4-2 沐浴場に向かう
途端に、息苦しくなった。
一瞬気が遠くなったが、その理由はすぐに分かった。町全体が、異様な匂いに包まれていたからだ。
最も強烈なのは、ここでは神の使いとして大切にされているという牛の排泄物なのだが、そのほかにも、あちこちで売っている独特の香辛料や、風呂に入ることなどなさそうな連中の体臭、オーバーヒートの車、至る所にあるヒンドゥーの神々の祠のような物の前で焚かれている香、そんなものが全部寄り集まって、形容すべき言葉も思い当たらない唯一無二の匂いをつくりあげていた。その匂いが、高い温度と湿度の空気の中に詰まっているため、ほとんど首を絞められたかのように息苦しい。
それに、音だ。
混雑を極めた道に何の秩序もないから、車もバイクも何の遠慮もなくビービーと鳴らし合う。大きなスピーカーからは、ヒンドゥーの祈りだか歌だか分からない単調なものが流され、当然のことながら人々は大声でわめき合う。
もちろん、インドについて何も予備知識なしに出掛けてきたわけではない。ただ、この匂いと騒音は、まったく予想を越えていた。お陰で、着く早々に意識は朦朧状態となり、それ以上何もしなくても、いつのまにかにインド的世界に滑り込めたのかもしれない。
とにかく、僕はガンジスを目指して歩いていた。
次々に寄って来ては、サリーや、象牙細工や、それにハッシシなんかを勧める連中を振り払い、牛や車を避け、大勢の人々にぶつかりそうになりながら、僕は道がわずかに下って行く方へと進んでいった。さらに人が増えて来た道をしばらく歩いていくと、突然、回りの気配が一変した。視界が急に開けて空気が一瞬爽やかになり、騒音がはるか後方に遠のいた気がした。そうして、目の前に茶色い帯が見えた。
手前にはきのこのような傘が幾つも並び、日に焼けた顔に絵の具のような物で模様を描いた男がすわり、その前をスカートのようなものを腰に巻いた男や、ずぶ濡れのサリーを来た女が行き交っていた。はるか下の方には泥水のような茶色い水がいろいろなものを浮かべ、たっぷりと盛り上がるように渦巻きながら流れていて、そして、その向こうには、遠く泥と草の岸が霞んでいた。
それが、ガンジスだった。
ここが、ヒンドゥー教徒が一生に一度は訪れるべき巡礼の地、ヴァラナシのガートだった。
夢に見たその光景を目の当たりにして胸が一杯になり、僕は深呼吸をしようと、大きく息を吸い込んだ。
その瞬間、僕は突然固い手で右手をつかまれ、思わず声を上げそうになった。深呼吸を中断されて呼吸が乱れ、急に心臓の動悸が上がったのが分かった。