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わたしの悪魔さん  作者: 雪田
第一章 幼少期
17/23

17.わたしの婚約者

 

 ―― 漏らしたくない秘密ならば箱の鍵はしっかりと締めておくべきだ。


 室内は薄暗く、開演を待つ劇場のような雰囲気があった。

 光を遮っているカーテンを舞台背景にして、重なり合うシルエット。外で降り続ける雪が黒い水玉模様として浮かび上がり、ちょっと神秘的だ。

 男性と女性の身体って不思議なもので、パズルのピースのようにぴたりと当てはまる。

 母親と父親以外の男性の秘め事を、無感情に観察する。

 扉の、計算されたようにほんの少し開いていた隙間から。

 ノンノが大きめの咳払いをし、開きかけのドアを手の甲で叩いた。


 腰に巻きつかせていた手を、ゆっくりと解いて、お姫さまが振り返る。

 少女のように、頬を膨らませて。


「セシア、どこに行っていたの? せっかく先生がいらしているのに」


 咎める声に、焦りのかけらも見当たらない。

 なかなか、娘に見られるとしては際どいシーンのように見えたが、勘違いだろうか。

 お母さまは平然とし、今日も全身黒すけの先生は、その背後で軽く眉を動かしただけだ。

 ノンノが代わりに答えた。


「お庭のほうにいらっしゃいました」

「もう。どこに行くにも行き先を告げてからになさい。母様は心配で心配で、倒れます」


 実際によろめいて見せると、そのなまめかしい姿態からは甘やかな香りが匂い立つようだ。

 セシアは頭を下げた。とんと胸のあたりを拳で叩いて見せる。

 了解した、という意味のつもりだったが、お母さまは眉をひそめた。

 ベイゼル先生が、フォローするように言う。


「奥様、今日は授業のある日でもありませんし。私が勝手に寄らせて頂いたんですから」

「そうやって周りが甘やかしてはダメなのですっ! このままでいいはずは、ないのですから」


 きゅっと、紅色の唇がきつく結ばれる。

 お母さまはいつも口元に微笑みがチャームポイントで、特に医者の言には子どものように従順である。

 だからこんな厳しい反応をするのはちょっと珍しい。あの屋敷を抜け出してしまった夜でさえ、ため息をついただけで小言の一つも漏らさなかったというのに。

 お母さまの心はいつも感情に支配されていて、言葉ではうまく伝わってこない。

 今は赤色のイメージがストレートに伝わってくる、怒、と読める。それが渦を巻いて嵐の予兆、そんな感じ。

(…… お父さまとまた喧嘩をしてしまったのかも)

 先ほどすれ違ったでっぷりとしたお腹の底にも、同じ色を見たような気がする。

 娘の教育方針について、だとしたら、諍いの種になってしまったことに、少し責任を感じる。

 そんな心情を見透かしてか、先生が、奥様、と呼びかけた。


「やはり大変お疲れのご様子、魔法の薬を処方いたしましょう」


 お手を拝借できますか。ダンスの申し込みをするときの仕草で、先生が誘う。

 戸惑いながら差し出された手を失礼と断り握ると、くるりとフライパンの中のオムレツようにひっくり返す。

 手のひらに丸い、ファンシーな色をした包み紙をそっと置いた。


「まあ」


 エメラルド色の瞳が見開かれた。 

 包み紙の中に入っていたのはコンペイトウのような色合いの、小さな砂糖菓子の山だった。

 お母さまを支配していた色の変化は劇的だった。赤色は渦の中に一瞬で吸いこまれて、変わりに色とりどりのキラキラとしたものが、胸いっぱいに広がっていく。

 心労を回復するのも医師の務めとは思うが、まるで詐欺師の手際だ。

 その皮肉を聞いているのかいないのか、部屋の入り口に立ち止まっている二人から吹き荒れる冷たい北風も感じぬように、先生は微笑んだ。 


「そんな顔をせずとも。あなた方の分もありますよ」

「私は結構です」


 ノンノが隙なく断った。

 セシアも同じくと続こうとしたが、それより早く先生は小さな手に包みを握らせる。

 背後で、お母さまは頬を染め、どこかに旅立ったまま帰ってこない。


(我が家の人妻に手を出してどう責任をとるつもりだ、この悪魔は)

「…… そんなものとるわけないだろう」


 天使に魅了されるのは人の勝手だと小声が言う。

 その顔は笑ってはいるものの、どこか拗ねたようにも見え、セシアはおやと首を傾げる。

 不可抗力だ、と脳内に声が届いた。お母さまからのひっつき攻撃を回避し損ねたというところだろうか。

 しかしその後の行為のほうがよほど、乙女心を掻き乱しているわけで、自業自得以外の何者でもないと思う。

 先生は素知らぬフリで一礼をした。


「では、みなさまのお元気な顔も拝見できましたので私はこれで。明後日にまた参ります」

「あ、そうでしたわ。先生、お待ちになって」

「なんでしょう?」

「後でご連絡さしあげようと思っていたことをすっかり忘れておりました。明後日の予定は延期とさせてくださいな」


 予定、とはセシアの家庭教師の件だろう。

 先生とそれから生徒に対しても、お母さまはその理由を告げる。


「三日後に、ヒューズ様がご家族でお見えになるのよ」

「まあ、急なことですね」


 珍しく、反応を示したのはノンノだった。

 その後は口元に手を当て何やらブツブツと何かを呟いている。掃除、という単語が漏れ聞こえた。

 

「ヒューズ、というと、デコタの領主であられる?」

「ええ。お仕事で翼国を訪問されていたそうで、帰りに当家に立ち寄りたい、と。トアレがちょうど戻ってきておりますし、セシアも目が覚めてからまだご挨拶ができておりませんのでちょうどいい機会なのですけれど……」

 

 ちらりとセシアに視線が向けられる。

 きょとんとしているセシアを見る目には不安げな色合いが強い。お母さまは首を振った。

 

「いいわ。明日には出迎えの準備もしなければいけませんから、あなたもそのつもりでいて。くれぐれも、行方知れずなどということのないように」


 セシアは深めにうなずく。

 

「ノンノに少し相談があるから借りていくわね。先生、では名残惜しいことですが、これにて失礼いたしますわ」


 ノンノを伴い、お母さまが外に出て行く。

 扉が閉まる。二人きりとなった室内で、セシアは視線を上げ、問いかけた。

 

(ヒューズさまって、えらい人?)

「簡単に言えば、おまえの父親の直属の上司だな。地位は二等貴族。鍵国でももっとも広いデコタ州を治める領主であり、西側の領地一帯の総元締めでもある。隣の翼国の王族筋から嫁さんをもらっているから、外交面で強い手腕を発揮するが、同時にどっち付かずのスパイと疎まれることもあり、付いた呼び名は片翼卿(かたよくきょう)

(へえ、よくそんなにスラスラと出てくるねぇ)


 ちょっと感心して言う。

 悪魔もこちらに来てまだ三年だったか、それくらいしか経っていないはずなのだが、とりあえず家庭教師として名札を付けても違和感がないように振舞うことに成功している。

 セシアと違い、医者の知識を引き出すことができるのかもしれないが、それでも見事だ。


「確かに五歳児の脳よりはマシだろうが、何よりオレは日々学んでいるから。どこかの誰かさんと違って」

(私も勉強しているつもり、なんだけど)


 まるでサボっているように言われるのは不本意である。

 不機嫌を表すと、悪魔の大きな手が伸びてきて、セシアの頭をかき乱した。


「?!」

「そう妬くなよ。菓子はおまえ用だったんだ。食い意地を察して多めに持参したのが失敗だったな」

(やきもちではありません。食い意地もはっていません)


 どうしたらそういう飛躍した思考に至るのか。

 睨んでやると、抱え上げられた。


「なんか花の匂いがする」


 すんと髪を嗅がれ、そういえばお風呂に入ったばかりだったと思い至る。さっきの秘め事を目撃した衝撃で吹き飛んでしまっていた。

 腕の上にセシアを腰掛けさせると、片手でカーテンを開く。

 この不安定な体勢にもだいぶ慣れた。

 悪魔はスキンシップと、高いところが好きらしい。

 窓の向こうに広がっていた雪原を映して心なしか輝きを増した瞳に、雪も好きなのかもしれないと推測する。子どもっぽいな。


「耳元でうるせー」

(だったら、聞かなければいいのでは)


 悪魔の心の声は、セシアには聞こえないようになっているから、一緒にいても楽ちんである。

 もしこの一風変わった会話を外から見たとして、一人で話し続ける不審者としか認定されないだろうから、常に警戒が必要ではあるが、でも、話ができるというのはうれしい。

 セシアはじいっとその横顔を見つめた。

  

「なんだよ」

(不思議だなと思って。同じ顔なのに中身が違うとまったく違う人だね)

「当たり前だ、肉体は魂の容器でしかない」

(私も、そうなのかな?)

「オレは起きているお嬢様には会ったことがないが、生前を知るやつにとってはそりゃ別人だろうよ」


 生前の、という単語に胸が痛む。

 それを横目で見た悪魔は、渋面を作った。


「あのなー、いいか? お嬢様の肉体は生きていたが、魂はすでに死んでいた。おまえの場合は、肉体は死に、魂は生きていた。―― おっさんが拾ったからな。間違っても、おまえがそこに入りこんだ結果が、お嬢様の死を招いたわけではない。条件が整っていたからこそ行われた救済措置だ。順番はひっくり返らない」


 何度も聞いた説明だった。

 それでも悲しいと思うのは変わりがない。なぜか“私”はいつか、この少女に会えると思っていたのだ。それが叶わないと知り、さみしい。

 その少女の居場所を、自分が奪ってしまっているというのに。

 垂れ下がりそうになった頭を、大きな手がつかんだ。

 

「満月の夜のことも、説明しただろう。まだ納得していないのか。どんだけ繰り返せば、この頭は理解するんだ?ああ?」

(痛いっ、わかった、もうわかりましたから)


 ぐらぐらと揺らされると、脳みそがシェイクされるようで気持ちが悪い。幼児の頭は柔らかいのだから気をつけてもらいたい。


「全然わかろうとしてないだろう。わかる努力をしないといつまで経っても、魂は“かすみ”を忘れず、“セシア”を受け入れない」


 眉根を寄せながら、セシアは思い返す。


 月に一度訪れる満月の夜、“私”の肉体は魂の形を取る。

 魂は、まだかすみのほうを真実の姿だと理解しているから、かすみの姿となる。

 そうして、幾夜を繰り返すうちに、少しずつ魂はこの小さな身体にも馴れ、同化していく。

 やがて満月の夜が訪れても、かすみの姿になることはなくなるはず。


 ―― ということらしいのだが、そういうことは先に言っておいてほしかった。

 あの事件の夜から、はじめて診断をしに訪れた医者に対して、どんな罵詈雑言をぶつけてやろうかと準備していたセシアは、その言葉の行き先を失った。

 先手で、悪魔が真摯に頭を下げ、謝罪を示したので。 

 そもそも注意事項が書かれているはずの契約書を確認する術がないため、何が起こるのか具体的にはわからないのだそうだ。

 悪魔は“私”の記憶に触れて、満月の夜に何かある、というような断片を読み取ることはできたようなのだが。


「面白そうだから放置した。すまん」


 と、いい笑顔でのたまった。

 そして、「半分くらい自業自得だから諦めろ」とも。

 天使さん、やっぱり今からでもこの役、交代できないのでしょうか。

 セシアはこそりと息を吐く。悪魔からはもう反論すら戻ってこない。無理なんだろう。


(あー、お医者さんは、お元気、デスカ?)

「センセ? ああ、相変わらず水槽の中の彼女と仲良くやってるよ」


 二つの魂が肉体を共有する場合はどちらに影響されるのだろうかと思ったが、片方は天使もどきで、片方は死にかけだそうなので、身体が少し気の毒になる。

 あれから、二度満月の夜を迎えたけれど、この部屋から一歩も出ないように過ごした。

 だからあのとき以来、医者とは顔を合わせていない。ここに来るときの先生は、いつも悪魔モードだ。

 会ったとしても、仲良くできる気はしないので別にいいのだが。

 あの、欠けてしまった彼女のことはずっと気になっている。ときどき夢にも見るくらい。

 しかし、悪魔が答えをくれないということは、少なくとも悪魔から話す気はないということだろう。

 別にいい。世の中は知らないほうがいい、ということもきっとたくさんある。


 セシアは握ったままでいた、ファンシーな包みを開き、砂糖菓子を口に放りこんだ。

 舌に広がっていく、甘くてやさしい味。

 ついでに、一番近くにあった口の隙間にも放りこみ、残りはノンノにもあげようと包みを閉じ直して、ポケットへしまう。


 このとき、セシアは忘れていた。

 会話ができる、気持ちが通じる唯一の存在に心を許していた。

 だから、心でない口は、真実を語っていないかもしれないという当たり前の可能性に。

 口をモゴモゴと動かしながら、横目がすっと逸らされたことに。

 至らず、気づかず、一欠すら疑問を抱かなかったのである。 





 ノンノは甘いものが苦手なのだと言った。

 では、お菓子のおすそ分けはいらないか、と考えながら、セシアは久しぶりに着せ替え人形になっていた。

 お母さまが用意してくれたという様々な衣装。

 手触りから上質な布で出来上がっているのだとわかる、最後の調整の糸が残っているということは、つまり新調されたものなのだろう。

 この家の財政状況を考えると、少し暗い気持ちが過ぎるが、えらいお客がただ遊びにくるというはずもないだろうから、必要な見栄なのだろう。そう思うことにする。


「ヒューズ様がいらっしゃるのなら、当然ご子息様たちもご一緒でしょうから、うんとお洒落をしなくては」


 この衣装なら髪飾りはこれ、靴はこれ。ノンノはいつもの無表情は嘘の仮面だったように、実に楽しそうだ。

 鏡の中のセシアはどんな色でも似合う、優秀なマネキンなので気持ちは少しわかる。

 淡い水色のドレスを着てくるりと回ってみたが、なんともかわいらしい。妖精のようだ。

(…… これは、明らかに娘を見守る母の気持ちだな)

 昼間の悪魔の言を思い出し、なるべく主観的になろうとする。

 セシアの身体と一緒に喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだり。

 意識してしまうと、それは、なんともむつかしいことのように思える。

 鏡越しに、ノンノがもの問いたげな視線を送ってきていた。

 妙な顔つきをしてしまっていたらしい。にへらと笑ってみると、困ったように苦笑された。


「セシア様の、ご婚約者様でいらっしゃいますよ?」


 渡す機会を失った手の中に隠していた砂糖菓子の包みが、床へと落ちる。

 国が変われば、風習の違いというものは当然あるものだ。しかし、と思い思わず指折り年齢を数える。


(…… この子にはまだ早いんじゃないかしら)


 思わず母の気持ちになり、顔をしかめたセシアだった。



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