一方的にどついてくる 1
翌朝、いつもと同じ時間に起きてトーストを食べていたら、雫が案の定、階段を下りてきた。ゆっくりと、わかりやすく辛そうに歩いている。
「どこ行くんだよ、雫。今日は僕と一日中オセロやって遊ぶ約束だろ?」
リビングに入らず、そのまま玄関に向かっていた雫は足を止めて僕を睨んだ。僕は立ち上がって雫と玄関の間に立ち、雫を見据えた。
「誰がお前なんかとそんなインドアな遊びするか」
「違う。インドアじゃないぞ。なんてったって外でやるんだ!」
「どれだけ無意味な汗だっ!?」
ちなみにさつきさんは階段の一番下の段に座っている。どうやら観戦をする気らしい。
「うるさいな、どけ。邪魔だ」
睨むその目は三白眼と形容していいほどに鋭い。温和な僕と遺伝上の共通点が見つからないんですけど・・・。
「で、そんな足でどこ行くんだよ?」
「決まってんだろ、稽古だよ。今日は休みじゃねえからな」
「休みだよ。稽古はこれから一週間の休みだ。そんな足じゃどうせたいした練習できないだろ?」
怖いけど、それでも僕は目をそらさない。ここを見逃すわけにはいかない。
「足がだめでも両腕がある。それにまだ左足だって残ってる。だからあたしは戦える」
「なんだよ『まだ』って。どうなるまで頑張るつもりだよ、お前は。いいじゃんか、たかが一週間だろ?」
「たかが一週間だと?それだけ時間があればあたしはもっと強くなれる。それだけ休めば弱くなる」
「別にいいだろ。今でも十分強いんだからさ」
なんせ年上の男と模擬試合をやるほどだ。
「強さに限界なんてねえんだよ。こうしてる間にも全国のやつらは力をつけてるんだから」
「・・・・・・」
本当に、こいつはかっこいい。のらりくらりと生きてるだけの僕とは全然違う。いつでも自分を磨くことを考えている。そのためにはどんな苦行にも耐えて見せる。たとえこの足のまま稽古をしても、痛みをこらえながらやりきってしまうだろう。そうやって歩けなくなるまでがむしゃらに努力し続ける。
周りの制止も聞かず、周囲の迷惑も顧みず、取り返しのつかなくなるまで―――
2年と少し前の僕もきっとこんな風だったに違いない。比べるには何ともおこがましいけど、こんな風に周りを一切見ずにがむしゃらだったんだろう。
「昨日も言っただろうが、あたしは止まらねえ、止まるわけにはいかねえんだよ!だから、だから・・・あたしの邪魔すんな!」
雫は叫びながら僕との間合いをすり足で一瞬にして詰めた。僕視点では雫が歩数にして2歩分の距離を無駄に瞬間移動したようにしか見えなかったが。
「ぐわっ!」
頭突きだった。昨日と同じ部分をピンポイントで攻めてきた。いや、昨日よりもさらに痛烈だ。雫は本気らしい。本気で僕を倒して本気で壊れる気らしい。
「だけどっ!」
本気と言うなら僕だってそうだ。本気で雫を止めて見せる。回遊魚のように止まるわけにはいかない雫を止めて見せる。それが原因で試合で負けようが知った事か。
腕を掴もうと手を伸ばした。けどその手が手刀ではたき落とされる。竹刀じゃなくても十分な小手だった。
「なんなんだよ、お前はっ!たかが従兄妹だろ?てめえには関係ねえだろうがっ!!」
右手を手刀からこぶしの形に変え僕の胸を突いてくる。
「ぐっ」
しかしその拳は足が踏み込めない分勢いが足りない。それに、さつきさんほど痛くない。だが、雫はすり足でさらに距離を詰め、左手で追撃をしてきた。剣なしでも十分強い。これで剣を持ったら僕なんて蚊取り線香に対する蚊みたいな感じになるだろう。要するに間合いに近付けず、近づいた瞬間やられる。
「剣道はあたしの魂だ!誰にも邪魔させないし誰にも阻ませない。他人のお前が口を出すな!」
「知らないよ」
一歩後ろに下がって距離を取った。今の連撃はさすがに聞いた。さつきさんの拳は突っ込み代わりみたいなものだから連撃はないわけで、だから僕には連撃に対する耐性がない。
「僕はお前のことを知らない。他人だからな。お前が怪我しようがそれが悪化して剣道ができなくなろうが知ったことじゃないよ」
「だったら・・・!」
「だけど僕は嫌なんだよ。お前が剣道を諦めるのは。剣道をするお前が見れなくなるのは!
だってさ、こんなに打ち込めることってなかなかないじゃないか。僕にはないよ。だけどお前にはあるだろ?こんなに打ち込んで、あんなにかっこよくて・・・。だから、僕はお前を行かせない。
―――お前の為なんかじゃないんだよ。僕のために、僕はお前を通さない」
僕は自己中王だ。知ってるだろ?王様の言う事は絶対、だ。
「そんなの、そんなのお前の自己満足だろーが。あたしは知ってるぞ、お前が2年間何をしてたのか。つむぎやいろんな人に散々迷惑掛けといてさらにあたしの邪魔すんのか!?」
周りを顧みないで、自分さえ顧みないで省みないで・・・。
―――2年間だ。僕が過ごした無駄な時間。
いや、そんなことを言うべきではないのだろう。そのおかげで僕には及川がいて春日井さんがいて、そして・・・さつきさんがいる。いろんなものを失ったけど、あの2年があったから手に入れたものもある。もちろんこいつだって失ったとしてもまた何かを得るんだろう。もしかしたらそれの方がいいものなのかもしれない。そもそも本人の言うとおり気合いで治るかもしれない。
それでも僕はいやなんだ。どうしても、どうしてもだ!
「雫、僕はいつも全力で不器用で前しか見えなくて馬鹿なお前が好きだ。1つのことにがむしゃらになれるお前が好きだ」
さつきさんの代替を探し続けた2年間。だから僕は4月からこのセリフを言っていない。日課のように言い続けたセリフを言わなくなった。だけど今は違う。誰かの代わりでも気の迷いでもない。
「お前の努力を、お前の剣道をずっと見ていたいんだよ。だからこれは僕のわがままだ。お前のためなんてきれい事は言わないよ。だけど、何度でも言う。僕のために、ここは絶対に通さない」
ふいに、雫が構えをといた。両腕を下げ、体重を左足に預けるようにした。
「・・・・・・ここを通りたくば俺を倒して行けってか?」
「違うよ。僕を倒したとしてもここは絶対に通さない」
「・・・・・・」
ふいに、崩れるようにして雫が尻もちをついた。僕はようやく見上げていた目線を下げる。
「・・・変わんねえなぁ、耕ちゃんは」雫はうつむいたまま少しだけ笑ったようだ。
耕ちゃん・・・?
ああ、そういえば、僕は確かそんなふうに呼ばれていたんだった。
「そうかな?」
ぶっちゃけ変わらないとか言われても昔の自分とかほとんど覚えてないんだけどな。
「昔と全然変わんねえ。あたしよりずっと馬鹿だ」
「そうかな」
雫が右足首に手を置いた。すり足といえども痛みはあるはずだ。悪化してないといいけど。
「・・・足が痛い」
「うん?」
「足が痛い。足が痛い、足が痛い・・・」
うつむいていてわからないが、肩が震えている。どうやら泣いているらしい。
「じゃあしょうがないな。今は休めよ」
「うん、しょうがない・・・」半そでシャツの袖で目元をぬぐって顔を上げた。
僕の腕を掴んで立ち上がる。代わりに僕は転ぶことになり、いつものごとく額をぶつけて悶絶した。
「ひどい・・・」
「これでチャラな!」雫はそう叫ぶと右足をかばいながらリビングに入って行った。
僕は嘆息する。
「さあて、それじゃあ朝飯でもつくるか」
僕は硬直する。
「ちょっと待て、お前はキッチンに入るなっ!」
死ぬ、死ぬから!剣道を失ううんぬんの前に命を失うから!!
「しょうがねえなあ、さっさとしろよ」
それはまたずいぶんな頼み方ではあったが、雫らしいその言いように僕は安心するのだった。
「ふふふ、なかなか情熱的な告白だったではないか」
気付くとさつきさんが横に立っていた。今の戦闘ごちそうさまでしたとでも言わんばかりの嬉しそうな表情だった。
「茶化さないでくださいよ・・・」
「なにを言うか、割と本気で言ってるのだぞ。私の時とは趣が違ったからな。さすがだ、耕太。恋愛経験はゼロなのに告白だけは百戦錬磨だ」
「いじらないでくださいよ!」
いじめだ。
「いつか私にしたような告白も誰かにするようになるのかな?」
「え?」
「いや、なんでもないさ。さあ、私だって朝食の途中だったんだ。早くしろ」
そう言ってさつきさんもリビングに入っていく。残された僕は両手をフローリングについて体を起こそうとした。が、胸が異常に痛くてむりだった。多分雫の足首よりも僕の方が重傷だと思う。
まあいいさ。この程度の痛みで大事なものが守れるんなら安いもんだ。