わかった。あたしはもう金輪際勉強はしねえ! 5
そう思いながら部屋を出て、ゆっくりと一階に下りた。そして僕はあり得ない光景を目の当たりにした。
「な、何をやってるんだお前は・・・?」
なんと、雫がキッチンに立っていたのだ。
「ああ?見りゃわかんだろ?料理だよ、りょーり。しっかり飯食わねえと稽古でもたねーからな」
そうじゃない。そんなことはわかってるんだ。こっちとしてはわかりまくっちゃいるんだ。分かっているがどうして食材と包丁を取り出してまな板を取り出さない!どうして食材を切ってもいないこの状況で何も入っていないフライパンに火をかけっぱなしにしている!?
「手伝いなら要らねえぞ。あたしは誰の手も借りねえ。むしろお前の分も作ってやるよ」
「いや、ちょっと待とうか雫ちゃん」
「なんだよ、雫ちゃんとかいうな!雫丸と言え!」
「・・・・・・」
どこの忍だ。
「雫ちゃん・・・」
言いなおした。
「・・・だって今から稽古なんだろ?」僕の額から溢れる汗は暑さのせいだけではない。
「だったら英気を養うために料理は僕に任せて座ってようか」心臓の音が止まない。頑張れ、僕。
雫は腕を組んで考え始めた。包丁は手にしたままである。危ない。どう考えても剣道やってるヤツのやることじゃない。刀に限らず刃物は総じて危ないということを習わなかったのだろうか。
「むむっ。確かにそれは一理なくもねえな。そういうことなら仕方ねえ、あたしを納得させる料理を作れよ」
・・・・・・お前の料理よりはましになるだろうさ。
突然だが昨晩のことだ。
いつもながらに夕飯の支度をしていたつむぎ(と僕)。そんな平和な日常に悪魔は突然やってきた。
「いや~、さっぱりしたぜ~。やっぱいい汗かいた後のシャワーは最高だぜ!おっ、夕飯か?よっしゃ、あたしも手伝うぜ」
この時つむぎの表情が引きつっていたのを見逃したのは僕の一生の不覚だろう。僕はその自信満々の口ぶりにてっきり料理が上手いものだと思い込んでいた。両親共働きなので一人で作って食べることも多いだろうという考えだ。
だが、「女の子=料理ができる」という甘い考えは改められたどころか二度と僕のもとへ帰ってくることはないだろう。やつは許嫁を残し戦場に行ってしまったのだ。
まず、皮をむくという名目でじゃがいもが4つごみ箱に捨てられた。そして揚げ物用の油に火がつくところを初めて見た。マヨネーズを大量に入れると火が消えることをつむぎに教えられた。
「・・・・・・」ここまでにしておこう。これ以上は18禁だ。
「なにをしたのだっ!?そもそも君だって16歳だろう!」
さつきさんは突っ込んでくれる。さすがだ。雫の手前、反応できないのが本当に悔しい。ああもうこいつどっか行ってくれればいいのに。
冷蔵庫の中身を適当に取り出し、残り物炒飯を作る。僕がつくると例によって例のごとく薄味になってしまうが、さつきさんも雫も食事に文句を言わない人なので別にかまわないだろう。いや、さつきさんは何でもおいしく食べてくれるが、雫が文句なんていい始めたら僕の右手が瞬間的にその口をふさぐだろう。
「なかなかうめーじゃねえか。だが、あたしに任せときゃもっと美味くなってたかもしれねえぜ。何せあたしの家庭科の成績は5だからな」
「その成績をつけた教師を僕の前に連れてこい!」
小一時間説教してやる。
「でも変なんだよな。あたしっていつも同じグループで調理実習やってんだけどよ、みんなあたしには洗いものとか味見とかしかさせてくれねーんだ。あたしの料理は凄過ぎてみんなびっくりするんだとよ」
「・・・・・・」
まあ、びっくりするだろうな。ビックリしすぎて消防車が来ちゃうかもしれないくらいに。
しかし見も知らないこいつの友達を思うと涙が出てくる。
「かあさんもちゃんとあたしの夕飯作ってから仕事行くからな。忙しいときは金渡されて、『外で食べなさい。誰もいない間、どこにいてもいいけど、キッチンにだけは入ってはだめよ』っていうんだぜ?」
「青ひげっ!?」
なにっ?キッチンに死体でも吊るされてるの?
「まあ、侍は料理をしないものだから別にいいんだけどよ」
「・・・・・・」
お前は全国の侍が奉られている寺に行って土下座して来い。もしくは江戸時代にタイムスリップして日本中の侍に謝って来い。
「と、とにかく友達は大事にしろよ」
本当に。
「おうよ。つーかおまえってあたしがここにいる間ずっと家の中にいるけど友達とかいね・・・」
「言わせねーよ!」
突っ込み役としてはルール違反ながら、雫がいい終わる前に突っ込んだ。それだけじゃなく、僕の右腕が一瞬にして雫の目の前からチャーハンを奪い去った。矛先を失った雫のスプーンはテーブルにぶつかり、硬い音を立てた。
この女。今僕にとっての最大のタブーを言おうとしたな!
「あのな、僕にだって友達の一人や二人・・・」
「・・・いるんだぞ」と続けようとしたが、言えなかった。本当に2人しかいないということも言えないままだ。なぜなら、スプーンを構えたまま、雫の肩が震えていたからだ。
「なんだ、と・・・・・・。なんだ今の手の動き・・・。このあたしが全く反応できなかった、だと・・・・・・」
某漫画の死神代行の主人公のように雫が言った。どうやら僕のチャーハンを奪う手が速すぎてショックを受けたらしい。ちなみに今の動きは奇跡でも何でもない。ただの訓練の成果だ。なんの訓練と言われればそりゃ決まってる。目覚ましを止める動きだ。
ちなみに今現在僕の部屋にはさつきさんが1ヵ月半前に壊した目覚ましと同じものが置いてあり、僕の修業はまだ続いている。朝起きたらさつきさんがベッドで寝ているなんてことはざらなので下手に気を抜くこともできない。
「ふ、ふうん。なかなかやるじゃねえか。さすがはあたしの従兄だぜ」
「おほめにあずかり光栄の至りだね」
ところでなんでさりげに自分褒め?
「よっしゃ、昼飯作ってもらっちまったし、恩返ししねえとな。あたしは恩は返す男だ」
雫は胸を張った。
いや、お前は女だろ、という教科書通りの突っ込みはしない。普通すぎるとさつきさんに怒られてしまうのだ。
「いや、お前は女ではないのかっ!?」とさつきさん。
「・・・・・・」
おお、さすがさつきさん。一体誰がそんな高度な突っ込みが思いつくだろうか。
「まあ、そんなんでいちいち恩を感じられても挨拶に困るんだけど、それはいいとして、何?なんかくれるの?」
「浅ましいなぁ、おい。その言葉にお前の人間性がにじみ出てるぜ」
「うるせえ!ほっとけ!」
かなりほっとけ。そしてなんでそんな高みから僕を見降ろすんだ。僕に恩を受けたんじゃないのか?
「大体なんかあげたらそれは恩返しじゃなくてただの見返りじゃねえか。あたしをなめてんのか?ふざけんなっ」
「怒られたっ!!」
勝手にキレやがった。沸点が低すぎる。こいつはアルコール消毒液か。
「あたしはそんな器の小せえ男じゃねえんだよ」
「いやだから女・・・」というさつきさんはもうスルー。
「じゃあ何してくれるんだ?」
いちいち回りくどい・・・。筋肉で考えてるようなこの女のことだ、こんな大口叩きつつまだ何も考えていないっていうこともあり得る。
「聞いて驚け。普通に生きていたら絶対に味わえないような貴重な体験だ」
雫は笑う。その底抜けに明るい笑顔は武士の用ではなく、名前に反して太陽のようだった。
「―――お前をうちの道場に招待してやるよ」