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30秒のさよなら

作者: カナタ

春の風が、静かな校庭に吹き抜ける。桜の花がほころび、遠くの山々が薄紅色に染まる中、学校は新しい学期を迎えていた。高校二年生の佐藤進一は、相変わらず目立たない存在だった。教室の隅に座り、他の生徒と積極的に関わることもなく、友達も多くはなかった。ただ、毎日を黙々と過ごし、クラスメートとの関わりも最低限に留めていた。




そんな彼にとって、春は新しい希望や変化を感じる季節ではなかった。むしろ、変わらない日常が心地よかったのだ。だが、ある日、進一の世界に突然新しい風が吹き込むこととなる。




それは、転校生がやってきた日のことだった。




「えっと、吉田美咲です。よろしくお願いします」




その声が教室の空気を一変させた。美咲は、明るく活発な雰囲気を持っていて、入ってきた瞬間から教室全体の視線を集めていた。彼女の髪は肩までの長さで、笑顔がとても魅力的だ。目元の柔らかさと、どこか掴みどころのない表情が、周囲を引き寄せる。




進一は、ただ黙ってその光景を見ていた。美咲が教室に入ってきた瞬間、彼の胸の中に、今まで感じたことのない感情が生まれた。それは、嫌な感じではない。ただ、言葉にできない不思議な感覚だった。




美咲は、進一が座る後ろの席に座ることとなった。彼女はすぐに周りの人々と打ち解け、誰とでも親しく話している様子だったが、進一には一度も話しかけてこなかった。




それでも、進一は彼女の存在が気になっていた。彼女が楽しそうに笑う姿、周囲の友達と盛り上がる様子が、どこか新鮮で、進一の心に新しい色を加えていくような気がした。






その後数週間、進一は美咲とほとんど会話をすることがなかった。彼女はクラスの中心的な存在となり、進一は相変わらず目立たず、日々を過ごしていた。しかし、美咲の存在が次第に進一の心に染み込んでいった。




ある日、放課後に進一が教室で本を読んでいると、美咲がふと近づいてきた。




「ねえ、佐藤くんって、よく本読んでるよね?」




その一言に、進一は驚いた。自分が特に目立つこともなく、何の変哲もない日常を送っている中で、突然名前を呼ばれ、そして話しかけられるとは思っていなかったからだ。




「え、あ、はい…」進一は一瞬、どもりながら答える。




「何読んでるの?」と、美咲は興味津々で聞いてきた。




進一は少し戸惑いながらも、本を閉じて答える。「えっと、これは、普通の小説で・・・。あんまり面白くないかも…」




美咲はにっこりと笑った。「私は本はあんまり読まないけど、気になるなあ。今度、ちょっと話そうよ」




その言葉に、進一は驚きと同時に少し胸が高鳴った。美咲と話す機会ができることが、ただそれだけで嬉しかった。




その後、美咲とは少しずつ会話を交わすようになった。進一は、美咲の明るく元気な性格に引かれ、彼女もまた進一の控えめで真面目な性格を好ましく思っていた。




だが、進一は美咲に対して恋心を抱くようになる一方で、それを告げる勇気がなかった。彼女は誰とでも仲良くなれるタイプで、進一にとっては、ただの友達であれば十分だと思う一方で、彼女への気持ちが日に日に大きくなっていくのがわかった。








ある日の放課後、進一と美咲は一緒に帰ることになった。進一は緊張しながら、普段通りに話しかけた。




「美咲、今日の授業どうだった?」




「うーん、普通かな。進一はどうだった?」




「まあ、いつも通りって感じだよ」




進一は苦笑いしながら答える。




「それにしても、進一って、よく静かだよね。なんか、落ち着いてるというか」




「そうかも…」進一は少し照れながら答えた。




「でも、たまにはもっと騒いだり、楽しんだりしてもいいんじゃない?」美咲はにっこり笑った。「まあ、進一のペースでいいけどね」




その言葉に、進一は少しだけ心が温かくなった。美咲は本当に人に気を使って、周りを明るくするような人だ。それが、進一にとっては心地よかった。




その日の帰り道、ふと美咲が言った。「ねえ、進一、なんかすごく大事なことを言いたいんだけど…」




進一は驚きの表情を浮かべた。「え、何?」




「私、ちょっと遠くに引っ越すことになったんだ」美咲は少し寂しそうに言った。




進一は一瞬言葉を失った。まさか、美咲が転校するなんて思いもしなかった。




「引っ越す…?」進一は呆然とした。




「うん、家の都合でね。だから、これからあんまり会えなくなるかもしれない。」




進一の胸に、何とも言えない感情が込み上げてきた。彼は美咲に告白するタイミングを失っていたことを、ようやく実感した。




「でも、進一とはまた会えるよね?」美咲は少し不安そうに尋ねた。




進一はうなずいた。




「もちろん」




その日は、言葉にできない気持ちを胸に抱えたまま、二人は別れた。




美咲の引っ越しが決まった日から、進一の心は落ち着かなかった。彼は日々、彼女と過ごした時間を思い返し、彼女に対する気持ちを整理していた。そして、気づけば自分の中で「告白するべきだ」と決心していた。




しかし、告白のタイミングが訪れなかった。進一は、自分が美咲に対して抱く感情が本物だと感じながらも、どう伝えたらいいのか分からなかった。彼の心の中では、「告白することによって美咲との関係が壊れるかもしれない」という恐れがあった。




ある日の放課後、進一は再び美咲と一緒に帰ることにした。今日は、彼女に何かを伝えなければならないと決めていた。




二人が駅に向かっている間、静かな時間が流れていた。進一は緊張しながら、話を切り出す。




「美咲、俺、ずっと言いたいことがあったんだ」




美咲は少し驚いた様子で進一を見た。「え、何?」




進一は深呼吸をし、思い切って言った。「俺、実は、美咲のことが…好きなんだ」




美咲は少しの間黙っていた。進一はその沈黙に耐えきれず、顔を背けた。




「もし、嫌な気持ちにさせたなら、ごめん。でも、ずっと伝えたかった」




美咲は進一の言葉をじっと聞いていた。彼の言葉の重さを感じ取っているのか、しばらく無言で立ち止まったままだった。その沈黙が進一には耐えられなくて、さらに焦燥感が募った。




「進一…」と美咲がようやく口を開いた。「ありがとう。すごく…うれしいよ」




進一は驚いて顔を上げた。「え…?」




美咲は少し照れくさそうに微笑んだ。「でもね、私、進一のことがすごく大切だって思ってる。でも、今は、どうしても言葉にできるほどの気持ちが整理できてないんだ」


彼女は続けた。


「だから、私も進一のことを大事に思ってるけど…どうしようもないくらい、複雑な気持ちなんだ」




進一はその言葉を聞いて、心の中に小さな希望の光を感じた。しかし、同時にそれが彼をさらに不安にさせた。美咲が自分をどう思っているのか、それが本当に分からなかったからだ。




「でも、私、引っ越したらきっと会えなくなる。遠くに行くから、これが最後のチャンスかもしれない…」美咲は少し沈んだ顔で言った。




進一の胸は締め付けられるような思いでいっぱいだった。彼は黙って美咲を見つめた。




「進一、私、行かなくちゃいけないけど…これからも友達でいてくれる?」美咲が再び尋ねた。彼女の目は不安と寂しさを浮かべていた。




進一は力強くうなずいた。「もちろん。友達としても、ずっと大事にしたいと思ってる」




美咲は少しだけ安心したように、微笑んだ。「ありがとう。じゃあ、今度会えるときは、もっとゆっくり話そうね」




その言葉を胸に、進一は心の中で美咲への気持ちを整理しようと決心した。彼は彼女に伝えたかったことを伝えた。そして、それが彼にとっては、もう悔いのない決断だった。






そして、いよいよ美咲が引っ越す日が近づいてきた。進一はその日が来るたびに胸の奥が痛くなり、どうしても心の中で気持ちが揺れ動いていた。




放課後、美咲が進一に会いに来ると言っていた。進一は彼女との別れの前に、もう一度だけ、何かを伝えたくて待っていた。彼の心は不安でいっぱいだったが、同時に彼女に対する想いをもう一度しっかりと伝えたかった。




その日、二人は学校の近くの公園で待ち合わせをした。春の陽射しが心地よく、桜の花がほのかに香る中で、美咲がやってきた。




「進一、待たせてごめんね」美咲は少し息を切らしながらも、にこやかに言った。




「全然、気にしないよ」進一は笑顔で答える。




二人はベンチに座り、しばらく静かに桜を眺めていた。進一の胸は高鳴っていた。今、自分の気持ちをどう伝えるべきか、それを考えている最中だった。




「美咲、引っ越しの日、どんな感じ?」進一がゆっくりと話を切り出した。




「うーん、なんか実感が湧かないんだよね。いろいろ準備はしてるんだけど、もうちょっとだけここにいたい気持ちもあって…」美咲は少し切なそうに答えた。




「…俺も、すごく寂しくなる」進一はぽつりと言った。その言葉に美咲は驚き、少し顔をあげて進一を見つめた。




「進一…?」美咲は少し困惑した表情を浮かべる。




進一は深呼吸をしてから、改めて彼女に向き直った。「俺、やっぱり美咲のことが好きなんだ。昨日言った通りだけど、もう一度伝えたかった」




美咲は進一の顔をじっと見つめた。少しだけ沈黙が流れ、その間に風が桜の花びらを舞わせた。




「ありがとう、進一…」美咲が静かに言った。「でも、私が引っ越したら、きっといろいろなことが変わってしまう。私たち、どこかで会えるかもしれないし、会えないかもしれない」彼女は少し涙ぐんでいた。




進一はその言葉を胸に、深くうなずいた。「でも、俺は美咲と出会えて、本当に良かったって思ってる」




美咲は進一を見つめながら、少し泣きそうな顔で微笑んだ。「私も、進一と出会えてよかった。でも、これからはお互いに違う道を歩いていくことになるかもしれないけど…ずっと覚えておくよ」




その言葉を聞いて、進一はどこかほっとしたような気持ちがした。彼は美咲に対して、もう一度しっかりと気持ちを伝えられたことが、心の中で大きな意味を持つことを実感していた。




「ありがとう、美咲」進一はゆっくりと立ち上がり、彼女の前に立つ。美咲も立ち上がり、二人は最後にお互いを見つめ合った。




「じゃあ、またね」美咲は静かに言った。




進一はその言葉を受け入れ、ゆっくりとうなずいた。「うん、またね」




そして、美咲はゆっくりと歩き出した。その背中を進一は見送ることしかできなかったが、心の中では彼女との思い出がきっとこれからもずっと自分を支えてくれることを感じていた。




30秒のさよなら。進一はそれを心に刻みながら、少しだけ涙を流した。




だが、彼はその涙を拭いながら、これからの新しい日々を歩んでいく決意を固めていた。






美咲が引っ越してから、進一はしばらく彼女のことを考え続けていた。彼の中で、美咲との思い出は色あせることなく、心に残り続けた。時々、彼はその日のことを思い出し、あの桜の花の下で交わした言葉を胸に抱いていた。




「進一、元気でね」




美咲の声が、風のように進一の耳に届く。その言葉が、彼の心の中でずっと響いていた。




進一は、これからも彼女との思い出を大切にしながら、前を向いて歩んでいくのだ。





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