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9話 乙女の懇ろ

 ユーリアを担当してからというもの、リタはやたらと彼のいる二階に現れ、日に数回しか訪れない用足しに出てくるその姿を遠くから見守ろうと一日かけて回廊を掃除していた。


とはいえその作業は常時そぞろ気で、洗濯物の回収をする時も常にユーリアのいる病室を見つめたまま、患者の衣類やシーツには一切目もくれずにかすめるようにして剥ぎ取っていく。


そしてユーリアのものを洗濯する日となるや嬉々として病室に飛んでいき、じっくりと時間をかけて彼の衣類を交換すると、必ず自身の手で何よりも懇切丁寧に洗うのだった。


仕上がった洗濯物を持っていく時も、他の患者には適当にたたんだものを放る勢いだが、ユーリアには折り目正しく重しを利かせたものを、天使の笑顔とともに差し出す変貌ぶりであった。


 そんな問題だらけの行動を見せるリタではあったが、意外にも二階回廊の衛生保持に関してはとても良い成果をあげていた。


頻繁に現れてはそのつど滞在理由を見つけ出すリタのおかげで、二階で亡くなった患者たちは即座に仮遺体安置室へと運ばれるようになり、患者に対する清拭作業や排泄介助、汚物の回収などは、重体患者の精神的回復を驚くほどに促していた。


  ◇


 ユーリアが運び込まれてから四日しかたっていないというのに、二階の回廊は一階と変わらぬほど人の手が行き届いていた。


もちろんそれは普段から行われている看護婦団の清掃や看護によるところが大きかったが、恋する乙女リタのもくろみある献身的活躍がそれを大きく引き立てていた。


 懲りもせずに今日も顔を出そうとするハンクを阻止しながら、リタは『ユーリア消毒セット』を載せたワゴンを押して鼻歌まじりに二階の病室へとスキップしていく。


そして扉の前で己を正すと、うって変わった優雅な物腰で病室の扉を開け、手前ベッドの患者から順繰りに優しい挨拶を投げ掛ける。


リタは地道にも奥にいるユーリアへと、遠回しな好感度アップを計っていた。


返事のない重病患者たちに声をかけ終わると、目隠しのついたてをユーリアのベッドに設置し、リタは晴れて二人きりになれる時間を余すことなく楽しみ始める。


 もとより彼の看護を楽しみにしていたリタではあったが、世話を進めるうち、日に日にユーリアの警戒心が軟化していくことが何よりの喜びとなっていた。


ユーリアの態度が穏やかになったことが一番良く感じられるのは、幾重にも巻きあげられた頬の包帯に手を添える瞬間であった。


四日前の初日には噛みつかんばかりに睨んでいたユーリアの瞳が、今日はすっかり安らいでリタを信頼してくれているようだった。


 曇り空に細かい雨が踊る午前十時、物足りない陽光を病室内へと注ぎ込む窓辺では、リタがユーリアの顔から最後のひと巻きを取り外していた。


露わになった彼の端正で男らしさが漂う顔を、リタは毎日飽きもせず拝むように見つめ倒しては、ついうっとりとしてしまう表情筋を全力で制しつつ、いつもと変わらぬ甘い溜め息を小さく吐いた。


リタが細口共栓瓶を開け、フローレンスが考案した手製の消毒液を膿盆に注ぎ入れる。


塩水にのアルコールを加えただけの原始的なその液体に、ピンセットでつまみ上げた綿球を浸したリタは、明かり不足に眉を寄せながらユーリアの傷口へと顔を寄せる。


看護業務にかこつけたまたとない接近の機会を存分に味わいながらも、彼女はしっかり看護を進めていった。


 相も変わらず一方的な会話を連ねるリタは、模範看護婦を装いながら煌めきに満ちた逢瀬の時間を夢見心地で満喫していた。


彼女にとってこの病室の一角は、どれだけガラス戸が冷風に鳴こうとも、回廊内で看護婦がけたたましく走ろうとも、どこからか発せられる患者の呻き声が地鳴りのように響こうとも、揺るぐことない『美しき恋の楽園』そのものだった。


「はい、うっとうしかったでしょ? 

汗で蒸れていたようだから、今日から包帯を少し減らしましょうね」


 リタの話しかけに対してユーリアが返事をすることは一度もなく今日もいつも通りの無反応だったが、彼女は満足そうに作業を続けていく。


いつもと変わらぬ一連の消毒作業に、リタからは御機嫌な鼻歌が流れていた。


 最後の包帯を丁寧に巻き終えたリタをちらりと見て、ユーリアがためらい気味な視線をさまよわせる。


後片付けをする彼女の姿へと、その目が意を決したようにすっと上げられた。


「……いつも、ありがとう」


 リタがどこからか聞こえて来た声に片付けの手を止め、顔を上げる。


そして椅子から立ち上がるとついたての外をうかがった。


周囲を二、三度見渡した後、首を傾げて戻ったリタを、包帯の薄くなったユーリアが戸惑った様子で見上げていた。


目元と口元を控え目に露出しているユーリアの顔を見たリタは、そこに込められた事実を感じ取り、信じられないとばかりに目を丸くする。


ユーリアはその視線の先で葛藤の残る眉を寄せながら困ったように目を伏せると、更に言葉を続けた。


「僕が言ったんだ、君に感謝を伝えたくて」


 ぎこちない発音ではあるものの、ユーリアははっきりとした英語で確かにそう言った。


そして一つ息を吐くと、伏せていた目を上げ口元に笑みを浮かべて見せた。


 リタは初めて聞いたユーリアの力強い声と、初めて目にした奥ゆかしい微笑みに、のた打ち回りそうなほど乙女心を掻き乱された。


胸を締め付ける切ない恋心が、リタの周囲に春色の花びらを飛び交わせる。


リタが模範な看護婦像を脱ぎ捨て、彼の言葉に答えようと震える息を吸った時、

 またもついたてをがたつかせた無粋極まりない横槍が、場の雰囲気をわきまえずに切り入ってきた。


「ユーリアーーーッ! 喋れたんだねっ!」 






【ラグラン袖】

 ラグラン袖、この言葉を知らずとも、そのデザインには誰しもが出会っていると思います。普通Tシャツなどの袖は、肩の一番外側(腕とつながっている部分)で生地が接合されおり、袖をちぎると腕だけが露出します。(肩部分の見た目は、鬼太郎の着ているちゃんちゃんこのようになります)


 一方ラグラン袖は、腋の下の接合部分はそのままにして、肩の外側にあった接合がぐんと首に寄り、直接襟ぐりの生地に接合されています。この状態の袖をちぎると、揉まれて気持ちの良い肩までもが露出します。(肩部分の見た目は、鉞担いだ金太郎の着ている腹掛けのようになります)


 この形状の袖は腕や肩が動かしやすくできているようです。

なのでスポーツっぽい服には、ラグラン袖が多いようですよ。


 そしてその新しい袖は、考案者であるフィッツロイ・サマセット氏が「ラグラン男爵」と言う立場であったため、それにちなんでつけられたそうです。


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