なにを言っているんですかさつきさん。彼女は春日井若菜ですよ? 1
翌日、朝起きると妙に頭が重かった。耳が痛い。昨日はあれからどんな音を聞いても音源が遠くにあるような感じがした。もしかしたら僕の鼓膜は死んでしまったのかと真剣に悩んでいたんだけど、どうやら大丈夫っぽい。
「あー、あー、あー」
うん、昨日みたいにノイズ交じりで響くことはない。どうやら昨日のあれは一時的な筋肉痛みたいなものだったらしい。しかし僕は今ここで誓おう、一生涯パチンコにはいかないことを。あそこは相当うるさいらしいし
「・・・・・・起きよ」
本当は雫と一生涯付き合わなければこんなことにはならないはずなんだけど、なんだかんだいって親族だからそうもいかない。現状の中でどれだけ被害を最小限に抑えるかという事が今後の課題になる。
だらだらと起きて布団を畳んで隅の方に寄せた。今日も快晴で暑い。暑いというよりもはや熱い。それでいて冬は寒いんだからふざけんなと思うが地球にキレてもしょうがない。夜中はタイマーで止まっている扇風機をつけて風に当たりながら服を着替えた。時刻はまだ朝7時。普段から何もなくてもこの時間に起きるが今日だけは確固たる理由がある。
1階に下りてキッチンを覗くと、どこも焦げていなかった。よし、まだ大丈夫だ。
2合ほどご飯を炊き、トースターで食パンを焼く。このタイミングで雫が下りてきた。いつもの侍ポニーではなく、顔が見えない程に髪はぼさぼさだった。
「ういー、おはよーさん」
僕に輪をかけた低血圧らしい。つむぎといい勝負かもしれない。一昨日まで同じ部屋に寝泊まりしていたのだからお互いこれでは朝は大変だったのかもしれない。そりゃあ僕の一人芝居に「うるさい」とキレるわけだ。
「どこの山から下りてきた山姥だよ」
「やまんばじゃねー、さむらいだー」
「誰だお前っ!?」
っていうぐらいのテンションの低さと覇気の無さだった。漢字が1つも口にできていない。いつもこのテンションの方が僕としては助かるんだけど。
「ちょっとまてよー、かおあらってくるー」
いや、もう一生顔洗うなと言いそうになったが、思春期の女の子にそれはどうかと思うのでぐっと飲み込む。そして雫の朝支度は着替え同様一瞬だった。
「よっしゃ、今日も稽古だ。あたしは今日こそ師範を倒して見せる」
「どんだけ野心あるんだよ」
向上心ではないな。そんなレベルを越えてるな。
「下剋上だぜ。あ、これあたしの座右の銘な」
「どうせ知ったばっかの言葉なんだろ。ちょっとかっこいいから座右の銘にしてみたんだろ!?」
「ちっ、ばれたか。ちなみに昨日の座右の銘は生涯無敗な」
「毎日変わるのかよ!それじゃあ今日のモットーじゃん!!」
「えっ、違うのか?」
「馬鹿だ!」
大丈夫なのか、こんなやつを推薦で取ってしまった高校は。こいつもこいつだがどんだけノリのいい高校なんだよって話だ。その点僕の通っている高校は普通だ。ごくごく普通の進学校だ。
「いいから朝ごはん食べろよ。その間にお弁当作ってやるから」
お前の将来の夢は主夫か!っていうくらいの献身っぷりだが、これも我が家を守るためだ。
「くそっ、また借りを作っちまったぜ。何だお前は、むじんくんか?」
「借りじゃない。自衛手段だ」
「ん?」
うわあ。本気で首傾げてるよこの人。伯母さんも早く策を講じないと将来大変なことになるぞ。
「まあいいや。朝はやっぱり糖分だよな」と言いつつ、トーストにジャムをたっぷり塗る。
朝一の糖分は何よりも大事だ。こいつには炭水化物ダイエットも必要ないし。ていうか積極的に炭水化物を摂取しないと死ぬ。それくらいの運動量だろう。
「今日って朝から夕方まで練習だろ?おにぎり何個欲しい?」
「う~~ん、そうだな、10個」
「却下」
ドン引きだ。絶対15歳の女子の食事量じゃない。
「しょうがねえな、じゃあ大きめの5個で」
まあどうせ2合分しか作れないんだけど。ていうかこの2合で僕のお昼ごはんも賄うはずだったんだけど。
「えっと、武士は塩むすだっけ?」
「ばかか!ふざけるな!!」
ぶちギレられた。ていうかやめろ、本気の声量を出すな。お隣さんから苦情が来る。
「5個なら梅、鮭、おかか、昆布、梅、梅だ」
「6個あるけども・・・」
ていうか梅が好きなのか?
「えっと、じゃあ梅、梅、鮭、ゆかり、ゆかりだな」
「パーフェクトだ」
「まじか」
突っ込み待ちで言ったのに!だって鮭以外全部梅成分じゃん!
「ん?ちょっと待てよ。ゆかりってもしかして声優の田村ゆ○りさんじゃないよな?」
「なわけあるか!」
まずおにぎりの具じゃないし、そもそも2人もいない!
「具は多めで頼むぜ、侍だから」
「・・・・・・」
なんでだろう、こいつの侍アピールが適当な理由にしか聞こえない。
「雫って嫌いな食べ物あったっけ?」
「ああ?基本的にねぇけど強いて言うなら生ガキはだめだ。あんなのは侍の食べもんじゃねえ」
「・・・・・・」
やっぱり!ただのいいわけじゃん!
そんなわけで、大発見をしたところで雫は朝食を食べ終わり、僕はおにぎりを作り終わった。
「素手で触ってねえだろうな」
適当な包みに入れて手渡す時に雫は凄んだ。いや、作ってやったのにそこで凄むのはおかしいが。
「大丈夫、ちゃんとゴム手袋をして作ったから」
「ああ、じゃあいいや」
「なんでだよ!ふざけんな!」
ボケといて勝手にキレた。少々突っ込みのルール違反と言える。
僕の手がゴム手袋以下だというのか!?そこは華麗に突っ込めよ!
「ゴム手袋だろ?お前の素手よりましだ」
「皆まで言うなぁ!」
泣きそうだった。朝8時から泣きそうだった。
「んじゃ行ってくるぜ、サンキューな」
セリフだけはかっこよく、まあ見た目もかっこよく、雫は家を後にした。途端に静かになる。
「よし!・・・宿題でもやるか」一発自分に気合を入れ、階段を一段飛ばしで上る。
さあ、楽しい楽しい宿題の時間だ!
やった!!