2-2 謎の村人たち
確かに、絵の中の人々の動きは、ブリューゲル独特の筆致で、疑いの入り込む余地がないほどにリアルに描き出されている。まさに、それぞれの動作の本質がそこに掬い上げられて定着させられている。だが、だからといってその意味するところは全く不明のままだ。のみならず、そういった、明らかに何かをしている連中の回りにいる、その何倍かの男や女は、その動作を見る限り、やはり何をしているのかよく分からない。
仕方がないので、さらに近づいてその表情を読み取ろうとするとなると、さらになぞは深まっていく。まるで仮面のように、そいつらの顔はこわばったまま停止している。そこに、何がしかの意思、心の動きを読み取ることはほとんど不可能だ。
一体、喧嘩や博打をしている連中も含めて、なぜこんな寒くて暗くて気が滅入りそうな広場に集まってきているのだろう。それぞれはお互いのことを知っているのかいないのか、いつごろから来て、どのくらいの時間そうしているのか、何か用事なり目的なりがあってそうしているのか、そもそもそんなことをしていて楽しいのか、楽しくはなくてもそうせざるを得ない何かがあるのか、そのうちにはそれぞれの家に帰っていくのか、そうすれば普通の生活らしきものに戻って行くのか、そんなことを思っていると、本当にわけが分からなくなる。
その絵の前には、どのくらい立ち尽くしていたのだろう。
薄暗い美術館の中で、その大きな画面に離れたり近付いたり、左下から丁寧に辿ってみたり真ん中から渦巻状に目で追い掛けてみたり、疲れて部屋の中央にあるソファに座り込んでそこから眺めたりして、何とかその絵を理解しようとした。
だが、たとえ彼らが「何を」しているのかはおぼろげに見えてくることがあっても、「なぜ」、「何のために」そうしているかは見当もつかなかった。そんなことをしているうちに疲労を感じてきて、結局なにも分からないままその美術館を出てしまったのだった。