5話 カミーラ伯母さんの作戦
作戦に乗るという快諾から数十分後。
屋敷二階の子供部屋では、どんよりと淀んだ顔をしているハンクがいた。
素晴らしい細工が施された大きなワードローブの前で、伯母のカミーラは興奮した声を上げる。
「まぁまぁまぁ、良く似合っていること!
やっぱり私の見立てに狂いはなかったみたいね!」
あまりに上機嫌な伯母に向かって、じっとりした視線を送るハンク。
それもそのはず、ハンクの体にはたっぷりとした白い絹のドレープが踊り、随所からは上等なピンク色のレースがふんだんに顔を出していたのだから。
伯母が言うには春に咲く清楚なバラをイメージしたという幾色ものピンクレースは、ここが見せ所とばかりに細い襟ぐりと、小さな袖口と、大きく広がった裾周りをぐるりと一周咲き誇っている。
悪気のかけらも感じられぬうきうきとした調子で、伯母はドレスとお揃いのお出掛け帽子をハンクの頭に被せた。
そして帽子から垂れる薄絹を顎の下で蝶結びにしてやり、嬉々として自身の胸に手を当てる。
「娘の子供服、とっておいて良かったわぁ~。
孫に女の子が生まれるまでは誰も着てくれないと思っていたけど……。
ハンクったらもう、あつらえたみたいにサイズもピッタリじゃない!」
「…………」
黙り込むハンクの前で目を輝かせた伯母は、どうやって戦場に行くかという行程を揚々と語ってみせた。
「いいこと、ハンク?
せっかくの美貌なのだからこれを利用しない手はないわ、
あなたはこのままレディとしてロンドンへ向かい、
戦地での看護志願って事でスクタリ行きの船に乗るのよ。
そしてナイチンゲール看護婦団に追加入団させて貰うの!
ね? やだもう、ナイスアイディア♪」
「………………ちょっと……、……伯母さん……」
失意の底から搾り出したようなハンクの声は、伯母の耳を虚しいほどに素通りしていく。
「そうだ、私の主治医さんに紹介状なんかも書いて貰いましょうね。
この作戦、上手くいけば上手くいっちゃうわよ!
そうすれば国民の英雄ナイチンゲール女史に会えちゃうじゃない!
そうそうそれにね、看護婦団に入れれば生活に必要なものは全て政府が用意してくれるし、おまけにお給料だって貰えちゃうのよ!
しかもロンドンで働く看護婦の二倍も!」
「…………だから、伯母さん……」
またも空を切ったハンクの呟きは、それを嘲笑うようにすら聞こえてくる伯母の声にかき消されていた。
「完璧だわ、この作戦なら間違いなく戦地に立てるわよ、ハンク!
そうそう、上手くいったら私の屋敷宛に手紙とお給料を送って頂戴ね、実はこのお給料っていうのが重要で、これがあればあなたの――」
「伯母さんってば!!」
その怒声を受けてきょとんとする伯母に向かい、ハンクは置き去りにされていた志を示しなおす。
「いい? 伯母さん!
俺は、兵士になって戦いたいのっ!!
女になって看護したい訳じゃない、どうしてこうなるの!?
こんな格好、絶対おかしいじゃないか!!」
赴いた戦地で敵と戦えなければ行く意味すらないのに、なぜ女装までして看護婦にならなければならないのか。
ハンクはこの異常事態から一刻も早く脱するべく、皆目見当もつかないドレスの出口を探して苛々と身をよじった。
その姿を眺めていた伯母が、呆れのこもった溜め息を吐いて忠告する。
「いいこと? ハンク。
……あなたが兵士になるという事は、イギリス国家の取り決めに逆らう事なの。
そうなれば戦場の貢献には名誉も功績も与えられないわ。
それどころかオーベルトの名は国から反逆者扱いされて、あなたの両親や友人たちが一生苦しむ事になるのよ?
……ねぇハンク、それでもあなたは十二歳の今、どうしても兵士になりたいと言うの?」
諭すような伯母の口調と、期せずして語られた内容の重大さに、ハンクの燃え滾る願望は一瞬で漆黒の津波にさらわれてしまった。
ハンクは視線を落として口をつぐみ、己の無知さと、願いの散った失意に沈み込む。
だが突然、伯母は景気良く手を打ち鳴らし、いつもの明るい笑顔で悪戯っぽく話し始めた。
「がっかりしないで、私のハンク!
私が何のためにそんな格好をさせたと思っているの?
……実はね、女装して看護婦になる事は、戦場に行くための手段なの。
作戦の真の目的は、野戦病院にいる負傷した兵士たちよ!
ハンク、あなたは将来有能な兵士になるのでしょう?
ならばそのためにも、戦場で敵を目の前にして戦い抜けてきた彼らから、貴重な情報を収集したいとは思わない?
とても素敵な経験になると思うのだけれど」
兵士から直に戦争の話を聞けるという言葉にぱっと顔を上げたハンクの心は、突然湧き出した甘い蜜にくすぐられた。
あと数年、兵士になるまで完全に何もかもおあずけになるか、今ここで、最悪な手段を用いてでも兵士から知識を吸収するか。
勇ましさと卑しさ、栄光と背徳の狭間で、ハンクは真剣に悩んでいた。
「あなたの父さんには、私が上手い事言っておいてあげるから」
悩みの芽を的確なまでに手折る伯母の声に、ぐっとその気を湧かせたハンクだったが、その口からは否定的な言葉がこぼれだす。
「……いや、やっぱりそれはダメだ……。
俺は男として、男らしく……」
男としての意地を胸に、決意した顔をキッと上げるハンク。
しかし彼が言葉を続けるよりも先に、伯母の口からは豪快なヨークシャー訛りが飛び出していた。
「何ゴッチャと抜かしとうね!
おまっさん男っしょ?
男なら男らしゅう、ビシィーーーッと決めねっがぃ!!」
「ええっ? 伯母さん、御当地丸出しだよ!?」
突如前触れもなく降臨した在郷なお方が、思いきりハンクの背を叩く。
重くて強い音が、広い子供部屋の中にこだました。
「痛ったぁっ! ちょっと! 俺、看護なんて……」
「たかが看病じゃあ!
女にもできっことが、男のおまっさんにできんがやぁ?
それとも何か? 戦争に行きてぇ夢ば、そんなもんやったんかぃ!
どうせ、兵士になればすぐ英雄になれると思っとっとや!
はぁ~甘か! なまら甘か!
女にできる事もようできん男が、英雄になんかなれるわけねぇっしょ!
そんな女の腐ったような奴ぁ、とっとと自分ち帰ぇりんしゃい!
そんでぬくぬくと騎士道の夢でも見でらぁええわ! この玉なしがぁ!」
「なっ!?」
伯母の言葉に男としての自尊心を踏み散らかされたハンクは、父親譲りの短気さで瞬間沸騰をおこす。
今しがた決意した男としての意地など煙のように消え、すっかり血ののぼった状態で伯母に牙をむいていた。
「何だとお!
男が女より劣ってるとでも言うのか?
看護ぐらいなんだ、そんなの男がやれば朝飯前だよ!
クリミアだろうがスクタリだろうが、俺が行って女よりもたくさん看護してやろうじゃんかっ!
そうだよ、俺が証明してやるんだ!
例え子供であっても、戦地に必要なのは女よりも男なんだってことをさ!」
ハンクはドレスに包まれた身を乗り出し、伯母と顔を付き合わせる。
「おーお、おまっさんにも玉があったとね!」
「おーよ、女がなんね!」
伯母の挑発顔を鼻息荒く睨みつけたハンクがふんっと鼻を鳴らし、足音も高らかに子供部屋を出ていく。
そのレースだらけの後ろ姿を見送った伯母は、ハンクの姿が見えなくなった途端に表情を緩め、何やら満足げにほくそ笑んでいた。