春日井さんの、ばか! 3
夕飯の準備をする頃には雨はすっかりあがり、それと同時に春日井さんも元気になっていた。永川さんたちにも笑顔を見せていたし、及川と話している所も見かけた。
ただし、僕とは目を合わせてくれないし、話すこともなかった。僕もなんとなく話せないまま、淡々と(淡々としていたのは僕だけだ。ほかのみんなは担任の先生が元スケバンだった、という話で大いに盛り上がっていた)パスタをゆでていた。
もちろん春日井さんと話すのを諦めたわけではない。秘策はすでに用意した。後はタイミングを計っていただけだ。
とか言うと言い訳臭さも甚だしいが、何をするかはもう決めていた。
夕食後、春日井さんがトイレに立ったのを見計らって気付かれないようについていった。
いや、のぞきとかそういうのじゃない。春日井さんからすればトイレから出たら僕がいたという笑えない状況だったけど。
確かに春日井さんは笑わなかった。笑わず、僕から眼をそむけた。
「春日井さん」
僕が名前を呼ぶと、春日井さんは目をそらしたまま足を止めた。
僕は手に持っていた蝋燭を示した。決してM的な何かではないことをここで注釈しておく。
「やりなおそう、肝試し」
これが僕の用意した秘策。
僕等の関係がおかしくなったのはあの肝試しが原因だ。肝は全く冷えなかったけど、僕らの仲は冷えてしまった。もしかしたら肝試しを怖がらない僕らに幽霊さんが罰を与えたのかもしれない。
もちろん同じことを繰り返せば時間が戻るんじゃないか、みたいな漫画脳でこんな提案をしたわけじゃない。そんな希望に縋るわけじゃなく、僕の力で仲直りするつもりだ。
しかし僕はここで計画の破たんに気付いた。
それはすなわち、春日井さんが首を横に振る可能性だ。
僕の目を見てくれない程僕を避けている春日井さんだ。むしろ拒否される可能性の方が高い。やばい、じゃあどうしよう。首を横に振るのが肯定、っていう国の人のふりをしようか。仮にその国の名前をブルンブルンオッケー国としよう。しかしそんな主張をしたところで、「じゃあそれどこの国?」っていう話になるに違いない。つまり、僕は行ったこともない国の人間にならなければならない。そのためには両親のどちらかがその国の国籍を持たなければならないわけで、必然的に僕の一家は全員ブルンブルンオッケー人なわけで、じゃあ今まで頷いてきた僕はなんだ、全てを否定してきたのに却下されたというとても悲しい人生を歩んできたのか、みたいな話になってああもうどうしよ・・・。
しかし春日井さんは頷いた。まさか春日井さんがブルンブルン・・・えっと、なんだっけ?とにかくよくわからない国の人のわけがないから、肯定と受け取ってもいいんだろう。
それ以降もこれといった会話はなく、僕たちは蝋燭ではなく懐中電灯を持って別荘を出た。蝋燭を置いてきた理由は簡単で、懐中電灯の方が便利だからだ。
神社の名前が彫られた石が雲の切れ間から覗く月光によってすぐに見つかる。どうしてこんなに分かりやすいのに僕らは間違えたのだろうか。それだけ僕が春日井さんを頼り切っていたということだろうか。
土の道はすぐに段差へと変わり、ついには手すりのついた石造りの階段になった。別荘からほんの10分間の行程。もちろん幽霊は出ない。
境内に出て、とりあえず手を合わせる。そう言えばお賽銭を忘れていた。出すもの出さずに肝試しをしているなんて神様からすれば業腹かもしれない。それじゃあやっぱりこれは罰かもしれない。
いや、違うな。人のせいにするのはやめよう。原因は僕らにあって、僕らにしかないのだ。
「春日井さん」
春日井さんは手を合わせることもなく、僕の後ろでつくねんと立っていた。もしかしたら「私は死んでも神には祈らない」とかゾロっぽいことを指標に掲げているのかもしれない。
「僕は謝らないよ。確かに春日井さんに頼ってた部分もあったけど、道を間違えたのは僕じゃない」
「・・・・・・」
「けど、ごめん。僕は絶対にあんなことを言うべきじゃなかった。人の間違えを指摘して、得意げになって、責めるなんてことしちゃって、ほんとにごめん」
なぜあんな感情的になってしまったのかと昨夜は考えていたものだが、そんなの悩むべきことじゃない。喧嘩の理由なんてはるか昔から決まっている。
―――かっとなってやった。
―――今は反省している。
―――後悔も・・・している。
責めるようなことはするべきではなかった。だけど、もう一度同じ場面になったとしても、僕は同じことを繰り返すだろう。後悔から学べないのではなく、「そうです。僕が悪いんです」なんて冤罪を自ら被るなんて真似は御免だ。
だから僕はこう言うだろう。
それでも、僕はやってない。
「でも、1つだけ言うよ」
僕はその一言を言うために春日井さんをここに連れだしたのだ。別荘では絶対に言えなかった言葉だ。
「春日井さんの、ばか!」部屋の中での突っ込みよりも大きな声を上げて僕は叫んだ。
まるで拗ねた子供のような物言いだが、実際僕のやったことは気まぐれな子供のようなものだろう。いつもは何を言われても突っ込んでいるだけなのにふいに怒りだしたのだ。
春日井さんが動揺するのも当然だろう。昼には溺れさせかけても許した人間が夜には少し責めただけでキレたのだ。
だけど、僕は子供だ。そりゃあ大人にはならなくちゃいけないけど、今はまぎれもない子供だ。だから少しくらい我がままでもいいだろう?
すっきりした。たった一言を言うのに随分時間がかかったものだ。
「・・・・・・」
春日井さんは驚く、というよりも面を食らった顔をしていたが、それもほんの数秒のことで、すぐにいつもの無表情になった。さっきまでのいたたまれない表情ではなく、いつもの顔だ。
「・・・・・・私が馬鹿なら、漆根君は何?」
と、僕は一日ぶりに春日井さんの声を聞いたのだった。
答えに窮する僕を前に、春日井さんは息を吐いた。
「でも、確かに私の方が馬鹿だったかもしれないわね。漆根君を下に見ているつもりがいつの間にか漆根君の優しさに甘えていたのかも」
春日井さんはぼそりとそう言った。しかしこの静かな場所ではその呟きもよく聞こえる。虫の音など何の障害にもならない。僕らの間には何もないのだ。
「僕が春日井さんの下っていうのは認めるよ。それは紛れもない事実だ。けど今回春日井さんが道を間違えたのも事実でしょ」
「・・・・・・そうね。ええ、認めます。私は道を間違えた挙句人のせいにしようとしたダメ人間です」
「いや、そこまで言ってないから!」
「で、何?脱げばいいの?」
「僕をどんな人間だと思ってるんだっ!!」
その場にうずくまり、頭を抱えた僕だった。だってすごいもの、この人。僕を見下ろす目が生物を見るそれじゃないもん。
「こんな夜に人気のない神社に呼び出されてただで帰れるなんて思わないことね」
「それってどう考えても男側の台詞だよね!?」
でも確かになるほど。この場に有識者が現れたら確実に僕に嫌疑がかかるだろう。
「さあ、早く脱ぎなさいよ」
「何言っちゃってんの!?」
僕は春日井さんから一歩離れた。やばい。僕の貞操のピンチかもしれない・・・わけないか。
春日井さんは「ふふ」と笑った。
「・・・・・・よかった」
その笑顔を見て、僕はそう息をついたのだった。
「脱がされるのが?」
「違う!!・・・そうじゃなくて、春日井さんの笑顔が見れてよかったって言ってるんだよ」
春日井さんははっとして、むこうを向いた。だからどんな表情をしているのか僕にはわからない。
「ねえ、春日井さん。僕は春日井さんとこんな風におしゃべりしたり、旅行したりするのが楽しいよ。君と友達で本当によかったと思ってる。今日みたいにぎすぎすしたままは嫌だ」
なんだか言ってて赤面するような台詞だった。春日井さんがむこうを向いててくれて本当に良かった。
とか考えていたら、いつの間にか春日井さんが石階段を下り始めていた。
「わっ、ちょっと待ってよ春日井さん!」僕は慌てて後を追う。
なんでだ?確かに臭いセリフではあったけど、怒らせるようなことはしていないはずだ。
春日井さんは足こそ止めることはなかったものの、ペースを変えることはなかったので、すぐに追いついた。
「なんで漆根君はいつもそうなのかしら」
こちらを向かないまま春日井さんは答えた。上りの時はともかく、下りは怖いので階段に備え付けられている手すりがなければ下りられず、同様に手すりに触れている春日井さんの後ろをついていくしかない僕には彼女の表情を確認することはできなかった。
どういう意味だろうか。なにが「そう」なのか僕には皆目見当がつかない。聞くべきか聞くまいか、なんか嫌な予感がするなぁどうしようかなと思っていたら、春日井さんが続けた。
「普通はそんなこと言えないわよ」
僕は首をかしげながら言う。
「まあ、僕が普通じゃないのは今に始まったことじゃないけどさ」
本当に。いつからこんなふうになっちゃったかと言えば間違いなく2年前なんだけどさ。
「漆根君」
春日井さんは足を止め、ようやくこちらを見た。その笑顔は眩しくて、同じ月夜なのに昨日とは全然違って、心が躍る気分になった。
「ありがとう」
と、春日井さんは謝罪ではなく感謝の言葉を口にした。