1.最期の記憶
闇に沈む前の記憶は、深く深く、何よりも深く憶えている。
彼は何も言わずに笑顔で耐えた。
次々と倒れゆく仲間を置いて、魔王を討伐するためだけに旅をした。
子供に罪は無いと首を差し出してきた魔人の首を刎ねた。
勇者の進行を阻むため、籠城戦を仕掛けてきた魔人たちの村を迷う事なく殲滅した。
囚われ人質となった町娘の言葉通り、魔人ごとその身体を両断した。
負傷し動けない魔人を庇った魔人四天王を、負傷兵ごと消滅させた。
ーーそして、勇者ならば魔人の国に手を出さないと誓え、そう言いながら彼の手にかかり塵となって消え失せたのは魔王だった。
正義の為国の為、心を殺し剣を振るい続けた彼はもう、多分とうの昔に死んでいたのかも知れない。
「まさか勇者エドヴァルドが魔人と通じているなどーーそれは本当に、真なのか？ヨアキムよ」
「間違いありません、陛下。このヨアキム、エドヴァルドと共に旅をした身、この男の事は私が一番熟知しております」
後ろ手に縛られ猿轡を噛まされた彼ーーエドヴァルドは、城の衛兵達によって拘束され、国王の目の前に跪かされていた。抵抗する気などなかった。そんな事をすれば、しめたとばかりに罪状が加算されるだろう。彼はその時がくるまで、耐えなければならなかった。きっと己はこのまま処刑なり何なりされるのだろう。それはもう諦めていた。
諦めていたからこそ、このような目に遭うのは自分で最期で好いと、そう、彼は思っていたのだ。
「この男、魔王を手にかける際妙な言葉を掛けられたのを私めが聞いております。その際、きっと配下に降ったのでしょう」
彼が話せないのを好い事に、好き勝手言ってくれる裏切り者を、彼は最早どうにかする力も無い。ただ、心の中では延々と恨言を吐き続ける。
この男は真の悪魔だ。勇者達一行の戦績を己のモノとする為に、そして魔人を根絶やしにする為に、神殿でのし上がる為だけに、男はエドヴァルドの全てを裏切った。そんな悪魔が、魔王討伐の誉れを受けている。そんな事実に、彼は胸を掻きむしりたくなる様なむかつきを覚える。
思えば、神殿の権力と傲慢と強欲を体現したようなこの男は、旅の始めからその片鱗を覗かせていた。男は、エドヴァルドを逐一舐めるような目付きで観察していた。神殿の権力に従う気があるかどうか、それを推し量っていたのだ。
だがエドヴァルドはそれを拒絶した。魔人も何もかも、神殿に逆らう者を根絶やしにするような彼等に、エドヴァルドは最早与する事はない。このような連中に、正義なぞある筈も無かった。伝説の魔王と勇者の物語など最初から無かった。それは元より、神殿が有用な人材を集めるための計画に過ぎなかったのだ。其れを知って、エドヴァルドが一体どれ程絶望した事か。苦しむ人々の敵は最初から、背後に居たのだ。
だが最早、エドヴァルドは暴露する事すら出来ない。罪人の烙印を押されてしまった彼がもう何も出来ない事を知って、奴らは権力を笠に更に増長するーー
「この男は自らが魔王となるつもりなのでしょう！でなければ、残った魔人共の抹殺に異を唱えるはずもありません。陛下！命をお下しください。この男と、そしてこの男に与する者共の粛清をーー」
その言葉に思わず、エドヴァルドは怒りで我を忘れた。声にもならない叫び声を上げながら、三人の衛兵を振り払いヨアキム目掛けて突進する。一瞬怯んだ男の目に、彼の姿は一体どう写ったか。男は息を呑み、その場で後ずさっていった。
己が処刑されるのはまだ良い。それは最早、エドヴァルド自身の眼が曇って居た所為だと諦めた。だがこの男は、エドヴァルドに関わった者全てを処刑せよと進言したのだ。高々己の野望のためだけに、何の罪もない只人を、罪人として処刑しようと言うのだ。魔人達だけでなく、彼の大切な人たちをも皆殺しにしろと。そう、言っている。
だから彼は、男を敵として認識した。許せなかったのだ。穢されたのだ。この男の所為で、死んでいった仲間達の勇姿が、旅が、穢された。
「ウ、ウリヤス！」
「ハッ」
しかしそのようなエドヴァルドの足掻きは、いとも簡単に阻止された。同じく勇者たる彼と共に旅をした者の一人、聖魔導師ヨアキムを護る為に派兵されたその聖騎士によって。頭を大理石の床に叩きつけられ、力の限り押さえつけられ、最早体力すら残りかすのようなエドヴァルドに、それに抵抗するすべなど無かった。身動きもままならず、頭を殴られた衝撃に意識が朦朧とする。
「陛下！先刻の暴走が良い証拠です！此奴は最早魔王の手先、ご命令をーー」
その声を最後に、エドヴァルドは意識を保って居られなかった。失意の中、頼む、逃げろ、逃げてくれ、そう大切な人達を思いながら、エドヴァルドの意識は暗闇に呑まれていった。
ーーーーそれから程なく、勇者は処刑された。目の前に斬首された彼女らの、彼らの、父の、母の雁首を揃えられ。
「ーーーてーーッ！！」
口を塞がれ声にならない叫び声を上げながら、勇者エドヴァルドは最も最悪な形でその生を閉じたのだった。
『滅してやる、呪ってやる、殺してやる、ラクに死ねると思うな』
転がった雁首から見える空に吸い込まれるように、勇者だった男の意識は瞬く間に空中へと溶けていった。
ありったけの憎悪を込めて、神殿を呪いながら、エドヴァルドは魔力と共に溶けていったーー。
残り4話
