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3話 底意

「なぜ監督するのです! 

身の程知らずの医官長がやっと事の重大さに気が付いて、監督権を放棄したというのに! 

分らず屋の女どもなど、この杖で尻を叩いて追い返せばいいであろう! 

こう言っちゃ何だが、

ここへ来たばかりのあなた方より、ずっとひどい態度だ。

反抗的で高慢で!」


 赤ひげを燃え上がらせて怒気を振りまくジョン・ホールが、苛々と軍靴の踵を打ち鳴らす。


看護兵長や医師長、役人と監査人が口々に同意を述べた。


「落ち着いて下さい、皆さん。

正式な要請ではなかったとはいえ、彼女たちを派遣したのは政府です。

それがどれほど迂闊な決定であったとはいえ、その事は忘れてはいけません」


 凛と響く彼女の発言に言葉を飲み込んだ面々が、苦い顔で奥歯を噛む。


彼らは一様に口角を下げて首を振り、困惑の表情でフローレンスを見つめた。


 フローレンスはそれを受け止め、母のような笑顔を見せると優しく話し始めた。


「きっと彼女たちも貢献いたしますわ。

スタンレー女子修道院長一団は『敬虔なカトリック教徒』ですもの、

マニング氏が推薦するのも無理はありません」


 マニングという名を聞いた役人の顔色が、見る見るうちに不安で彩られる。


それもそのはずで、マニングと言えばカトリック界で有名な権力者の一人であり、彼に楯突くとただではすまないことで有名だった。


状況の飲み込めないジョン・ホールと男たちは、怪訝な視線を役人に向けその説明を求める。


役人が渇いた喉を鳴らし、潜めた声で説き始めた。


「これは大変だ……。

いいか、もし彼女たちを無下に追い返したりなどしたら、

ローマ教会カトリックが黙ってはいないという事だ。

我々を含めた院内従事者はプロテスタントが多いというところを突いて、

英国国教会に不服を申し立てるつもりだろう。

そうなったら宗教対立どころじゃすまなくなるぞ」


 このころイギリスの信仰といえば、英国国教会が布教するプロテスタントが指示されていた。


各個人が神の存在だけを信じて活動できるため、より独創的で自由な主張ができるこの派閥は、全ての権限をローマ教皇ではなくイギリス国王が有するとしており、過去の宗教勢力を取り戻したいと願うカトリック派から見れば、非常に邪魔な存在であったのだ。


 あの高慢ちきな一団の背後で宗教対立へと発展するほどの大きな火種が潜んでいたことに、男たちは揃って驚愕する。


青ざめて慌てふためく彼らに向かって、フローレンスは事も無げに微笑んだ。


「どうぞ皆さんは、今まで通り変わらずにお過ごし下さい。

彼女たちの事は私がしっかりと監督いたします。

けれど皆さん、彼女たちは『私の一団と違って、根っからのレディ』ですから、どうかくれぐれも宜しく」


 笑顔する彼女の中で燃え滾る怒りの業火が、落ち着きはらったグレーの瞳から一欠片垣間見えた。


それに身震いした医師長が、この場を去ろうと早口で話をまとめる。


「げ、現段階での最善策はミス・フローレンスの言う通りですよ。

僕はあなたのやり方に賛成です。

どうです反対者はいますか?」


 面倒はごめんだと言いたげな表情の男たちは掌を見せて首を振り、反論はないと体現した。


それを見渡し、フローレンスは小さく頷く。


「ではそうしましょう」


 朗らかな彼女の言葉を最後とし、男たちは仕事へ戻るべく方々に歩き始めた。


一人冷や汗の奥に企みを隠していたジョン・ホールが歩き始める際、わざとらしい困り顔でフローレンスに呟いた。


「あのレディたちが、『大きな問題』を起こさなければいいがね……」


 ジョン・ホールはその言葉だけを残し、軍靴の音も高らかに歩き去っていった。


彼のふてぶてしい背中を見送るフローレンスが真顔に戻り、煮え立つ怒りの感情を剛毅な精神でねじ伏せると、灼熱を冷ますように細く深い溜め息を吐いた。


そして玄関の柱に隠れて立ち聞きをしていたハンクとリタに背を向け、深刻そうな面持ちで回廊の奥へと消えていく。


 全てを聞いたハンクとリタは、このきな臭い事態に不安を感じながらも無言で顔を見合わせることしかできなかった。


だがこの第二陣の派遣こそが、数日前からフローレンスを怒らせていた原因なのだと、二人は確信していた。


 ◇


 昼食時、フローレンスは看護婦塔に戻らなかった。


 彼女が戻って来たのは夕方で、その痩せた顔には落胆した様子が張り付いていた。


フローレンスは『第一陣』である看護婦団員を看護婦塔の二階に集め、心労のこもった声色で手短に告げた。


「今日、女性看護婦団の第二陣となる人材が病院に到着しました。

回廊を経た隣の塔を彼女たちの生活場所として提供したため、

そこに保管されていたリネン類等は軍の備品庫に移動してあります。

明日から間違えないよう気をつけること」


 彼女の言葉を聴く看護婦団員は、皆苛々とした重苦しい雰囲気をまとっていた。


それは彼女たちが午後の看護中に見た、『第二陣』の華々しい行列を思い出していたからである。


玄関から塔に入るまでの短い間ではあったが、そのあまりの場違いぶりに第一陣たちは大きな反感を抱いていた。


 そして第一陣の誰もが、彼女たちは戦力にならないだろうという明確な予想から深い失意を覚えていたのだった。






【英国国教会とローマ教会】

 テューダー朝の第2代目となったイングランド国王ヘンリー8世、彼はもともと熱心なカトリック教徒でした。しかし1529年、カトリックの最高指導者であるローマ教皇クレメンス7世に再三願い出ていた「結婚無効宣言」が却下されたことにより、事態は急変します。


 なんとヘンリー8世は、最高指導者の意向に背き、勝手に王妃と離婚してしまったのです。そしてその後の1533年には、第2王妃となるアンを娶り平然と結婚式を挙げます。


 これを知ったクレメンス7世はヘンリー8世を破門にします。けれどもヘンリー8世はヘンリー8世で、イングランド国王をイングランド国教会唯一の首長と定めた「首長令」を1534年に宣言するのです。これにより、イングランドはローマ教会から独立し、プロテスタントとなって英国国教会を立ち上げました。


 ヘンリー8世没後の1547年から、テューダー朝は第3代目エドワード6世、4代目ジェーン、5代目メアリー1世、と目まぐるしく国王が変わり、国が主とする教派も行ったり来たりします。


 1558年に6代目となったエリザベス1世は、そんな混乱を治めるべく翌年の1559年に2度目となる「首長令」と共に、国内の宗教を統一する「礼拝統一法」を宣言しました。


 これによってイングランドは完全にローマ教会と決別し、さらには1563年「イングランド国教会の39条」を制定することで英国国教会を画一させたのでした。

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