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わたしの悪魔さん  作者: 雪田
第一章 幼少期
20/23

20.わたしのメイドさん

 船着場へと続く道の先、終点の手前に、周囲より小高くなって海側に張り出した場所があった。

 黄色いレンガが敷き詰められたそこは、海の見渡せる公園だ。

 買い物を終えた主婦らしき女性が三人、海鳥の鳴き声をBGMにしながら顔を寄せ合い何か密談中だ。

 中央には石碑があり、ささやかだがそれを囲む花壇が整えられていた。シチリリィも咲いている。

 石碑は潮風の影響を受けてか角が丸みを帯び始めていて、白く汚れが目立つ。

 刻まれた文字列は流れる水のようにくねっているから、歌碑かもしれないなと思う。

 花壇のそばにあった木製のベンチに腰かけていると、待ち人が大きなカゴを提げて戻ってきた。

 本日のメイドさんは、屋敷内ではないのでエプロンは着けておらず、二本に結んでいる灰色の髪はほどかれている。


「ベイゼル先生は急患の連絡があったそうで、そちらに向かわれました」


 悪魔はあれでもちゃんと医者であるらしい。

 納得したつもりだったが不審が表情に出たらしい、カゴを腕にかけかえながら説明が加わる。


「帰りの馬車は予定どおり、朝の場所で待たせてあります。ですから、昼餉の前にはお屋敷に着くことができるかと。心配は無用です」


 こくこくと首を縦に振った。

 これ以上このメイドに負担をかけるわけにはいくまい。

 セシアはベンチの隅へと移動し、残り半分を叩いた。


「いえ、私は結構です。セシア様のお加減はいかがですか?」


 セシアは苦笑いをしながら、指で丸を作った。

 人ごみと音の洪水に泥酔した状態であったが、市場を離れ休んだおかげで大分マシになった。

(これから、人の多い場所に出かけるときには気をつけよう……)

 

「早く屋敷に帰り、安静にしていただくのがよいのでしょうけど」


 表情をくもらせて、ノンノはカゴの中身を確認する。

 まだ買い出しの途中なのだろう。

 そもそも、イイジストブゥストは買い出しリストから、先生が生徒のためにと抜き出した課題なのだった。

 結局買うことができなかったことに恐縮しながら、渡されていたメモ紙を差し出した。

 強く握ってしまったのでたくさんシワが寄っている。

 それをノンノが制止した。


「いけません、それは“唯文字(トエスト)”で書かれていますから。先生に直接お返しするか、後で燃やしてしまうのがよいかと存じます」


 知らない単語とともに、燃やすという大胆な行動にセシアは目を丸めた。


「唯文字とは、ラビルから鍵を授けられた先生方にしか扱えぬ占有文字です。資格がなければ書くことはできませんし、読むことも許されません」


 失礼いたしますと断りを入れて、ノンノの指がシワだらけのメモをつまむ。

 途端、ゆらりと黒い煙を立ちのぼらせて、文字が消失した。残されたのは、ただの真っ白な紙切れだ。

 

「このように、唯文字は書き手の目的を果たすか目的を妨害しようとすると消えてしまいます。書き手によっては、意に沿わぬ読み手に触れた場合には目玉を腐らせるなど、呪を付加することもあります」


 なんて恐ろしいものを説明なしに与えるのだ。

 店主たちに知らずとは言え見せてしまった事実に青ざめた。

 涼しい顔をしたメイドは、「ちなみに唯文字の呪は、鍵を持たない者、唯文字を理解できない者にとっては無害ですのでご安心を」と、付け加えた。

 まだ不安を隠しきれずにいると、「私の場合は、先生がセシア様に宛てたものと知っていて、そのような呪を疑う必要もありませんでしたし」と、微笑んだ。

 先生の本性が悪魔であることは、早いうちに明らかにする必要がありそうだ。


 実は、読み書きの学習についてはセシアが家庭教師に対して真っ先に教えを請うたものだった。

 話し言葉についてはなんとかなっているが、書き言葉が読めないのは後々困るだろうという見通しがあったからだ。

 しかし体調が安定しなかったり、悪魔のやる気がなかったりで、最近やっと絵本を教科書代わりに学び始めたばかりなのだ。

 絵本に使われているのは、“平文字(ピニスト)”と言って、もっとも広く普及している文字だと教えられた。

 なんでも国の境なく使えると聞いて、セシアは胸を躍らせた。日本語も英語もフランス語も、と覚えることの困難さに比べれば楽ができるのではと。

 ノンノの発言と合わせ修正すれば、こちらの世界ではほとんどの文書が平文字で書かれるが、特定の職業や階級、または用途などによって、使う文字が異なる場合もあるらしい。

 罠であった。


 うなだれたセシアの手に戻ってきたメモは、またするすると紐のように結びついて文字を浮かび上がらせた。

 幾何学模様のような文字から、書き手の意思が伝わってくる気配はない。

 イイジストブゥストがどういう食物であるのか、セシアは思い浮かべることができない。


「セシア様はキラルをお持ちでいらっしゃいますから。今は一時的に記憶を失っておられるので唯文字を読むことはできないかもしれませんが、読む資格はあるということなのでしょうね」


 キラル、と口の中でつぶやく。確か、鍵という意味だったはずだ。

 この世界に来てたびたび出会っているキーワード。

 セシアも以前持っていて、今は失われてしまった。と、出会ってすぐのお兄さまが言っていた。

 そのトアレの胸に輝いていた青色の光。あれがおそらくキラルだ。遠目だったから、どういうものなのかまでは確認できていないが。

 図書館から発行される利用券のようなものだ。と、悪魔は言っていたが、図書館を利用するための鍵がどうして文字の読解能力に関係してくるのだろうか。よくわからない。


「キラルにはいろいろな種類がありますが…… ほら、私も持っていますよ」


 そう言って、ノンノが取り出したものは、手のひらサイズの銀色の鍵だった。

 握りの部分に三つの輪が連なりまるで三つ葉のクローバーのような形をしている。

 ややいびつな曲線を描き、どことなく古めかしい印象を抱かせる意匠だ。


「これは“家章の鍵”です。私は旦那さまと雇用の契約を結んでおりますので、屋敷よりこの鍵を支給されています。よって、契約が終了すればお返しすることになるのですが」


 この鍵は、貴族階級を持つ家に与えられるもので、一等、二等、三等でデザインが異なり、持てる本数も変わってくるらしい。

 また握りの先端部分には小さな突起があり、そこには家紋が細工されている。

 そんな鍵の使い道は当然扉を施錠するということだけではなく ――

 

「セシア様は甘いもの、お好きですよね?」


 そう言って、ノンノは公園の中をぐるぐると回っていた売り子を呼び止めた。

 近づいてきた売り子の首からは壷の形をした容器が提げられており、その中には先日先生がお土産に持ってきたコンペイトウのような砂糖菓子がぎっしりと詰まっていた。

 一粒いくらではなく、大きめのお匙一すくいでいくらと計量されるらしい。

 ノンノは一杯分の砂糖菓子を注文した。


「鍵払いで、お願いできますでしょうか」

「もちろんでございます。少々お待ちください」


 満面の笑みを浮かべた菓子売りは、腰袋から横長の台帳を取り出した。

 一枚目のページに何かを書きつけると、ノンノに手渡す。

 すばやく目を通したノンノは、鍵の先端部分で何かを走り書きし、反転させた突起部分をその横に押しつけた。

 すると数秒後、紙の上に文字と、丸く縁取られた印が赤く浮かび上がってきた。小さくてわかりづらいが、あの印はエーヴェリットの家紋なのだろう。


「毎度あり~。今後もごひいきに」


 陽気に去っていく菓子売りを見ながら、セシアは理解した。

 鍵はどうやらクレジットカードのような役割を持っているらしい。

 家章の鍵は所有と同時に、ラビルに専用の金庫を持つことを許され、売買を行うとそこから金銭が出し入れされる仕組みになっている。

 もし鍵を持っていないものが相手でも、台帳を近くの図書館に持っていけば現金と変えることができる。わずかながら鍵払いのほうが利益を上乗せする仕組みになっているため、手間はかかっても売り手が喜ぶことは多いようだ。

 不正利用を心配してしまうが、ノンノが印の前に書いたのはたぶんサインだ。

 たとえば、雇用契約のときに召使いたちの筆跡を登録するなどして、資格のないものは使用できないようになっている、のかもしれない。


(…… ラビルって図書館と聞いたけれど、銀行でもあるのか)


 セシアは腕を組んだ。かすかに見えていた道のりの先の扉が軽く閉ざされた気がしたのだ。 

 一連の流れを機械も通さずにどうやって判断しているのかまったく想像も及ばない。

 たぶん、そこにはあの夜、お兄さまが絵本を開いて見せてくれた不思議な光景と同じ力が働いているのだろうと推測はできるが。

 次から次へと溢れてくる疑問のこれ以上を、会話に頼らず解き明かすのは難しそうだ。

 

 色とりどりの砂糖菓子が入った袋を、手の上に差し出された。

 反対側の手には大きなカゴが提げられたままだ。

 思わず首を振って、セシアは受け取りをためらった。

 ノンノは首をかしげる。


「大丈夫ですよ? これは私用使いということで来月のお給金分から引いていただきますから、旦那様から咎められることもないかと」


 余計に受け取れないと一緒に手も振ると、ノンノは唇に指を当て少し考えると、眉をひそめた。


「…… 残念です。私は甘いものが苦手ですし、せめてお嬢様がおいしそうに召し上がっているところを拝見できれば喜びを分かち合えると思ったのですが。体調も優れませんのに無理を申しまして申し訳ありません」


 いただきます。

 感謝して、あわてて両手で受け取る。

 早速一粒口にすると、舌の上で溶けて消えてしまう。強制的に頬がゆるむ甘さだ。

 見守っていた表情もゆるんだ気がしたのは、気のせいではないだろう。

 セシアはえいやっと疲労の残る足に渇を入れ立ち上がると、働き者のメイドの腰を市場のほうへと押しやった。


「セシアさま?」


 そうしておいて、セシアは再びベンチへと戻る。座っているところを指差して、それから手を振った。

 ここで待っているから買い物の続きを済ませてきてほしい、というジェスチャーのつもりだったがなかなか意味が通じない。

 カゴを指差した後、両手の拳を握り、軽く上下させた。がんばって、という気持ちを込めて。

 本当は荷物持ちくらい手伝えるといいのだが、ついていくと迷惑の種を増やす予感しかしない。

 灰色の目は不思議そうに、幼い、雇い主の娘をしばらく映していた。

 買い出しを続けるか、すぐに帰るか、何度かの問答の末、折れたのはメイドのほうだった。


「ではすぐに戻って参りますので、ここを離れませんように」


 まるで先生のような口ぶりに、思わず笑ってしまう。

 あきれたような態度を封じこめて、ノンノは声を低くした。


「不良にはけっして近づいてはいけませんよ」


 セシアの帽子を深くかぶり直させながら、低い声が続ける。


「最近、旧街の不良たちの間で縄張り争いがあるとかで、よくない行動をとる者もいると噂に聞きます。ここは開けた場所なので大丈夫だと思いますが、お気をつけください」


 ノンノは小走りに市場の舟列のほうへ戻っていき、入り口で心配げに一度振り返ると、少し考えるふうにしてから、顔の近くで拳を握って小さく縦に振った。


(―― がんばってきます)


 ちゃんと伝わっていたみたいだ。セシアももう一度エールを送った。  







 一人になって、コンペイトウもどきをもそもそと口にしながら、セシアは先ほどの言葉を思い出していた。


(不良、不良ねえ……)


 思い浮かぶのはあの満月の夜に会った集団のことだ。

 子どもを脅かしてお金を巻き上げようとしていた。あれはわかりやすく、不良だった。

 そう、ちょうどこんな感じの。


 広場の片隅を派手な身なりをした若者たちが通り過ぎていった。

 歩くたびにじゃらじゃらと装身具たちが音を立てる。何かの仮装行列のようだ。

 主婦たちの内緒話は急速に音量を下げ、菓子売りもそそくさと回れ右してわき道へと消えていく。


「オラ、さっさとどけよ!」


 集団の一人が反対側のベンチに座っていた老人に向かって暴言を吐いた。

 無理やり空けたスペースにその一団は腰を下ろしたようだ。

  

「なあなあ、聞いてくれって」

「朝っぱらからうっせーな、昨日ろくに寝てねぇんだよ黙れよ」

「おまえこの間の分も女にカモられたばっかじゃねーか、キャハハ」

「聞けって、今度こそほんとにうまい話だって」


 キラキラと輝く朝の海面と、騒がしい不良たち。

 似合わない構図だが、よく見られる光景なのかもしれない。

 いつのまにか公園からは人気がなくなり、セシアはひとり、逃げ損ねた具合になった。

 幸い、石碑の影になり姿は見えていないが、砂糖菓子のような彩りの頭の毛がちらちらと自己主張する。


「あー、ターニアの店か。あそこは最近表の商売やばいらしいってのは聞くな。上級の花びらも値下がりしてるらしいが」

「へえ、上物も抱けるんなら悪くねえな。でも結局金ねーし。あ、そうだ、またそこらへんのやつから借りるか?」

「そりゃ名案だ。鍵払いより色つけて返してやれば喜ばれるだろ」


 がははと下卑た笑いが重なる。

 セシアは不快を顔に出さないようにしながら、そっと立ち上がった。

 少し離れておいたほうがいい、そう思ったところへ、反対側から一直線で園内を駆け抜けていった、これまた派手な一人の不良がいた。ピンク色の頭だ。

 よほど急いだのか、息も整わぬ間に大声が告げる。


「べっぴんがいました!」

「あー? 寝ぼけたか?」


 気のない受け応えに、ピンク頭がもどかしそうに地面を蹴った。


「違えっすよ、見たんです、今」

「おめえのねーちゃんだ、とか言ったらぶっ殺すぞ」

「歯抜けのねーちゃんのことじゃないっす。そうじゃなくて、この前の満月の、あの旧橋のとこで会った、金髪のガキです!」


 ぴりりと空気に緊張が走ったのがわかった。


「間違いねーか」

「そりゃあもう、一度見たら忘れられませんよあのツラ」

「女は?」

「ガキだけでした」 

「…… よし、一人はトッセイ親分のとこまで走れ。後から土産持って伺いますってな。おめえはすぐ案内しろ」

「へいっ!」

「女がいないのは残念だが、ガキだけでも充分だ、思い知らせてやる――」


 その後に吐き出された汚い憎悪の言葉の数々。

 石碑の裏、ベンチの上で小さくなっていたセシアは思わずの痛みに耳をふさいだ。口の中にあった砂糖菓子の幸福な甘みが一瞬で消え失せてしまった。

 胸に手を当てれば、鼓動が早鐘のように鳴っている。

 

(…… お兄さまはいったい何をしているのだ)


 兄の目立つ容姿を思い浮かべ、ちらりと市場のほうを見て悩んだ。

 セシアは迷いを払うように、ベンチから飛び降りる。

 不良たちの行動はすばやかった。

 二手に分かれて、すでにどちらの姿もここにはない。公園内は朝本来の静けさを取り戻している。


(様子を見に行くだけ。少し探して会えなかったら、すぐ戻ってくる。なんとかノンノよりも先に)


 確認して走り出した。せいぜい、大人の早足くらいのスピードで。

 行き先にひとつだけ、心当たりを思い浮かべながら。




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