春日井さんの、ばか! 2
昼前になってようやく及川は起き出し、昼食のチャーハンをまともな会話もないままみんなで作った。まともな食材でちゃんとした味付けのはずのチャーハンは多分今まで口に入れたどんなものよりもおいしくなかった。空腹のあまり石鹸を口に入れたことのある僕がそう感じた。あの軟らかな触感と香りで一瞬おいしいのではないかと錯覚させるがなんとも言えない苦みとともに痺れるような食感を与える石鹸よりもおいしくないと思ったのだ。
はっきり言って朝から何も進展はない。春日井さんは相変わらず目をそらすし、永川さんは睨みつけるし、志井さんはこちらを見ないし、日比野さんですらもう僕に話しかけてはくれない。
僕は小盛のチャーハンを勢い良く食べると、逃げるように自分の部屋に戻り、ベッドの上にあおむけになった。
―――停滞している。
何も変化していない。何も進んでいない。
それは僕と春日井さんの仲だけではない。この別荘の中にいる6人全員がそうだ。誰かが動き出さない限りこのまま進むことはない。
音も立てずにゆっくりと部屋のドアが開いた。その慎重な開け方に女性陣の誰かが入って来たのかと身体を起こしたが、入って来たのは及川だったので再びベッドに倒れ込んだ。
「何してんだ、お前」
及川は窓に近づき、ガラスに指をあてた。ぱたぱたと打ちつける雨粒以外には何も見えないだろう。
「何って言われれば、なんにもだよ」
僕は止まったままだ。何もしないまま足踏みをしている。いや、足を動かすことすらしていない。どの方向に踏み出せばいいのか考えあぐね、うつむいているだけだ。
「俺はてっきり朝起きたら元に戻ってると思ってたんだけどな」
「本当に春日井さんは何を考えてるんだろうね」僕は身体を起こし、ベッドの下に足を投げ出した。
それは日比野さんにもわからないという。ならば僕に分かるはずもない。
「春日井じゃねえ、お前だよ。お前がどうにかしてると思って俺は惰眠をむさぼってたのによ」及川は振り返って僕を見た。僕を責めるような目つきだ。
僕は思わず目をそらし、壁にかかっている写真を見た。今の季節にそぐわない雪山の写真だ。しかし今の僕の心境を表している一枚といえるだろう。
「過大評価だよ、それは。僕に何かが出来るわけないだろ」
そう、何も出来ない。何も出来なかったし何も出来ないのだ。
「そんなん誰が決めたんだ。おめえは何もやってねえだろうが」及川は声を荒げる。
「ああもう、なんだよ。説教臭いな!なにかってなんだよ。雑な期待してんじゃねえよ!」
立ちあがって声を張り上げた。身体が熱い。僕は意味もなく拳を握りしめた。
「僕だってどうにかしたいと思ってるよ!このままなんて絶対いやだ!だけどどうすればいいかわからないんだよ!」
これが八つ当たりだってのはわかっている。及川に言ったって何の意味もないのはわかっている。
目は逸らさない。僕たちはお互いを睨み続ける。首が痛い。喉が痛い。乾いた目が熱くなった。
しばらくして及川は息を吐き、目線を壁にかかっている写真に向けた。
「・・・それを言う相手は俺じゃねえだろ」及川はスキンヘッドをさする。ベッドに横になり、休日のテレビを見ている父さんみたいな姿勢を取った。
「人生の先輩としてアドバイスをしてやる」
いや、先輩じゃないだろう。見た目的には僕の倍くらい年を取ってそうだが、同い年のはずである。いや、僕が騙されているのかもしれないけど。
まあとりあえずはまじめそうな話である。聞いておいてやろう。
「お前がどんだけ頭をひねって考えようが、そんなの他人には伝わらねえよ」
とか、及川は当たり前のことを当たり前に言った。
「そうだね・・・・・・」
けれど、僕はそんな当たり前のことさえ忘れていたのかもしれない。
人のためを思ってこんだけ頑張ってるのに誰も認めてくれない、とか。
ずっと好きだったのにどうしてあいつと付き合っちゃうんだよ、とか。
そんな思いは伝わらない。悲しいけれど僕たちはテレパシーを持たない人間だ。人の気持ちなんてわからない。
だけど、僕たちは自分の気持ちを言葉にすることが出来る。言葉を介して人の思いを知ることが出来る。
なんていうと、凄い高尚なことのようだけど、ようするに気持ちは言葉にしろということだ。
「そうやって『好きだ好きだ』と言い続けたお前の現状はこれだけどな」
「そうだな!」
そうだよ。その通りだよ。言葉にした結果は無残なものだったよ。
「だけどよ、心の中で何百人にも向かって『好きだ好きだ』と思い続けるよりはマシだわな。そんなやつ気持ちわりいだろ」
及川はかかか、と笑った。つられて僕もかかか、と笑う。なんだかアシュラマンみたいな気分になった。腕の数が足りないのでアシュラバスターはできそうにないけど。
「それじゃあどうする。もしかしたらまた無残なものになるかもな」
「それでもいいさ」
僕は言う。確か同じようなセリフを昨夜も言った気がするけど、あれは昨日の僕だ。今日の僕とは違う。
2年間のことで後悔はしていない。彼女たちにとっては迷惑極まりない話だけど、あれも本気の言葉で、本気の僕だった。ちゃんと本気でぶつかって、無残な結果に散った。何も言わなければただ残念だっただけだろう。残る気持ちがもやもやと広がるだけだ。
散るも花なら咲くも花、なんてかっこいい話じゃない。散ろうが咲こうが僕は僕だ。気持ちを押し殺したままで、もやもやしたままではいたくない。