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お見合い顛末

病弱な私と意地悪なお姉様のお見合い顛末

作者: 黒木メイ

 むかしむかし、ある国にたいそう美しい、けれどとても病弱なお姫様がいました。生まれた時から体が弱いお姫様は、お城の外に一度も出たことがありません。けれど、けっして不幸ではありませんでした。なぜなら、お姫様は家族や、使用人たちから愛されていたからです。

「お父様、お母様、お姉様。私、外に出れなくても幸せです。皆が側にいてくれるから」

「姫は本当にいい子ね。そんないい子にはプレゼントをあげるわ」

「お父様からのプレゼントもあるぞ」

「私からのもあるのよ」

「まあ! 嬉しい!」

 お姫様は愛する家族に囲まれ、幸せな毎日を送っていました。しかし、いい子のお姫様にはさらなる幸福が待っていたのです。


 ある日、隣国の王子が姫を訪ねてきました。

「おお。あなたが心優しいとうわさの姫か。なんて美しい人なんだ。ぜひ、私の妃となってほしい!」

 突然のプロポーズにお姫様は驚きました。

「嬉しいお言葉、ありがとうございます。でも、ごめんなさい」

「なぜ?」

「私は病弱です。こんな体ではお妃にはなれません」

「そんなことはない! 君は私の側にいてくれるだけでいいんだ。結婚してほしい。私の生涯をかけて君を愛すと誓う」

 王子様のまっすぐな言葉は、お姫様の不安でいっぱいだった心を溶かしました。

「私も愛しています」


 二人は皆に祝福され、結婚しました。その後、体の弱かったお姫様は王子様からたくさんの愛をもらい、すっかり元気になりました。皆はとても喜びました。こうして二人はいつまでも元気に暮らしましたとさ。おしまい。


 パタン、と本を閉じる。


「はあ」


 ミルカは熱い息を吐き出した。何度も読み、ぼろぼろになった本を愛おしげに撫でる。勉強嫌いのミルカにとって、この本だけは特別だ。まるでミルカを題材にしたかのような本。

 実際、そのとおりだった。幼い頃のミルカは今よりもずっと寝込むことが多かった。この本は、そんなミルカを慰めるために母が書いたものだ。ただし、ミルカはそのことを知らない。


 母の狙い通り、ミルカが己の体の弱さを嘆くことが減った。ただし、その分『自分は特別な存在』『愛されて当然だ』と思い込むようになり、少々傲慢(ごうまん)な性格になった。とはいえ、それもかわいいと思える程度。ミルカの姉であるイラリアを除いて、だが。



 産まれた時からミルカ()は体が弱かった。ちょっと歩いただけで息切れがし、会話をするのもつらい時がある。元気な時の方が少ないくらいだ。今は昔よりマシにはなったけれど、それでも長時間の外出は難しい。ああ、なんて可哀相(かわいそう)な私。まるであの本に出てくる『お姫様』みたいだわ。家族や、使用人に愛されているのも一緒。違うところは二つだけ。


 一つは、私のお姉様が優しいどころか、意地悪な人だということ。


 お姉様は病弱な私を置いて、よく外出する。大切なお茶会があるからって。奇麗なドレスを着て、宝石を身につけて。自慢ったらしいの。ね。性格が悪いでしょう?

 あの本に出てくるお姉様だったら、そんなことしないわ。

「あなたを置いてどこにも行ったりしないわ」

 そう言って、お姫様の側にいてくれるはずよ。


 お姉様は私のお姉様失格よ。

 だから、私は両親にねだったの。お姉様が着ていたドレスを、身につけていた宝石をちょうだいって。正直、どれも私には必要のないモノばかり。もらったところで使う機会はない。だけど、仕方ないの。こうでもしないと、お姉様は自分の間違いを自覚してくれないんだもの。


 あの時のお姉様の顔ったら……いま思い出しただけでも笑えるわ。自業自得なのに、自分が被害者みたいな顔しちゃって。まったく。


 でも、残念なことに、楽しいのは最初だけだった。回を重ねるごとに、お姉様の反応は悪くなっていった。私がどんなモノを強請っても、簡単にくれるお姉様。正直、面白くなかった。

 そうじゃない。そうじゃないの! もっと傷ついて(反省して)ほしいのに。


 どうしたらお姉様はわかってくれるのかしら。たくさん考えて思いついたのは、お姉様から次期当主の地位を奪うことだった。お姉様はまさか次期当主の座まで奪われるとは思っていなかったみたい。いっぱい勉強していたものね。でも、それも全てパーになった。私のおねだりで。

 ああ、あの時のお姉様の顔……最高だったわ。今思い出しても興奮する。


 ――私を侮るからそうなるのよ。


 ようやく理解したらしいお姉様は、私に意地悪してくることもなくなり、優しくなった。これでお姉様は私にふさわしいお姉様になった。後は……王子様が迎えにくるのを待つだけ。


 そう、あの本とのもう一つの違いは『王子様』。そろそろ現れるかしら……そう思っていた頃、突然降って湧いたお見合い話。『もしかして?』と期待に胸を膨らませながら了承した。

 念のため、お姉様と一緒にしてほしいとお父様におねだりするのも忘れない。だって、私は病弱なんですもの。なにかあった時、面倒を見る人が必要でしょう? それに、お姉様の相手がどんな人かも気になるわ。


 お見合い当日。私の王子様は本当に現れた。

 王子様の名は、ダヴィデ・ファルコ。身分的には王子様ではなく、ファルコ公爵家の嫡男で、王国軍第三騎士団の団長なんだとか。よくわからないけれど、すごい人だというのは間違いないみたい。金髪の髪に吸い込まれそうな赤い瞳。私の理想像にぴったりな見た目だわ。そして、なにより彼の私を見る目。


 ――お姉様ではなく、私をずっと見ているわ!


 彼の視線にあてられ、頬が熱くなる。

 ちらっとお姉様を見た。あら、お姉様ったら面白くなさそうな顔をしているわ。それもそうよね。だって、本来のお見合い相手であるはずのお姉様を無視して、私だけを見ているんですもの!

 心が弾む。興奮しすぎたせいか眩暈がした。


「あっ」

「大丈夫ですか?」

 ふらつく体を彼が抱き留めてくれた。ああ、匂いまで完璧だわ。

「申し訳ありません。体が弱いせいで……せっかくお庭を案内してくださるのに」

「可哀想に。もし、よろしければ私が抱き上げて庭を案内しても?」

「! ええ、ええ。よろしくお願いいたします」


 ――このシーン、あの本にも載っていたわ!


 病弱なお姫様を王子様が横抱きしたまま、散歩をするシーン。今、私がされているのと同じだ。公爵家の立派な庭園をダヴィデ様に、お姫様だっこされて見て回る。騎士というだけあって、安定感は抜群だ。安心して至福の時間を楽しむことができた。すっかり、お姉様たちの存在を忘れるくらいに。


 あら、お姉様ったら私の見合い相手にあんなに接近して……まあ、いいわ。私の本命はダヴィデ様だから、お姉様がそちらの方をもらってくれるなら都合がいいもの。

 私はダヴィデ様の顔をじっと見つめた。父におねだりする時と同じように。


「私またダヴィデ様に、会いたい」

「ミルカ嬢……私も同じ気持ちです」

「本当ですか? 嬉しい。私、次はピクニックに行ってみたいです。今まで行ったことがなくて。お姉様がダメだと」

 少しくらいなら大丈夫なのに、お姉様は意地悪だわ。お父様もお母様もうまい具合に言い含められちゃうし。

「それは可哀相に。わかりました。次はピクニックに行きましょう。ご両親は私が説得します。そうだ。せっかくだから狩りも一緒にしましょうか」

「え? 狩りですか?」

 狩りってあの動物を狩るやつよね。お父様が好きなやつ。お母様は野蛮な遊びだと言って行きたがらないから、代わりにいつも姉が同行していると聞いた。正直、私も興味ない。

「でも……」

「狩りは私の趣味の一つなんです。ミルカ嬢にいいところをみせたかったのですが……ミルカ嬢がどうしても嫌だというなら仕方ないですね」


 残念そうに眉を下げる彼に、断れなかった。


「ちょっとだけなら」

「ええ、もちろんです。ミルカ嬢に無理はさせません。実際に狩るのは私とエミリオだけですから、ミルカ嬢はイラリア嬢と二人でピクニックを楽しんでいてください。期待していてくださいね。ミルカ嬢のために立派な獲物を狩ってきますから」

「は、はい!」


 狩りに興味はないけれど、私のためにという言葉が気に入った。

 庭園の散歩が終わった頃、ようやく私は姉と私の見合い相手のエミリオ様に視線を向けた。


 ――うーん。エミリオ様は……なしね。


 体が大きくて怖いし、無愛想。どう見ても王子様からはかけ離れている見た目だ。その点、ダヴィデ様は私の理想そのもの。


 ――やっぱり、結婚するなら絶対ダヴィデ様だわ!


 帰ってからさっそく両親に伝えた。けれど、両親の反応はイマイチ。どうして? いつもなら二つ返事で頷いてくれるのに。


「ダメなの?」


 涙目で訴えかければ、お母様は慌ててお父様を見る。


「あなた、どうにかならないかしら? ミルカがこう言っているんです。それに、あちらもミルカを気に入っている様でしたわ」

「……そうだな。あちらもその気なら可能性はある。話してみよう」

「絶対よお父様」

「ああ」


 嬉しくてお父様に抱き着けば、お父様も抱きしめ返してくれる。

 お父様に頼めば大丈夫。今までもそうだったから。



 ◇



 二回目のデート。楽しいピクニックデートの日。初めてのピクニックに、私は浮かれていた。

「わ~すごい」

「ミルカのために用意したんだ。遠慮なく使っていいからね」

「はい、ダヴィデ様」

 ダヴィデ様が用意してくれたのは、大きな天幕。中には簡易ベッドもある。さすが、ダヴィデ様だわ。なにより私のため、というのがいい。


「ここで、大人しく待っていてね」

「はい。ダヴィデ様。お気をつけて」

「ああ。行ってくるよ」


 ダヴィデ様が私の額に口づけを落とした。家族以外からされるのなんて初めてで、心臓がドキドキする。うっとりとダヴィデ様を見つめる。


「エミリオ様、お気をつけて」


 お姉様の声で他にも人がいたことを思い出した。あら、お姉様がエミリオ様のお見送りをしてるわ。ふーん。まあ、どうでもいいけど。あ、お姉様に気を取られている間に、ダヴィデ様が行っちゃった。はあ、と溜息をつく。エミリオ様もお姉様に背中を押され、ダヴィデ様を追いかけて行った。二人に声が届かない距離になってから、お姉様に近づく。


「お姉様」

「! どうしたのミルカ?」

 ――あらあら、お姉様が珍しく狼狽えているわ。最高。その反応がずっと見たかったの。もっと見せてちょうだい。

「ごめんなさい」

「……それはなんについての謝罪?」

「お姉様のお相手であるダヴィデ様を私がとるような形になっていることへ、のです。だって、さっきのお姉様……あれは当てつけでしょう?」


 ――さあ、お姉様どう反論するの? ごまかす? それとも睨みつける? それとも強がるの?


 ワクワクする。でも、お姉様の返答は私の予想のどれにもあてはまらなかった。


「そんなことよりも、体調は大丈夫なの?」


 正直、拍子抜けだ。でも、体調が悪いのは確か。興奮しすぎたせいだと思う。


「寝ていてもいいわよ」


 お姉様が示した先には簡易ベッドがある。悔しい。悔しいけど、今は横になりたい。


「ダヴィデ様が帰ってきたら教えてね。絶対よ」

「わかってるわ」


 眠りについてどれくらい時間がたったのか。名前を呼ばれ、意識が浮上した。


「ミルカ」

「ん?」

「戻ったよ」

「ダヴィデ様?」


 まぶたをあけたら、目の前に彼の顔があった。近い、恥ずかしい。けど、うれしい。じっと見つめていたらダヴィデ様の顔がだんだん近づいてきた。目を閉じる。と、ほぼ同時にダヴィデ様の唇らしきものが私の唇に触れた。


 ――ああ! 私キスをしているわ。ダヴィデ様と!


「ダヴィデ様、好きです」

「うん。私も好きだよ」


 胸が熱い。また興奮したら苦しくなるってわかっているのに、止められない。ああ、ダヴィデ様がいつもよりもかっこよく見える。私の王子様。


 ダヴィデ様が離れ、私は名残惜しく思いながらも上半身を起こした。ふと視界に入ってきた彼の服。赤い染み。最初ソレがなにか気づかなかった。ソレが血だと理解した瞬間、口から悲鳴が出た。


 天幕の中へと飛び込んできたエミリオ様。次いで、お姉様も。


「ミルカ。いったいなにがあったの?」

「お、お姉様」

 説明したくてもうまくできない。代わりにダヴィデ様が話してくれた。


「すまない。私が着替えをせずにそのまま入ったせいで驚かせたようだ」


 その説明で納得した様子の二人。できれば、ダヴィデ様には出て行ってほしい。でも、言えない。お姉様に助けを求めるようにアイコンタクトを送った。すぐにお姉様が動いてくれ、ダヴィデ様とエミリオ様は天幕の外へと出て行った。ほっと息を吐く。


「どこに行くのお姉様?」


 出て行こうとしているお姉様を、慌てて呼び止めた。

 ――ありえないわ! こんな状態の私を一人にするなんて。

 パニックになっているところを他人には見られたくない。けれど、一人にはなりたくない。繊細な私の気持ちをお姉様は汲んでくれない。やっぱり、意地悪だわ。そんな性格だからダヴィデ様に見初めてもらえないのよ。


 私の気持ちが落ち着くのを待って、お姉様とともに天幕の外へと出た。ダヴィデ様は上着を着替え、待っていてくれた。安心してダヴィデ様の元へと行く。さっと抱きかかえられる。


「もう大丈夫かい?」

「はい。私、びっくりして……ごめんなさい」

「いや、私こそすまなかった」

「あの、ダヴィデ様。私、お父様にダヴィデ様と結婚したいと伝えたんです」

「もう? すごいな君は勇気がある」

「はい! 私、体はか弱いですが、心は強いんですよ」

 胸を張って答えると、ダヴィデ様は「さすがミルカだ」とほほ笑んだ。

「それで、ダヴィデ様は?」

「安心して。私も父に話してある。近いうちにそちらにも話がいくと思うよ」

「本当ですか?!」


 やったあ。その日が楽しみでたまらないわ。ちら、と姉を見る。こちらをちらりとも見ようとしないお姉様。それどころか、私への当てつけのようにエミリオ様と楽しそうに話している。

 ――可哀相なお姉様。でも、お姉様にはその程度の男がお似合いよ。

 極上の男の腕に抱かれ、私はうっそりと笑った。



 ◇



 とうとうその日がきた。三家が集められ、会議が行われる。といっても、ほぼ事後報告だ。すでにお父様たちの間では話がまとまっている。私とダヴィデ様、お姉様とエミリオ様の組み合わせで縁談をまとめると。


「お姉様。こんな結果になってしまって……本当にごめんなさい」


 お姉様の表情は無。けれど、なにか言いたそうに私と私を抱きかかえるダヴィデ様を見ている。

 ――ふふ。さあ、お姉様はどんな言葉をくれるのかしら。


「ダヴィデ様、ミルカをどうぞよろしくお願いいたします」


 お姉様は私を無視してダヴィデ様に言った。ムカつく。でも、ダヴィデ様が「もちろん」だとはっきり返してくれたから良しとしよう。

 ――ダヴィデ様、最高! 強がっているお姉様に対して、その返答はパーフェクトよ。さすが私のダヴィデ様だわ。


 けれど、お姉様の強がりは筋金入りらしい。


「まあ、心強い。これからはミルカの側にはダヴィデ様がいてくださるのだから、私がいなくても大丈夫ですわね」

「ああ。ミルカのことは私に任せてほしい。私の生涯をかけてミルカを大切にすると誓うよ」


 残念ながら思い描いていたような反応は返ってこなかった。けど、もういい。だって、ダヴィデ様が誓ってくれたから。ずっと私を大切にしてくれるって。まるで、王子様がお姫様にプロポーズをした時のように。


 ――うれしい。うれしい。うれしい。


 皆に祝福されている。あの本のように。やっぱり、私は特別な……


「あ、あの質問をいいですか?」


 感動している中、耳障りな声が聞こえた。手を挙げたのはエミリオ様。

 なにこいつ。空気読めないの?


「なにかね?」

 ダヴィデ様のお父様が口を開く。

「婚約相手が当初と替わるとなると、困ることがあるのでは? その、たとえば私の婿入りの話だとか」

「エミリオ!」

 エミリオ様のお父様が怒ったような声を上げたけど、それも当然だと思うわ。なに、今の自己中心的な質問は。そんなこと気にするなんてみみっちい男ね。


 けれど、さすがダヴィデ様のお父様。寛容に彼の言葉を許したわ。

「エミリオ君が不安になるのも当然のことだろう。謝罪の意味をこめて、君には公爵家が抱えている領地と爵位の一つを譲ることとした。爵位は男爵とはなってしまうが……すまないね」

「いや、それについてはかまいませんが……」


 かまわないと言いながら、納得していない反応。

 眉根を寄せる。

 ――なんて、ずうずうしい人かしら。この人を選ばなくて正解だったわ。お姉様にぴったり。


 しかも、エミリオ様が授かるのは男爵位。つまり、お姉様は男爵夫人になるのだ。一方、私たちは伯爵。


 ――理想的な展開だわ!


 神様は見ていてくれたのかしら。それとも、もともとこうなる運命だった? 満足いく結果に興奮していると熱が上がってきた。


「あの、お話の途中で、申し訳ないのですが」

「ああ。そろそろ限界だろうね。後は私たちだけで話をまとめるから、君たちはもう行っていいよ」


 ダヴィデ様のお父様にそう言われ、私とダヴィデ様、お姉様とエミリオ様も部屋から出た。部屋の前でお姉様たちとは別れ、私はダヴィデ様に抱えられたまま、自室へと向かう。ちらっと見たお姉様とエミリオ様の間には距離感があるように思えた。

 ――あの二人は今からどんな話をするのかしら? ケンカ? そうだったら面白いけど……。

 私はダヴィデ様の胸に甘えるように頭を寄せる。


「ダヴィデ様」

「ミルカ」

「やっとですね」

「ああ。これからは君が私の婚約者だ」

「ええ」

「幸せにするよ」

「はい」


 部屋に着くと、ベッドの上に降ろされ、そっとダヴィデ様の唇を重ねられた。私も応えるように目を閉じる。ああ、幸せだわ。



 ◇



 結婚式は私の体調を考慮して、ごくごく小さいものにしてもらった。私のドレス姿に両親も彼も大喜び。使用人たちも祝福してくれた。お姉様には、いかに私の結婚が幸せなものかを見せつけられたと思う。私は大満足だった。


 異変に気付くまでは。


「ダヴィデ。お父様とお母様がどこにいるのか知ってる?」


 最初は新婚生活の私たちに、気を利かせてくれているのかと思った。けれど、違うと気づいた。たぶん、二人は家の中のどこにもいない。それに、使用人の数も減っている気がする。


 いったいいつから?

 不安な私とは反対に、ダヴィデは『ようやく気づいたか』とでもいうようにほほ笑んだ。


「いないよ」

「え?」

本邸(ここ)には私と、ミルカ。それと、最低限の使用人だけしかいないよ」

「……なんで?」

「必要かい?」

「え?」

「私がいるのに、他の者が必要?」


 笑顔で首をかしげるダヴィデ。どうしてだろう。その笑顔が怖いと思うなんて。


「ひ、必要よ。だって困るでしょう? 私たちの世話をしてくれる人がいないと……」

「そうでもないよ。私は自分のことは自分でできるから。たしかに、掃除や洗濯をする人は必要だとは思うけど……逆を言えばそれくらいだ。今この屋敷にいる人数で十分足りる。それに、今後はもっと減らすつもりだし」

「もっと減らす? え、で、でも、私の世話をする人は? さすがに残しておいてくれるんでしょう?」

「いや。最終的には出て行ってもらうよ」

「そんな。じゃ、じゃあ誰が私の面倒をみるの?」


 私の質問にダヴィデはクスクス笑った。なんで笑っているのかと顔を顰める。


「ああ、ごめんね。ミルカは不安なのに。大丈夫。私が面倒をみてあげるから」

「ダヴィデが? でも……」

「安心して、私は医療の心得も多少ある。今、担当医からいろいろアドバイスを聞いているところだよ。あと、普段ミルカのお世話をしている人たちからもね。ミルカも嬉しいだろう。私とずっと一緒にいられて」

「……う、うん」


 言いようのない不安感に包まれたが、「いいえ」とはとてもじゃないが言える雰囲気ではなかった。

 私が音をあげたのはそれから数カ月後。結婚してからちょうど一年くらいたった頃だろうか。もう、無理だと思った。


 最初はそんなに気にならなかったのだ。むしろ、ダヴィデの腕に抱えられて移動するのは嬉しいくらいだった。けれど、どこに行くのもダヴィデがいないと移動できないのはストレスだった。


「少しくらい、いいでしょう」

「申し訳ございません。旦那様がいない間はこの部屋から出てはいけない決まりとなっておりますので」

「そんな」


 ときおり、用事があるとかで外に出て行くダヴィデ。そんな日は庭どころか部屋の外にすら出してもらえない。いつの間にか鍵は外から開け閉めするものに替えられていた。


『ミルカ、少しくらい外に出ないと体は弱る一方よ。さあ、庭を散歩しましょう』


 幼い頃、お姉様から言われた言葉だ。私はその言葉が大っ嫌いだった。お姉様になにがわかるの? 元気なお姉様にこのつらさがわかるわけない。だから、平気でそんなことを言うんでしょ。ひどい人。意地悪。そう思っていた。でも、今ならわかる。あの散歩は必要だったと、私を思っての言葉だったのだと。


 ああ、そうだ。あれもそう。


『ミルカ、嫌いでも野菜は食べなさい。偏食をなおさないと元気にはなれないわよ』


 お姉様は意地悪で言っているんだと思っていた。でも、それも違った。ダヴィデはお姉様とは違って健康食だけしか食べさせてくれない。ご褒美を用意しておいてくれない。たまに好きなモノを食べる日を設けてくれない。私がどんなに嘆いても、「ミルカのためなんだ」と言って、悲しそうな表情を浮かべるだけ。食べたら頭を撫でてくれるけど、食事内容は変わらない。

 いつしか食欲もわかなくなっていた。


 意地悪なお姉様とは比べモノにならない程優しい、と思っていたダヴィデ。でも、その優しさが私の体を、なによりも精神を(むしば)んでいく。そう、精神。一番つらいのはダヴィデが四六時中側にいること。自由にできるのは寝ている間か、ダヴィデが仕事かなにかで屋敷を空ける時だけ。それも部屋の中限定で。


 どこに移動するのもダヴィデに抱きかかえられ、食事の時はダヴィデが食べさせてくれ(「自分で食べられるわ」と言っても聞いてもらえなかった)、お風呂もダヴィデに入れてもらい(夫婦になったんだから恥ずかしがることはない、と聞いてくれない)、一番嫌なのは……お手洗い。もう、思い出したくもない。(しかも、健康状態をみるために観察が必要なんて)

 私の精神状態はこの一年で限界を迎えた。


 ――お姉様、助けて。


 真っ先に頭に浮かんだのはお姉様だった。お姉様ならこの状況をなんとかしてくれる。今までずっとそうだったから。そう思って、私はお姉様宛に手紙を書いた。『お姉様に会いたい。会いに来てほしい』と。お姉様が了承してくれるまで何度も。ダヴィデはなにも言わなかった。その時点で私は気づくべきだったのかもしれない。


「お、姉さま」

「ミルカ」


 久しぶりに会うお姉様はとても奇麗だった。以前よりも活き活きしていて、元気そうだった。――ずるいわ。

 そう思ったけれど、今それを口にしたらお姉様は助けてくれない。ぐっとこらえて私はお姉様を見上げた。


「お姉さま」

「なにかしら?」

「お姉さま、おねがいがあるの」


 涙を流す。これはわざとじゃない。本気の。でも、ちょうどよかった。今まで涙を流しながらした懇願を、お姉様はことわったことがなかったから。


 ――おかしい。


 お姉様は困ったような表情を浮かべるだけでなにも言わない。


 ――なんでよ!


「ミルカ。その願いは聞けないわ。言ったでしょう? ミルカのお願いを聞くのはもう私の役目ではないの。それをするのはあなたの愛する夫よ。大丈夫。彼ならあなたの願いを聞いてくれるわ。以前、誓ってくれたもの。ねえ?」

「ああ、私は約束を守る男だからね。だから、私に言ってごらん?」


 ダヴィデはそう言って私の頭を撫でる。途端に、体が震え出した。ほら、お姉様見て、おかしいでしょ。こんなに私は拒否反応を示しているのよ。


「ちが、ちがうの。私、こんなの望んでないの」

「こんなのって? ミルカの願いはどんなものなの?」

「わ、私は、ただ、お姉さまよりも誰よりも愛されるお姫様になりたかっただけで」

「あら。それならもうなっているじゃない。もしかして、愛され過ぎて怖いというやつかしら」


 絶句した。そう、だけど違う。そうじゃない。でも、うまく言葉にできない。私はお姉様のように語彙力がないから、どう説明したらわかってもらえるかわからない。

 でてきたのは、


「ちが、ちがうちがうちがうちがう」


 という否定の言葉だけ。


「ああ。そんなに興奮してはダメだよ。落ち着いてミルカ。イラリア、エミリオ。せっかくきてもらって悪いんだけど」

 ダヴィデが慰めるような口調でなんか言ってる。

「ええ。私たちはここらへんでお暇するわ」

 え? お姉様?

「ま、まってお姉さま」


 お姉様は私を無視して部屋を出て行った。耳元でダヴィデがささやく。


「無駄だよ。イラリア嬢とはそういう契約を結んでいるから」

 契約?

 どんな?


 ふと頭に浮かんだのは……


『まあ、心強い。これからはミルカの側にはダヴィデ様がいてくださるのだから、私がいなくても大丈夫ですわね』

『ああ。ミルカのことは私に任せてほしい。私の生涯をかけてミルカを大切にすると誓うよ』


「あ、ああ……お姉さま、そんな、あああ……」

「ミルカ、大丈夫だよ。私はずっと君の側にいるから、()()()ね」


 ダヴィデの甘い声が、脳に響く。そして、脳から、体へと広がっていく。まるで、病が体を蝕んでいくように、じわじわと。

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