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烏の至宝  作者: 七転び
1/5

4話(+α)で完結する予定です。

ゆっくり更新になると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

てんつくてん

てんつくてん…


豊作を祝う祭り囃子が聞こえる。


てんつくてん

てんつくてん…


囃子に合わせた陽気な唄声が微かに響く。


「てんつくてんつくてんつくてん…」


唄を知らないシロは蔵の中で独り、祭り囃子を口遊んだ。











収穫祭の翌朝、夜通し呑んだのか酒気を帯びた当代がシロを生家から追い出した。

生家から一度も外へ出た事がないシロは途方に暮れたが、人と色の違うシロに手を差し伸べる者はない。

世間知らずの自覚があるシロでも、人の中で暮らせないのはわかっていた。わかってはいたが、まさか石を投げられるとは思っていなかった。

逃げても逃げた先で石を投げられ、執拗に追う者もいた。追われる恐怖に無我夢中で駆けた。駆ける事はおろか、歩く事もままならない生活を三十年近く送っていたシロはすぐに息が切れた。立ち止まればまた石を投げられた。再び駆けた。身体中の血が沸騰したかと思うほど駆けた。里山から山に入り、気づけば日暮れた深山の直中で、方向を失っていた。


月明かりも届かぬ鬱蒼とした森の中、幸運にも見つけた大木の根本の樹洞(うろ)の中に潜り込み、細い身を更に縮めた。初めて聞く葉擦れの音や鳥の鳴き声は、恐ろしい獣の遠吠えのように聞こえた。数刻経っても呼吸は整わず、喉が吹子のように鳴る。音を聞きつけた獣に囲まれれば身を守る術はシロにはない。


人に追われる恐怖は、獣に喰われる恐怖に変わった。


眠れぬ夜を過ごし夜明けと共に、再びシロは山中を歩いた。張り出した根に足を取られ、転び、熊笹の葉で手足を切り、飛び交う虫に柔肌を刺された。傷だらけ泥だらけになったシロが辿り着いたのは、谷川に沿って切り立った崖の中腹に突き出た岩を根石代わりにした、懸け造りの掘っ建て小屋だった。

雨風に晒され、朽ちかけた小屋を見上げ、谷川の急流を見下ろし、再び小屋を見上げた。

一箇所だけある縁のような板張りが恐らく門口なのだろう。ごつごつとした岩肌に人の手が加えられた痕がある。日はもうじき暮れる。昨晩の眠れぬ恐怖がシロを動かした。


同世代の男に比べシロは細く軽く、吹けば飛ぶような体つきをしている。大袈裟に言えば箸より重い物を持った事のないシロに、己の身体を支える筋力はなく、二日間山中を彷徨ったため体力も限界だった。

それでも歯を食いしばり、震える腕で岩肌を抱きながら道なき道を昇る。何度も手を滑らせ、昇るにつれ竦む足を無理矢理動かし、縁に辿り着き板戸を開け這うように中に入った途端、シロの意識はふつりと切れた。


気を失う前に、黒い影を見た気がした。











頬を撫でる冷たい風で目が覚めたシロは、自分が何処にいるのかわからなかった。身を起こそうとした途端鋭い痛みが走り、身を縮めればまた痛みが走った。痛みの中、なんとか上半身だけ起こすと、開けっ放しだった板戸から外の景色が見えた。

墨絵のような景色が徐々に色付き、靄が晴れ光が射し、紅葉の始まった山々が浮かび上がってくる。初めて見る黎明の美しさに、シロは暫し呼吸を忘れた。

完全に日が出てからも暫く惚けたように景色を眺めていたが、ズキズキと痛む指先に気付き、見ると何枚か爪が剥がれ滲んだ血が固まっていた。

そして何故か黒い羽根を握りしめていた。

意識を失う前に見たような気がした黒い影はこの羽根だったのか知らんと、しげしげ見つめる。一尺ほどの艶がある立派な羽根で、思いも寄らぬ宝物を手にした気分になり、シロはちょっと嬉しくなった。

腹は減っていたが身体がひどく痛み、崖を降り食い物を求めて森に行く事は到底できそうにない。よしんば出来たとしても、再び登らなければならない。この小屋に辿り着いた事が奇跡である事がシロにはわかっていた。それに、森で獣に出会す危険を犯す真似もしたくない。己が獣に喰われる姿を思い浮かべ、ぶるりと身を震わす。

羽根を懐に仕舞い込み改めて小屋の中を見渡すと、床の間と違い棚だけがある簡素な書院造りの一間で、明かり取りの小窓が一つ。枯葉や小枝で作られた鳥の巣があちこちにあった。鳥の住まいを荒らしたのかと思ったが、卵の殻はあるものの雛はおらず、巣立った後のようだった。床の間に小さな木彫りの仏像が祀られている。仏像の前には石鉢と、ぼろぼろになった(むしろ)が敷かれていた。せめて筵の上で休もうと、痛む身を引き摺るとミシミシと床板が鳴った。

仏像の前まで行くと、石鉢の中には水が入っているのに気付いた。水を見たせいか、急激に喉が乾いた。長期間放置されている水かもしれない。鳥が行水をした水かもしれない。逡巡した挙げ句、腹が下る覚悟で飲んだ。甘茶の味がした。


そして筵の上で身を縮めて眠った。

腹は下らなかった。






体の痛みがなくなるまで、シロはほぼ寝て過ごしたが、夜明け前に門口の縁に座り、朝日を眺める。

日暮れは心が寂しくなるだけで、夜更けの星空は飲み込まれそうになって怖かった。日課となったのは朝日を眺めることだけだった。石鉢には天水が溜まるのか、シロが飲み干しても一晩経つとまた水を湛えていた。石鉢の水を飲むと不思議と空腹は和らいだ。

経典には縁遠いシロに、正しい作法はわからない。わからないが、この仏像が己の境遇を憐れんで水を絶やさないでくれている気がして、わからないなりに手を合わせ、木彫りの仏像を拝んでから水を飲むようになった。


シロが知る由もないが、此処は百年以上前に風変わりな禅僧が結んだ草庵で、人里からそれほど離れておらず、シロが一昼夜かかった距離も山に慣れた者なら半日もかからない。そしてシロを追い出した当代は、シロがその庵へ住み着いた事を知っていた。狩り場や炭焼き場から離れていたのと多少の後ろめたさもあり、シロがその庵から動かず山も荒さない限りはと、目を瞑った。いつの間にかいなくなった僧と同じよう、いずれ足を滑らせ崖から谷川に落ちて死ぬだろうと。


期せず、シロは朽ち果てる筈だった草庵の庵主となった。






そんな或る日、一羽の烏が小窓に舞い降りた。

羽根休めか、巣立った場所に帰ってきたのか、新たな巣作りか…(いず)れにしろ、久し振りに見る命ある生き物に、シロは嬉しくなった。だが太く鋭い嘴に突かれるかもと思うと身動きひとつできなかった。

結局、烏は小屋の中に入る事もせず飛去った。

その夜、羽根を取り返しに来たのかもと、思いながら眠った。

翌朝、小窓のすぐ下に羽根を置いた。丁寧に形を整えたが、懐に入れっぱなしだった羽根は少し(ひしゃ)げていた。不格好な羽根に烏は怒るか知らんと、ビクビクしながら烏を待った。烏は来なかった。

残念に思ったが、シロにとって羽根は宝物だったので、返さなくても良い事に少し安堵した。

しかし翌朝、また烏が来た。

今度は小窓から小屋の中へ入ってきた。おずおずと懐から羽根を差し出したが、烏は見向きもせず、首を何度か傾げ、二三歩跳ねるように小窓の下を歩くと再び飛去ってしまった。

羽根を取り戻しに来たのではないのか知らんと、シロは首を傾げた。

この小屋に烏が好むようなものがあったろうかと、改めて見渡しても空の巣と割れた卵の殻、ボロボロの筵に小さな仏像。まさか烏が仏像を拝みに来たのかと、水を飲もうといつものように手を合わせてから、はたと気付いた。

石鉢の水をじっと見る。

川には水が絶えず流れているが、この水は甘い。烏はそれを知っていて、己がこの小屋に住み着く前から飲み水としていたのではないか。そうなると、己はずっと烏の飲み水を横取りをしていたことになる。

申し訳ない気持ちになったシロは、水を飲まず窓辺に石鉢を置いておいた。

烏は来なかった。

喉が渇いたが、烏も喉が乾いているかも知れないと思うと石鉢の水は飲めなかった。待ち続けるうちにシロは眠った。

目を覚ますと、目の前に人がいた。

月白色の顔色は空恐ろしくなる程で、切れ長の眼は血のように紅く、背中に流した黒髪と同じ濡羽色の着物纏った男だ。


烏だ。


瞬間的にそう思った。

男が手に持つ石鉢の水はなくなっていたので、ほっと胸を撫で下ろす。

(うま)かったか?」

と、シロが聞くと紅い眼を揺らし、少し驚いたような困ったような顔をして何事が考える素振りを見せた後、男は頷いた。


久し振りに出した声は少し嗄れていた。

一尺:約30cm

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