私は刈谷さつきではない 5
4時間に及ぶ稽古の後、雫は防具を取り、僕の方へやってきた。開口一番、
「なんで座布団二枚重ねにしてんだ?」
そう、ちょっとした片付けとは座布団を元の場所に戻すことではない、重ねることだったのだ。
「そりゃきまってるだろ。面白いこと言ったからだよ」
「たとえば?」
例えば!?ちょっと待って・・・。
「30歳目前のニートの男がおりまして、この男、働く気も結婚する気もとんとなかった。普段は何も言わぬ母親もついに煮を切らせて男にこう言いました。『あんた、いつになったら働くするの』すると男はこう言いました。『何を言ってるんだよ。ちゃんとアニメのマミたんのために市場にお金を回す仕事をしているよ』」
「よし、帰ろう」
「せめて反応を!」
「ああ?面白さ0点オリジナリティ0点語り部1点。合計1点」
「そんなに!?」
でもまあ僕の語りで1点もらえたぜ!
「これは名前が書けたからな」
「そんな小学校低学年レベル!?」
しかしまあ、自分でもひどいレベルだとは思ってる。会話の途中だったら面白いこと言えるんだけどな。ここが僕の限界か。
「着替えてくるからちょっと待ってろ」
「はいはい」
僕は立ち上がる。途中から人目を気にせず胡坐をかいたり膝を立てたりと座り方を変えていたので足がしびれることもない。そういえばつむぎは正座が苦手だったな、とかどうでもいいことを考えてみる。
「つむぎが帰ってくるのが明後日の夕方だから、あと2日間雫の面倒みるのか・・・」
ていうかあと6食。気が重い。そのどれかで冗談抜きに僕の家が爆発するかもしれない。
外を見ると、まだ明るかった。冬になればこの時間帯には真っ暗だ。それでも雫は変わらずここに通い詰めるんだろう。何かがあって挫折することになるまで。あるいは挫折することになっても通い詰めるかもしれない。雫はそういうやつだ。
「さっさと行くぞ」
雫の着替えは半端なく速い。多分男の僕よりもだ。
昼と反対方向の電車に乗ってゆっくりと揺られながら家路につく。同じ車両に人はおらず、貸し切り状態だった。雫がおらず、さつきさんさえいてくれれば最高だったのに。しかし、それは望んではいけない最高だ。さつきさんにはちゃんと家庭がある。
「道場見学はどうだった?」
退屈だった、と言おうとして口ごもる。
「いや、かっこよかったよ。剣道のルールはよくわからなかったけどかっこよかった」
「ほんとか!?」
同じ車両内に居眠りしている人がいなくて本当によかったと思う。絶対全員一人残らず飛び起きるくらいの声量だ。耳元で祭太鼓が叩かれた気分。心停止するかと思った。
雫はうれしそうだった。ふむ、やはり剣道への愛は不動なものらしい。剣道か。あんな大声で動き回ってよく持つもんだよな。僕なんかがやったら防具をつけて立つこともできないだろう。
「うーん、でもルールがわかんねえのか。しかたねえな、じゃあ馬鹿なお前のためにあたしがみっちり教えてやるよ」ドン、と胸をたたいた雫。
そして僕はなんてことを口走ってしまったのかと家の最寄り駅に着くまでの1時間、後悔し続ける羽目になってしまった。