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わたしの悪魔さん  作者: 雪田
序章
2/23

02.幕間 1 ― 天使と悪魔 ―



  * * *


 バスから停留所へと足を下ろしたところで、ちょうど雨が降り出した。

 涙雨か、と思い顔を上げる。西の空は明るいままなのですぐにやむだろうと察せられる。

 午前中の病院は混雑している。大勢の人でごったがえす待合ロビーを横切り、エレベーターへと乗りこんだ。

 階が数字を重ねるごとに人の気配が薄れていく。

 目当ての階層に止まり、ナースステーションの前を軽い会釈とともに通り過ぎた。

 スーツに身を包んだ壮年の男、片手には花束、説明しなくても何をしにきたのかは明らかである。 

 病棟はひっそりと静まり返っていた。外の雨音がことさらに大きく響くほどに。


「こんにちは」

「……」


 向けられた黒い瞳は、もっとも近い対象物を映さずに、虚空をさまよう。

 通わない視線は、感情のやりとりを拒否する。

 事件の後遺症でしょう、というのが医師の下した診断結果だ。

 外傷としてはっきりと残る、左目の眼帯が痛々しい。


 男はその一切に構わず穏やかに微笑むと、ベッド脇にある戸棚の上に花束を置いた。

 生前、彼女が好きだった花に酷似した、小さな白い花の集まり。

 この少女の名前でもあるという。

 少女、と呼ぶにはもうふさわしくないのかもしれない。

 花に例えるなら、つぼみの時代は終わりを告げ、大輪を咲き誇らせる時期に入っているだろう。

 しかし、隅にそっと添えるような、そんな淡い美しさを、男はいとおしいと思うのだ。

 運命を感じる。そんな小さな感傷が自分の中に眠っていたことに、男は驚き、少し呆れた。 



 時間が必要です。

 医師の言葉に、一際大きな泣き声を上げ崩れ落ちた女性。おそらく、母親だろう。

 喧嘩、という単語を拾い上げる。母親はそれを大きく悔いているようだった。

 彼らが悪いことなど、かけら一つもないというのに。

 数日前の出来事を思い出し、男はもう一度ベッドに横たわる少女を見つめた。

 肩を寄せ合う家族、生命を育む手段として選ばれた営みの形。

 永遠にして唯一の存在として生きる種族である男にとっては、理解しづらい生物の風習だった。

 その中心に、彼女は今再び放りこまれたのだ。

 魂と肉体がなじむためには確かに、しばらくの時間が必要だった。


 静かに病室から出ると、待ち構えていたように声がかかった。

 

「物好きなこって」


 壁にもたれかかっていた若い男は、頭から爪の先まで黒い。

 男はそれに気づき、渋い顔をする。若い男はスーツの広い肩を大げさにすくめて笑った。


「ここでは、喪に服す、と言うんだろ? ふさわしい服装だと思うんだがどうか」


 魂が一つ世界から去ったのだから。

 声は、雨音に支配される廊下に大きく響いた。


「いやここは、追い出された、とさらに正しく言うべきか?」

「そうだな」


 事も無げに肯定した男に、喪服姿の青年は不服そうに眉をひそめる。

 そういう表情をすると、若いを通り越し幼く見える。

 実際彼は若い。人間に例えるなら、この病室の主と同じくらいの年齢だろう。


「おっさんも人のこと言えないだろ、その格好。人間ごっこか」

「契約の内だ」

「もしかして、犯人として名乗り出るつもりなのか」

「彼女は家族をはじめ、周囲の幸福を願った。犯人のわからない事件ほど心を縛るものはないだろう」

「なるほど、確かにあんたなら被害者にとっての理想の加害者となるだろうな。俺と違って」


 にやりと笑った顔から残虐性がにじむ。

 しかしそれは表面上の演技されたもので、彼の心を覆う狂気はひそめられたままだ。

 長いつきあいだ。こうして会ったのは数年ぶりのことであるが、この世に生まれ落ちたときから知っている。

 何かしらのスイッチが入らない限り、目の前の存在は無害である。

 確認するとともに、誘導する。人気のないほうへと。

 目に留まる可能性は薄いが、今後のことを考えるとここでこの姿を見られるのは面倒であった。

 ちらりと最後にもう一度、室内へと視線を送る。


「…… 今後、契約により、彼らには限りない幸福が与えられる。それは、地位であったり名誉であったり金であったりするだろう」


 しかし失われた命が帰ることは永遠にないのだ。

 異界に旅立った魂は、どこかそれを理解していたように思う。


「ふーん。ま、よかったじゃん。条件が合致するケースなんて数千億分の一の確率だったんだろ」

「彼らにとっては一分の一の命だったのだぞ」

「なんだ、説教か? そっちだって、界のバランスがどうのといって命を好き勝手に繋ぐだろう。切るのもおんなじだと思うんだけどね」


 切ったものを繋ぐ、失ったものを埋める。

 順番は逆にはならないことを目の前の存在に説くことは何十年か前にあきらめた。

 どちらもされる側にとっては同じである。男もそれは認めていた。


「しかしなー。人間の寿命など百年にも満たないとはいえ、好んで幽閉されるのか。物好きもここに極まれり、だな」

「この国では十年もすれば、檻から出られるがな」

「…… 何かの冗談か?」


 どちらから行き先を決めるでもなく、二人は歩みを進めた。

 上へ上へとのぼっていってしまうのは習性か。

 階段をのぼった先、若い男が手をかざすと開いてないはずの鍵は開き、扉が開かれる。

 屋上に出た。

 すでに小雨だった。雲の隙間から光が差しこんでいる。間もなくやむだろう。


「捕まえないのか、ここにいるのは重罪人だぞ」


 ばっと両手を広げる。演技めいた、見るものを意識した動きだ。

 天使の外見には、見るものの理想が反映される。正確には理想と近しい外見を持つ天使が現れる、だが。

 どちらにせよ、それゆえにその姿は美しいと形容されることが多く、何気ない動作さえ優美に映る。

 天界始まって以来の異端児、界の命の均衡を脅かす、指名手配犯。

 どうして今このタイミングでこの青年が目の前に現れているのか、男は理解していた。

 

「すでに契約という形で償いは行われているからな。お前を捕まえるのは私の仕事ではない」

「約束していたのに? あの女、どこまでも報われないな」

「覗き見とは悪趣味だな」

「今更だろう?」


 悪趣味の塊だ。

 服だけでなく髪も瞳の色までもが黒い。以前はもっと華やかな色を宿していたと記憶にある。

 どれが原型にせよ、わざわざ染めるなどしてできる限りの擬態をしているのだろう、人間に。

 徹底している。

 この若者に、年長者の風を吹かせる意味はない。それこそ今更である。

 男は低く唸った。


「お前には憤怒と憎悪の念しか覚えない。お前の勝手のせいでいくつの魂があるべき場所から離れなくてはいけなかったか。死罪はおろか永遠の虚無への追放、でも生ぬるい。―― と、先ほどまでは思っていた」

「へえ。で、今は?」

「今は、小生意気なガキへの苛立ちが半分、身内へのほんのわずかな情と、そして最後にそれ以上の、感謝の気持ちを抱いている。この心を止めることができない。ゆえに私は自らへの重刑を望む」

「このドMめ、死ね」


 吐き出すようにつむがれた言葉に、男は晴れ晴れと笑った。

 

「彼女の命を結ぶためにも必要だったとは言え、説明を欠いたのは確かだ。フェアではなかった」

「知ったら張り倒されるだろうな。貞操の一つくらいは捧げてやれよ」

「よかったら、お前の口から真実を伝えてくれないか」


 青年の端整な顔がゆがんだ。


「はあ? なんで俺が」

「彼女とは今後に対する契約も交わしている。すべて叶えるに足りると思うが、不便があっては困る」

「俺がそれをしてやるメリット全くないだろ」

「義務が生じている。契約項目の内にお前の名前を入れておいたからな、見届け役として」

「げっ」

「詳細内容は契約書を読め、解除したければ直接本人に頼め。あなたを殺した犯人です、許してください、とな」

「そんなことで許す人間いるはずないだろ。それに俺は、誰かに何かを強制されるのが大嫌いだ」

「そうだな。お前にとっては、法すらなんの意味も持たない。だから、約束しよう」


 芝居だな。

 話しながら、男も意識する。けれど、舞台に上がってしまったのだからしょうがない。

 後世に何も残さない役者だとしても、果たさなければいけない使命があるのだ。

 男は一歩踏み出す、つられるように青年が一歩下がる。


「百年くらい縛られていろ。その代わり、私が千年をかぶってやる」


 青年の目が大きく見開かれた。

 男は構わず続けた。


「人間として代償を払い終えた後、私は千年の檻に入ることを約束しよう、お前の代わりに」

「…… おっさん正気か?」

「ああ、それでもお前のすべての罪の清算とはならないだろうが、多少の自由が保障されるだろう」


 ひらり、と黒ずくめの青年は屋上の手すりの上に飛び乗った。

 ここで逃げられては、すでに人間の形をとっている男に追いかける術はない。


「最近追っ手の執拗さがわずらわしくなってきたんだろう。それで私の元に来た。違うか?」


 向けられたのは静かな眼差しだった。

 感情が閉じている。先ほどのベッドに横たわる少女のように、見ているようで見ていない。

 見ているのはもっと遠く、この場合は、ずっと続いていく時の先だろうか。

 ほんの一瞬のことで、青年の目にはすぐに獰猛な光が戻った。


「その性格の悪さを千年かけて治してこいよ」

「ああ、千年などあっという間だ」

「そして百年はもっと短い」


 とんと軽く後ろへと飛び出すと、そのまま重力に任せて背中から落ちていく。

 確認する必要はなかった。

 雲の狭間から、一枚の紙が飛来する。

 数ある条項の中の一文が光っていた。契約の一項が果たされた証であった。


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