いざ決勝の舞台へ
フィルの演奏が終わり紅花の番を直前に控えた時、大会の係員達が慌ただしく動き始めた。どうやら場内で使われていたほとんどの作業台や調理器具などを片付けているようだ。それだけではない。大きな杖を持った複数の生徒達が闘技場内を囲むように立ち、観客席に向かって何かの呪文を唱え始めた。
これに観客席もざわつき始める。基本的に魔法の杖の大きさは扱える魔力の量に比例すると言われている。わざわざ大きい杖を持ってきたということは、それだけ威力の強い魔法を自分たちに向けて撃とうとしているのだと思われたからだ。
しかしその心配は杞憂だったようで、杖を持った生徒達は観客席に防御魔法を張っただけだった。防御の壁は透明だが、こちらまで届いてくる魔力の濃さからして、かなり頑丈な防護壁であることが伺えた。
他の観客達は何故今更防御魔法が張られたのか不思議に思っていることだろうが、俺には理由が分かっている。紅花対策だ。
その時である。会場に金色のスーツを着た男が機敏に飛び出してきた。彼は先ほどフィルの調理が終わった時にも出て来て場を繋いでいた男で、どうやら司会者らしい。
「先ほどのフィル選手の調理も素晴らしいものでしたね。さあ! 皆さまお待たせしました! 次は今大会きってのダークホース『謝・紅花』選手の登場だあ! 予選、準決勝とパワーあふれる調理で審査員の皆さんをことごとく救護室送りにした美少女料理人!」
観客達からどっと笑いが起こる。いやそこ笑うとこなのか。
「さあ紅花選手! 決勝戦でも大波乱を起こすことが出来るのか!? それでは出て来てもらいましょう! 謝・紅花選手の入場です!」
拍手が起こった。
心臓が跳ねる。
いよいよだ。俺は汗ばむ両手を膝の布で拭い、薄暗い入口を見据えた。
赤い調理服に身を包み、すらりと背の高い少女。紅花は一歩一歩、闘技場内に歩いてくる。紅花だ。本当に紅花が、今、大魔法料理対決決勝戦の舞台に立とうとしている。
拍手の中、入場してくる紅花を見ていると気持ちが昂る。言い知れぬ高揚感と誇らしさを感じる。
「うおおおおおおお! 紅花ああああああああ!!!!! 」
ニックがびっくりするくらい大声を出した。闘技場の外に轟きそうな大音声である。一緒に居た俺達はもちろん滅茶苦茶びっくりしたし、周りの観客達も一斉にこちらを見た。
「おいニック! 貴様が目立ってどうする!」
「馬鹿野郎か! こんくらい叫ばねえと紅花に聞こえねえだろうが! 紅花ああああああ! 頑張れえええええ! あ! 屁が出ちまった!!!」
確かにそうかもしれない。紅花が、あの大魔法料理対決の決勝戦に臨んでいるのだ。こんな時に恥ずかしがっている場合ではない。
「紅花ちゃああああん! 頑張ってええええ!」
最初に呼応したのはメランドリ先生だった。喉をつぶしそうな大声で叫んでいる。
「紅花ー、頑張れー。あとニックは死んで」
「皆さーん、クラウス様は私のものですよー!」
ジャンヌとルナも続く。弱冠一名全く関係のないことを叫んでいるような気がするけど。俺も声を出さなければ。俺は大きく息を吸い込んだ。
「紅花ぁああああああ!!!!!!! 必ず勝利を奪い取れ! 冥府にその名を轟かせよ!」
「何であの世なのよ」
ジャンヌが静かにつっこんでくるし、いつものミステリアスで売っている俺のイメージとは違うので恥ずかしいのだが、それにも増して紅花を鼓舞したかった。気を失っていたので全く紅花に言葉をかけてやることが出来なかったからだ。
不意に紅花がこちらを見た。俺達に気付くと笑顔で手を振り返してくる。ぎこちなかった表情が少し和らいだようだ。
「うおおおおおおおお!」
紅花に気付いてもらったことで、俺達のボルテージも一気に高まる。
「おいクラウス! お前も早く服脱げよ!」
「何故!?」
骨折するかと思うくらい強く拍手している俺達とは対照的に、周りの観客達は少し冷めていることに気付いた。勿論拍手は響いているのだが、先程「指揮者のフィル」とやらが出て来た時と比べると明らかに小さい。
だがまあ、それは仕方ないのかもしれない。紅花はほとんど無名の一年生だ。いや、料理魔法料部では「バ火力女」として有名だったかもしれないが、どちらにしろ彼女が優勝出来るわけがないと誰もが思っているだろう。
その時、再び係員が場内に入って来たことで客席がどよめいた。彼らは荷台に何かを乗せて、それを四人がかりで引っ張っている。それも一台ではなく、複数の台車が紅花の周りに集まっている。
その乗せられた何かは一見キノコのような形をしているが、それにしてはあまりに巨大過ぎる。熊より大きい。
「お、おい! あれはマッシュオークじゃないか!?」
「本当だ! あれをどうする気だ?」
「そりゃ調理するつもりなんだろうよ」
「馬鹿な。あんな物、一人の魔法使いがどうこう出来る硬さじゃねえぞ」
「ああ。だがあいつの肉は相当美味いって話じゃねえか」
流石地元にマッシュオークが生息しているとあって、皆あの食材がどんな存在なのかは知っているようだ。
観客達の紅花に向ける視線が好奇に満ちている。どんな魔法料理人も一人では手を出せないマッシュオークを目の前の少女がどのように料理するのか、固唾を飲んで見守っている。
紅花は審査員席に向かってお辞儀をした後、他の三方の客席に向かってもそれぞれ一礼し、顔を上げた。
その目は炎のように燃え盛っている。入場してきた時の不安そうな紅花はどこにも居ない。1mmのブレもなく、己のやるべきことと対峙している。
その時、紅花を取り囲むように横たわっていた食材が宙に浮いた。ふわふわ浮いているわけではない。まるで万力で固定されているかのように空中で動かないのだから紅花の魔法らしい。
ほぼ同時に、種火のような小さい炎が紅花の目前に浮かぶ。
その小さな炎が空気を切り裂いた。
炎の紅は風船のように膨張し、空気を侵略し、場内を支配した。
視界が朱に染まる。
固唾を飲んで見守っていた観客達からは悲鳴が起こる。皆パニックに陥りかけており、席を立ち逃げ出そうとする者もいる。それを係員達が「防御魔法を張っています。安全ですから落ち着いてください」となだめていた。
そうだ。それで良い、紅花。これが秘策。
俺の出した結論はこうだ。
「魔力が強すぎて魔法を制御出来ないのならば、その超高火力でしか出来ないことをすれば良い」
徐々に炎は引いていき、紅花の姿が薄っすら見えるようになった。その周り黒い塊と、その外側にキラキラ光る何かが浮かんでいる。
黒い塊は焦げたマッシュオークだ。そしてキラキラ光っている何かは包丁だった。しかし普通の包丁ではない。どちらかというと刀に近い大きな包丁が食材を取り囲むように何本も浮かんでいるのだ。あんな物を使ったら俺が十人くらい一気に切断されそうだ。
「エイヤー!」
紅花の声が響き渡ったかと思うと、無数の包丁が消えた。いや、高速で動いている。まるで水面に反射する魚のうろこのように包丁の鋼が煌めき、同時に焦げたマッシュオークがどんどん切断されていく。巻かれた糸が一気に解ける感覚に近いだろうか。凄まじい勢いでマッシュオークの体積が減っていき、切られた断面は白く光りながら下に落ちていく。
下にはあらかじめシートが引いてあるようで、地面に落ちないよう工夫がしてあった。
観客達から歓声が上がる。
「すげえ! マッシュオークを焼きやがった!」
「焼いただけじゃなくて切りやがったぞ! あいつ何者なんだ!?」
「マッシュオーク食いてえ!」
「僕は君を食べたいよはあはあ」
みんな、入場して来た時とは対照的に、期待に満ちた目で紅花を見ている。観客達の表情からはマッシュオークの調理がどれだけ難しいのかが伺える。過去の大魔法料理対決でもマッシュオークを調理しようとした、いや、調理出来た生徒は居なかっただろう。
そうだ紅花。力加減が出来ないのなら、その力でしか出来ないことをすれば良い。全てを焼き尽くす火力も、全てを切り刻んでしまう斬撃も、これは魔法料理人としての欠点ではない。欠けがえのない、紅花だけの才能なのだ。
紅花、お前の魔法は今この大魔法料理対決で通用しているぞ!
歓声の響く中、俺は胸の奥から熱くなる感覚を感じていた。
「出てきテ! オーシーちゃん!」」
紅花が叫ぶと地面に描かれた大雑把な魔方陣から例のオークが出てきた。食材を自分の体温で温めるあいつである。オークは紅花に命令されるまでもなく、器用に箸を使い、散らばった肉片を集め始めた。いや、異様な速さだ。一皿ごとに一定の量をより分けていくのだが、ほんの一瞬しか一皿に使っていない。
あのオークの異常な速さも紅花の魔力の恩恵なのかもしれない。
オークが取り分けた皿に、今度は紅花が特性のソースを急ピッチで注いでいく。あのソースは俺と紅花がマッシュオークに合うものを「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤しながら決めたものだ。俺も紅花も料理人なので、中々双方が納得行くソースにならなかったが、昨日やっと良い物が出来上がったのだ。
それが終わると、二人は出来上がったマッシュオークのステーキを急いで所定の位置に並べていく。ステーキは一つ一つが白い湯気を噴き上げている。観客席にもマッシュオークの新鮮な香りと甘いソースの匂いが食欲をそそる。理性を吹っ飛ばしそうな匂いだ。ニックは我慢出来ずによだれをこぼしている。
こぼしたよだれは全部、前の席の生徒にかかって今喧嘩になっている所だ。
所定の位置に全ての皿を運び終えた紅花は額の汗を拭った。そして審査員席に向き直り、大きな声で言った。
「さあ、召し上がレ!」