4話 大改修と新制約
衛生委員団による病院の修繕工事は、目が回るような速さで進んでいた。
到着したその日こそ下準備に費やしたものの、衛生委員団の五人は翌日の早朝から数百人にものぼる労働者らを滞らぬよう動き回らせていた。
一度に執り行なう修繕の範囲は、回廊の一辺とそれに付随する全病室であり、対象範囲の回廊内は、全患者とマットレスを移動させてから作業関係者以外立ち入り厳禁となった。
何もなくなった回廊と病室ではまず、百人近い労働者が背の丈程度までの壁材と一面の床材を瞬く間に剥がしていった。
むき出しにされた床下では下水溝から溢れ出した汚物が腐り、淀んだ湿り気と強い異臭を放っている。
労働者たちは水平に走る床束を傷めないようにしながら、この腐敗した汚物とカビの生えた土をスコップですくい取り、離れた場所へバケツで運んでは掘り下げておいた大穴へと投棄していく。
汚物のすくい取られた床下からは壊れた下水溝が掘り出され、その跡には新品の下水溝と詰まりを解消するための流水設備が取り付けられた。
これと平行して改築の進められた壁面には、中庭側に日光の入るガラス窓が、天井付近に大きな突き上げ窓がそれぞれ設けられていった。
次に麻袋を担いだ数十人の労働者がやって来て、床下には泥炭、壁には害虫駆除剤をしっかりと散布していく。
これが終わると、百人近い男たちは待ってましたとばかりに板材を打ちつけ、見る見るうちに板一色となった床や壁には、これまた競うような速さで全面に漆喰が塗られていった。
最後に大量のタイルが床を秩然と覆い、回廊は実に見事な仕上がりとなった。
彼らはこの一連の作業を数日で完成させ、漆喰が乾いたと判断でき次第すぐに患者搬入の許可を出した。
その頃には物資補給調査の二人が受取人不在として港に放置されていたベッドやマット、枕に毛布、おまるとリネンの山などを病院に運び込み始めていたので、医療従事者たちは大慌てで患者の搬入を計画しなければならなかった。
◇
患者の搬入が許された回廊の一角では、サザランドと数人の医師とが患者の再配置について意見をぶつけ合う声が響いていた。
「ですから、
今まで廊下の両側に並べていた二列のマットレスは今後一列とし、
病室側には並べずに中庭側だけに並べて欲しいのです。
それと病室内のベッドも十から六にし、
患者同士の間隔をもっとあけるべきです」
落ち着いた口調ながらそう強く発言するサザランドに、医師の一人は困惑した表情で発言した。
「そんなにゆったり収容されたら、収容場所が足りやしません!
患者が院外に溢れ出してしまう」
サザランドは彼の訴えに平然と答える。
「その心配は一時的な事だとお約束しましょう。
なぜなら快適で清潔な院内環境は患者の――」
「彼らにそこまでする必要が、必ずしもあるとは思えんがね!」
そう水を差したのはジョン・ホール医師だった。
大きな腹を威厳たっぷりに反らせてサザランドを威圧した彼は、品定めするような視線で丸眼鏡を見やる。
「いいえあります。
今までの過密収容は非衛生的で、
患者の容態が悪くなる一方ですからね。
けれどもこの新しい回廊に、
私がお伝えしたやり方で軽傷者のみをまとめて収容して頂ければ、
軽傷患者はすぐに回復して退院するはずです。
入院が短期化して収容人数が減少しますから、
マットレスの列が中庭側だけでも――」
そう答えたサザランドを、ジョン・ホールは怒声で制した。
「患者をそこまで甘やかして贅沢させる必要はない!
あいつらは自ら志願して兵士になったのだ、
戦場や野戦病院がどんなに過酷であるかぐらい理解しておるわ!」
当時の軍医は、そのほとんどが患者に対して冷酷だった。
その理由はイギリス兵の中に貧しさから志願して来た平民がいることに他ならず、そんな境遇の者を手厚く世話しては病院に居座られてしまうという懸念と、もとより兵士ならば地獄のような環境で死に至っても自業自得だという風潮が軍医をそうたらしめていたのである。
サザランドは丸眼鏡を直しながら、別段変わらぬ几帳面そうな口調で言った。
「では軍医長殿、
このスクタリ兵舎病院における死亡率の高さを八分の一程度に抑えるために病院は何をすべきか、
そのお考えを考察と提案書にしてパーマストン首相宛てに報告して頂けませんか?
死亡率が高い言い訳や嘆願などではなく、
現状況からどうやって兵士を回復、退院させ、戦場に戻すかという事をです」
その要請にたじろいだジョン・ホールを気にも留めず、サザランドは言葉を続けた。
「我々は政府から死亡率を下げよと命を受けてここへ来ています。
なぜなら兵士不足は戦況を悪化させ、士気の減退を招くからです。
もし軍医長殿が戦場で死体を戦わせられるのであれば、政府も方針を変えるでしょうが」
政府と考察と提案書という言葉を聞いた途端、男たちは口をつぐんで顔を見あわせた。
腕を組んだままで唸るジョン・ホールの後ろから、無垢な光を放つ回廊の美しい仕上がりを確認しにやって来たフローレンスが、争いの渦中へと声をかける。
「何か問題でもありまして?」
的確かつ簡素に答えたサザランドへ肯定の相槌をうつと、フローレンスはすぐさま男たちに向かって意見した。
「ベッドの距離を広げるのは賛成です。
今まで医師や看護婦が行き交うには通路が狭すぎましたもの。
病院が手狭なら増築すれば良い事です、
けれどもその必要がないくらい、彼の主張は合理的です。
軽傷者と重症者を分けて看護する点も、
衛生面において非常に大きな効果があるでしょう。
私は、彼の方針に従うべきだと思います」
彼女のきっぱりとした主張は、渋る医師たちの胸中で淀む『政府の方針に楯突く気はないのだが、慣例を打ち崩される不快感と新参者に従うという耐え難い屈辱』という心情を上手に操り、ようやくこの回廊に患者が搬入されることとなった。
その後回廊にはすぐに新品のベッドやマットレスが運び込まれ、看護婦たちの手によってシーツや毛布、洗面用具におまるなどが備え付けられていく。
座浴を済ませて清潔な病人服に着替えた軽傷者たちが、改築された快適な環境で入院生活を開始した。
ジョン・ホール一派の医師たちだけは、相変わらず軍人らしい主張を続けていたが、それは『首相への考察と提案書』にあてられてか非常に奥ゆかしいものであった。
【戦地への物資】
当時、各戦地への物資は概ね蒸気船で運ばれていました。しかしかなりの量が輸送先へ届かなかったようです。
例え港に届いたとしても官僚仕事に阻まれて停滞してしまったり、戦地に届いても付属部品の包みが届かず使い物にならなかったことも。
産業革命で急激に物の作りが複雑になってしまったという背景も、この悲劇には少なからず影響しているようです。




