8話 発覚
「……君は……。
アンドロギュヌス、なのか……?」
突然呟いたアンリの声に、ハンクはすがり付くような顔を上げた。
彼の肯定的な問い掛けに細い光明を見たハンクの脳内は、進軍本部さながらの勇ましき軍事会議を開催していた。
一人何役もこなしながら激論し幾多もの作戦を練り上げてはみたが、その結果は両性という主張の難解さに絶望させられただけであった。
満場一致の白旗で会議を終えた進軍本部を後にし、ハンクは蚊の鳴くような声で隠し通して来た罪を告白する。
「あの……、本当は。
……男、なんです……」
一看護婦団員としては不適切すぎるその由々しき告白に衝撃を受けたアンリは、真っ青な顔を引きつらせながらスーツの細身を大袈裟なまでに反らせていた。
長く維持するには非常に辛いであろうその体勢のまま、事の重大さに脂汗を流す彼の腕にハンクは必死になってしがみ付く。
「でも看護がしたくて!
この野戦病院できちんと一人前にやり遂げたくて、ここにいるんです!
お願いです!
だから誰にも言わないで!」
そうすがるハンクを視界で捉えながらもいまだ驚倒状態のアンリには、まるでシャンパンから湧く泡のように次から次へと疑問が浮かび、水面に頭を出したそれは求めた答えを待たずして消えていく。
看護『婦』団員に少年、彼の女装、年齢の不適合、それらの秘密、戦争下に一体誰が彼を、この大問題は誰に言うべきか言わざるべきか、言えばどうなるか言わねばどうなるか……、眩暈をもよおす彼の中では、答えの出ない思考が熱湯のように噴きこぼれ、行き場を失った困惑の蒸気は発車前の機関車宜しく豪快に噴出していた。
大量の脂汗にまみれて赤くなったり青くなったりを繰り返していたアンリが、はっと顔を上げてハンクの黒衣を見た。
そして清々しく一転した笑顔でハンクの手を取ると、一人おかしそうに笑いながら「参った参った」と爽やかに話し始める。
「サマンサ、君って子は……」
彼の投げ掛けてくる肯定の瞳に、ハンクはほっと安堵の息を吐いた。
頬のえらにラムチョップみたいなひげを威厳高く生やしている割には柔軟な思考を持っていそうだと思っていたハンクの予想がこんな形で証明され、且つこれほどまでに救済的な再起をもたらしたことに、少年の心は軽やかに躍り上がっていた。
ハンクが、安心しきった声でアンリに言う。
「よかったー……。
きっとアンリさんなら、解ってくれると思った……」
その場で力なく腰を下ろしたハンクにそっと跪き、アンリは少年と判ってからもなお可愛らしい彼の顔を覗き込むと困ったような呆れ顔で言った。
「まったく、フローレンス・ナイチンゲールさんも突飛な事をするね。
しかし君も君だ、よくこんなかわいい制服を着てもいいと了承したものだよ!」
覆い布を被った頭をぽんぽんとなでてくるアンリに顔を上げたハンクが、疑問符の張り付いた表情でぽつりと呟く。
「……? 婦長が、ですか?」
アッシュグレーの両目が訊ねてくる質問に、一度去った驚倒の事態がアンリの背後から津波のように襲来した。
そのうねりは先程まで笑顔していた彼の人格を、冷たい海中へと引きずりさらっていく。
その身を凍りつかせたアンリは、己の範疇を超えた懸念に再びの驚愕顔をさらけ出していた。
◇
陽光差し込む暖かい回廊で熱い紅茶とショートブレッドを楽しみながら談笑している患者の横を、切迫した足音が一目散に突き進んでいく。
ベッドで座る軽傷患者たちが何事かと見やると、その先には小さな看護婦の片腕を掴んだ上流階級風の男が滝のような冷や汗を流して早足に進む姿があった。
身を切る追求の視線からアンリに抵抗できなくなってしまったハンクは、仕方なしに愛想よい笑顔を患者に向かって振りまいていく。
その不審な姿は、幸運にも医療従事者の誰にも見られることはなかった。
看護婦塔の大きな扉の前に立ったアンリは躊躇もなくそれを開け、薄暗い一階部分を素早く見渡した。
そして迷いもなく螺旋階段を上り、知るはずもないフローレンスの自室を目指してずんずんと最上階まで進んでいく。
遂に突き当たった扉を、アンリはノックもせず大胆に開いた。
そして開口一番、フローレンスに向かって進言した。
「彼女は、男ですっ!」
突然乱入して来た男に仕事中だったフローレンスは真顔を上げ、座った姿のまま状況を理解すべく素早い瞬きをして見せた。
一人息を荒らげたアンリがハンクを前に突き出し、あたふたとしながら機関銃のように言葉を続ける。
「レディ・ナイチンゲール!
あなたがこれを御存じなく今日までいらっしゃった事は、
とんでもなく重大な事件ですよ!?
どうしましょう!
彼を一体どうしましょう!
いや、僕は一体どうしたらよいのでしょう!?」
一方的に言葉を吐き出したアンリは、フローレンスの返答も待たずに「大変だ大変だ」と呪文のように繰り返し、これ以上ない狼狽ぶりで狭い空間を歩き回っていた。
それを冷静に見つめていたフローレンスがついとハンクに視線を移すと、青い顔で立ち尽くしていた少年はびくりと飛び上がり、張り詰めた声を上げた。
「婦長! すみませんでした!
でも俺、看護婦として最後まで残りたいんです!
お願いです、どうか帰さないでください!」
救いを求めるように頭を下げたハンクの体は、強く打つ鼓動に震えて氷のように冷えきっていた。
見開いた眼球に握りしめたスカートの皺を映したハンクの額には、一筋の冷や汗が伝い流れていった。
【アンリ・デュナン2】
今作品中、彼だけはかなりの勢いで史実と違う動きを見せているのですが、ここでは史実の情報を少々。
製粉会社を立ち上げたのはいいものの、その経営が上手くいかなかったアンリは借金にまみれてしまいます。どうにもならなくなった彼は、かの有名なナポレオンに嘆願しようと考えました。フランスに戻って会いに行くも、ナポレオンは運悪くイタリアへ出陣中。
ならばと追いかけて行ったイタリアで、アンリは戦争の悲惨さに直面します。地獄のような状況で、彼は本能的な衝動によって負傷者の救済を始めたそうです。この行動が後に「ノーベル平和賞」を受賞することとなる「赤十字社」の創立への第一歩となるのでした。




