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烏の至宝  作者: 七転び
2/5

男はやはり烏だった。

元々この草庵を結んだ禅僧であったが、気付いたら烏になっていたらしい。烏になった当初は不自由をしたが修行の果て、人と烏の形を自由にとれるようになった、と。

そんな事ある訳ないとシロは思ったが、目の前で瞬きの間に人から烏に、烏から人に変化されては認めざるを得ない。

「すまなんだ…人の住んでいる様子がなかった故」

「構わぬ。放っておいても朽ちるだけじゃ。好きなだけ過ごされよ」

てっきり罵詈雑言を浴びせられ、叩き出されるとばかり思っていたシロは、男の言葉に驚き、そしてほっと胸を撫で下ろした。追い出されたら行く宛はない。

「そう言って貰えると助かる。じゃがそんな長いこと迷惑はかけぬ思う」

シロの言葉に、男の柳眉は微かに上げる。

「冬がくれば吾は凍え死ぬだろう」

「死にたいのか?」

「人の世からはみ出た吾は死んだ方が良いのじゃ。此処で毎日仏に手を合わす内に、そう思えてきた」

人と色の違うシロは人の中では暮らせない。かといって深山で暮らせる知恵もない。

「僧だと言うならば、吾が死んだら吾の骸を獣に喰わせてやって欲しい。冬の山では獣もひもじかろうて」

生きたまま喰われるのは恐ろしい。だが死んだ後であれば痛みもない。

「手間だとは思うが、吾への手向けと思うて欲しい」

そう言ってから、己を喰った獣が腹を下すかも知れないと、ふと思いつき、埋めてもらう方がいいのか知らんと、思った。だがそうなるといくら男が僧とはいえ、更に余計な手間をかけさせる事になる。それに、


己を人と同じよう葬って欲しいなど、過ぎた贅沢だ。


さらさらと川音だけが聞こえ、痛いほどの沈黙が堕ちる。

迷惑なのだと、シロの血の気が引いた。身を守るかのよう両腕で己をかき抱いた。ふっと、微かに空気の抜ける音がした。

「ならば人の(ことわり)から外れた儂は、百万遍獣に喰われなければならぬな」

「そ、そのような事っ!」

思いもよらぬ事を言われ、シロは慌てて取り繕おうと顔を上げると、くつくつと嗤う男が目の前にいた。揚げ足取り、というよりは言葉遊びをされたようで、体の力とともに気が抜けた。

「吾は真面目な話をしておるのに…」

「済まぬ済まぬ。儂も久方ぶりに人と言葉を交わす故」

シロは驚いた。男はシロを“人”として接していた事がわかったからだ。もしかして男の紅い眼は全てを紅く見せているのか、それとも僧とは見目の事など頓着しない程達観しているのか、達観したから僧なのか…埒もない事をグルグル考えているシロの頬に、男の青白く冷たい指先が触れた。

「随分と汚れておる」

男は袂から水の入った桶と手巾を出し、行水もできす、垢や泥で汚れているシロの顔を水に浸した手巾で拭う。

「爪も剥がれておる…労しや」

再び袂に手を入れ膏薬と新たな手巾を取り出し、あっと言う間に手当をされた指先を見て、シロは小首を傾げる。シロにとって人は己を傷つけるだけの恐ろしい存在だ。だが最初に“烏”と思った所為か、僧だからか、言葉を交わすことも、触れられることも少しも怖くないのが不思議だった。

不思議といえば、男が袂から桶を出したこともそうだ。もしかしたら小屋の中に隠し棚があり、己に気付かれない内に取り出したのか知らんと、あちこちを見回すシロを意に介さず、男は手際よくシロを磨き上げる。肌を滑る冷たい指先が快かった。

三度袂に手を入れ真新しい着物を出された時、我慢出来ず男に問うた。

手妻(てづま)か?」

「誰でも懐や袂に物を入れよう?」

確かに懐に物を入れる。だが、桶、手巾二枚、膏薬、着物を入れられるような深さや広さはない。しかも桶には水が入っていたのだ。それなのに然も当然のように応えられ、もしかしたら己の知らないコツがあるのか知らんと、されるがままに着替えさせれた着物の袂をシロは覗き込む。さらさらと肌触りの良い着物は、今までシロが着た中で一番上等なものだった。

更に乾し飯も出し、躊躇うシロの手に乾し飯を握らせる。

「痩せ細った体では獣の食い扶持が減るというもの」

それもそうかと思わず納得してしまい、何年か振りの米を一粒ずつ、噛み締めて食べた。

シロが乾し飯を食べている間も、男は甲斐甲斐しく世話を焼き、仕上げにと鼈甲の櫛で髪を梳かれる頃には、シロは男のすることが不思議だと思わなくなっていた。


本来の“色”を取り戻したシロの姿に、男は紅い眼を細め満足そうに頷き、シロの枯れ枝のような指に指輪を嵌めた。

指輪の台座には玉虫色の珠が鎮座している。

「盗人に目をつけられてな…断崖絶壁のこの小屋ならば盗人も知らぬ故、手も出せまいと思っての。此処におるのであれば、肌身離さず持っていてはくれぬか?」

「そんなことお安い御用じゃ」

シロは誰かに頼られたことなどなかったので、それが初めて会った男の頼み事であろうと、誰かの役に立てることが兎に角嬉しかった。故に冬までの限りはあるが、息をしている間は肌身離さずに持っていると誓った。そして万が一盗人が現れたら命をかけて守ろうと、密かに思った。




玉虫色の珠は美しかった。この世のものとは思えぬほど。











それから男は二日と空けず来るようになった。

シロが指輪を持って逃げてしまわないようにと、見張りの為かと思ったが、すぐにこの草庵を蔵代わりにするつもりなのだとわかった。男は様々な宝物(ほうもつ)を持ってきた。青磁の水瓶、金の盥、見事な文様が織られた薄絹の几帳…元は男の庵なので、シロに異論はなかったが、シロがそおっと歩くだけでミシミシと音をたてて軋む床が、その内抜けはしまいかとヒヤヒヤした。

男は杞憂だと嗤っただけだった。

ひと目で高価とわかる品々に触れることが恐ろしく、シロは仏像の前の筵を身の置き所と定め、できるかぎり身動きをしなかった。

そんなシロを男がどう思ったのか、ある朝起きたらシロは天涯付きの寝台に寝かされていた。

身を固くするシロの耳に男は顔を近づけ、ずっと探している宝があるのだと、嗄れ声で囁いた。

「ひと目見て、心を捕われた。以来、その宝を探しておる。たった一つの、その宝を」

その宝を探すうちに手に入れたのが、この庵に持ち込んでいる品々で、装飾品であり、調度品であり、今シロが横たわっている天涯付きの寝台であり、どんなに煌びやかな宝石でも、男にとって路傍の石程の価値しかないものなのだと。

「遣わぬのなら何処ぞへか捨ててこよう」

戯けた言い様だったが、戯れ言ではないと察したシロは青磁の水瓶から水を汲み、金の盥で身を清め、着替えた着物を見事な文様が織られた薄絹の几帳に架けた。

数多ある妙々たる品々は、己如きが手に触れてよい品ではない。それを簡単に己に与える男の空虚を感じた。溢れる返る財宝の中に、男の求める宝はないのだ。

衣服の上から懐の羽根を抑え、シロは居たたまれなくなり俯いた。


「…見つかると良いな」


だから男が、シロの言葉にどんな顔をしたか、シロは知らない。






それから何が楽しいのか、男はシロの身繕いに精を出し始めた。

碌な手入れをしていなかったざんばら髪に香油を垂らし、唐松の幹のような肌も同じ香油で磨いた。

着飾れとばかりに持ち込まれた装飾品や着物が行李から溢れたが、身につけて欲しいと言われたのは最初に渡された指輪だけだった。

手入れをされている間、シロは男の“宝探し”の話を聞いた。

男は烏になったのをいいことに庵を空け、宝を求め、それこそ三国中を飛び回った。古刹を巡り、地の果て天の果て、幾度となく霊妙不可思議な体験をしてきたのだと言う。

「故に知り得た事じゃが、其は“仏の御石の鉢”と()うてな、釈迦が使うていた鉢じゃ」

シロは驚き、同時に納得した。常に水を湛えていたのは霊験(あら)たかであったからかと。

有り難くも畏れ多く、天水を飲む際、より一層丁寧に仏像に手を合わせた。

それから様々な話を聞いた。


蓬莱山で蓬莱の玉の枝を手折った話、

火鼠の(かわごろも)を唐の商人から買い取った話、

今はシロの指に嵌められている龍の首の珠を求めて、大海原を漂流した所為で目が紅くなった話、

燕が産んだ子安貝を得るために、何千、何万の燕の巣に手を入れ親鳥に突かれた話、


外の世界を殆ど知らないシロにとって、男の話は奇想天外だった。


しかし天の羽衣と不死の薬を巡り天に住まう人と干戈を交えた話を、胸を弾ませて聞き入っているシロの姿を見た男が、溜め息を吐いた。

「一片の曇りもないのじゃな…法螺をここまで信じられると流石の儂でも心が痛む」

「…法螺か?」

「法螺じゃ」

「そうか…法螺か…」

「法螺は厭かえ?」

ふるふると首を横に振ると、男には不釣り合いな闊達な笑い声をあげた。初めて聞いた男の笑い声に、シロは驚き、そしてなんだか嬉しくなり、くすくすと控えめな笑い声をたてた。

法螺だと知って聞く男の話は、それでも面白かった。耳障りの悪い筈の嗄れ声は、まるで子守唄のようで、すぅっと意識が遠ざかることが屡々(しばしば)あった。

意識を保とうとシロは気を張るが、手入れの為に肌に滑る男の手は心地好く、永久に覚めぬ夢に誘うかのよう。




優しかった。

冷たかった。











筵の代わりに敷かれた金襴の座布団に座し、母親が生きている頃にもなかった煌びやかな調度品に囲まれ、男の来ない日に、シロは仏像に手を合わす。

枯れ枝のような指は相変わらずだが、男が手入れを欠かさなかったため、唐松の幹のようだった肌は鮫肌程度になっていた。手の甲に鼻を近づけ、すんと嗅ぐ。香油の香りがした。

「匂いだけなら甘そうじゃ…」


つるりとした肌になった頃、男を己を喰らうのだろう。


シロはそれで構わなかった。

収まる腹が獣でも男でも、シロには大差がない。

寧ろ男の腹を満たせることが、誇らしかった。


目の前の黒檀の小机に目を落とす。

机上に置かれた、蒔絵の塗文庫の蓋を開けると、黒い羽根が納まっている。

懐に入れたままにしたせいで、すっかり見窄らしくなったそれでも、シロには宝物だった。

たった一つの宝を見つける事ができない男に申し訳なく、取り上げられる覚悟で「吾の宝物じゃ」と男に見せた。

男は取り上げる処か、翌日この塗文庫をシロに与えた。

「肌身離さず持つのも良いが、宝ならば、誰にも見つからぬよう、触れられぬよう、盗まれぬよう隠し通せ。何人の目垢すらつかぬよう」

生家であったなら、羽根を持っていると知れた時点で、嘲られ、取り上げられ、目の前で燃やされていただろう。

男が気前よく振る舞うのは、偏に“食い扶持”を“美味しく”喰らうためだろうとシロには解っている。それでも男の冷たい指先は、シロの肌に触れる度、シロの胸の奥をほんわりと暖かくする。

母以外、シロ触れた人はいない。


だからシロは仏像に手を合わす。


己を喰らって、男の腹が下らぬように、

己の肉が、少しでも甘くなるように、と。




石鉢はいつの間にか鍍金の高杯(たかつき)に変わっていた。水は糖蜜のように甘かった。

飲み終わった後も、シロは仏像に手を合わす。

小さな木彫りの仏像の周りだけが、取り残されたように粗末な板張りのままだった。











秋が深まり、山の其処彼処に冬の報せが届く頃、シロは終日(ひねもす)芒としていることが増えた。

指を動かすのも億劫で、寝台に横たわるだけのシロに、男は庵に泊まり込み、今まで以上に甲斐甲斐しく世話をした。口移しで水を与え、湯を沸かし、全身を隈無く清め香油で磨く。時折舌で肌を舐めるのは味見のつもりか知らんと、揺蕩う意識のなかでシロは思う。

次に眠ったら、もう目覚めぬかも知れぬと、夢現でシロはまるで半生を振り返るよう己の境遇の話をした。


生まれた時から、シロには色がなかった。


髪と目は辛うじて白茶だが、手も足も爪も全てが透き通るほど白かった。

「全ての色を母様の腹に置いてきてしまった。だから吾の名前は“白”なのじゃ」

生家は蔵持ちだったが、いい思い出ひとつない。

高熱で魘されても棒で小突かれ、食事の皿は土器(かわらけ)で毎回捨てられた。言葉を交わすことなど稀で、それも罵倒されるだけだった。その間シロは目を瞑り耳を塞ぎ、悪意の嵐が過ぎるのを待つ。

それもあり、自然と人から受ける嫌悪や憎悪といった負の感情に聡くなった。

「傍から見れば薄気味悪かったのだ…母様すら心の奥底では吾を憎んでいたのだと思う」

夜更けにすすり泣く母を知っている。

眠るシロの首に両手を添えられたのも一度や二度ではない。震えるその手に力が籠ったことはなかったが、そんな晩は決まって母は声を殺して泣くのだ。

シロは眠ったふりで見ぬふりをした。


母が生きているうちは、生家の離れに隠れ住んでいた。しかしその母がこの世を去ると、座敷牢のある蔵に閉じ込められた。代替わりをした当代からもともと疎まれていたのもあり、豊穣の祭り後、とうとう追い出された。

母の形見を一つも持ち出せなかった事だけが悔やまれる。

父の事は知らない。母は何も語らなかったし、シロも何も聞かなかった。

当代からは“化物の子”と言われた。


「申し訳ないばかりじゃ…母様にも当代にも村にも…吾の所為で長い間苦しめ…ほんに申し訳ないと思うことばかりじゃ…」


ポツリポツリと話すシロの身の上を、男がどう思ったかはわからない。男の紅い眼に、己がどのように映っているのかわからない。その心に、己の生い立ちがどのように響いているのかわからない。能面のような表情からは感情に聡いシロにも、男の機微を測れなかった。

ただ髪を梳く、男の手つきは丁寧だった。


男が己を憐れに思い、息絶えるまで法螺を吹いてくれることだけを願った。











指輪に嵌めた龍の首の珠は日に日に色付いた。

そのうち男の…烏の目の色になるのだろう、と、思った。

手妻:手品

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