村長の家 2
「待て。我は呪いを解きに来ただけだ! 結婚するとは一言も言っていない!」
俺は慌ててかぶりを振った。すると村長が夢から覚めたかのように真顔になった。真顔になった後、少し寂しそうにルナを見やった。
「ルナ、そうなのか?」
ルナは俯いてしばらく黙っていたが、小さな声で
「ごめんなさい、お爺さま。私、クラウス様が来て下さるのが嬉しくて、つい大袈裟に……」
と言った。あれ、意外に素直だな。
「何と言うことだ」
村長は天を仰ぎ、顔を手で覆った。どれだけ俺に期待してだんだよ。
「闇魔道士殿、申し訳ありません。孫娘が結婚相手を連れてくると申すものですから、つい舞い上がってしまいまして……」
「いや、我は構わぬ」
「結婚式のために教会を改修し、村唯一のスイーツ職人も闇魔道士殿達の結婚式のために老体に鞭打ってウェディングケーキの改良に取り組んでいましたし、村一同で結婚式の余興を毎日八時間練習しておりましたし、女達はルナのウェディングドレスや服を結婚式に間に合わせるため必死に縫っておりますし、男達はお二人の結婚、生活費用を稼ぐたボロボロになりがなら働いておりますがやはり結婚して頂けませんか?」
こ、断り辛ぇ……! というか俺の知らないところで結婚式の準備進み過ぎだろ。城を落とす勢いで外堀埋めに来てるじゃねえか。
「いや、我は……結婚をするつもりは……」
「無いなら無いってはっきり言いなさいよ」
この村に着いてから(馬車の中でもだが)明らかにジャンヌの機嫌が悪い。
「我は結婚するつもりは、ない」
「そうですか……」
村長は先ほどと同じように天を仰ぎ、顔を手で覆った。
「闇魔道士殿、これはルナのせいではありません。私の早とちりのせいでございますから、どうか、孫娘を嫌いにならないで下さいませ」
「無論だ。このようなことで嫌ったりはしない」
「では好きなのですね?」
「え?」
何その一転攻勢。村長は一枚の紙切れを取り出した。
「好きなのでしたら話が早い。こちらの婚姻届にサインを」
「いや何故そうなる! 我は嫌いにはならないと言っただけで、結婚するとは一言も……」
「そうなのですか……」
村長は先ほどと同じように天を仰ぎ、顔を手で覆った。それやめろ。
「残念です。でも仕方ありません。まあゆっくりとしていって下さい」
いやこの雰囲気でゆっくり出来るか。一刻も早くここを出なければ、いつ首を縦に振らされるか分かったものではない。
「ところで闇魔道士殿。ご趣味は?」
「我は料理が得意だ」
「闇魔道士なのに?」
と言ったのはジャンヌだ。うるさい。
「そうでしたか! それは丁度良い。うちの孫娘はどうも料理が下手でして。どの料理を作っても必ず砂の味がするのです」
それはもう砂しか入ってないんじゃないのか?
「もう、お爺さまったら、それは言わないで下さい!」
「クラウス様。是非娘に料理を教えて下さいませんか?」
「それは構わぬが……」
「では結婚成立ということで」
「何故そうなる! 我は料理を教えると言っただけだ!」
「そうですか……」
村長は天を仰ぎ、顔を手で以下略。
「ところで闇魔道士殿、魚はお好きですか?」
「ああ。嫌いではないが」
「つまり結婚したいと」
「何でそうなる!?」
「そうですか……」
村長は天を仰ぎ、顔を手で覆った。鹿威しかお前は。
その時、村長がおもむろに一匹の生魚を取り出した。それどこに収納してたの……?
と思っていると、急に魚が立ち上がった。
……何を言っているか分からないかもしれないが、確かにその魚は胴から生えた手足により、口を天辺にして立ち上がっていたのだ。その姿はかなりキモくてシュールだ。ルナと出会ったときの走るニンジンを彷彿とさせる。
「アー!」
魚が急に声を発した。何だこいつ怖っ!
「ほら、この魚もこう言っていることですし」
いや何て言ったんだよ! 魚の言葉なんか分っかんねえよ!
「いや、だから我はルナと結婚する気は……」
「では村長である私と結婚するのはいかがでしょう」
「何故そうなる?! 不発弾か貴様!」
「ところで婿殿、パンはお好きか?」
もう婿って言ってるし! 絶対最初から俺を逃さない気だったに違いない。パンは好きだが、ここで「パンが好き」と言うと、また「結婚結婚」と迫られかねない。
「いや、パンは嫌いだ」
「では結婚ということで!」
「何でも良いのか貴様!!」
「パンが嫌いなんて勿体のうございます! 今からこの村自慢のパンをお持ち致しましょう」
村長がパンパン手を叩くと扉が開き、四つん這いの男がシャカシャカこちらに近付いてきた。
ここに来て新種登場だと!?
あまりの不気味さに俺は思わず立ち上がってしまった。
「クラウス様、心配しないで下さい。彼は先ほどの床の好きなメイド、アニーの、父親ではありません」
じゃあ誰なんだよ!
何だその何かを伝えているようで何も伝えていない紹介文!
「彼はアニーの父親の何かです」
「何かってなんぞ!?」
しかし彼の背中には盆が乗っており、そこにお茶などが乗っているのを見ると、彼も召使いであることは確かなのだろう。
「ふふっ。本当に家族揃って床が好きなんだから」
とルナは口に手を当て笑う。いやさっきの説明だと血の繋がり無さそうだったんだが。
ところで男の背中にはお茶と、皿に入った山盛りのクッキーが置いてある。
パンじゃねえのかよ。
「どうぞ皆さん。こちらは我が村自慢のパンでございます」
クッキーじゃねえのかよ!
その時、バランスが崩れたらしく、男の背中に乗っていたお茶がこぼれた。湯気を吹き上げる熱いお茶である。
「熱ぁあああああ!!」
男は反射的に跳ね起きた。
まるで時がゆっくりと流れているかのように、クッキーとお茶が宙を舞った。
そのクッキーが一瞬のうちに消えた。
「ふぅ、あうええ」
と言ったニックは頬をパンパンにしてクッキーを噛み砕いている。流石ザビオス族。俺達とは動体視力が違うな。と、感心しているとニッキーは、間違えた。ニックは急にうつ伏せで倒れてしまった。
「おいニック! どうした!」
ニックは応えず、豪快にいびきをかいている。寝ているらしい。
「クラウス様、ニックさんも床が好きですのね?」
「そんなわけないだろう! クッキーの中に何か入ってたんじゃないのか!?」
「婿殿、人聞きの悪いことを言わないで下さい。そのクッキーの中には致死量ギリギリの睡眠薬意外は入っておりません」
「じゃあただの睡眠薬じゃねえか!! 早くニックの手当をしなければ……」
まあニックなら死にはしないと思うが、その睡眠薬で俺達を眠らせて、どうするつもりだったんだろう。考えるだけで恐ろしい。
「申し訳ありません、失念致しておりました。ルナ、その方に回復魔法を掛けてあげなさい」
「はい、お爺さま」
「では空いた時間に婿殿は早く結婚の手続きを」
何なんだその執念は!
「いい加減にして下さい!」
ジャンヌの一喝に、部屋の中は一気に静かになった。ただニックのいびきだけが馬鹿でかい。
「クラウスはこの村に呪いを解きに来ました。それは貴方達村人のためです」
ジャンヌは険しい目で村長を見据えている。
「それなのに貴方達は結婚だの何だの、クラウスの意志に反して話を進めて、あまりに失礼ではありませんか? それが一族の長の態度なんですか?」
こう言われて、流石に村長も黙ってしまった。本当に誰も喋れないくらい凄い迫力だった。
「も、申し訳ありません。私もいささかやり過ぎました」
ややあって、ようやく村長は頭をかきながら言った。ルナの方は、村長を諫めたジャンヌの方を睨むでもなくじっと見つめていた。しかしジャンヌの方は明らかに敵意を持った目でルナを睨んでいる。ひょっとしたら殺意さえ篭っていそうだ。
「では、夜には酒肴の用意を致します。今は宿でゆっくりとお休み下さい。ところで闇魔道士殿」
「何か?」
「結婚式の日取りはいつになさいますか?」
何も分かってねえ!!
「お、朝か!」
とニックが目を覚ましたのはそんな時だった。