どんな踏まれ方が好き? 4
2階テラス。僕と及川はそこに備え付けられていたプラスティック製の椅子に腰かけ、夜空を眺めていた。あえて言っておくが、男2人である。絵にならないことこの上ない。
僕たちの間にはこれまたプラスティック製のテーブルがあり、そこにはさっき及川が買ってきたお菓子が広げられていた。そして及川の右手には缶ビールがある。
いや、ビールじゃない。昨今では未成年者がビールを飲むことはない。噂では明らかに見た目が小学生の女の子でも18歳以上だと言い張るゲームも横行しているらしい。そんな時代だ。だからあれは泡立ち麦茶だ。あるいはノンアルコールビールだ。あのラベルの「5%」というのはきっと生産者のやる気の値だろう。とんだ手抜き仕事もあったものだ。
「ああ、うめえ!やっぱ一日の終わりはビールだよな」
聞こえない聞こえない。
僕はビニール袋の中からペットボトルの麦茶を取り出し、蓋をあけて口に含んだ。ほんとはあったかい緑茶がよかったんだけど、相変わらず気が利かないやつだ。
「相変わらずじじいだな、お前は」
とはいえ少しだけ落ち着いた。さっきまで海まで全力で走って行って叫びたい衝動にかられたかったが、それはせずに済みそうだ。今日はもう海に触れたくない。
潮風が鼻腔をくすぐり、波の音がまた僕を落ち着かせてくれる。ほんとこれで水じゃなければ海を心の友と呼べるのだがあいつは僕をおぼれさせるからな。ていうか水じゃなかったら波の音が無いっていうか色々意味がわからないのでこの話はやめよう。
空を見上げるが、月が明るすぎて星はほとんど見えない。端の方に見える明るい星は金星だろうか?それ以外は皆無と言っていい。
まるで僕みたいだなと及川に聞こえないように呟いた。
「いや、金星に謝れ」
聞こえていたらしい。確かにそもそも自分を星に例えること自体がおこがましいことだ。僕は黙ってもう一度麦茶を口に含んだ。
「お前よ、最近変わったよな」空き缶を握りつぶし、次の缶を取り出しながら及川が突然言い出した。
「何を突然言い出すんだよ。そもそも僕が変わってなかったときなんか一時たりともないだろ」
「まあ、お前は変わったやつだよな」
「そう言う意味だったの!?」
てっきり変化したっていう意味だと思ってたのに!
「いや、そういう意味だ。最近めっきり告白することもなくなったしな」
「・・・・・・まあね」
それはその必要がなくなったからだ。僕にはさつきさんがいる。それだけで十分だ。十分なはずなんだ。
それなのに僕はこんなにも悩んでる。
「てっきり彼女でもできたのかと思ったんだが、そうでもなさそうだ」
「ほっとけ!」
「奇行は目立つしな」
「・・・・・・」
僕はこいつにそんな風に思われていたのか・・・。確かに否定はできない。全てを独り言で済ますのは無理があるのだ。
確かに変わった。さつきさんが現れて、僕の人生は激変した。千変万化とは僕のための言葉だ。
授業中突然椅子から転げ落ちたり突然喋り出したり突っ込みやら人妻萌えやらその他諸々に目覚めた数ヶ月間だった。
「人間としては接しづらくなったな」
「・・・・・・」
おい!
「そんでも俺は悪くない方向に変わったと思ったわけだ。俺と姉ちゃんと家族以外とのコミュニケーションが取れないお前がなんとか3歳児並みのコミュニケーション能力を獲得したんだからな」
「僕はそのレベルの人間だったのか!?」
・・・・・・泣いていい?
「実際口を開けば告白だったじゃねえか」
「・・・・・・」
事実だ。
「この問題を・・・・・・じゃあ漆根」に「好きです、付き合って下さい」と返したこともある。あの先生はそれ以降僕を指名することはなかったなあ。
「そ、そうかな・・・。ぼ、僕はノーマルだと思ってたよ。ポケモンでいえばレベル2のコラッタさ」
自分の目が泳いでいるのがわかる。泳げない僕でも目だけは泳げるようだ。
いらねぇ、その機能。
「危ないノーマルだろ?」
「アブノーマルじゃないかっ!」
アブノーマルだった。僕がノーマルな世界なんて考えたくもない・・・とか僕は自分で何を言ってるんだろう。
「僕にだっていろいろあったんだよ」
本当にいろいろ。百花繚乱と言っていいだろう。そしてそれは今でもそうだ。停滞していた2年間が動き出して、僕も僕の周りもとめどなく変化し続けている。いや、それが当り前なのだ。変わらないものなんてない。それでも変わらなかった僕はその変化にめまいを起こしてしまっている。
今日だってそうだ。確かに何かが変化してあんなことになってしまったのに、僕には何が変わってしまったのかがわからない。
「要するに春日井と喧嘩したんだろ?」
そういうことになるんだろうか?いや、でもどうだろう。喧嘩というのはお互いが本気にならないと成立しないものだ。例えば親と3歳の子供の言い合いを見て喧嘩という人はいないだろう。だから僕と春日井さんとでは喧嘩が成立しないのではないだろうか。
「じゃあお前は春日井と本気で喋っちゃいねえのか?適当に話を合わせてるだけなのか?」及川は睨むように僕を見て、缶の中身を一気に飲み干した。
「そんなことは、ないよ」僕は絞り出すように声を出す。
そんなことはない。春日井さんは友達で―――及川に次ぐ2人目の友達で、大切な人だ。どうでもいいなんて思うはずがないし、本気どころかいつも必死で会話していると言ってもいい。
・・・必死に会話って何だろう。返答を間違えたら即死、みたいなニュアンスだな。
あながち間違いじゃないけど。
「だろ?それでも喧嘩じゃないっていう根拠はなんだ?」
「だから、僕がどれだけ必死になっても春日井さんの方は・・・」
「本気だったからあいつはあんなに落ち込んでるんじゃねえのか?」
「・・・・・・」
途中までずっといつも通りの軽口だった。なんでもない平時平素の会話だった。
だけど、あの時の僕は本気だった。遊びのキャッチボールに剛速球を返したようなもんだ。だから春日井さんが戸惑うのも無理はないと思っていた。けれど及川は戸惑いではないという。
あれは―――月光に照らされたあの表情は落ち込んでいる顔だったのだと。
「もしかしたら言い過ぎたと思って反省しているのかもな。よくわかんねえけどよ」及川はテーブルの上のお菓子を口に放り込んだ。
なんかすごいどうでもよさそうに見える。実際どうでもいいのかもしれない。及川にとっては他人事であって、他人事以外の何物でもない。
「反省、ね・・・・・・」
なんだか春日井さんに似合わない言葉だな。なんか全てを計算の上で生きているようなイメージがある。石橋を叩いて渡るどころか他人が作った石橋なんか渡れないわ、とか言って自分で橋をかけて渡りそうだ。ものすごい勝手なイメージだけど。
「それじゃあ僕がどうすればいいのかな」
確かに僕にも非はある。しかし僕が全部悪いわけではない。もちろん春日井さんにも非はあったが僕は彼女を責めるつもりはない。
「じゃあ何もしなければいいんじゃねえのか。今のまま。それでいいじゃねえか」
及川はスーパーの袋を漁ったが、目的のものはなかったらしく、僕のお茶を奪って飲み干した。
「そんなのはいやだ」
今のまま?
ありえない。
こんな状態が続くぐらいならいっそ前みたいに嫌われていた方がましだ。
「じゃあどうすんだ?」
及川はペットボトルをぞうきん絞りの要領で潰し、僕を見た。
「仲直りするさ。春日井さんがどういうふうに考えているかは知らない。別に関係ない。ただ僕が嫌なんだ。だから春日井さんには悪いけど僕に付き合ってもらうよ」
僕は宣言する。宣言する相手が違う気はするけれど、及川は眉間のしわを消して笑った。相変わらず漁師のおっさんみたいな豪快な笑い方だ。
「ようやくらしくなってきたじゃねえか」
及川は立ち上がって家の中に入っていった。
「ま、せいぜいがんばれよ」
そう言って消えていく及川に僕は返事をしなかった。
及川がいなくなって夜の静かな空気が辺りを漂い始めた。少し肌寒く感じて腕をさすった。肝試しに行く前にかけた虫よけスプレーの効果はまだ有効なようで蚊に刺されてはいない。
僕は椅子に座ったまま空を見上げ、テーブルの上に視線を落としてため息をついた。そして及川の「がんばれよ」の意味を悟った。
つまり僕1人でこの片付けをしろということらしい。
僕はもう一度大きなため息をついた。
お菓子はもう残っていない。僕には中年太りをする権利すらないようだ。