第9話 これで平穏な日常が訪れたのか…?
女子野球で戦う上では非の打ち所がないキャプテンの凛。しかし、フォームを崩す可能性があるリスクを承知で、次々と1年生のパフォーマンスを向上させた名コーチの悠太からの指導を受ける。
まずは悠太の指示でピッチングマシンの140km/h台の球を打ち返す凛。フェアゾーンに強い打球を次々と飛ばしていくが…
美穂
「すごいやん!凛!女子野球ではまず見ない140km/h超えの球バンバン打ち返しとる!」
興奮する美穂に対して無表情の凛
凛
「…」
悠太
「本人は気づいたみたいだな。」
美穂
「え?」
凛
「…ヒットコースに打球が飛ばない。」
悠太
「あぁ。今の当たりは全部フェアゾーンに飛んだが全部内野手の正面だ。元の球が速い分、打球も速くて野手正面に来ればアウトになる確率が高い。まぁ女子野球ならそれでも内野手の肩次第で内野安打になるが、俺から言わせりゃ全部内野ゴロのアウトだ。」
美穂
「そんな…」
悠太
「キャプテン、アンタは今まで女子野球レベルの球速帯でヒットになる打球は鬼のように量産してきただろう。それさえできて足も早けりゃ多少ボテボテでも打率はどんどん上がっていく。別にパワーもない訳ではないから、変化球を引っ掛けた内野安打を嫌って直球の球威でねじ伏せようとする投手相手にはミートポイントを絞って強振してスタンドに叩き込む。それがアンタの打撃スタイルだ。違うか?」
悠太に図星をつかれて少し驚く凛
凛
「全て大当たりだよ。この短時間でここまで見抜くとは…」
悠太
「ただこの打撃スタイル…男子野球界に来ると球速も野手の肩力や守備範囲も段違いになるから、途端に打率は激減するんだ。そこが俺が気になった部分。そこで、俺が少しフォームをいじって、それをアンタが上手く吸収できれば、球速が変わっても自在に対応できるようになる。」
悠太が凛に近寄り最後に強く忠告をする。
悠太
「最後の忠告だ。この技術は女子野球界に適応する分には全く不要。指導を受けた結果むしろ悪影響を及ぼす可能性も否めない。それでも良いんだな?」
凛
「あぁ。構わん。」
悠太
「よし!じゃあ今から教えよう。」
こうして凛を指導し始める悠太。1年生と同じく、葵の見ていない隙を狙っての指導となる。徐々に凛のフォームが変わり、懸念通り凛は少し打ちづらさを感じ始めて、今まで打ててた球もピッチングマシン相手に空振りするなど、スランプに陥ってしまった。その様子は普段の日中の全体練習からも顕著に現れ始めて、葵も凛キャプテンの不調に気づく。
葵
「キャプテン!あの…もしかして打撃フォーム変えました?」
凛
「あぁ。今は少し打ててないかもしれないが気にするな。じきに打てるようになる。」
そう言った凛は以後も葵にバレないように悠太と打撃の特訓をしていく。その様子を見ている美穂。
美穂
「あーあー懸念通りになってしもたなぁ。男子!これ治せるんか?最悪、教えたこと無しで全部元に戻すとかは…」
悠太
「いや…それも難しいだろうな。一度この方向性で打撃フォームを修正した以上、完全に元通りってのは難しいだろう。」
美穂
「そんな!凛はずっとこのままなんか!どないすんねん!」
悠太
「いや!俺は忠告したはずだぞ!…とはいえ、まぁ俺の責任…。」
凛
「やめろ2人とも!」
責任を感じそうになった悠太を抑止する凛
凛
「私が全て責任を取ると言ったろう?少し時間はかかるかもしれんが待ってろ。打てるようになる!」
悠太
「…」
悠太が自分を責めないようにと奮闘する凛。しかし悠太は心の中で、やはり男子野球と女子野球は根本的な部分は異なり、指導を共有できない。この壁は越えることが出来ないのだと諦めていた。
それを証明するのにチーム最強選手の凛のパフォーマンスが犠牲になったことが、いくら責任がないと言われようが歯痒い思いをせずにはいられずにいた。
しかし、とある日の練習。例によって葵がいない中で黙々とピッチングマシンの球を打ち返す凛。すると…
カキーン
悠太
「あれ?今の打球結構良くね?外野まで飛んで行った…。ヒット性か?」
凛
「ふぅ…ふぅ…あぁお前が見ている前では始めてだったな。再現性こそ低いがたまにこの当たりの感覚を得られるようになった。毎日200球近く打ち返してきた甲斐があったよ。」
悠太
「200球!?」
凛
「もうすぐ形になる…待っていろよ…」
その数日後、同じく悠太の前でピッチングマシン相手にポンポン打ち返していく凛。ついに140km/hの直球もあらゆる変化球も交えながら、20球連続でヒットコースに打球を飛ばし、スランプの脱却を確信した凛。
凛
「ふぅ…ふぅ…さぁどうだい?コーチ!」
悠太
「す、すげぇ…本当にやりやがった!俺の理想とするスイングも完成した!絶対に無理だと思っていたよ!」
その様子を見た美咲が近寄る。
美咲
「え!?キャプテン!スランプ脱却したんですか!?」
凛
「美咲!あぁそうだ。迷惑かけたな。…にしてもこうやってスイングをすると、確かに最適化された気がする…。前のスイングよりも短い動作で球速、変化球の幅に対応できる理想的なフォームだな。やはりこんなメカニックな修正ができる悠太は只者ではないな!」
凛にそう言われて得意気になる悠太
悠太
「まぁ伊達に最強と呼ばれてないからな!」
そして少し考え込んだ後、近くにいた美穂を呼ぶ凛。
美穂
「どないしたん凛。」
凛
「約束通り不調が治ったぞ。新しいフォームも最適化できた。やはり彼の指導は素晴らしいな。」
美穂
「えぇ!?ホンマに!?」
凛
「あぁ。そこで提案なんだが、私のように一度スランプに陥るのは流石にリスクが大きすぎるが、そうはならない程度に彼の指導を特訓に組み込むのはどうだろうか?きっと1年同様に我々のパフォーマンスも向上するぞ!」
美穂
「え。うーん。でも凛がそういうならやってみるか?ただ葵はどうする?」
凛
「それは思った。だから無理強いはしないさ。ただこうやって毎回コソコソ隠れなくてもいいんじゃないかと思ってな。だから3年生は皆検討してみないか。」
美穂
「分かった。皆にも話してくる。」
凛
「あぁ、悠太、お前は負担が増えてしまうだろうか?」
悠太
「いや…教えるだけなら俺は何の負担にもならないが…そっちが別に良いのなら…」
急な展開に少し戸惑う悠太。ふと美咲の方を見ると、美咲は優しい笑顔でにっこりと笑っていた。
悠太を取り巻く環境がまた一段と変わっていく。1年生だけでなく、3年生も。ここまで来ると流石に葵たちに全くバレない訳にはいかず、たまに葵たちに悠太との接触を指摘される1年部員もいたが、それを3年部員が宥める様子が見られた。こうなると立場が悪いのは2年部員。次第に3年部員に勧められるように悠太の指導を受けるようになり、とうとう徹底して悠太から距離を置くのは嫌がらせをする葵、真琴、由佳の3人のみとなった。
部活が終わった夜、3人は葵の部屋で話し合う。
真琴
「まさか…こんな展開になるとはな…。」
由佳
「こうなるとあたしら肩身が狭いなぁ…何がきっかけで変わったんやろ…」
葵
「タイミング的には間違いなくあのノックをした夜ね。あの時になぜか美咲も外に出ていて、アイツと接触したのは明らかよ。それで瞬く間に1年生のアイツへの接し方が変わっていった…あと3年生の先輩方は恐らくキャプテンの一時的なスランプが関わっている。あれもアイツが何か関わっているはず…。」
洞察力に長けている葵。いくら彼女たちが自分から避けようと、鋭く事実を的中させる。しかし分かっていても手の打ちようがない3人。しばらく無言で時が流れる中、由佳が口を開いた。
由佳
「なぁ…もうやめへんか?」
葵
「!」
真琴
「由佳!それだと葵の気持ちが!」
由佳
「分かっとる!葵ちゃんが男嫌いなんも分かっとる!でもこんなん続けてチームメイトとも亀裂が生じるんも良くないと思うんよ!」
葵・真琴
「……」
由佳
「…分かった。ほんならウチだけアイツ…悠太に謝って接触する。」
葵・真琴
「!」
由佳
「別に2人から離れる訳やない。2人とはずっと親友や。ただウチだけがしたことをウチだけが謝って、せめて亀裂が入って孤立せんように動くだけや!」
葵・真琴
「……」
由佳
「まぁ、上手く動けるか分からへんけど。やれるだけやってみるわ…ほな…」
そう言うと由佳は葵の部屋から出て行った。
そして翌日の練習中、ほぼ全部員がいる中で、由佳は悠太を捕まえて大きな声で思いを伝える。
由佳
「高橋悠太君!今までごめんなさい!」
深々と頭を下げる由佳。その場にいる部員全員が驚いて由佳を見る。
悠太
「…びっくりした…急に何だよ…。」
由佳
「…ほら…ウチ、君にあんなことやこんなことしてもうて…。」
そう言われて由佳が仕掛けたハニートラップを思い出してハッとする悠太。多くの部員がいる前でその詳細を由佳が語るのではないかと思い慌てて抑止する。
悠太
「うわうわうわ!待て待て!それは大丈夫!大丈夫だから!」
てっきり許されたと勘違いした由佳。しかし…
由佳
「え?でも、ウチ、君に随分酷いことをして…悲しませて…。」
悠太
「あぁ…うーん…ただ、ここ最近は割とお前ら大人しくしてるし…日常も退屈はしてないから苦痛って程でもないんだよな。でも、もうやめますってんなら…そっちの方がありがたいしな…。」
こう言って少し戸惑いつつも由佳に手を差し伸べる悠太
悠太
「だから…まぁ…なんだ…許す!」
その言葉を聞いた由佳は伏せていた目を上げて、表情が明るくなり、差し伸べた手をガン無視して悠太に抱きつく。
由佳
「うわぁ!ありがとう!悠くん♡」
悠太
「だー!周りが見てる前で急に抱きつくなぁー!許していきなりこれかー!」
由佳
「エヘヘ!」
不思議そうな顔をしながら美咲が悠太に近づく
美咲
「ねぇ悠太。あんなことやこんなことって何?」
由佳
「あーそれはね…。」
悠太
「言うな!誤解されるだろ!馬鹿!」
多くの部員が悠太の指導を受けるようになり、悠太を冷遇していた葵、真琴、由佳の3人が孤立している雰囲気は部員全員が感じ取っていた。しかし、由佳が謝罪し悠太が許す一連の流れを見ていた部員たち。少し蟠りが取れたようで、グラウンドは和やかな空気に包まれる。
これで平穏な日常は訪れたのか…。その様子を遠くから葵と真琴が見つめる。




