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7.再び待合室で

 空想が過ぎたようだ。

 何も、ブリューゲルの農民ばかりではない。

 だれもが、多かれ少なかれ、そういう人生を送っている。

 一流企業のオフィスで、電話と書類に追いまくられている男も、新築したばかりのマイホームで食事を作り、洗濯をし、掃除をし、買物にでかける女も、そして、病院の待合室でひたすら順番を待つ男も、女も……。

 だれも、その一日が、生きるに値した一日だったかなどとは考えない。明日はどのように生きるべきかも、考えない。

 それでも、とにかく明日も同じように生きて行くということには疑いをさしはさまない。そういう日が、永遠に続くと信ずることによってのみ、僕らの生活は成り立っているのかもしれない。

 だれも、死を待ってなどいない。いつかは皆死んでゆくことを頭の中では理解しながら、自分には、当面、関係ないものとして生きている。

 おそらく、どんなに重病に冒されようと、どんなに体が弱ってこようと、少なくとも明日までは生きていられると思うから、今日のこの無意味な一日に耐えていけるのだ。

 そうでなければ、そう、もし、本当に人生の終期がすぐそこにはっきり決まっているとしたら、会社にいっている暇などあるだろうか。人の話を義理のあいづちを打ちながら聞いている余裕どころか、他人の結婚披露宴に出ている時間もないはずだ。


 では、何をするのか。

 何をすれば、その日一日を後悔することなく生きられるだろう。

 考えに考えた挙げ句、やっぱりそれまでの毎日と同じ一日を送るだろうか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 でも、それならせめて、ガンジスの水にでもつかって、見知らぬ神に祈りでも捧げようかと思う。河の向こうからのぼってくる朝日を正面からうけて、聖なる水に頭まで浸り、口を濯ぎ、体を清めれば、それまでに無駄遣いした時間、裏切ってきた人々、浪費してきた人生、そんな諸々の罪から逃れることができそうな気がする。

 でも、そうすることもまた、そこにどんな意味があるかと問われれば答えに窮するのだけれど………

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