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烏の至宝  作者: 七転び
3/5

その日、空に雲が重く垂れ込み、山を白く閉ざそうとしていた。

深々とした冷気がシロの頬を撫で、泥濘の底にあった意識がつっと浮上した。目だけで周囲を見渡したが男の姿はなく、訝しく思い寝台から身を起こすと、今までの倦怠が嘘のように身が軽かった。

暫く振りの気分の良さに“終わり”を悟ったシロは最期に仏像に手を合わそうと、寝台から滑り降りた。その時になってようやっと崖の下が騒がしい事に気付いた。

恐る恐る板戸の隙間から覗き見れば、シロを追い出した邸の当代が太刀を帯び、弓箭を取る身の者達と陣を構えていた。

声なき悲鳴を上げ、シロはその場に尻餅をついた。まるでそれが合図かのように、当代は高らかに口上の述べた。


曰く、

其方が邸を出てから不運が続き身上傾く。其方の仕業に相違なし。速やかにその呪咀を解け。


当然シロに身に覚えがない。ふるふると首を振り、はくはくと開けた口から声は出ない。だが例え否の声をあげても聞く耳は持たれなかったであろう。

口上は続く。


曰く、

荒事は避けたい。されど其方の出様次第では武をもって伏するも止む無し。それ相応の丹誠を尽くせ。


口上が終わると罵倒が野次のように飛ぶ。


話は聞いたぞ恩知らず

呪いを解け

死んで詫びろ

そうだ死ね

この化物奴

死ね

死ね

死ね

殺せ

死ね

殺せ

殺せ

殺せ

死ね

殺せ

殺せ

殺せ

殺せ


向けられた人の悪意に、慣れ親しんだ憎悪に、シロは身震いをしたが、ほんの少しの安堵と、今日に限って居らぬ男を恨めしく思った。だがすぐに筋違いに気付き、恐怖で震える手を合わす。

切り刻まれ、打ち捨てられるであろう己の骸を、獣が喰うのか男が喰うのか。(いず)れにしろ、腹を下す事がないように、と。






生温い、風が髪を揺らた。






「殺してやろう」






嗄れた、ここ暫く聞き慣れた声が耳元に囁いた。






「憎かろう?恨めしかろう?其方に害なす者達、儂が殺してやろう」






耳障りの悪いその声はポトリポトリと墨を垂らすよう、シロの心に黒い染みを作った。

だが、シロは小さく首を振る。

幼い頃より何度も何度も何故己だけがこんな目に遇うのかと、叫ぶ心をその度に殺し、ひっそりと生きてきたシロにとってそれ(・・)は遅過ぎた。


「もうよいのじゃ……………もう、気枯(つか)れた」


ポツリと溢れた言の葉に応えるよう、小屋の床下がミシリと鳴いた。






一方、崖下で当代は只々狼狽えていた。

続いた不運がシロの呪咀の所為だと、誰が言い始めたのか。

先代の父が「(あれ)は殺すな」と今際の際に言い残していた為、当初は難色をみせていた当代も、何処で聞きつけたのか押し掛けてきた無頼漢共に煽られ、焚き付けられた村人を抑えきれなかった。

それでも、シロを少し痛めつければいいと思っただけだ。“呪咀”を本気にした訳ではない。


きっかけは鎮守の森の榊が枯れた事だった。神木でこそなかったが村一番の長老が童子(わらべ)の頃にはもう樹齢千年とも言われていたので、伐採の際、祝詞を奏上し、清めの盛り塩を置いたところ、一晩で炭のように黒くなった。更に伐採に関わった村人全員が高熱に浮かされた。

老木の祟りだと村人達が騒ぐ最中、蔵に不審火が出た。母屋に延焼こそなかったが、貯蔵してある種籾が全て燃えた。しかし毎年のように続いた豊作で、ある程度の蓄えもあったので銭で種籾を購うつもりでいた。近隣の村へ渡りの人を遣ったが、数年続いた不作で分ける種籾などないと、芳しい返事はどの村からも貰えなかった。値を吊り上げるためかと思いきや、業を煮やした当代が直接村々を巡れば、どの村も見るからに疲弊しきった姿がそこにあった。どうしたものかと思案しながら村に帰れば、怪し気な虚無僧が深編み笠の下から不気味な声色で「不吉」と言い捨て去った、と、村人達がこぞって訴えた。

井戸の水が濁った。生まれた赤子が逆子だった。渡ってきた雁の群れが今年は少ない…等々。埒もない、普段であれば見過ごしているような出来事が全て“不吉”とされた。そして、村人の誰かが言った。


その不吉を齎したのは、“当代が”シロを追い出したからだ、と。

村人達に、責めるような目で見られた気がした。


咄嗟に口走った。


シロの呪咀だ、と。

これまでの恩を仇で返された、と。


誰でもない。当代自身が。


威勢のいい喚声があげる度に、血の気の多い武士(もののふ)達の間にまるで親の仇を取るかのような怨嗟が拡がってゆく。

“本当に殺さなくてならない”

先代の遺命を破る事に、今更ながら当代は恐れ戦いた。






「何を迷う?」






と、当代の耳朶に生暖かい息吹がかかる。






(あれ)の所為でどれだけ其方が苦しめられた?」






鼓膜を通り過ぎ、頭の芯をざらりと舐められるような不快な声音は、心の奥底に沈めた汚泥のようにドロリとした感情を掻き混ぜた。






(あれ)は化物の子じゃ。其方の姉を憑代に産まれた化物じゃ」






姉は泣いていた。

父は何かを知っていたようだが、幼かった頃はともかく、成人した後も訳を知らされなかった。

姉が死に、父が死んだ。

理不尽とも思える遺命だけ置いて。






(あれ)を身籠った所為で其方が愛した姉は死んだのじゃ」






姉は泣いていた。

白い幼子の首に手をかけて、泣いていたのだ。


その姉は(それ)の所為で死んだ。


僅かにに残る肉親の情とほんの少しの後ろめたさが霧散した。






「殺せ!!」






その叫びを合図に、長梯子が掛けられ、当代を先頭に数人の男衆が小屋に踊り入った。外見の粗末さからは想像できないない程、小屋の中は貴人の住居かと思うほど煌びやかで、ぽかんと口を開けたまま全員がたたらを踏み、床板がミシミシと音をたてる。

目的を忘れ、頭の中で算盤を弾く。男衆の一人がこっそりと香炉を懐に仕舞い込んだ。それを見た他の者達も値踏む必要もなしとばかりに、小物を手を取る。後続で小屋に入ってきた者達が“お宝”を目にし色めき立ち、先に踏み込んだ者達がそれを阻もうと小競り合いを始めた。

背後の争いに見向きもせず、当代は妖しく光る赫一点から目が離せなかった。

小屋のほぼ中心に据えられた豪奢な寝台の上、以前より更に色を失ったシロが、眠るように横たわっている。シロの白魚のような指に嵌った指輪。白絹に落とした一滴の血。

魅入られたようにふらふらと寝台に近付き、その“赫”に手を伸ばした。


刹那、伸ばした腕が消えた。


谷川に獣の咆哮ような悲鳴が響いた。

小競り合いをしていた男衆はその時になってようやっと寝台のシロに気付き、踞っている当代に気付き、床板の赤黒い血溜まりと肘から下の腕に気付き、影のように佇む黒衣を纏った麗人に気付いた。


「愚かな人よ。毒を喰らい甘露を手放しおった」


ゾッとする程の冷たい声音。嗄れたその声に聞き覚えがあったのは当代だけではなかった。だが誰も、何時、何処で聞いたかを思い出せなかった。

男はシロの指から指輪を外す。指輪に嵌めた龍の首の珠。今では石榴石のように鮮やかな赤。その深紅を愛おし気に眺めた。


「せめて手厚く葬る事じゃ。生ある物が纏う白の意味を知っておるならば」


その声が、先ほど耳元で囁かれた声と同じだと当代が気付くやいなや、ドンッ、と、大筒が爆ぜたような音をたて、草庵を支えていた根石の岩が割れ、轟音をたて草庵は堕ちた。崖下にたむろしていた人々に逃げる暇はなかった。

谷川は一瞬にして阿鼻叫喚の巷と化した。






「地に堕ちた天の魂。確と貰い受けた」






濛々と巻き上がる砂埃と呻き声の上に、六花が一片、ひらりと舞い堕ちた。

石榴石:ガーネット

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