間話 体育が嫌い
ピッと鋭く笛が鳴る。
五人の女子達が一斉に走り出す。
序盤から大きく抜け出した生徒がいる。
流れるような四肢の動きは美しく、野生的な爆発力を発揮し、ぐいぐい後続を引き離していく。
おお、とため息のような歓声が上がった。彼女の姿にクラス中の注目が集まっている。速く、しなやかで、……そしておっぱいが大きい。
彼女の手足の動きとともに躍動する胸。それを形容するならまるで昼下がりのスイカ。
なんて揺れだ。あの揺れ幅を計測する仕事があったらもっと世界は平和になるんじゃないだろうか。いや仕事の奪い合いで戦争に発展するか。
俺と同じく、女子の隣で体育の授業に励んでいた俺たち男子全員、固唾を飲んでジャンヌを見つめている。今視力検査を実施したら、全員視力が5.0くらいになっていたかもしれない。
俺は勉強だけでなく運動もかなり苦手で、体育の授業がすごく嫌いだった。体育のある日は毎回「雨になりますように」とか「間違って焼き芋を作る授業になりますように」とか「グラウンドが埋め立てられて動物園になりますように」と願わずにいられなかった。
そこに垂らされた蜘蛛の糸。それはジャンヌのおっぱい。それを見るだけで頑張れた。乗り越えることが出来た。そう、俺は救われたのだ。崇めたい。おっぱいの素晴らしさを広める宗教を作りたい。
「よし、準備体操終わったな。じゃあ二人組を作ってー」
体育教師のその言葉は、ふわふわしていた俺の気持ちを一瞬で覚ました。まるで鋭利な刃物のように心を抉った。
それは俺にとって禁断の言葉。前の魔法学園で散々俺を痛めつけてきた闇の呪文。ボッチの俺はその言葉で何度死の淵に立っただろう。
「ぐわあああああああ!」
俺はその場でのたうち回った。ゴロンゴロンと土を巻き上げ、まるでボールのように転げ回る。土は硬くて背中が痛いし、服は汚れるが仕方ない。
「どうした!? 心臓の発作か!」
体育教師が声をかけてくる。
「先生、大丈夫です。いつもこうなんです」
クラスメイトの一人が言った。余計なことを言うな。
「いつも?」
「ギラ出身なんで」
「あっ」
教師は何かを察したように頷き、何だか悲しそうに俺を見た。何だその憐れむような顔は! と思ったが途中でやめるわけにもいかない。
「【二人組作って】だと……! 何て強力な呪文なんだ……!」
「呪文て」
「くっ、こんな時に……、鎮まれ……。鎮まれ邪悪なる魔物の血よ!」
俺は右手を左手で必死に抑え、震える声で言った。こんなことをすればクラス中から浮くのは分かっていたが、分かった上で俺はコロコロしていた。こうやってのたうち回っていれば、そのうち「お前もう休め」とか言われて†二人組作って†とかいう地獄の懲罰も避けられるはずだ。
誰かが俺の手を取った。体育教師かと思ったが、それにしては随分と柔らかい。女の子の手かな? と思っていると、急に指先が何かに覆われた。ぬるま湯に浸かっている時のあの心地良い感覚……。
「お、おい! 何やってるんだお前!」
何かが起こっている。
顔を上げた俺が捉えたのは見慣れた女子の顔。少し遅れて俺の脳が処理した情報としては、それがルナで、俺の指先を咥えているということだった。
「う、うわ!」
俺は慌てて手を引いた。「キュポン」と変な音を立てて指がルナの口から脱走に成功する。
「クラウス様の指、美味しい」
ルナは恍惚とした表情で言った。その表情で台詞を吐くと完全にヤバい奴に見える。いや完全にヤバい奴だったなこいつは。
「な、何をしているのだ貴様!」
「クラウス様の指を舐めていました」
分かっとるわ!
「……何故舐めていた?」
「そこに指があったので」
何その登山家とサイコパス殺人鬼が合体したかのような理由付け。意味の分からなさが恐怖を加速させる。
疑問は尽きない。なぜルナはここにいる? 今グラウンドにいるのは俺たち魔道士学科一年P組の生徒だけのはずだ。医療魔法学部のルナは別授業のはずだし、何より体操服を着ているのもおかしい。
いや、その体操服も従来の女子のものとは少し異なっている。
上は他の女子と変わらない……と言ってもやにピッチリしていて彼女のボディラインがこれでもかと強調されているのは狙っているのだろうか。
下に履いているのはまるでパンツだ。紺色で布面積が少なく逆三角形になっている。痴女なのか? 痴女だったなそう言えば。
クラス中がざわついていることなどお構いなしに、ルナは膝立ちの四つん這いになり、俺の方に迫ってくる。デジャヴな光景である。
「ねえクラウス様……私と子作りをしたいのですよね?」
「最終確認みたいな形式で聞いてくるな! 今は体育の授業中だぞ!」
「ええ。ですからみんなで二人組を作って子作りする最中ですよね?」
「これ男子の授業だぞ!!」
しかしルナは迫ってくる。こんな時にも理性に負けてしまいそうなほど、ルナの身体は魅力的だった。その目つきは以前にも増して獲物を逃すまいとする猛禽類のように鋭い。
ルナの身体が間近に迫る。
「さあ横になって……このまま二人で夜の筋肉を鍛えましょう」
夜筋!?
「何してんのあんた」
誰かが俺とルナの間に割って入った。俺の位置からは真正面に尻が見えるので、これはジャンヌの尻だぞ。となった。胸が規格外で目立たないが、お尻も良い形をしている。
「あら、ジャンヌさん。いらっしゃったんですね」
「あんたこそ何でここにいるの?」
「ええ、クラウス様が私の体操服姿を見たいのかと思いまして」
発想と実行力が偉人並み! アッタマのネジぶっ飛んでやがる。授業をサボって他クラスの体育に参加するなんて体育原理主義者でもない限りやらない。
「ジャンヌさんこそ、どうしてここにいるのですか? 非常識ですよ。早く女子の方に戻った方が良いのでは?」
「あんたにだけは言われたくないんだけど」
ごもっともである。
それはそうとジャンヌの声はやはり刺々しい。
ここでルナが立ち上がり、ジャンヌと向き合う形となった。二人並ぶと凄まじい迫力である。普段は制服で覆われている豊満な身体が今はくっきり見えた。この二人だけ何か別の美しい生物であるかのように錯覚しそうだ。
頼むから二人で相撲を取ってくれないだろうか。二人のオッパ、いや、身体が絡み合、いや、本気でぶつかるところを見てみたい。
俺が行司をやるし、二人が投げた塩を舐める係もやる。
「クラウス様は今二人組を作る相手に困って駄々をこねておられたのです。あまりに痛々しいお姿だったので私がお相手に申し出ましたが何かいけませんでしたか?」
やめろお! 俺の新たな傷を抉るなあ!!
「確かにクラウスは二人組を作れなくて哀れで無様で見ていられない行動に出たかもしれないわ」
傷口に塩を塗るなあ!!
「でも相手を探すなら同じクラスからの方がいい。だから私がペアになる」
何でそうなるんだ! いやジャンヌとペアなら組んでみたいかもしれない。柔軟とかする場合は彼女の背中を押せるわけだろ。そして背中側から見えるおっぱいを間近で観察できるわけだろ。
「いいえ、私の方が相応しいです。ジャンヌさんは同じ女子同士でペアを組んだら良いではないですか。私は部外者。そしてクラウス様はボッチ。はみ出し者同士でお似合いだと思います」
お前はさっきから俺に的確にダメージを与えてくるな。
「いいや、私の方がいい」
「私です」
「あんたはどっちにするの」
二人の間で高速でラリーされていたボールが急にこちらに来た。急にボールが来たので返答に詰まってしまう。
と、ジャンヌが急にモジモジし始めた。
「ほ、本当はあんたとなんか組みたくないけど、部外者のルナと組むのは駄目だし、一人なのも可哀想だから私が組んであげる」
顔を赤らめ、何だか蚊の鳴くような声で言う。可愛い。これはジャンヌで決まりか。
「ねえ、クラウス様」
今度はルナの甘ったるい声。ルナはお辞儀のように、こちらへ上体を倒し、眉を下げた上目遣いにこちらを見ている。一見弱そうに見えてそれは獲物を狙う眼光。
「クラウス様……私と夜の筋肉を鍛えましょう?」
夜筋!?(二回目)
ルナは襟ぐりを指でぐいっと下げ、谷間を俺に見せつける。ハリのある胸が男子達の視線を釘付けにする。これは凄い。この身体と夜の筋肉を鍛えられるんなら昼の筋肉と永遠の別れをしても構わない気がしてきた。
「あんたはいつも男に媚びすぎ。クラウスに近づいてはいけない」
「ふふっ、そんな全身えっちボディの人が言っても説得力がありません」
「な、私の身体は関係ないでしょ!」
「そんなこと言って、本当は勝ち誇ってるクセに」
二人の口論が激しくなってきた。口論している姿も美しい。内容はアレだが。
「とにかくあんたがクラウスと組んだら何をしでかすか分からないから絶対に組ませるわけにはいかない」
「ジャンヌさんこそ、きっとそのお胸でクラウス様を誘惑するつもりに決まっています」
「じゃあこうしましょう」
「どうするのです?」
「私たちで二人組を作るの」
俺は!? お前ら俺を巡って争ってたんじゃないの!?
「ええ、そうしましょう」
そうしましょう!?
じゃあ長年に渡って係争関係にあった俺という紛争地帯は誰のものになるの!?
俺から遠ざかって行く二人の背中を追う俺の背後に一つの影が立った。振り返ると、体育教師が仁王立ちしている。
「クラウス、じゃあ先生と組むか!」
結局こうなるのかよ!!
「しかしお前は貧弱だな。よし、明日から毎朝5時に起きて先生と朝練しよう! サボったら赤点だからな!」
……え?




