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閑話2 私も海に連れてって

 

 あれからジャンヌは何だか不機嫌だった。何が悪かったのだろう。別荘に付いて行かなければビンタされたし、付いて行くと言ったら言ったで不機嫌になるし。女心はよく分からない。

 俺はリーザ先生の家のドアをノックした。


「入って良いよー」


 中からリーザ先生の明るい声が響く。


「先生、着替えを……」


 そこまで言って俺は固まってしまった。先生の家の構造は玄関を開けるとすぐダイニングルームになっているのだが、そこに下着姿の人間を見つけてしまったのだ。地面に付きそうなほどの長い髪は玄関から差し込む日で艶やかに照っており、ぷっくり膨らんだお尻は可愛らしく、到底彼女が五百歳越えの魔女とは思えない。


「し、失礼しました!」


 俺は慌ててドアを閉じてしまった。閉じてしばらくして先ほどのやり取りがおかしいことに気付く。

 俺はちゃんとノックした。そしてリーザ先生は「入って良いよー」と言った。で、入ったら半裸のリーザ先生がいた。……俺悪くないじゃん! こんなことならもっと見とけば良かった! 俺ロリコンじゃないけども!

 その時、ガチャン、とノブが回る音がして扉が開いた。


「いやー、ごめんごめん」


 そこにいたのは私服に着替えたリーザ先生だった。私服と言っても普段の魔装と同じく胸元が開いている。やっぱ痴女だこの人。


「クラウス君いっつも料理作りに来てくれるから油断しちゃったよー」

「油断し過ぎですよ」

「にしてもクラウス君、随分私のお尻を見ていたようだねえ」


 リーザ先生は目を細めて笑っている。何でバレたんだ。この人背中に目でも付いてるのか。


「そ、そんなことありませんよ! さあ! 今日も張り切ってご飯作っちゃおうかな! あ、そうだ。その前に着替えたいんですが」

「着替え?」

「はい。俺が料理用としてここに置いてた私服なんですが」

「あー、あれなら今、使えないよ」

「使えない?」


 何だかリーザ先生の挙動に落ち着きが無い。両手の指を合わせたり離したりしている。


「洗濯でもしてるんですか?」

「いや、その、そういうわけじゃないんだけどさ」


 リーザ先生の声はまるで悪さをして弁明している時の子供のようにたどたどしい。先生は上目遣いに俺を見る。その瞳は潤んでいる。


「その、クラウス君の服がね、すごく良い匂いがするから、思わずね」


 リーザ先生は足をもじもじ動かす。その動きが何だか悩ましい。


「着ちゃったんだ」


 先生の指は部屋の一方を指さす。


「伊達さんが」


 禿げたおっさんが俺の私服を着て、まるで地縛霊のように佇んでいた。

 しかも上は俺の私服を着ているのに下はあのレモン以外身に着けていないオールド変態ファッションで、見ているだけで祟られそうだし頭がおかしくなりそうだ。着ている物も俺のサイズでは小さ過ぎたと見え、でっぷりとした腹がだらしなくはみ出ている。


「返せ!」


 俺は伊達さんに掴みかかった。


「いやあああああ! 襲われる! 若い猛りに飲み込まれちゃううう!」

「うるせえ!」


 抵抗する伊達さんから俺は衣服をはぎ取ろうともがいてみた。おっさんの汗が散り、俺の汗と交じり合い、非常に汚い液体となって床を濡らす。外から運動部の発するハリのある声が響く中、俺はおっさんと一緒にうめき声を上げていた。

 ふと悲しみと虚しさに襲われる。俺は何でこんなことをしているんだろう。何でおっさんを脱がせることにエネルギーを振り向けなければならないんだろう。これが……青春なのか?



「そもそも何でここにいるんだよ!」


 俺は伊達さんの頭を引っ叩いた。これまたハリのある音が室内に響く。


「分からない」


 伊達さんは答えた。いや何で分からないんだよ。


 俺は思わずリーザ先生の方を見た。先生は首を振った。


「私にも分からない」


 誰も知らなかった。




 ******





「うん、美味しい!」


 リーザ先生は目をきらめかせ、俺の作った料理を次々口に運んでいく。今日の料理は羊肉を挽き肉にし、それにネギや香辛料を加えて丸めたものや、白身魚を煮込んだスープサラダを出した。自分でも食べてみたが納得のいく味になっている。いや、正直に言うとまるで自分が作ったものじゃないかのようだ。

 昔から自分の料理に一定の自信はあったものの、今は自分で作っておいて自分で驚くほど美味い。それに料理を作るとき俺は半分気を失っているらしく、ほとんど料理中の記憶が無い。先生が呼び掛けても反応しないし、人間とは思ぬ速さで手を動かし、作業に没頭しているという。

 あの大魔法料理対決があってからこの現象は始まった。あの時も俺は準決勝まで無意識のまま料理を作っていたようだし、これ、いつか治るんだろうか……?


「そう言えば先生、俺、ジャンヌ達と海に行くことになったんですよ。ニックと紅花も一緒です」

「え! 何それ! 私も行きたい!」

「良いですよ。ジャンヌに話しておきますね」

「やったー!」


 あまりに軽くOKしてしまった後でジャンヌの苦そうな顔が浮かぶ。ま、まあニック達のこともOKしてくれたわけだし、リーザ先生が一人増えるくらい許してくれるよな。

 そう思っていると先生がフォークを机に置いた。



「ご馳走様! はぁ、美味しかったぁ」


 リーザ先生はとろんと眠そうな目で天井を見つめている。満足してもらえたんなら何よりだ。



「ねえ、クラウス君」


 リーザ先生は天井を向いたまま言った。


「何ですか?」


 俺はスープに口をつけながら答える。


「私達一緒に住まない?」


 スープが俺の鼻から勢い良く噴出した。噴出してお椀の中に循環して円環の理。おかげで鼻の通りが良くなった。


「な、何を言ってるんですか先生……」


 俺が顔を上げる間にリーザ先生は隣に来て、俺の腕を掴んだ。その華奢な身体と反比例して豊満な胸が俺の腕に触れる。


「別にいやらしい意味じゃないよ?」


 リーザ先生は上目遣いに俺を見る。彼女の顔の下でのぞく谷間は吸い込まれそうな妖しい影を投げている。いや完全にいやらしい意味じゃないのか。


「そ、それはどうして?」


 リーザ先生は更に顔を近づけてくる。


「クラウス君、いつも私のご飯作ってくれてるし片づけもしてくれるじゃない? それでどうせ遅くなるんなら私の家で暮らした方が都合良いと思うの」

「そ、それはそうかもしれませんが……」

「ちゃんとお礼もするよ? 今よりいっぱいお小遣いあげるし、それに」


 リーザ先生の右手が俺の股の方に伸びてくる。


「私も、お世話してあげるよ」


 甘い声が耳元で囁かれる。あ、ダメだ。理性を持ってかれる。俺は弾かれたように立ち上がっていた。


「そ、その! 俺! うんこしたくなったんで帰ります!」


 俺は急いでリーザ先生の家を出た。


「海、楽しみにしてるよー」


 いつものリーザ先生の明るい声が遠くなっていく。





 ******






 俺は夜風を感じながら寮への道を歩いていた。もう大分日は沈んでおり、赤黒い空が西に広がっている。

 びっくりした……。さっきのあれは何だったんだろう。

 俺の耳にはリーザ先生の甘い声がこびりついている。先生は普段から冗談めかして俺を誘惑するようなことを言うが、今日のあれは何だか様子が違った。本気で理性を失うかもと思ってしまうような、凄まじい引力のようなものを感じた。あのまま先生に身を委ねていたら俺はどうなっていただろう。今頃童貞を卒業していただろうか。

 ……いや、まさかな。

 きっと俺はまたからかわれていただけだ。その証拠に俺が飛び出していった直後、先生はいつもの明るい声で呼びかけてきたではないか。そうだ。そうに違いない。


 にしても、先生のあの目、手つき、誰かに似ている。そうだ、ルナだ。あいつも俺を誘惑する時はあんな目をしていたような。


「おはようございます」


 振り返ろうとした瞬間、俺は羽交い絞めにされていた。抵抗しようとしたが、後ろから鼻に押し当てられた布のせいでうまく呼吸が出来なくなる。急激に意識が遠のいていき、視界は暗く、音は聞こえなくなっていく。全ての感覚が無くなっていく中、鼻腔を突く甘いブドウの匂いが暗闇の中で漂っていた。



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