ちょっと、まじで吐きそうになるんでやめてくださいよ、コラ 1
「にぎゃあああああ!!」
それは暑い暑い真夏の夕方のことだった。完全に夏休みの宿題を終え、バンジージャンプの時にやってはいけない顔について考えていた時のことだ。つむぎの部屋から大事につくりあげたトランプタワーが崩された人のような悲鳴が上がった。
「なんだ、ダースベイダーか!?ついに帝国が攻めてきたというのかっ!?まだ私はオビ=ワンと出会っていないというのに!」
というさつきさんの手にはスターウォーズの単行本があった。父さんのものだ。何とも古いものを読んでいるなと思ったが、さつきさんはむしろ世代なのかもしれない。
ほんの数歩しかないはずの廊下を駆ける音が聞こえ、僕の部屋の扉が大きく開け放たれた。
「こ、こ、こ、耕兄!出た、出た、やつが出たっ!」
部活帰りだったらしく、ジャージ姿のつむぎは大慌てで決死の表情をしていた。「殿下!反乱軍が入城してきました!」っていう側近の顔だった。
しかし僕は殿下ではないので「うむ、私が出よう」とはいかない。
「えええええええっ!!」
と漫画版のドラえもんのような慌てっぷりを発揮する。
「なにその顔。ふざけてんの!?」
慌て顔のはずの僕はつむぎにそう怒られた。どうやらバンジージャンプの時にやるべきではない猪木顔のまま慌てていたらしい。
「と、とにかく来て!早く!」
つむぎは部屋に入ってきて僕の手を引っ張った。普段は僕を嫌うあまり接触をなによりも拒むつむぎなので、彼女はどうやら相当混乱中らしい。
とにかくも僕は引っ張られるままに部屋を出る。左手で疲れた顎をさすった。
「ちょっと待て。装備を整えてくるからお前はここでやつを見張ってろ!」
「いやよ!その時に出てきたらあたし素手じゃない!」
確かにそうだ。ドラクエ4のお姫様じゃないんだから素手でやつと戦えるわけがない。
「わかった。それじゃあ、ここは任せてお前は行くんだ!」
「え?買い物に・・・?」
「なんでこのタイミングで天然なんだよ!買い物に行ったらやつをお前の部屋に封印するからな!」
「はあ、ふざけんな!そんなことしたら耕兄のごはんに雑巾の絞り汁混ぜるわよ!」
やや興奮気味の僕たちだった。だが、今は僕たち同士で戦っている場合ではないのだ。なぜならば僕たちを待ち構える強大な敵がいるのだから!
「いいから早くあれを持ってこい。ここは僕が見ててやるから」
「う、うん。わかった!」
つむぎはものわかりよくこくこくと頷くと、勢いよく階段を駆け下りていった。普段は争っていても共通の敵が出来たら共闘はできる。いわばべジータを前にした悟空&ピッコロ現象だ。
「それで、耕太。この慌てっぷりはどういうことだ?」
僕らの後をつけてきたさつきさんが尋ねた。単行本は手にしたままで、しおりの代わりに人差し指を挟んでいた。
「何かの事件なのか?『あれ』が出たとか」
僕は神妙な顔をしたままうなずき、ゆっくりとした足取りでつむぎの部屋の前に言った。まだ視線を部屋の中に向ける勇気が出ない。
「この家で『あれ』と言ったら決まっています。・・・・・・Gですよ」
「G?じいちゃんか?」
「なんで僕らはおじいちゃんのことを『あれ』とか呼んでるんだよっ!!」
ふつうにかわいそうだ。最近は高齢化が進んでいるので、在宅介護されているご老人が奥様にそう呼ばれているとかありそうで怖い。
お年寄りは大切に。
「ふうむ。それではGHQか?」
「でねえよ!GHQはっ!!」
さて、とりあえず突っ込みをしたので勇気が湧いてきた。というわけでつむぎの部屋を視界の隅に入れた。
うわあ、いた。
「あ、あれですよ、さつきさん・・・・・・」
震える指で部屋の中を指差した。
「ああ、あれか。サンドバッグか・・・。なるほど、sandbagのGか。Sでいいではないかっ!」
「サンドバッグなんてあるのっ!?」
驚いた僕は扉が全開にされているつむぎの部屋を直視した。
「ぎゃああああ!!」
サンドバックなんて・・・・・・なかった。
だが、そこには確かにGがいた。
「ああ、なるほど。あれの事か。黒くててかてかしてて触角を絶えず動かし、高速でかさかさ移動するかと思いきや追いつめられると突如飛び上がるあれのことだな」
「描写しないで!」
ほんともうマジで勘弁してほしい。
もうほとんどの人は察していただいていると思うけど、つむぎの部屋のカーペットの上で触角を動かしていたのはGだ。えっと、一般名だとゴ・・・・・・ああっ、言えない!
「ゴキブリだろう」
「言うなっ!!」
その名は漆根家では禁句だ。漆根家に置いて「名前を言ってはいけないあの人」とはGのことを指す。
ヴォルデモート?そんな単語一日に10回は言っちゃうね。
「その頻度でいう意味がわからないがな」
「ほら、10回クイズとかで」
「よし、言ってみろ」
「ヴォルデモート、ヴォルデモート、ヴォルデモート」
「おっ、動き出したぞ」
「ぎゃああああ!!」
もうだんだんGと呼ぶのも辛くなってきたのでしばらくの間「先輩」と呼ぶことにしよう。
先輩は僕の方へとカサカサカサカサやって来た。
その様、まさに―――威風堂々。
まるで卒業したての元副キャプテンのような堂々っぷりだった。先輩マジぱなかった。しかし僕はあえて苦言を呈したい。先輩はそんなことだからキャプテンに選ばれなかったのだと。
先輩は大きく道を開けた僕を一瞥し(実際には一瞥なんかしていないと思うが)、つむぎの部屋を出たかと思うと、触角を動かしながら僕の部屋に入っていった。
ほんともう後輩の部屋にまでずかずか上がってくるとか先輩マジ見損なった。しかもあの人多分土足だ。
「ひゃあああああっ!」
しかし先輩も恐らく不可抗力だったのだと思う。さすがに遠慮してもうそろそろお暇しようかと思っていたはずなのだ。ところが帰ろうと階段の方へ向かったらつむぎが悲鳴を上げたのでびっくりして僕の部屋に入ってしまったのだと思うのだ。
「うわああああっ!」
当然僕は悲鳴を上げる。慌てて部屋に入ると、先輩がベッドの下に入っていくのが見えた。あの先輩は多分ベッドの下にエロ本がないか探しているのだろう。
ないぞ。
「・・・・・・よし」
呆然と立ち尽くす僕の後ろでつむぎが小さくガッツポーズをしていた。つむぎは力なくうなだれている僕に丸めた新聞紙とゴキジェットという対先輩二大装備を手渡すと、部屋に入って行き、扉を閉めた。
「・・・・・・」
僕は閉じられた扉と先輩がいるベッドの下とを見比べ、再び肩を落とした。
「よし、終わったか。続き続きっと」
「ちょっと待てー!」
普通に僕の部屋に入り、ベッドの上に寝転がろうとしたさつきさんをなんとか制止した。いやだっておかしいでしょ。なんで先輩が潜むベッドの上でくつろげるのさ。
「いや、だって考えてみろ耕太。ただの虫だぞ?」
「そうだけどもっ!!」
確かに過敏すぎる反応であることは重々承知なんだけども、どうしても受け入れられないんだよ!DNAに刻まれているとしか思えない生理的嫌悪っぷりなんだよ!
ただこの説は案外当たっているかもしれない。漆根家では先輩を唯一追い払えるのは父さんだ。母さんは先輩を見た途端実家に帰ろうとするくらい苦手で、同じ血が入っている僕とつむぎも苦手だ。
というわけで我が家にはホイホイは置いていない。
誰が片付けるんだよっ!って話だ。
ああ、もう先輩と呼ぶのはやめよう。よく考えたらそんなにお世話にもなってないし、ぶっちゃけ迷惑な存在だ。
「たかが昆虫になんという取り乱しようだ。あんなのカブトムシと一緒だろ」
「全国の青少年に怒られるぞ!」
「いやいや。この前、小学生がゲーセンのカードゲームで遊んでたぞ」
「それカブトムシだよっ!」
ムシキングだよ!
多分もうないけど!
「なんと!あの少年はゴキブリのカードを集めてはしゃいでいたわけではないのか!?」
「なわけあるかぁ!」
なぜそういう勘違いに至ったのかを本気で問いただしたかったが、今はそれどころではあるまい。
「取り乱しもしますよ!だってさつきさん、Gですよ!かのG線上のアリアで有名なGなんですよっ!」
「バッハに死ぬ気で謝れ!死んで償えっ!」
「えっ?あれってGにおびえながらも必死に作った曲なんじゃないんですか!?」
「Gの戦慄じゃないかっ!」
G戦場のアリア―――
なんかこっちの方がしっくり来る気がする。
「ていうかそんな話をしてる場合じゃないんですよ!いいですか、さつきさん。この部屋のどこかに爆弾が設置されていると考えてください」
「ゴキブリだろう」
「言うなー!」
だからその名は禁句なんだって。さっきはSEGAさんに申し訳なくて聞き流してしまったけども。
「まあ確かに爆発的に子供を産むという意味では爆弾だな」
ふいに、意識が飛びそうになった。
だが、ここで意識を失うわけにはいかない。目が覚めたら横にGがいたなんてことになったら僕は間違いなく発情・・・じゃなかった。発狂するだろう。
「さすがに発情したら縁を切るからな」ジト目で僕を見ながらさつきさんは言った。
うん、その時は僕も人間をやめようと思う。