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烏の至宝  作者: 七転び
4/5

崩れた草庵に目もくれず、烏は飛去った。


野を超え山を越え、それを三度ばかり繰り返すと、まるで水墨画のような美しい渓谷が眼下に拡がり、一際高い岩山に数度旋回してから烏は人の姿で降り立った。岩山の頂上は巨大な平岩が平地然としていたが、ほぼ中央が刳り貫かれて、まるで石櫃(せきひつ)のようになっていた。

烏は袂から蓬莱の玉の枝を取り出し、その中に納め、指輪の台座から外した龍の首の珠を燕が産んだ子安貝で枝に留め、何の躊躇いもなく火を放つ。すぐさま火鼠の(かわごろも)で穴を被う。暫くすると炎により裘は玉虫色に光り輝き出した。その美しさにうっとりとしながら、火の回り具合や勢いを確かめ小さく頷くと、烏は平岩に座り込んだ。

三日三晩炎は燃え続けた。

四日目に輝きが薄れた。

裘の所々でユラユラと揺れる光が完全に沈黙したのはそこから更に二日目の夜半も過ぎた頃だ。

逸る気持ちを抑え烏は黎明まで待ち、差し込んだ朝日を合図に恐る恐る裘をめくった。


岩の穴の中には、少しだけ姿が変わったシロが横たわっていた。


色がないのは変わりないが、ひと回りもふた回りも小さくなり、さながら童子(わらべ)の人形のよう。

金糸銀糸を合わせたような髪と同じ色の睫毛がふるりと震え、ゆっくりと開かれた瞼の奥は、炎のような揺らめきが宿った紅い瞳。深い眠りから覚めた人にあるよう、その瞳は暫く虚空を彷徨った。烏を通り越し、空をぼんやりと眺めているシロに気を悪くする風もなく、寧ろ息を詰めて凝っと様子を窺っていた。

「…………………空じゃ…」

小さな小さな呟きだったが、鈴が転がるような、金糸雀の囀りような声を烏は聞き逃さなかった。呆と詰めていた息を吐くと、知らず入っていた肩の力が抜けた。微かな衣擦れの音に気付き、覗き込んでいた烏の眼があった。

「烏…?」

瞬きを一つ。ハッとしたようにシロは我に返った。意思の宿った紅い瞳に見つめられ、烏の心は震えた。きょときょとと忙しなく眼を動かし、はてと、瞬きをもう一つ。

「…吾は死んだのではなかったか知らん?」

「そうじゃな」

「吾は生きておるぞ?」

「魂移しが奏功したでな」

「魂移し?」

「体を替えただけじゃ。他は変わらぬ」

「体?」

シロは腕をあげ、目の前に翳した。枯れ枝のようだった腕は丸々と太り、掌は愛らしい紅葉のよう。けれど鱗のような模様が気になり、指でなぞろうとして止められた。

「嗚呼、肌に触れてはならぬ。真珠が剥がれてしまう」

「真珠?」

何がなんだか解らず、取り敢えずシロが身を起こそうとすると、目の前がくらりと揺れた。覗き込んでいた所為で穴の中に垂れていた烏の髪を思わず掴んだ瞬間、その髪が燃えた。ぎょっとして火を叩き消そうとすると火は更に大きくなった。己が触れると炎があがると気付いたシロは慌てて烏の手が届かぬ穴の隅に身を引いた。何が起こったのかがわからず、只管恐ろしかった。

「なんじゃ今のは!?何故燃えた?わ、吾か?吾が烏を燃やしたのか!?」

「大事ない。ほれ、火はもう消えておる」

狼狽えたシロを烏は優しく宥めた。

「吾はどうなったのじゃ?」

「人でなくなっただけじゃ」

「吾はもともと人ではなかった。化物の子じゃ」

「其方が人でなければ何であった?まぁもう人ではないが」

「吾は人であったのか?」

「もう人ではない」

「そうか…人であったか」

「聴いておるのか?」

「聴いておる。烏と同じになったのじゃろう?」

「呆、気づいておったか?」

「…吾をなんだと思っていたのじゃ?」

シロは己が世間知らずだという事を知っていた。誰もが知っている知識を知らない事を密かに恥じていたのだ。だが烏が普通ではない事ははじめからわかっていた。普通、水の入った桶は袖に入れられないし、寝台などの調度を労もなく瞬きの間に崖の上の小屋に運び込むことなどできない。そもそも人は烏にはならないし、烏は人にはならない。


人でなければ妖。


少なくともシロの知識の中では。

そしてそれは見当違いではなかった。


「妖とは手厳しいのう…」

くつくつと烏は嗤い紅い瞳がひたと向けられる。鋭い眼光ではない。寧ろ蜜のように甘い眼差しであったが、シロは射竦められた。

「妖もそう悪いものではない。(そも)、魂に変わりはない。さぁこれを掛けておれ。燃えぬ火鼠の裘じゃ」

「其所に置け。吾に触るな」

裘を持ち近付こうとする烏を制し、また火が出るのではないかと怯え身を小さくしたシロに烏は苦笑した。その足元に裘を投げ落とし、シロに一番遠い穴の(ふち)に腰掛けた。

恐る恐るシロは手を伸ばし、指でつつき、掌で触り、燃えぬと知ると裘を体に蓑虫のように巻き付けた。


千度を超える炎から“産まれた”シロの身はまだ高熱を有している。その熱で、徐々に真珠が馴染み、染みひとつない肌になるのだと。髪も爪も、輝くばかりの美しさになるのだと烏は言う。

懐から出した天水が満たされている仏の御石の鉢が足元に置かれ、烏に言われるがままシロが両手で包み込むように持つと、天水があっという間に煮立った。

体が冷えれば煮立たなくなる。何を触っても燃える事はない。

「そうか…燃えなくなった吾を烏は喰うのか?」

「喰わぬなぁ」

「喰わぬのか…獣に喰わすのか?」

「先刻から喰らう喰らわぬと…其方こそ儂を悪食か何かと思っておったか?」

呆れたとばかりな声色に、シロは小首を傾げる。

「吾を舐めて味見しておったろう?」

「味見か…味見には違いないが……有無」

人間離れした‥実際人ではないのだが、その秀麗な眉目を決まり悪そうに歪めた。初めて見る烏の困惑顔に、シロはますます首を傾げる。シャラリと、髪が頬に落ちた。

「…昔話を聞かせよう。昔々の、気が遠くなる程の昔の話を」


その昔、地に住まう人に恋をした天に住まう人がいた。

叶うべくもない想いに悶え苦しみ、恋い焦がれた身から出た炎でその身を焼き、魂は地に堕ちた。

その魂を宿したはシロ。

「だが天の人が恋した地の人もまた、天の人に恋をしていたのじゃ」

天に住まう人に恋をした地に住まう人は、堕ちた魂を探して探して、その身が朽ちた後も三千大千世界を巡り探し続けた。

その魂を探し続けたは烏。


「其方はようやっと見つけた“儂の宝”じゃ」

「宝?烏がずっと探しておった宝のことか?吾が烏の宝?」

烏がどれ程“宝”を求めていたか、シロは知っている。手に入れたどんな財宝も路傍の石と言い切ったのだ。だが烏が饒舌に物を語る時は、何の話か決まっている。

「…また法螺話か」

「ふふ…どうじゃろうな?」

「烏の話は法螺ばかりじゃ」

「ではこんな法螺はどうじゃ?其方の為に邸を建てた。寝殿造りと言うてな、池や築山、四季の草木を配した庭園のある美しい邸じゃ」

思わずぽかんと烏の顔を眺めた。今迄、烏の法螺話にシロが出てきたことは一度もない。

「邸?」

「そうじゃ。雲上人の邸にもこれほど広くこれほど華やかな造りはあるまいよ」

「そんな広い邸…吾はきっと迷子になる」

思わず言い返してしまったが、法螺だと言った手前、決まりが悪くシロは俯く。

「儂が手をひいて案内(あない)してやろう。抱えてもよいが其方が落ち着かぬでだろう?」

そんなシロを愛おしいモノ(・・)を見るよう烏は紅い目を細める。そして(おもね)るよう絡めとるよう言葉を重ねる。

「邸には生糸から選り抜いた絹織物の着物もある。錦、染め付けは言うに及ばず。毎日衣替えをしても構わぬ程度は支度しておる。調度も揃えた。気に入らぬならば着物も調度も邸も全て作り直そう」

これは法螺だ。妖が人を拐かすための口先だけの耳障りのよい法螺だと、己に言い聞かせるよう裘をぎゅうと両手で握りしめるシロを見て、あと一押しと、烏は懐に手を入れる。

取り出したるは蒔絵の塗文庫。

蓋を開けずとも、シロには中身は解っている。

ひしゃげた黒い羽根。シロが初めて手に入れた宝物。

「其方が迷子になる程の広い邸で、錦の着物を纏い、豪奢な調度に囲まれ、盗人からこれを守ってはくれぬか?」

ヒクリと喉が鳴るが眼からは泪は出ない。目から溢れる前に全て蒸発してしまうのか、それとも妖となった身から泪は出ないのか。

「そして儂は其方を。盗人に盗まれぬよう、儂が其方を守ろう」

鼻の奥がツンと痛くなる。幼い頃、何度も何度もこの痛みを独りで耐えた。母が居た時も、居ないも同じだった。シロはずっとずっと独りだった。


「吾は…吾は…」


烏は法螺吹きだ。

天に住まう人の話も、華やかな話も法螺だ。

それはわかりきっている。


されど、


また触れて欲しかった。

髪を梳いて欲しかった。

優しい、冷たい手で。






行き着く先が、烏の羽色よりも昏い闇だとしても。






「もう、ひとりはいやじゃぁ…」


シロは泣いた。

産まれたばかりの赤子のように。

声をあげて、泣いた。


泣き疲れ、眠ったシロを裘ですっぽりと包み、抱き上げた烏は美酒に酔うたような恍惚とした笑みを浮かべる。


「儂のモノ(・・)じゃ…」











数年後、旱魃に水害、飢饉に疫病、様々な厄災に見舞われた山麓の村が一つ消えた。

残り1話。蛇足的なものです。

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