識は記憶のどこにもない。せいぜいナイフとフォークは外側から使う、くらいのものだ。

 五歳ということと記憶喪失をうまく利用するしかあるまいと、悲壮な覚悟で前を向いた。

 

 しばらく、父と母と歓談に耳をすましていたが、なかなか食事が始まらない。

 目の前にある席が、ぽかりと空いたままだった。

 きょろきょろとあたりを見回すが、誰も座る気配はない。執事とノンノとジュジュは壁際に控えている。あと何人か見た覚えのない顔ぶれも並んでいた。

 この部屋はダイニングルームなのだろう、セシアの自室に比べれば華やかな調度品が並んでいる。

 頭上では、いくつかのシャンデリアが、どうやったら自分が美しく見えるのか競うように輝いている。天井から細い紐一本で吊られていて、落ちてきてぺしゃんこになる自分を、セシアは思わず想像した。

 壁には、絵が並んでいた。

 風景画、抽象画、水彩のような、油絵のような、趣の違うものが並ぶ。あまり統一感がない。

 壁のところどころに額の四角い跡が日に焼けて残り、もうすぐ完成するパズルをピースが足りずに放置してしまったような違和感ががあった。

 中央には、家族の肖像画がかかっている。

 今よりもややふくよかなお母さまが椅子に座り、赤ん坊を抱えている。おそらくセシアだ。

 その後ろに寄り添うお父さまの顔は穏やかだ。こちらは心なしが今よりも痩せているように見える。

 そして椅子の隣に立っているのは ――


「申し訳ありません、遅れました」


 まるで絵画から抜け出してきたような、天使があらわれた。




 口をぽかんと開けたままでいるセシアに気づいて、天使は小首をかしげながら空いた席に腰を下ろした。


「よおし、久しぶりに家族四人揃ったな」


 お父さまのテノール歌手のようないい声が食卓に響いた。

 同時に、小さな晩餐会が始まる合図となった。

 今、家族四人と言ったか。思わず、セシアは目線で数えてしまう、一、二、三、……

 四、と数えた、正面の天使に釘づけになった。

 金髪のおかっぱだ。

 そんな髪型をしてもいいのはどこかの動く城の主くらいだと思っていた。もはやおとぎ話の世界だ。

 しかし今、目の前に存在して、動くたびに肩の上で切りそろえられた黄金色の髪が揺れる、さらさらと。

 形のいい耳はお父さまのほうに向けられていて、不意に青い瞳がこちらをとらえたとき、比喩でなく心臓が止まりかけてしまった。


「セシア、どうした?」


 お父さまの声に反応するが、凝固したセシアはなかなか動き出せない。

 四方からビームのように、不思議そうなまなざしが突き刺さる。


「体調がすぐれないのか?」


 かろうじて首を振った。

 すると、お母さまが思いついたように隣から助け舟を出してくれた。


「そういえばセシアが目覚めてから、二人が会ったのはこれがはじめてだったかもしれませんわ」


 そうだったか? とお父さまは少し驚き、両者を交互に見やった。

 天使は目を見張り、自分の考えがいたらなかったことを詫びるように肩をすくめた。

 軽く椅子に座り直して、セシアを見た。


「トアレ・ツィル・エーヴェリットだ。おまえの兄にあたる。よろしく」


 なんだか他人行儀かつ、まじめな挨拶である。

 セシア・ツィル・エーヴェリットです。あなたの妹だそうです。

 と、返すべきところだが無理なので、よろしくという気持ちをこめて頭を下げておく。

(あの天使は、セシアのお兄さまだったのか)

 伏せたまま確認し、面を上げたときにはすでにお兄さまはこちらを見ていなかった。

 ほっと胸を撫で下ろす。

 目覚めたばかりのときに一度対面しているとはいえ、昼と夜と、光があるとないとでは、天使の輝きは一段くらい変わるものらしい。

 金と青、色彩のよく似た兄妹だ。

 横顔を遠慮なく盗み見しながら、並んだ姿はほほえましそうだと想像する。

 髪は父譲りだとして、目の色は母方の血だろうか。お母さまはきれいな緑だがはて。

 スープが運ばれてきていた。

 鼻腔をくすぐるなんともいいにおい。

 今日のスープは透きとおっていて、刻まれた野菜の鮮やかな色が白い器によく映えている。底に豆腐のようなものが沈んでいた。すくって含むとやわらかく舌の上で溶ける。

 ふうふうと息を吹きかけ、こぼさないように気をつけて口に運んだ。


「トアレは普段王都の学校に通っているからな。この家には休暇にしか戻ってこない。今は試験休みなのだったか?」

「はい、前期試験前です」


 学校があって試験があるのか。トアレお兄さまは、中学生くらいに見える。

 そう言われてみれば、今着ているのは制服なのかもしれない。

 こげ茶色の膝丈のズボンと長めのソックス、やや襟首の高い白いシャツに細い臙脂色のタイが結ばれている。ここにジャケットを羽織るというのが正装な気がするが、今は胸元の開いたベージュ色のニットを上から着ている。日本でいう春や秋、中間の季節の着こなしというところだろうか。

 慣れ親しんだ文化にちょっと興味を惹かれ、セシアもスープから会話へと参加する。気持ちだけ。

 お母さまのはしゃいだ声が響いた。


「トアレは学院でも一、二を争うほどに優秀なんですって。セシアも見習ってお勉強をがんばらなくてはね」

「そうだな、セシアには明日から家庭教師を頼んでおいたぞ。ベイゼル先生が引き受けてくださった」


 急に自分の話題へとつながり、セシアは少々狼狽する。

 人生五年目にして家庭教師という響きに遭遇するとは思わなかった。

 こちらでも早期教育がブームなのだろうか。

 困ったように苦笑すれば、同じ子どもという立場同士、何かしらの反応を期待したかったが、そううまくはいかないらしい。お兄さまはちょうど給仕に飲み物の追加を頼んでいるところだった。

 なるほど、お父さまのグラスが空に近い。

 なみなみと透明な液体が注がれた。水じゃなくてシャンパンかな。お父さまの顔はすでに赤い。


「まあベイゼル先生が? ご多忙でいらっしゃるでしょうに」

「うむ、先生もセシアが倒れてからずっと気にかけてくださっていたからな。記憶喪失についても何らかの進展が見えるよう今後も治療にあたってくださるそうだ」

「心強いですわね。ところでトアレ、今回はどれくらいこっちにいられるの?」

「はい、あと三日ほどは滞在する予定です」


 お母さまはあからさまにしゅんとした。


「あらそんなに短いの。もっとゆっくりしていけばいいのに」

「マーシュ、わがままを申すな。勉強だけでなく王都に戻るまでの時間も考慮しなくてはならんのだぞ」

「まあ、そんなことくらいは私にもわかっていましてよ。けれど少しくらいの休養は必要でしょう? せっかくの我が家に戻ってきているのですから」

「そんな甘い考えでは優秀な成績を収めるのは難しいのだよ。特に王立書院ではな」

「まあまあ、私は確かにほとんど外に出ませんから物を知りませんけど、勉強だけでは立派な殿方にはなれないことくらいは知っていますわよ。ねえトアレ?」

「然り。ご婦人方には理解されにくいが、男子の休暇とは交友関係を広げたり見聞を深めたり、ただ勉強しだらだらと過ごせばいいものではない。なあトアレ?」


 いつのまにやら不穏な空気が漂っている。

 セシアは少し驚きつつ様子を伺っていたが、お兄さまはどちらの話にも平等に相槌を打っている。

 兄だけでなく執事やメイドの反応を見ても、珍しい光景ではないようである。

 その後も食卓の話題はお兄さま、トアレのことばかりで、両親二人は自慢の息子がいかに優秀であるかについて、競ってセシアに紹介した。

 最初は、律儀に反応を示していたセシアだったが、途中でバリエーション不足に陥り放棄した。

 聞き手を失っても、二人の議論は深まるばかり。外で働く夫と家を守る妻、男と女、そんな永遠のテーマが論点だったように思う。

 結果、始終的確に答えを返す兄のすばらしさについては、妹にとてもよく理解されることとなった。




 一人で食べるご飯というのはさみしいものであるが、気心の知れない人とのご飯というのは摂取した栄養分をその場で消費するような疲れがある。

 ささやかな家族の晩餐会を終え、セシアは自室のベッドに沈没するように転がった。

 ドレスを半ば脱ぎ捨てたため、ノンノからの呆れたような視線をもらった。声にならない声で謝る。

 直接の咎めがないのはたぶん大きな失敗もなく、食事を終えられたからだろう。

 枕に頭をうずめると、目の端っこを白いものがかすめた。

 ベッド脇の卓に、花が飾られている。小さな白い花だ。

 部屋の明かりは落とされ、ノンノはすでに退室していた。

 何かあれば、入り口のそばにあるヒモをひっぱると、控えの間の呼び鈴が鳴るらしく誰かがすぐに駆けつけてくれる。ナースコールを思い出しメイドコールと呼んでいる。

 最初のうちはあまり体調が優れず、さみしさもあってよくひっぱった。今はあまり使わない。

 夜、一人で考える時間が少しずつ長くなっている。

 一ヵ月が経った。

 そのほとんどをこの部屋で過ごした。 

 花瓶に生けられているこの花の名前も、セシアはまだ知らずにいる。


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