4.インドで 4-1 ガンジスへ
僕は、リキシャーに乗っていた。
自転車の後ろに、二人がならんで座れるくらいの椅子をつけた車を繋げた乗物だ。人力車を自転車で引っ張るような物だといったほうが分かりやすいかもしれない。
何年くらい前だろうか、少しまとまった休暇がとれたときに、突然、ほとんど見えない糸に引っ張られるようにしてインドを訪れ、真っ先にこのヴァラナシという町に来た。
ヴァラナシ。ヒンドゥー教の聖地だ。
ここではガンジスが大きく蛇行して南から北へ流れ、河岸に設けられたガートと呼ばれる階段では、東に昇る太陽を仰ぎながら河の水につかり祈りを捧げる、つまり、沐浴を行うことができる。そうして、一生の間に一度は訪れたいと願ってやってくる多くの巡礼者や、その有様を一目見ようという観光客でごった返している町でもある。
僕は、自分の父親くらいの年格好の男のこぐリキシャーに乗って、後ろめたさを噛み締めていた。
それでなくても暑いインドの道を、彼は全身の力を交互にペダルにかけて、背中にも汗を流しながら、観光客である僕を一生懸命かれらの神聖なる場所へと運んで行く。それだけではない。僕は、ホテルの近くの道端で彼を呼び止めて、ガイドブックか何かで覚えたとおりに値段の交渉したのだが、その時、僕が支払うといって彼が目を輝かせた金額は、換算すれば普段東京で飲む珈琲の一杯にもならないどころか、タクシーでその釣銭になったら、ちょっと受取りにくいくらいの額だった。
にもかかわらず、その額は恐らく彼の相場からいえば破格のものだったらしく、彼は僕が座る椅子を布で一生懸命拭いて、ご機嫌だった。そんな風にして彼の労働を買ったということ、そして、その汗が結局のところ僕を沐浴の場所に連れていくことだけに浪費されることになる彼の胸の内なんかを考えて、僕は少し憂欝になっていた。
風景が変わってきた。
もともと雑然としていた町はさらにその度合いを増し、道を歩く人の数が増え、車もバイクもリキシャーも、そして牛までも入り乱れて、身動きが取りにくくなってきた。あたりを見回しても、目に入る文字はミミズが這ったようなヒンドゥー文字でとても読めたものではないし、道はくねくねと曲がっていて方向も定かではない。だが、あたりの気配から察して、ガンジスが近いことは明らかだった。
僕は、その男の肩を叩き、約束の金を払って、リクシャーを降りた。驚いたことに、その男は、今度はまったく嬉しそうな顔をせずに、極めて当然のようにその金を受け取った。僕は、なんとなくほっとして、あとはその男には目もくれずに、雑踏の中へ足を踏み入れていった。