バニラアイスクリーム
相内 充希 さま主催「共通書き出し企画」参加作品です。
それは、天上の白き宝玉と呼ばれていた。否、今もそう呼ばれているに違いない。世間になにが起ころうと、日本列島を揺るがす災難に人々が見舞われようと、私にはそれが永遠に不変の事実であるような気さえするのである。
諸君は、芥川龍之介の短編『蜘蛛の糸』をご存知だろうか。極楽の御釈迦様が地獄へ落ちた大悪人をかつてのただひとつの善行への報いとして救い出してやろうとお考えになり、「蜘蛛の糸」をお垂らしになるが、自分ばかり地獄から抜け出そうとした大悪党の他の罪人への無慈悲な心への報いとしてその救いの糸はぷつりと切れてしまう、―― そんなお話である。
このお話に登場する御釈迦様は大概なオプティミストであられる。大悪党がただのいちど蜘蛛の命を無暗にとらず済ませたことを善行ととらえ、その善いおこないは報われるべしとお考えになる。
オプティミスムの滑稽な点はまさにここにある。宝玉はそのわずかな疵をも探し出され値踏みをされるが、泥をかぶった花はわずかに垣間見える白い花弁を見いだされ、ほんとうはよい花であるのだとその真偽も曖昧なうちに定められる。
結局人間の心というやつは臆病であるから、人を疑いたくないのであって、そのために、わざわざ自分の信じられる範疇へ他人を押し込めようと努力する。オプティミスムの基盤となるのは、純粋なる恐怖心ということだ。
―― このように、『蜘蛛の糸』に登場する御釈迦様は大悪党の良心へ期待をし、その期待がすっかり破れてしまったことに心を痛めるわけであるが、―― 私はそのようなことをお話ししたかったのではない。本題に入る前にすこしばかり余談が過ぎてしまったことを読者諸君に申し訳なく思う。
私が諸君にほんとうにお伝えしたいこととは、三年前、東京某所で堪能したアイスクリームのことである。東京に住む友人に会いに行ったときの話だ。
彼はいわゆるグルメで、ビルに囲まれた東京の街を歩きまわって、私にさまざまな料理を紹介してくれた。ビーフストロガノフにタイ式カレー、バジルソースの載ったスパゲティーニ、―― なかでもムールという貝の入った魚介系パエリアを食べたときなどは、世の中にこんなにうまいものが存在するものかと舌を巻いた ――。
しかし、今の私にいちばんの思い出として残っているものは、友人と別れた後にふと入った喫茶で出てきたバニラアイスクリームの思い出なのだ。
「お待たせいたしました」
ウエイトレスの持ってきたそれは、透き徹ったガラスの器に載せられた素朴な白いアイスクリームで、なんの変哲もない見た目をしてはいたが、私はなぜかひどく心ひかれた。もっとも、それはウエイトレスの次のことばを聞いてのことだ。
「天上の白き宝玉、バニラアイスでございます」
「白き宝玉?」
私は思わず聞きかえした。
「こちら、天上の白き宝玉、バニラアイスになります」
ウエイトレス ―― 二十歳になるかならないかくらいの女性店員 ―― は、そう言ってにこりと笑った。
「メニューにはただ ――」
「天上の白き宝玉、バニラアイスになります」
もういちどにこりと笑い、彼女は私の席を去った。置かれた伝票を見たが、そこには単に「バニラアイス」と印字されているのみだった。
―― 勘のいい読者諸君は、ひょっとすると、私が先に芥川龍之介の短編『蜘蛛の糸』の話を持ち出した理由がお分かりになったかもしれない。しかしながら、私のほんとうに好きな小説は梶井基次郎の『檸檬』だ。それを知らずして、―― また知ったとして、―― 私がこれから語ろうとしているバニラアイスクリームの思い出の詳細をすっかり当ててしまう読者は、そうそうおるまいと思う。
私は即座に芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い出した。話の内容ではない。また、私がこねくりまわした彼の小説の解釈のことも、なんら関係するものではない。私が思い出したのは、小説冒頭の極楽の蓮池の描写であった。―― 地獄をのぞける水晶のように透き徹った池のなかに咲く、「玉のようにまっ白」な蓮の花、そのなかには香り高い「金色の蕊」が鎮座しておられる……。
―― 私はまず、まっ白いバニラアイスのてっぺんを銀色のスプーンで割ると、テーブルの端に紅茶用のシロップを見つけ、それを流しこんだ。そしてもう一度スプーンを入れると、シロップは溶けたクリームと一緒になって透き徹ったガラスの器を浸しはじめた。愉快になった私は、スプーンを使ってその白い液体をふちまで引っぱってくると、器ごと持ちあげてこれを下からのぞきこんだ。―― 地獄の底からのぞく極楽の蓮池の水は金色の光を浴びて煌々とかがやき、うえへ載ったまっ白い宝玉をいっそう際立たせていた。ゆっくりと角度を変えるとそのかがやきも変化を見せ、極楽に優しいそよ風の吹いたようにも想像できた。そして、もうすこし傾けると、――
「あっ……」
―― 目の前に一条の蜘蛛の糸が、それは美しい光をまとって降りてきた……。
私はそこへ舌を出すのも忘れ、その白い糸に見惚れてしまった。
気づいたときにはテーブルのうえが白く濁っていた。私はこれを紙ナプキンで拭いて、ようやく器へ溶けのこったバニラアイスクリームを食したのである。
思うに、私は疲れていたのだ。美しい光景に精神を持っていかれるときというのはそういうものだ。東京のビルの街並みも、友人の紹介で出会ったどの料理も、私の疲れを癒しはしなかった。ただひとつのバニラアイスクリームと、ウエイトレスの遊び心と、私自身の読書歴と感性との奇妙なマッチングが、このふしぎな癒しを私に与えてくれたのだ。
この経験は、私のなかでは永遠のものになったように思う。世間になにが起きようと、日本列島を揺るがす大惨事に見舞われようと ――、私のなかには「天上の白き宝玉」という不変の美が鎮座しているのである。 (平成三十一年三月)