手加減してよ
目の前にはニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ、鶏もも肉、パクチーなどなど。この食材が黒焦げにならないことを祈るばかりである。
紅花が用意した食材を見て、ニックは神妙な顔つきになっている。パッとこちらを向いて、言う。
「これどれから食べれば良いんだ?」
「食べたら駄目なんだ」
「じゃあ早速始めるヨ!! クラウスは野菜の皮を剥いて欲しいヨ!」
「心得た」
「おい紅花! 俺は何の皮を剥けば良いんだ!」
「じゃあクラウスの皮剥いてヨ!」
「よっしゃあ!」
「よっしゃあじゃないわ!」
「さてはお前パリパリだな?」
「どういう意味だ! おい紅花! 真面目にやらないと本番でも痛い目を見るぞ!」
「アイヨー。じゃあニックは鶏肉を切って欲しいヨ!」
「よっしゃあ! 指切れちまった!!」
「早速過ぎるわ! 大丈夫か!?」
「平気平気」
とヘラヘラしているニックの指からは、真上に向かってピューピュー鮮血が噴き出している。どう見ても平気では無い。このままだと失血多量で死ぬやつである。
「うわああっ! は、早く救護室に」
その時、誰かが俺を後ろから掴んだ。ガッチリしたホールディング技術とは裏腹に、柔らかい感触と甘い匂いに包まれる。この匂いは……。
「お呼びですか? クラウス様」
ルナは俺の肩から顔を出し、俺の顔をガン見している。もうこいつ妖怪だろ。
「呼んでない! どうしてここにいる!」
「ふふっ。私はいつでもクラウス様のお側におります」
何その堂々たるストーカー宣言。
「それはそうとクラウス様、お友達が怪我をしたのなら私がお役に立ちますよ」
「そ、そうか。貴様は治癒魔法が使えるのだな。それならお願い出来るだろうか」
ルナの異常な行動はともかく、治療を申し出てくれたことはありがたい。
俺は魔法料理学部近くの救護室を知らないし、直ぐ治癒してくれる存在がいるのなら、それに越したことはない。
「ご褒美に今から私と同じお墓に入って頂けますか?」
「ちょっと待て気が早い!」
こいつが言うと冗談に聞こえない。俺がイエスと言えば満面の笑みで穴を掘り出しそうである。
押し問答の末、どうにか彼女とニックを仕切りの外に出すことに成功した。
やれやれ、これでようやく料理に集中出来る。
「紅花、野菜の皮剥きが終わったぞ」
「よーし、じゃあこれから野菜を切って行くヨ!」
「我が切れば良いのだな?」
「魔法の練習したいから私が切るヨー。それに、魔法で切った方が早いヨー。クラウスは指をくわえて見てると良いヨー」
紅花の手には右手、左手にそれぞれ五本の包丁が握られている。
「お、おい紅花。何だその量は。ドラゴンでも解体するつもりか?」
紅花はそれに応えず、俺の顔を見てニヤリと笑った。普段通りの柔和な笑顔だったのだが、多数の包丁を持っている彼女の顔は見違えるように不気味だった。
何だか猛烈に嫌な予感がしたので慌てて調理場の仕切りの外に退避した。
「おうクラウス! すげーぞ! もう指の傷が塞がったぜえ!」
ニックが嬉しそうに指を突き出してくる。
「ルナがいれば指切り放題だな!」
「メンヘラか」
「クラウス様も安心して指を切ってくださいね」
「どういう安心保障だ」
不意に何かの気配を感じ、振り返って我が目を疑った。
先ほどまで紅花の手に握られていた十本の包丁が、まるで羽虫のように宙を漂っているのだ。
その中心で紅花が目を閉じ、精神を集中させているようだ。
仕切りの外に出て良かった。あのまま中に居たら串刺しになっていたところだ。
その時、紅花が目を見開き、腕を振り下ろした。
「カッティング!!」
天を突くような声と共に、包丁が目に見えない速さで渦巻き始めた。禍々しい風切り音が辺りに響き、時折包丁同士がぶつかるのか、火花が眩しい。
あの、紅花さん、カレー作るんですよね?
先ほど俺は「あのまま中に居たら串刺しになるところだった」と思ったがどうやら違ったようだ。塵になるところだった。
包丁の暴走は止まるところを知らず、最早包丁も紅花も何も見えなくなった時、急に調理場の中が鮮明に見えるようになった。
紅花がボウルを持って立っている。
十本の包丁は調理台の上に規則正しく並んでいる。
澄ました顔しやがって……。さっきまで死ぬほど乱れてたくせに。(包丁)
「さ、微塵切り出来たヨ!」
と紅花が俺たちに見せたボウルの中には野菜が入っていない。いや、入ってるのだが、一見してそれが野菜だとは分からなかった。
あまりに細かく切りすぎたためか、野菜達は微塵切りを通り過ぎてペースト状になっており、ドロっとした変わり果てたフォルムからは元の姿を連想するのが難しかったのだ。
「ほら、微塵切りヨ!」
よくこれを微塵切りと言い張ろうと思ったな。切ったというより擦り潰したという表現の方が近いんじゃないだろうか。
「ほ、紅花。それは切り過ぎだ。これでは美味しいカレーにならないぞ」
「アイヤー! まーた切りすぎちゃったヨー!」
紅花は舌を出し、おでこをぺチっと叩いた。何だその仕草は。
「もう少し手加減出来ないのか?」
「やろうと思ってるけど出来ないヨ! 私魔法操るの苦手ヨ!」
「いや、苦手と言っても限度が」
「そもそも私、一流の魔法料理人になる前に、先ず魔力を制御するためにこの学園来たのヨ。でも未だ無理ヨ!」
なるほど。要するにまだスタートラインに立ってないと言うことか。今のままでは優勝は夢のまた夢どころか残像である。
「じゃあ先ずは玉ねぎを炒めていくヨ!」
いやもう全部の野菜がごっちゃになってて玉ねぎもクソもない。
「ちょ、ちょっと待て紅花!」
「何ヨ!」
「このまま火を使ったらまた黒焦げになってしまうだろう。どうにか火の加減を出来ないか?」
「分かったヨ! 人生で最大の手加減をして魔法を使ってみるヨ!」
最大の手加減て何か変な言葉だな。
突然、紅花が地面に横たわった。四肢に力が入っておらず、だらっとしていて、すごく寛いでいるようだ。
それとは関係無いが、紅花がこちらに足を向けているため、ごろりごろりと体制を変える度、チラチラとパンツが見える。
「クラウス様、どこを見ておいでなのですか……?」
後ろから刺すような視線に背筋がゾワっとする。いや、ルナの視線なら本当に刺し殺されかねない。
「ほ、紅花! 急に寝そべって何してるんだ!」
俺は慌てて話題を逸らす。
「今、力を抜いてるところヨー。こうやって力を抜きながら魔法を打ったらきっと、だらしない魔法が打てるはずヨ〜」
今にも眠りそうな声だったので思わず俺も欠伸が出そうになる。紅花の理論が正しいかは分からないが、確かにあのだらけきった体制から強烈な炎魔法が飛んでくる想像は出来ない。
「ファイヤ〜」
紅花が手をかざすと、そこから小さい炎がふわりと飛び出した。
成功した!
俺は思わず「おおっ!」という声をあげた。
ふわふわと漂っていた炎は、野菜の入ったフライパンのところまで到達すると、血のように赤い火花を発した。
危険を感じる間も無かった。
たちまち膨張した炎は天井に向かって激しい火柱をあげ、暴風のごとく渦巻き、俺たちの視界をことごとく奪ってしまった。
全然手加減出来てねえ!