草っ!? 1
以上、回想終わり。特にこの状況の役に立つわけでもないし、心が癒されるかというとむしろ荒む思い出だしでなぜ僕はそんな事を思い出してしまったのかと後悔も甚だしかったが、いい時間つぶしにはなったらしく、窓の外から車のエンジン音が聞こえてきた。及川たちが帰って来たらしい。
「・・・いい?私たちの行動によって夕飯はみんなで作るものなのだという状況にするのよ。そしてキッチンが混雑しているという理由であの少しだけ足の高いテーブルの上にまな板を置かせ、漆根君に玉ねぎを切らせるのよ。漆根君が涙を流しながら慌てふためくけどもみんな忙しいから自分だけ持ち場を離れて目を洗う事なんて到底できず悶えながら玉ねぎを切り続ける無様な姿が目に浮かぶわ」
一階に下りると女性4人の何やら不穏な会議が催されていた。シャワー後で見事な黒髪がきらめく妙齢の女性が4人という華やかな光景のはずなのに僕の目には緑色の煙を上げる大きな釜を前に悪事を考える魔女の会議に見えた。
ちなみに及川はというとスーパーのレジ袋を両手にもち、脇に米を抱えて冷蔵庫へと向かって行った。及川のくせにまるで執事の様じゃないか。しかしスキンヘッドだからどう見てもなんかのコントにしか見えないのはどういうことだろうか。
「漆根、暇ならこれを全部冷蔵庫に入れとけ」
「へいへい」
どうやら2日分買ってあるらしく、中の食材だけ見ても今夜のレシピが判然としなかった。冷蔵庫の中はというと消臭剤以外何も入っていない。僕が4人入れるくらいの広さはあるだろうか。まあ、冷蔵の方ならともかく冷凍の方に入った僕は大変なことになるわけなんだけど。あそこって中からは開けられないからな。体を大きく揺らす、という戦法はあるにはあるが、狭くて膝を抱えている姿勢では体を揺らす事もままならないし、そもそも慣性が邪魔をする。
ああ、一体僕はどうすればいいんだ!
「・・・・・・どうもしなければいいのか」
簡単だった。冷蔵庫なんて入らなければいいのだ。
「及川、なんでこんなスナック菓子と清涼飲料水が多いんだ?」
4つのレジ袋のうち1つはお菓子とジュースだった。今日は何かのパーティでもあるのだろうか?
「あって困るもんでもねえだろ?」
「まあ、そうだけどさ」
僕はほとんど食べないからなあ。いや、頻繁に買い込んじゃいるんだけど全部さつきさんの分だし。ちょっとくださいと言うと我が子を八岐大蛇から隠す母親のような表情を浮かべるし。
「ぼくは温かい緑茶と・・・あとそうだなぁ。練り切りはある?葛餅もいいかもしれない」
「じじいかっ!」どん!と及川が僕の背中を叩いた。
「ごほっ、ごほっ!」
及川にすれば軽いスキンシップの突っ込みの範疇なのかもしれないが、知っての通り僕は超超軟弱かつ貧弱体質だ。広背筋というものがないに等しい。衝撃は全て肋骨を木々のざわめきのごとく揺らし、肺にゴム弾が叩きつけられたような痛みが走った。
「ヒュー、ヒュー」
なんだこの呼吸音っ!?僕の身体が壊れちゃった!
「悪かったな、お前は精密機器だった・・・」
及川が僕の軟弱さに驚き、若干ひいていた。被害者の僕としては軟弱アピールは割と日常的に起こっていると思うのだが、加害者側からみればそうでもないのかもしれない。
「でも電化製品とか叩けば割と直るよな。お前も叩けば治るのか?」
「壊れてねえよっ!」
声を上げると肺を引き伸ばされているみたいな痛みが走る。かなりの大ダメージだ。FF4のトルネドを食らった気分・・・。
「いや、壊れてんだろ!」
「怒られたっ!」
お前がドスを利かせた声を張り上げたからみんながびっくりしてこっちを見てるじゃないか。
「今夜お前には吐くまで菓子を食わせてやるからな。そして太れ。中年太りしろ」
及川はそれだけ吐き捨てるとお菓子でいっぱいのレジ袋を持って2階へ上がって行った。とんだ親切心の押し売りだった。
しばらくして下りてきた及川の号令で夕飯作りがスタートする。
「ふう。私たちは漆根君と違って泳いでたからお腹がすいたのよね。漆根君は良いなぁ」
「差別だ!これは差別だ!」
泳げないってだけでこの疎外感。
さて、夕飯はオムライスだ。別荘といっても専属の執事やメイドがいるわけではないので僕たちで分担して調理する。親父さんはというと買い物から帰るなり、また書斎にこもってしまった。そうとう忙しいらしい。それなのにこんなところに連れてきたいただいて申し訳ない限りだ。多分及川のお願いなんて初めてのことだから断れなかったんだろう。
具材は玉ねぎ、ピーマン、ニンジン、豚肉。とにかくご飯がなければ“オムライス”ではなく“オム”になってしまうのでご飯を炊く。7人いるのでとりあえず5合。炊飯器で一度に炊ける量の限界だ。
どうせ僕が切るに決まっているので先ほど冷蔵庫に入れた玉ねぎを3個取り出した。
「殊勝な心がけね、漆根君。ここは素直に「よくできました」と言っておくわ」
「僕は君から見てどれだけ精神年齢低いんでしょうねぇ?」
小学1年生レベルかよ・・・。まあ、そんなもんかもしれないけど。
掌でこするようにしてスタート地点をつくり、爪で傷つけないようにしながら指で丁寧に皮を剥いていく。流しにボウルを用意して冷凍庫から取り出した氷を入れ、水を入れる。玉ねぎのヘタと根の部分を切り落とし、それぞれ4等分にして氷水の中につけた。
「えっと・・・。漆根君は何をしているのかしら?」ピーマンを1つずつ手の中に収めながら春日井さんがこっちに来た。
「ああ、皆さんご存じのとおり玉ねぎって冷水にさらすとあの涙が出る原因物質のアリルプロピオンが水に溶けるじゃん」
「存じ上げないわよ、そんなこと」春日井さんはあっけにとられたようにそう言った。
ふむ、つむぎの料理を手伝っているうちに主婦の知恵がうつってしまったか。つむぎは主婦じゃないけど。もしかしたらこれで春日井さんの評価が小1から小3くらいにはなったかもしれない。
「ちょっと待ったあぁ!」
春日井さんの背後で上げられた声に僕も春日井さんもびくりと肩を震わせた。この場にいるメンバーの中で僕の突っ込み以外に大声を上げる人は永川さんしかいないので、永川さんだろう。
・・・・・・と思ったら志井さんだった。志井さんそんな声出せたんだ・・・。
「冷水につけてアリルプロピオンを除去すると風味が落ちちゃうし栄養成分もなくなっちゃうでしょ!さらにほかにも電子レンジで加熱することによってもアリルプロピオンを除去して切るときの涙を防ぐこともできるけどそれでも同じような結果になっちゃう。この栄養成分には血液サラサラ効果や中性脂肪、悪玉コレステロールの値を下げる効果も期待できるんだから!ベストなのは冷水につけたりせず、そのまま切ってさらに20分~30分間放置。そうすると加熱しても栄養成分が失われないから!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
志井さんははあ、はあ、と息を荒立てるとはっとしてどこかへ走り去っていってしまった。
なんだあの人・・・。主婦の知恵というかむしろ健康マニアみたいな感じだったけど。
「でかしたわ、莉子」春日井さんは志井さんの消えていった方を見ながらぼそりと言った。
そして僕の方に視線を移す。顔はいつもと同じく無表情のままだが、目は笑っていた。大爆笑していた。顔は笑って目は笑わない、というのはよく聞く表現だが逆もあるとは。
「さあ、というわけだから漆根君。今すぐその氷水から玉ねぎたちを救出なさい」
なんだかやけに色っぽく、春日井さんは言い放った。