scene−3
scene−3
駅の改札を出ると、放射線状に延びる道路がある。
弧を描いたように作られた駅前のロータリーには、路線バスの乗り場がいくつもある。
紗耶香は改札を出て左に曲がると、ちょうど、線路と45度の角度になる道路を歩いていった。
あたりは既に、薄暗い夕闇に包まれようとしている。
道路の両側には、しゃれた造りの住宅が建ち並び、きれいに区画されている。
各区画ごとに、扇状に横切る道路を三度渡った手前の角地にある、一際目を引く3階建の家、聖都大学病院の院長を務める牧原幸則の自宅である。
紗耶香は、ステンレス製の門扉の脇にあるセキュリティー盤にカードをかざす。
ロックが解除される音が“カチン”響くと、扉を開けて、中に入り、扉を戻す。
扉が閉まると、再び“カチン”と音がして扉がロックされた。玄関までのアプローチを進んでいく。
玄関にたどり着くと、同じようにカードをかざし、玄関のドアを開けて家に入った。
「ただいま!」
靴を脱いで、下駄箱にしまうと、広い廊下を抜けて、リヴィングに顔を出した。
父親の幸則は、既にソファに座ってくつろいでいた。
「おかえり!早かったね。まあ、先に着替えてきなさい。」
「そうするわ。」
紗耶香は、一旦、自分の部屋に戻って着替えてくることにした。
薄いグレーのスゥエット上下に着替えた紗耶香は、応接テーブルを挟んで幸則の向かい側に腰を下ろした。
応接テーブルには、おそらく見合い写真が入っているであろうA4サイズの封筒が置いてある。
キッチンでは母親の芙佐子が料理人に夕食のメニューについて指示を出している。
芙佐子は、一通りの指示を出すと、リヴィングにきて幸則の隣に座った。
芙佐子は幸則の顔を見ると、にこやかな表情を浮かべて、応接テーブルに置かれていた見合い写真を手に取って、まず、自分が確認した。
そこに映っているのは、間違いなく芙佐子が見初めた男だった。
芙佐子は満足気に写真を紗耶香に手渡した。
紗耶香は、手渡された写真を見ずに、テーブルに置いた。
「会うだけは会ってみるわ。」
さやかの素気ない返事に、芙佐子はがっかりした。
「あら、その気がないのなら、お断りしますよ。」
「出来るならそうして欲しいけれど、お父様の面目もおありでしょうから、会うだけはお会いします。」
紗耶香は、立ち上がると、父親に頭を下げてダイニングへ移った。
幸則は、芙佐子の顔を見て苦笑いした。
「ほら、見てごらん。本人にその気がないのに見合いなど勧めても、相手に失礼なだけだ。何も無理に嫁に出さなくても、本人が居たいというのならいつまでも家に居ればいいんだよ。」
「もう!あなたったら、いくら一人娘が可愛いからって、病院長の娘がいつまでも遊んでいたんじゃあ、世間に対して申し開きができないでしょう?あの子だって間もなく30歳になるんですよ。」
そう言い放って席を立つ芙佐子を見送ると、幸則は『やれやれ』というように、両手をかざした。
聖都大学病院の脳外科病棟にある今泉潤之助の部屋では、女優の上野樹里に似た背の高い看護士が今泉をからかっていた。
「先生、いよいよご結婚なさるんですって?」
「見合いをするだけだよ。院長の紹介だから断れないんだ。」
「でも、院長の一人娘なんでしょう?まさに逆玉じゃないですか!」
「本人にその気がないんだ。逆玉も何も、関係ない。」
「ねえ、先生、お見合い写真を見せて下さいよ。院長の一人娘がどんなお嬢さんか見てみたいわ。」
「そんなものはないよ。業務命令みたいな話なんだ。」
「でも、院長お一人娘と結婚すれば、将来はここの院長間違い無しですよねぇ!なんだかもったいないな。」
「自分の結婚相手くらいは自分で見つけるさ。」
「あら、先生が好きになるのは、いつもここに入院して来る薄命の美人ばかりじゃないですか?」
「そんなのはたまたまだよ。実際、今付き合っている・・・」
そこまでしゃべると、今泉は口に手を当て、黙り込んだ。
『しまった!』
今泉はそう思ったが、既に彼女の顔からは子供のような笑みがあふれていた。
看護師の横山有紀は今泉がいかけた言葉を聞き逃さなかった。
有紀はキラキラと目を輝かせながら、今泉の部屋を出ていった。
好きな人ができたといっても、まだ付き合い始めたばかりだった。
知っているのはお互いの名前と携帯電話の番号、メールアドレスくらいだった。
それでも、今泉は時間が許す限り、彼女と会う努力を惜しまなかった。
考えてみれば、有紀が言った通りだ。
今までは、ろくにプライベートの時間を楽しむことができなかった。
女性とかかわる機会といえば、病院の中だけだったといっても過言ではないだろう。
つい一月前も、余命少ない入院患者に恋をした。
彼女、幸村百合子には夫と娘がいたので、今泉は自分の心の中に気持ちを封じながらも、純粋に彼女を愛した。
彼女が逝ってしまった時は、家族とは違った意味で、一人泣き明かした。
そんな今泉が、はじめて恋愛とよべるような恋をしたのだ。
出会いは、ごく普通だった。
彼女を看取った次の日、今泉は久しぶりに休暇を取った。
病院で朝を迎えた今泉は、彼女を乗せた霊柩車と、家族が乗ったバスを見送ると、事務局に、「今から休暇に入る」と告げると、書庫のコニャックを取り出し、グラスに注いだ。
そして、一気に飲み干すと、白衣を脱いでソファに投げ捨てた。
病院を出た今泉はそのまま東京駅へ向かった。
京都までのいちばん早い時間の新幹線の切符を買うとホームで列車が来るのを待った。
列車が到着すると、すぐに乗り込み、切符に書かれてある番号の座席を捜した。
10号車、14番−A。窓際の座席だった。
今泉は早々に席につくと、リクライニングシートを最大に倒して目を閉じた。
列車はすぐに動き始めた。
動き始めてしばらくすると、今泉は肩をたたかれ、起こされた。
目を開けて、振り向くと、30歳前後の女性が切符を片手に今泉を覗き込んでいる。
「すいません、そこ私の席なんですけど・・・」
「えっ?」
今泉は、彼女が差し出した切符を確認した。
10号車、14番−A。
更に、自分が今座っている座席の番号を確認した。
10号車、14番−A。
これは、完全に自分が間違えたのだと思った。
今泉は彼女に謝って、席を譲った。
席を立ってから、上着の内ポケットにしまってあった自分の切符を出して、座席を確認した。
10号車、14番−A。
「えっ!」
今泉は、今まで自分が座っていた座席をもう一度見た。
彼女が不思議そうにこっちを見ている。
「どうかされましたか?」
彼女に尋ねられて、自分の切符を彼女に見せた。
10号車、14番−A。
「まあ!」
今泉は、とりあえず、彼女の隣の座席に座って、乗務員が来るのを待った。
ほどなく乗務員が検札にやってきたので事情を説明した。
乗務員は、すぐに端末を調べて、そちらのミスだと認め、今泉が今座っている座席を割り当ててくれるといった。
今泉は、それでも構わなかったが、自分が隣に座って、彼女が嫌がりはしないか気になったので、一応確認してみた。
彼女がかまわないと言ってくれたので、そうすることにした。
今泉は京都に着くまでぐっすり眠っていた。
京都に着くと、隣に座っていた彼女が今泉を起こしてくれた。
今泉は慌てて、座席を立った。
ホームに降りると、隣に座っていた彼女が笑いながら声をかけてきた。
「よっぽどお疲れだったようですね。」
今泉は、その時、はじめて彼女の顔をまともに見た。
「!」
今泉は驚きのあまり絶句した。
「どうかされましたか?」
我に返った今泉は彼女の名前を確認した。
「まさか、百合子さん?」
「えっ?」
彼女は、今泉が夕べ看取った幸村百合子と瓜二つだったのだ。
言うまでもない、今泉は彼女に一目ぼれしてしまった。
このことがきっかけで、二人は付き合いを始めるようになった。
9月の終わり、空は青く晴れわたっているが、この時期にしては少し肌寒い。
紗耶香は両親とともに、お見合い会場の料亭に来ていた。
落ち着いた感じの着物を着て、いつもはロングにしている髪を束ねて、アップ気味に整えている。
いつものさやかとはかなり雰囲気が違う。
紗耶香は、スーツで来たかったのだが、母親の芙佐子がそうするように指示したからだった。
約束の時間より5分早く相手の男がやってきた。
部屋の襖戸が開くと同時に、紗耶香は頭を下げて、彼を迎えた。
「紗耶香?」
聞きなれた声に顔をあげると、目の前に座っていたのは今泉潤之助だった。
「潤之助さん?」
驚いた顔をして、今泉を見ているのは、幸村百合子と瓜二つの顔をした牧原紗耶香だった。
二人になった今泉と紗耶香は、お互い、顔を見合わせて、クスッと笑った。
「見合いの相手が君だと知っていたら、こんなに憂鬱な気持ちで来ることもなかったなあ。」
「バカねえ、名前を聞いた時、気がつかなかったの?」
「だって、お父さんの職業なんて聞いていなかったから、たまたま同じ名前だと・・・君こそ、写真を見ただろう?」
「あら、私はあなた以外の人は考えられないかったから、写真も見てないし、名前も聞いてなかったのよ。第一、あなたが立派なお医者さんだってことは分かっていたけれど、まさか、聖都のお医者さんだとは知らなかったわ。」
「そう考えてみると、俺達はお互いのことをなんも知らなかったんだな。」
「そうね。でも、いいじゃない!愛し合っているのは確かなんだから。」
「まあな!」
そういうと二人は抱き合って、唇を重ねた。
天窓から差し込んだ日差しが、スポットライトのように二人を照らした。