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わたしの悪魔さん  作者: 雪田
第一章 幼少期
18/23

18.わたしの双子さん

 なぜその日に限って、と嘆きたくなるようなタイミングを狙い済まして崩れる。

 空の天気と子どもの体調はよく似ていると思う。


 季節外れの寒気に敗れ、セシアは発熱した。

 客人が訪れる当日になっても熱が下がらず、医者より部屋から出ることなかれとのお触れを出された。

 お母さまとお父さまは入れ替わるように様子を見に来ては、厳しい顔つきをしながら心の中でほっと息を吐き出しているのが見えた。なんだかんだでも、似たもの夫婦だ。

 セシアも内心では安堵していた。

 ノンノの選んでくれたドレスをお披露目できないのは残念だが、偉い人たちを目の前にしたとして、いったいどのように接すればいいのか、もうすぐ成人だというのに情けないことではあるが正直礼儀作法にはとんと自信がない。しかし面会謝絶との診断があれば、不敬でも罪にまで問われることはないだろう。

 揺れる視界の中で、外が騒がしくなる音を聞いた。

  


 今日は屋敷中の人間総出で来客一行様の歓待に忙しいので、セシアは半日ほど放って置かれることになった。

 風邪をひくと妙にさみしがりやになる癖は、小さい身体になっても健在だ。

 さみしい。熱い。気持ち悪い。頭が痛い。身体が重い。さみしい。

 ぐるぐると回る感情ごとぬいぐるみのフクロウを抱きしめ、早く時間が過ぎてくれることを願う。

 夢と現と何度かさまよいながら、額に落ちてきたひんやりとした感触に呼び起こされた。

 外界に触れると改めて、身体が熱を持っていることに気づかされる。


「だいじょうぶ?」


 誰かが様子を見に来てくれたようだ。

 セシアは空元気すら演技する気力がなく、首を振った。だいじょうぶ、ではない。

 ぱくぱくと口を動かした。

 水がほしい、というつもりだったが沈黙が戻ってくる。

 代わりにまた額に何かが触れた。前髪を掻き分け、汗をぬぐう。小さな手だ。


「大丈夫? つらそうだね」


 繰り返された。 

 セシアは薄目を開けた。

 ベッドの脇に、見覚えのない、小さな子どもが立っている。

 右肩にオレンジ色の三つ編みが垂れ下がっている。それがゆらりと揺れた。

 幻でないのなら、誰だろう。そう考え、すぐに思い当たる。

 セシアはあわてて体勢を引き起こした。

 血液が急激に下降して、くらりとしためまいに襲われる。 

 しばらくうつむいて回復に努めていると、顔と膝、ちょうどその隙間に顔が滑りこんできた。

 セシアの流れた髪が瞼にあたるとくすぐったそうに一度目を閉じて、また開く。

 好奇心いっぱいに膨らんだ大きな目、夕焼けした太陽のような目が、まっすぐ見上げてくる。


「ボクのこと覚えてないって、ホント?」


 きれいなボーイソプラノだ。

 セシアはたじろぎながら、控えめにうなずいて見せた。

 ふーんと気のない返事をしたかと思えば、そのまま操り糸が切れてしまったように落下する。

 癖のある髪質らしい。縛り付けておかないとあちこちに跳ねてしまうのだろう、膝に落ちてきたのはやわらかいスポンジのような感触だった。

 頭はくるりと一周し、セシアの膝の間にちょうど顔をうずめるようにして息を吐いた。


「愛を誓いあった仲だったのになあ」


(え)


 最近の子どもの世界は進んでいるらしい、という知識はあった。

 向こうの小学生の間でも、お付き合いという契約が普通にまかり通っていると耳にしたことがあるので、こちらの世界にも同じ傾向が見られてもおかしいことではない。

 しかしだからと言って、五歳と、…… 正確なところはわからないがさほど差はないように見える、セシアよりも二、三歳年上くらいの子どもだ。

 生き急ぐにしても、あまりに早い。ここから先はまだ長いというのに。

 たっぷり十秒は固まっていると、扉の向こうからバタバタと足音が響いてきて、バタンという扉の開く音で止まった。


「ハーモニー! 何してるんだよ?!」

「ハーバード、うるさい」


 飛びこんできたのは同じ人物だった。

 セシアは目を大きく開いて、腿を枕にしている人物と、扉を開いた人物とを、二度見比べる。

 同じ顔、同じ体型、同じ服装、違いはオレンジ色の三つ編みが左肩から下がっていることだ。しかし、そこに広がる表情には朝と夜くらいの差があって、驚くセシアを面白がるように、ハーモニーと呼びかけられた子どもは枕から顔を上げた。

 ベッドの上で反転し頬杖をついて、笑いかける。向日葵が咲いたような笑顔だ。


「ハーバード、異性の部屋に入る前にはノックだよ。やり直し」

「どこに女がいるんだよ」

「バード」

「ああもうっ、わかったよ」


 低くたしなめられて、本当に部屋の外へと出て行く。すぐに、トントンと投げやりなノックが響いた。

 はて、マナーを指摘したこのお客様のほうこそ音もなく入室してきたような気がするけれど、と首をひねりつつ、セシアはよろよろとベッドから下りると、ドアノブをひねった。

 戸の向こう側に居た二人目の客人は続けてノックをしようとしていたのだろう、拳を振り上げた状態のまま固まっていた。

 セシアは手のひらを上に向けて、室内へと水平に動かす。

 どうぞ、と声が出せない代わりのつもりだったが、ノックに応じるマナーとしては相応しくなかったようだ。


「…… お招きに、感謝する」


 少し怒ったように応じる声があった。




 最初にやってきたのが、ハーモニー。

 後からやってきたのが、ハーバード。

 カタカナの名前は覚えるのが難しい。しかも後ろにはずらりと長い名前が続くとなれば。

 とはいえ、一度見たら忘れられなさそうな二人は、一卵性双生児であるらしい。

 口を開いた二人の印象は、真っ二つに割れた。

 同じオレンジ色でも夕焼けと朝焼けでは大きな違いがあるように。


「ほんとに、声が出せないんだなー」


 左側のハーバードがうなるように言った。

 なぜかベッドの上、三人で三角形の位置に座っている、現在進行形だ。

 右側のハーモニーが補足する。 


「ハーバード、記憶もないんだって」

「は?」

「記憶喪失の病。流行ってるらしいアレかもね」


 そういえばそんな流行病があるのだということを、医者が最初の頃に口にしていた気がする。

 ハーバードが表情をくもらせた。


「僕のことも、覚えていないのか……?」

「ボクのこともね」


 嘘だろう……? 幼い顔いっぱいに広がっていく傷心の気色。

 久しぶりに、嘘をつくことへの罪悪感を掘り起こされた。

 セシアと、この双子の間には浅からぬ交流があったようだ。

 思い返してみればはじめてのことかもしれない。セシアのことを思う、友達と会うというのは。


「だから、この間のキスの記録もなしだね」

「なっ」


 ハーモニーがにやりと笑うと、ハーバードは大きく狼狽した。

 セシアが目を丸くすると、ハーバードは一気に全身を赤く染め上げ急いで後退し、ベッドから床へと転がり落ちた。

 ハーモニーはけらけらと笑いながら、頭を抱えている片割れに追い討ちをかける。


「まあ許してやって。寝てる間にしか手が出せない“ヘタレ(ジャック)”なんだから」


 ジャックという言葉が、ヘタレと変換された。

 一瞬意味を捕らえ損ねて、口の中で単語を咀嚼してみたら、三つの意味が重なって見えた。

 この世界では、ヤモリ=ジャック=ヘタレであるらしい。

 音や響きから勇ましさを連想させるのに不思議だ。

 絵本では確かに、魔女と王女という二人の女性に振り回される情けないキャラクターではあったが。

 セシアが思い巡らせていると、ベッドの片隅で攻防は続いていた。


「ななな、なんで、ハーモニーが知ってるんだよ……?」

「ハーバードのことなら大概のことがわかるんだよ、残念なことに。それに、前回見舞ったときの行きと帰りの顔、鏡で見なかったの。何かイイコトがあったことくらいはみんなにバレてたよ。ま、現場を見られたのがボクでよかったと思うんだね」


 知らない間にセシアのファーストキスは奪われていたらしい。

 この男の子に。と、確認の意味もこめて唇に手を当て、ハーバードに視線を向ければ、全力でそらされる。三つ編みが首に巻きつく勢いだった。

 さて、どうしたものだろう。子どもの頃の戯れのキスくらい、あちらの世界でも何度かしたことがあるけれど(おもに幼なじみが相手であった)、情けないことに最近はとんとご無沙汰だ。年長者的なアドバイスが思いつかない。

 床からはいあがってこれない男の子に申し訳なく思いながら前を向くと、ハーモニーがぬいぐるみを抱えていた。

 白い、フクロウのぬいぐるみ。それに語りかけるように言葉がつむがれる。


「目が覚めて、よかったね」


 セシアは息を呑んだ。

 ハーモニーはその様子に小首をかしげながら、隣の頭を小突く。


「ほら、バードも」

「えっ? 僕は別に……。こ、こんな成金領主の娘っ、痩せっぽちだし人形みたいな気味の悪いやつのことなんて」

「そんなどっかからか借りてきたような悪口言うの、やめなよ。頭悪そう」

「なんだよ事実を言ってるだけだろ。こんなやつのことなんて僕はどうでもいいよっ……!」

「へえ、どうでもいいの」


 双子の間にも力関係があるようで、口ではハーモニーのほうが優勢に見える。

 セシアが苦笑いを浮かべそうになると、フクロウが近づいてきた。ぱたぱたと効果音つきで。

 触れ合うほどの距離で横に飛びのき、その後ろから現れた顔の近さにびっくりしていると、ちゅっとかわいらしい音が鳴った。

 視界の隅で、ハーバードが口を金魚のようにぱくぱくとさせている。

 

「…… ひっきょうだぞ! ハーモニー!」

「何が卑怯だよ。無抵抗の女の子相手じゃないんだから別にいいだろ」

「ハーモニーはいつだってそうだ。今日だって僕のアイス横取りしたし!最後に取っておいたのに!」

「ああ、エーヴェリットの料理人の腕は最高だね。デザートの仕上がりは宝石のようだし、魚介類の鮮度はさすがで、マワウル貝の酒蒸しなんておかわりしたかったくらいだ。今度、図書館からレシピを取り寄せさせないと」

「話そらすなー!」


 ぽんぽん飛び交う言葉を追いかけていたら目が回りそうだ。

 小気味いい会話、騒がしくてうるさい。

 声が出せないセシアは傍観することしかできないが、きちんと席が設けられている。

 三角形の会話の輪の中にはセシアも含まれている。それがひどく久しぶりのことのような気がした。


(―― それに)


 目が覚めてよかった。

 この世界に来てはじめて、そんな前向きな言葉をもらったような気がする。

 一瞬触れた唇から伝わってきた気持ちは、砂糖菓子のように甘く広がっていく。


「―― セシアが、笑った」


 どちらの言葉だったのか。

 声音まで似ているのはさすがに双子で、こちらを見る目もシンクロするように大きく見開かれている。

 なんだろう、この天然記念物を目撃してしまったかのような反応は。

 ハーバードがベッドに身を乗り出してくる。指を一本立てた。


「もう一回っ……」

「お二人とも、こんなところにいらしたんですか」


 入り口から静かな声が響いた。


「トアレ!!」


 と、呼ぶ声が重なった。

 ベッドの上から飛び降りて一目散で駆け寄っていったのは、ハーバードだ。


「ヒューズ様がお呼びです。そろそろ出立の時間だそうですよ」

「えー、もう?」

「次のご予定があるのでしょう」


 ハーモニーはベッドから優雅な動作で立ち上がると、セシアに小さく手を振った。

 そして、トアレの腕に手を絡める。反対側にはハーバードがまとわりついている。

 その真ん中で動じないトアレは、正装しているせいか少し大人びて見えた。


「どうせなら、トアレも王都まで一緒に帰ればいいのでは?」

「そうだよ、そうしよう、それがいいよ」

「ありがたいお申し出ですが、私はもうしばらくこちらに滞在しなければいけません」

「そうなんだ、残念だな。行こう、ハーバード」

「帰ったときには絶対、僕らの家にも寄ってくださいね。待ってよ、ハーモニー!」


 双子が部屋から去っていく。

 ばたばたという足音は通り雨を連想させる。夏に急に降り出す夕立ちみたいだ。 

 余韻にひたっていると、厳しい顔つきをした兄がベッド横で腕を組んでいた。


「風邪をうつしてしまったら、どうするつもりだ」


 そうだった。面会謝絶と言われていたのだった。

 向こう側から扉が開かれたのでついころりと忘れていた。

 セシアは慌てて頭を下げると、ぐらりと世界が揺れる。

 倒れこんでもベッドの上だったが、横から伸びてきた手が身体を支えてくれた。

 感謝して、おとなしくベッドの中にもぐる。 

 短く息を吐き出す音。

 兄にはいつもため息をつかせてばかりいるなと考えていると、覆いかぶさるように顔が近づいてきた。

 近づいても毛穴一つ見えない、きれいな白い肌だ。数日前に降った雪のよう。

 軽い既視感に襲われ、セシアが軽く固まっていると、恐れたその手前でぴたりと止まる。

 額と額が触れ合った。

 見る見ると、眉毛がこれ以上にない角度までつり上がっていく。


「薬は? 飲んだのか」


 首を振る。その動作さえ億劫になってきた。

 トアレが静かに動く気配がした。反対側にある台の上には水差しとともに薬が用意されている。


「飲め」


 わずかに開いた口から流しこまれ、水がほしかったのだということを思い出した。

 乾いていた喉が痛む。

 最近庭で水やりを眺めてばかりいたから、自分が植物になったようなイメージをしてみた。水は管を通り、体中をめぐり、指先まで運ばれていく。


(ねえお兄様、ジャックはヘタレって意味なんだよ。知ってた?)


 知らないはずはないだろうに、そんな名前を好んで名乗っている少年に対して、セシアはたくさん問いかけたいことがあった。

 近いはずなのに遠い人。他人だったはずのあの夜のほうが、よほど近づけたように感じる。

 トアレは、何に対して弱虫(ヘタレ)なんだろうか。


 


 しばらくすると、外が騒がしくなる気配があった。

 セシアはゆっくりと起き上がり、部屋を出ると、廊下を横切り、反対側にある客間に入る。

 この部屋は長く使われていないらしく、少しほこり臭い。

 窓に近づき、閉じられたままになっているカーテンをそっとめくった。

 門前に、大きな馬車が停まっていた。

 トアレの周りをくるくるとオレンジ色の二匹のちょうちょが舞っている。

 ちょうどお父さまと握手を交わしている見覚えのない紳士が、えらい人だろう。お父さまの上司、片翼卿とも呼ばれる貴族、ヒューズさま。

 紳士が何か声をかけると、ちょうちょたちは馬車のほうに向かって競うように駆け出した。

 背が高く、ラグビーや柔道のような激しいスポーツに向いていそうながっしりとした体格。机の前にただ腰掛けているような、えらい人、というふうには見えない。

 足元には荷物がいっぱい置かれている。半分以上はお土産だろう。

 お父さまが執事に声をかけ、それでも足りずトアレも手を貸して運んでいく。ヒューズさま自身も広い両肩にたくさんの荷物をつるしているが、供の人はいないのだろうか。

 背中に揺れる赤い髪が三つ編みにされていて、子どもたちとお揃いだと気づき、少し微笑ましくなる。

 ヒューズさまは門の前で立ち止まり、三つ編みをゆらりと揺らし振り返った。

 セシアは驚いて、思わずカーテンを閉めた。

 次に開けたときには、すでに馬車に乗りこむ寸前だった。

 偶然にしても冷や汗が流れる。体調不良を理由に会わなかったくせに、盗み見していては印象がよくないだろう。

 部屋に戻ろうと背を向ける寸前、卿が身をかがめ、子どもたちに何か話しかけるのが見えた。

 双子はそろってこちらの方角を向くと、手を振った。正確には、ハーモニーは大きく両手を、ハーバードは小さく片手を振ってくれた。

 こうなってしまうと無視はできない。セシアも控えめながら、手を振り返す。

 幸い、お父さまとお母さまには気づかれなかったようだが、視界の端っこで青い眼光が鋭くこちらを仰ぎ射ているのを感じた。

 セシアはそそくさと部屋に帰った。

 ベッドの上、薬でぼんやりとした頭で、双子のどちらがセシアの婚約者だったのだろう、そんな疑問を抱きながら目を閉じた。



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