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わたしの悪魔さん  作者: 雪田
序章
1/23

01.わたしの天使さん

 天使だ、と思った瞬間疑問がわいた。

 どうして私はこれを天使だと認識するのだろう。

 数々のビジュアル的な知識、映画だとか絵画だとか漫画だとか、そういったものの影響下にあるからだろうか。

 白い翼、光の輪、美しい西洋人、白い衣やローブ。

 そういった形や記号、外見で判断するのなら、目の前に浮いているものは天使ではない。

 でも、天使なのである。

 沈痛な面持ちの天使が着ているのは、ダークグレーのスーツだった。

 自分が幼いときにやっていたドラマでは主役を演じており、時が経った今は脇からびしっと作品を締めるような俳優さん、という風情で、彫りは深いが、日本男児という顔つきである。


 聞いてみれば、天使とは、対峙する者の理想の姿を写し取るとのこと。

 冥途へのお土産というところだろうか。うれしい心遣いである。

 私の願望が形になるとこういう姿になるのか、ほほう。

 友人からもジジ専すなーとはよく指摘されていたが。


 天使というよりはラスボスに見えます。

 声に出してしまったらしい。

 よく言われます、と肯定する声には、度量の大きさが伺え、ちらりと笑みを乗せた唇のなんとセクシーなことか。

 ああ死ぬ前に出会っていたらなあ、とみんな思うんだろうな。

 天使とはおそらくそういうものなのだと、理解する。

 そして詐欺師も似たようなものだということもちらりと思い出す。


「生物は生まれた瞬間に死の扉までの道が定まります」

「どこかの宗教の話ですか?」


 そういう話題と出くわしたらやんわりと距離を置きなさいとは、母親からの教育だ。

 私がずるずると後ろに下がると、天使はあわてて言い募った。


「通じるものはあるでしょうが、違います。私は命の在り様の話をしているのです」

「意味がまったくわからないんですが、とりあえず」


 下のほうが騒がしかった。私たちは今、宙に浮いている。

 雲にも届きそうな高さだが、いつのまにか私の目には望遠レンズがはめこまれていたようだ。

 街中の大通りにはたくさんの人が集まり、赤いランプをくるくると回しながら道路沿いには何台もの救急車とパトカーが停まっている。

 ニュース番組の、ヘリコプターからの中継みたいだ。

 と思ったら、かなり近いところをテレビ局のマークをつけたヘリコプターが飛んでいった。

 風が通る。スカートは揺れない。

 ここに宙に浮かんでいる女子大生とダンディな天使がいるというのにまったく見えないようだった。大スクープなのに。

 どうやら、私は死んだらしい。

 死んだら最初に会うのが天使だ。だから今目の前にいるのが、天使なのだ。

 簡単な理屈だった。


「……私は、最期に人様に多大な迷惑をかけてしまったようですね」

「貴女の場合はむしろ、誰にも迷惑をかけない人生だったと言えるのではないでしょうか」


 穏やかにしわを深めた笑顔は仏様のように優しげだ。さすがは天使だ。

 ご指摘のとおり、私は小中高と無難に過ごし、志望していた大学にもスムーズに進学を果たして目下運転免許取得を目指して教習所に通っているところだった。

 友達もいるし恋人はいなかったが、恋愛もしてきたし、家族関係は良好だし、休日に打ちこめる趣味もあったし、楽しみにしていた漫画の新刊もあったし、ひいきにしていたカフェもあった。


「はあ、でも父と母より先に逝くとは最高の親不孝ものですね」

「申し訳ありません!!!」


 土下座だった。おでこが地面にくっつきそうだ。地面ははるか下にあるけれど。

 背中にも白い翼はなかった。スーツなので、まるで日本のサラリーマンのお手本のようだ。

 天使の世界もいろいろ大変なのかもしれない。かなり堂に入った土下座だ。

 私はいたたまれない気持ちでいっぱいになり、顔を上げてくださいと頼んだ。

 まっすぐな視線を受け止め、こんな上司がほしかった、というよくわからない夢に一寸とらわれる。

 私は、刑事ドラマとか時代劇が大好きな女子だった。

 もう見られないのだなと思うと少しさみしい。

 

「私、いったいどんな死に方をしたんですか」

「刺殺です」

「殺人事件ですか」


 そんなドラマみたいな展開に巻きこまれることがあるのかと驚いた。

 しかし足元の光景を見る限り、どうやら本当であるらしい。

 そういえば、私の死体はどこにあるのだろう。

 目を凝らしてみるが、肝心なところがアダルトビデオの局部にかかったモザイクのようにゆがんで見えない。

 脇腹に痛みがあるような気がしたので致命傷はここかと思ったら、刺されたのは背中と臀部と眼球だと言われた。死因は出血多量らしい。

 見えなくてよかった。


「私はここで刺されて死ぬ予定ではなかったんですか」

「貴女はおばあさんになるまで生きて、最期はお風呂場で足を滑らせ打ち所悪く亡くなる予定でした」

「それは幸せな人生ですねぇ」

「はい、まさに。貴女はそんな幸福な死を永遠に失ってしまわれた。なんと不憫な……」


 ハンカチを取り出して目頭をおさえる天使の姿を見ていると、とても不幸な人生だったような気がしてきた。

 彼氏もいないし、なのに幼なじみは恋人を優先するし、やっと見つけたアルバイト先は先輩からのセクハラが激しい。

 趣味は人に賞賛されるようなものじゃないし、漫画の新刊はなかなか次が出ないし、カフェはシェフが代替わりしてしまったのか最近ランチのパスタの味が落ちたような気がする。

 私はふるふると首を横に振った。


「ええと、でも物騒な世の中ですからうっかり間違って刺されるってこともあると思うんですが、何が問題なのですか」

「刺した相手です」

「犯人が?」

「私どもの仲間です」


 ぎりっと唇が噛まれる。

 本当にまるで刑事ドラマのワンシーンみたいなんだけれど、どこにもカメラは回っていない、不思議だ。


「今回の事故は、貴女のほかにも幾人かを巻きこみ、生と死が狂わされる結果となってしまいました」

「ほかにもいるんですか?」

「はい、総勢にして十名ほどが」

「……」


 自分の死は実感が薄いが、他人の死は遠い分だけ痛い。

 一人にしては救急車やパトカーの数が多いと思った。

 あと三日間くらいは新聞の一面を飾りそうだ。


「貴女が一番酷い死に様でした。くわしく説明したほうがよろしいですか」

「うーん、いらないです」

「かしこまりました。そういうわけでして、私たちの仲間が犯した罪を私たちは償う義務があります」

「犯人は捕まったんですか」

「逃亡中です。現在全力で追跡しております」


 なんとも物騒な世の中だ。世の外と言ったほうがいいのか。

 しかし天使が犯人なら人間の警察では捕まえられないんじゃないだろうか。迷宮入りの事件となってしまうのだろう。

 家族がかわいそうだな。


「貴女にはささやかではありますが、お詫びの品を受け取って頂きたいのです」

「はあ、わざわざありがとうございます」


 天使はすうっと大きく深呼吸した。

 そして朗々としたいい声で叫んだ。


「もう一度人生をやり直すチャンスです!」

「タイムスリップでもできるんですか」


 それなら小学校二年生くらいに戻りたい。

 鉄棒のテストで、逆上がりができなかった。あのときに私の人生は狂ってしまったような気がする。


「えー、申し訳ありません。残念ながら違います」


 違うのか。


「異なる世界で、新たなる生をやり直すことができます」

「それって赤ちゃんからですか?」

「はい。正確にはいいえ。開始年齢についてもできる限りご希望に添えるよう配慮いたします」

「面倒くさいですね」

「まことに申し訳ありません。しかしとびきり幸福な“生”をプレゼントすることをお約束いたします」


 ―― あなたはどんな人生を歩みたいですか?


 と、また宗教家もしくはカウンセリングの先生みたいなこと聞いた。

 難しい質問だ。


 ―― では、どんな人間になりたかったですか。外見でも中身でもかまいません。


「……じゃあ私、日に焼けない、手入れをしなくても問題のない玉肌がほしいです。手ぐしで整えられるサラサラな髪も。虫歯にならない歯と、パソコンとにらめっこしても悪くならない目と、どんだけ食べても太らない細い身体、あ、でも胸は大きいのに憧れがあるかな。肩がこらない程度に。あと、そうだなー…… 相手の気持ちがわかるような人になりたいな」

「気持ち、ですか」

「そう。死んでしまって残念なのはお母さんに謝れないことだな。今朝、どうでもいい喧嘩をしたんです。私が悪いのにお母さんのせいにしてしまった」

「申し訳……」

「謝らなくていい、というか謝らないでください。父や母、それに友達が幸せに暮らしてほしいってのが一番大きな望みなんですが、そういうのは無理なんでしょうか?」


 天使はおおげさに目を見張った。

 そして沈黙する。言葉を吟味しているようだった。


「…… 貴女がこれから受けられる“生の恵み”を誰かに分け与えるということですか」

「できますか?」

「可能です。今まで望んだ方は誰もいらっしゃいませんが」

「そうなんですか、意外です。じゃあ、私が今まで出会った人とこれから出会う人が幸せになること、というのをお願いします。無理そうだったらさっき言った要望たちはキャンセルでいいので」


 天使は電卓のようなものを何もない空間から取り出して、すごい速さで叩き始めた。

 生物には幸福量というものが決まっているらしい、それに特別ボーナスというか今回の場合は償いという形で慰謝料が払われるそうだ。

 なんだかとてつもない桁数を言われた気がするが、五桁以上は認識できない脳なのだ。


「貴女と関わる時間に合わせて、ということなら充分に可能でしょう。調整いたします」

「そう、なら後はまあいいです、適当で。別の世界で、赤ちゃんでも何歳からでもいいです。とにかく生まれて、ええと死ぬべきときがきたらそのように死にます」

「かしこまりました」


 深く頭が下げられた。最敬礼だ。さっきの土下座もだが、自分より二回りくらいは年上に見える男性にされると、なんともくすぐったい。

 またどことも言えない空間から、紙がひらりと舞い降りてきた。あと万年筆。

 続けて何枚も飛来して、手のひらの上に降り積もっていく。

 最終的には一冊の本となった。家電の説明書のような分厚さだ。表紙には赤で重要の文字。


「契約事項を確認の上、自署欄にサインを」

「はーい」

「……きちんと読まなければいけませんよ」

「はーい」


 もう別に目の前の相手が天使でも詐欺師でもいいのだけれど。

 こういう心境を、投げやりというのかもしれない。

 だって死んでしまっているのだから、一番怖いことはもう去ってしまったのだ。今の私は無敵だ。

 ぱらぱらとめくり、細かい文字は読み飛ばし、記入欄を間違えないようにということだけ気をつけながら筆を下ろした。

 この名前ともさようならをすると思うと、感慨深いものもある。


「ほかの亡くなった方たちとも、同じような取り引きを?」

「ケース・バイ・ケースですが、貴女と同様に、異なる世界での生をお返しすることになった方もいらっしゃいます」

「そうですか……、もしかして生まれ変わった先で会えたりするのでしょうか」

「世界というのは複数、無限にあるのでどうでしょう。難しいかもしれません」

「あなたは一緒についてきてくれないの?」

「光栄なお言葉ですが、私は貴女とは違い、新たなる生を受ける資格はございませんので」

「そう……」


 ではこちらの世界から持っていけるものってあるのだろうか。


「記憶はお持ちいただいてもかまいません」

「え、でも不都合でしょう。いろいろと」

「いえ、こちらの一般的な知識くらいでしたらどの世界での生活にも大きな影響はない、と判断されております。お望みであれば真っ白な状態でお送りすることもできますよ。いかがなさいますか?」

「ああいいです。一つくらい、持っていきたいと思っていたので」


 思い出を持っていくくらいならまあいいだろう。

 私は軽く考え、サインした分厚い契約書を天使に渡した。


「貴女はお若く大変聡明でいらっしゃる。きっと大丈夫ですよ」

「歯の浮くお世辞はいりませんよ」


 冷たい言い方に聞こえたのかもしれない、天使が苦笑いをした。

 理想の権化とはいえ、出会ったばかりの天使を連れて行きたいなあという気持ちはきっと未練だ。

 足元の世界への未練。

 私は目をつむった。涙が溢れ出してこないのはどうしてだろう。

 映画だってドラマだって、制作者の意図どおりの場面で私は大量に泣くことができるのに。

 驚きすぎると痛みが後からやってくることがある。

 今はきっとそういう状態なんだろう。


「……うん。行きます」

「では、あちらです」


 天使の指し示した先、分厚い雲の中に次の世界への扉があるらしい。

 そのまま歩いていくようにとうながされた。


「ひとつ忘れていました」


 すれ違いざまに、私はがばりと天使の太い首に抱きついた。

 天使が狼狽するのが伝わってくる。かまわずぎゅうと抱きしめた。


「犯人、捕まえてくださいね」


 しばらくすると腰に腕が回され、そっと抱きしめ返されるのを感じた。


「はい、お約束いたします。必ずと」


 たくましい腕だった。すっぽりと身体がおさまる。

 ずっとこうしていたいなあという願いは叶えてもらえないらしい。残念だ。

 天使はずっと困ったように微笑んでいた。

 

「私の天使さん、ありがとう」


 手を振って雲に向かって歩いていく。

 そして、“私”は消えた。




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