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ニマ ワールド

三十七

作者: ニマ

第10弾です。


2021年6月6日に、地方紙に掲載された作品です。


今回もっと、多くの方に読んでいただきたく、投稿しました。

 日曜日の夜8時、少し前。

 玄関の鍵がカチャっと音を立て同時に扉が開いて誰かが家の中へ入ってきた。

 施錠した音が聞こえ、数秒後。

 大きく元気な声で


「花ちゃんの好きな苺、持ってきたよ」


 マスク姿で登場したのは、高校1年生になった近所に住む姪っ子の遥だった。

 右手にイチゴのパックが入った袋を掲げ、背中には大きなリュックサック。

 そして左脇には手提げ袋をしっかりと抱えている。


 所狭しとジャンル別に山積みにされ、日毎に部屋を占領している飾られることもない絵の横に、何食わぬ顔で荷物を置き、キッチンで手と苺を洗い、手慣れたように茶箪笥から取り出した皿にイチゴを盛り、画材道具が散乱しているテーブルの上に置いた。


 遥は、綺麗だねと私が描いている絵を見ながら、正面に座った。


 私がこの家に引っ越してきたのは、遥が生まれて間もなくのことだった。

 私にとって遥は、自分の子供のようでもあり、時には年の離れた妹のような存在でもある。


 遥にとってここは、秘密基地。

 合鍵を渡しているので、こうしてよく遊びに来る。

 ただ、今日は、単なる遊びではなさそうだ。

 マスクを取った遥は、不機嫌そうな顔をしている。

 遥を横目に無造作に盛り付けられた、苺のヘタに手を伸ばした時だった。



「花ちゃん。

 今日、泊ってもいい?」


「きちんと、お父さんとお母さんに泊まってくるって言って、オッケー貰ったならいいよ」



 遥は小さく頷いた。


 日曜日の夜8時と言えば夕飯を食べてゆっくり家族団らん、憩いの時間ではないのか。

 いっぱい持ってきた荷物は1泊する予定の割りには、多すぎる。



「花ちゃんの将来の夢って、何?」



 あまりにも唐突で手に取った、苺を思わずテーブルの上に落としてしまった。

 遥の顔を直視できず、慌てて視線を逸らした。


「絵描きになりたいなって、思っているよ」


 何故、身をすくめて小声で答えたのか、自分でもわかっている。

 もう、若くはない。

 今年で37歳。

 夢を追いかける年齢でもない。

 世間から引け目を感じながら、創作活動をコツコツと続けている。


「いつから、絵描きになろうと思ったの?」


 そんな私の気持ちとは裏腹に遥は、キラキラとした目で私を見つめる。


「…小学生から絵を描くことが好きで。

 …私も美術館に飾ってもらえるくらい有名な絵描きになりたくて。

 独学で…色んな画法を習得した」


「小学生の時からだったの!

 知らなかった。

 私はケーキ屋さんとかデザイナーとか、コロコロ変わっちゃう。

 今は特にないけど…。

 花ちゃんの、ずぅっと同じ夢って、凄いと思う!」


 遥は驚きながら褒めてくれたが、


「いや、凄くはないから」


 小声で否定したのも束の間、急に遥から元気が抜けていくのが、わかった。


「私、保育園からの親友の真緒ちゃんとすみれちゃんと同じ高校に通っているんだけど、2年生になったら選択授業があるの。

 真緒ちゃんは進学組、すみれちゃんは就職組に分かれて勉強することになって結局、離れ離れになっちゃった。

 私はまだ、決められなくて。

 お父さんもお母さんも、取り敢えず進学しなさいって。

 でもさ、将来の目標もないのに進学するって、どうなの?」


 ピンときた。

 進路で悩んでここに来たのだろう。

 返答に困った。


 独身で派遣社員として働く傍ら長年、質素で慎ましい生活を送りつつ絵描きになる夢を追いかけている。

 今の私の現状はきっと、姉夫婦にとって、遥に悪影響を与える存在でしかない。


 暫く考えてから


「私が高校生だった時は…って。

 20年位前だから参考になるか、わからないけど、選択授業は途中で変更できたよ。

 遥の学校は、どうだろうね。

 変更できたら、いいね?」


「ありがとう!

 明日、先生に聞いてみる」


 遥の表情が、ぱあっと明るくなった。

 安心したようで、苺を1つ取ったのを見て、私も落とした苺を拾い上げた。



「花ちゃんは、いつ頃、有名になるの?」



 その言葉は決して、嫌味ではなく純粋に目を輝かせて聞いていることがわかっているから、余計に胸にぐさりと刺さる。


 歯がゆい。


「…いつだろうね、正直私にもわからないな。

 でも、死ぬ前までには、きっと誰かに見つけてもらえると思っているんだ」


 遥は怪訝そうに、


「死ぬ前…?

 誰かに見つけてもらう…?」

 

 どういうことと首を傾げた。



「20代で、どうしたら早く有名になれるのか、調べた時にゴッホの生涯を知って胸にストンと落ちた。

 あのゴッホでさえ、生きていた時に売れた作品はたったの1枚。

 ゴッホは、死んでから有名になった画家なの。

 根拠は無いけど、たぶん私も若い時に有名にはなれないと思う。

 だから、今は必死に描いて、描いて、いっぱい描くことにしているの」


「海外。

 しかも、昔の話でしょう?」


 遥は眉間にしわを寄せている。


「日本でもいるわよ。

 死後、有名になった人。

 あの、宮沢賢治」


「…ミヤザキ…ハヤオ…?」


「違う。宮崎駿は映画監督で、生きている。

 私が言っているのは、作家の宮沢賢治よ。

 み・や・ざ・わ・け・ん・じ!

『注文の多い料理店』とか『銀河鉄道の夜』とか『風の又三郎』とか『雨ニモマケズ』とか学校で習ったでしょう?

 しっかりしてよ!」


「作家ぁ、画家じゃないの?」


 と拍子抜けしたと思った次の瞬間、ひらめいたようで得意気に、


「知っている!

 『吾輩は猫である』の人でしょ!」


「それは、夏目漱石。

 宮沢賢治だって」



 遥は真面目な表情になって


「その人、何時代の人。

 江戸時代とか?」


「そんな訳ないでしょ…」


 言葉に詰まった。

 改めて聞かれると、何時代だろう。

 素早くスマホで検索して、遥に


「大正から昭和に活躍した人だって。

 あ、37歳で亡くなっている。

 …今の私と同い年」


 なんだか目の前が、真っ暗になった。

 更に遥の一言が追い打ちをかける。


「ね、見て、見て!

 ネットで調べたらゴッホも37歳で死んだって書いてあるよ!

 …37歳で死んだら、有名になれるのかな?」


 遥がスマホの画面をこちらに見せる。

 37年の生涯…そんなに若かったっけ。


 ゴッホが37年間の生涯だと知っていた筈なのに、すっかり忘れていたのは、当時20代だった私にとって37歳は、まだまだ先に感じられたからだろう。

 宮沢賢治は学校でさらっと勉強しただけで、亡くなった歳なんて、知る由もない。

 くしくも、ゴッホと同じ37年の生涯だったとは。


「ゴッホにも宮沢賢治にも、

『貴方には、凄い才能がある。貴方の力になりたい。』

 と優しく手を差し伸べてくれる誰かがいたなら、世界は違ったのかもしれない」


 しんみりしながら言うと遥は、ねぇねぇと話しかけてきた。


「ずっと花ちゃんの傍にいたおかげで私、だいぶ絵について詳しくなったよ」


 と部屋のあちらこちらを指差して


「あれは油絵、あれはボールペン画、それは水彩画、あそこのは色鉛筆画。

 今、花ちゃんが描いているのはパステル画、そこのは水墨画で、あれは日本画で、それが点描画」


 と説明していく。


 しまいには、身を乗り出し


「こんなに色んな絵を描ける人、世界中を探しても花ちゃんだけだと思う!

 それに加えて、本物そっくりの絵やデフォルメした絵も描ける!

 絶対に有名になれるよ!

 私、花ちゃんのファンだから!

 応援したいの」


 遥は居住まいを正して深呼吸すると真剣な面持ちで、口火を切った。


「花ちゃんは稀有な人なの。

 だから、すぐに有名になれるはず。

 今は何時代か、わかってんの、令和だよ!

 レ・イ・ワ!

 こんなに、技術が発達しているのに、スマホとか駆使しないなんて、あり得ないよ」


 興奮しながら遥が、差し出したスマホには、とある動画が流れている。


「花ちゃんを有名にしたくて、色々調べたの。

 SNSで有名になった画家の人、結構いるんだよ。

 これ見て。

 例えばこの人、絵の描き始めから完成するまでを録画・編集して動画をネットにアップしているの。

 私も世界中の人々にSNSで発信して、知ってもらいたいって、ずっと思っていた」


 遥の思いを聞いて萎縮した私は、


「無理無理!

 アナログ人間だから!」


 と必死に抵抗すると


「今、私の目の前でスマホを使って、ミヤザワナントカが活躍した時代を調べたじゃん。

 私とラインもしてるし。

 花ちゃんはアナログ人間にはなれないよ、絶対」


 と言って、スマホのライン画面を見せてきた。


「いやいや、遥だからラインしているだけで、知らない人に個人情報を提供したくないし」


 と、煮え切らない様子の私に


「私の倍以上、生きている花ちゃんは、いつになったら、報われるの?

 絵ばっかり描いているだけで、今まで展覧会だってしたことが無いのに、どうやって有名になるの!

 このままじゃ、誰も気づいてくれないよ?

 ネットやSNSを利用しないなんて、勿体ない!

 ペンネームと作品名と絵の写真だけでも、発信すればいいだけじゃん!」


 ぐうの音も出なかった。

 ふと、我に返り


「そもそも、遥の進路相談だったでしょ、話を逸らさないでよ」


 と話を戻そうとすると、遥は立ち上がって


「違う!

 花ちゃんの夢を叶えに来たの!」


 と意外な答えが返ってきた。


 私は動揺を隠せずに口をパクパクしていると、遥はパーを出した。

 とっさに私は目をぱちくりさせながら、


「…何、どうしたの?

 手なんか、出して」


 遥は、自信満々に


「さっき、ゴッホと宮沢に優しい手を差し伸べる人がいたなら、世界は違っていたって。

 だから、私が花ちゃんの優しい手になる」


 私の半分も生きてないじゃないと驚嘆の声を上げると


「年齢制限があるの?

 聞いてない!」


 と遥は驚いて、目を丸くしている。


「年齢制限は無いけど…年下すぎる。

 私は、こう、…あしながおじさん的な人を想像して」


「じゃあ。

 私、花ちゃんの夢を叶える為に、現れた妖精ね」


 遥は、私の話を遮った。


 何を言い出すんだ。


 急展開で話についていけない。


「いつまでこんな、売れない画家の生活をするんだろうって、ずっと不思議だった。

 普段からお洒落しないし、友達とも遊ばないで1日中、部屋にこもって絵を描いているけれど、画家として成功したいって気迫が全く感じ取れない花ちゃんの姿を、ずっと見てきた。

 あしながおじさんを待っているだけじゃ、出てこないよ!

 これからは、私も手伝うからSNSで、世界に発信しよう!」



 無防備だった私の心に、グサグサと遥の言葉が突き刺さる。

 

 饒舌に話し終えた遥は頼もしく見えた。

 遥が言ったことも一理ある。

 反論する余地はなかった。


 時計をちらりと見て


「ま、考えておくわ。

 少し早いけど、なんだかとっても疲れたから、そろそろ寝よう。

 テーブルしまって、布団を敷くわよ」


 と遥に、スペースを確保するよう促した。



 布団に入りながら、薄暗い部屋の天井を仰いでいる。

 隣の布団の中で、遥は食い入るようにスマホを見ている。


「明日、起きれなくなるから、寝なさい」


 遥からは、気の抜けた空返事。

 熱心に、何を見ているのと遥のスマホを覗き込むと


「宮沢賢治。

 この人、相当苦労したんだね」


 意表を突かれた。

 まさか、こんなに一生懸命、宮沢賢治のことを調べていたなんて。


 私はそうだねと相槌を打ちながら、もう遅いから寝ようと遥の頭を撫でた。



 隣では、一定のリズムで気持ちよさそうに寝息を立てている。

 思い返してみれば、遥は小さい時から傍で私の絵を褒め続け、本当に応援してくれていた。

 幼い時から、私の将来に気を揉んでいたと知り、胸がチクっとした。


 こんな出口の見えない生活が、いつまで続いて、あとどのくらい描き残せるのだろう。


 遥には言えなかったけど、美術展に応募・展覧会の開催等、精力的に行動に移せなかったのは、自分に自信が無かったから。

 作品を見た誰かに、否定され批判されるのが怖かった。

 作品は私自身だと思っているから、作品が否定されれば、私の人生そのものが否定されたことと同じ。


 いつからか、私を否定しない、優しいあしながおじさんを一方的に待ち望んでいた。


 考えが甘かった。


 遥との会話で、絵を描くことだけで自己満足をしていただけだったのだと、気付かされた。

 きっと、この薄暗い部屋よりも、絶望と不安が入り混じった私の未来の方が漆黒の暗闇だろう。

 SNSを始めれば、この暗闇から抜け出せるのだろうか。

 失敗はないだろうかと、先が見えない自分の未来に、恐怖すら感じる。



 翌朝、早く目覚めてしまった…というよりは色々考えていたら、寝付けなかった。


 キッチンで2人分の朝食の用意をする。

 目玉焼きとベーコンを焼きながら


「遥。

 もうそろそろ起きて、学校行く準備しないと遅刻するよ。

 朝ごはん食べるスペース無いから、早く布団を片付けて」


「わかったぁ」


 間延びした返事をしながら、寝惚け眼の遥はのっそり起きて布団をたたみ始めた。


「今日、学校終ったあと予定入っているの?」


 遥は微動だにせず、考えているのか、はたまた眠気と戦っているのか…


 なんもなーい


 という返事が暫く経ってから返ってきた。



「今日、誕生日だから。

 ワタシの」



 布団をたたんでいた遥の後ろ姿がぴたりと止まって、


 なんで?


 と血相を変えて振り返り


「花ちゃんの誕生日、まだ先だよね?

 どうしたの?

 大丈夫?

 病院行こう!」


 駆け寄って私の左手を握った遥に


「大丈夫。

 病院には行かない」 


 でもっ…


 と心配そうに見つめる遥の手を離した私は、微笑んだ。



「アナログ人間だった私とは昨日で、さよならしたの。

 今日からは生まれ変わって、絵描きになる為に、死に物狂いで頑張る事にした。

 そのための誕生日。

 だから、昨日話していたSNSとやらに挑戦してみようと思う。

 帰ってきたら、教えて」


 遥の表情はみるみる明るくなって、満面の笑みで、うんと元気良く頷くと


「私、進学することにした!

 将来、美術館で働く人になる!

 勿論、花ちゃんの美術館だよ!

 花ちゃんの絵を見に来たお客さんに1枚1枚、花ちゃんがどんな思いで描いたのか、丁寧に説明するの。

 そうと決まれば、SNSにアップする記念すべき1枚目となる作品を決めないと。

 いっぱいあるからな…迷うな」


 キョロキョロと物色し始める遥に


「それは、学校から帰ってきてから。

 まずは、学校に行って勉強。

 その前に、朝ごはん食べるから早くテーブル出して」


 そうだ!

 誕生日といえば、ケーキだよね。

 何処のケーキ屋さんのケーキにする?


 と声を弾ませる遥を見て、なんだか真っ暗だった自分の未来に一筋の明かりが見えた気がした。


 こうして、高校生だけど心強い最強の妖精を味方につけ、SNSなどの道具を手に入れた37歳の私。


 これから、どうなるかわからないけれど。

 自分の人生、体力が続く限り後悔しないように、夢を追いかけることにした。


 笑いたい人は笑えばいい。


 私は生まれ変わる。

第10弾も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


第11弾「一分間スピーチ」もございますので、読んでいただけると幸いです。


第1弾は「黒子(くろこ/ほくろ)」

第2弾は「風見鶏」

第3弾は「WARNING」

第4弾は「デジャブ」

第5弾は「アフロ」

第6弾は「まっしろなジグソーパズル」

第7弾は「とぉふぅ」

第8弾は「纏う」

第9弾は「花火大会」

となっております。


よろしくお願いいたします。

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