6話 驚きの連続
甘い吐息を漏らし続けるだけのリタに呆れたハンクは、その体をぐいと押しのけて病室の扉を開けた。
入り口でもじもじと恥らうリタを無視して室内にワゴンを止めたハンクが、朝連絡された婦長の指示を思い出しながら必要な品物を患者のベッド上に振り分けていく。
そしていつも通り奥の患者から始めようと足を向けた瞬間、リタが滑るような速さで駆けつけ、ハンクの進路を全身で遮ると小さく潜めた声で言った。
「ここは、あたし担当♪
いくら恩人のサムでも、こればっかりはゆずれないのよん。
婦長命令でもあるしね♪」
リタが見せた突然の素早い動きに驚かされたものの、まだ浮き足立っている彼女の様子にハンクは不機嫌さを取り戻してふてくされた小声を返す。
「あぁそう、婦長命令さえあれば準備も支度もしなくていいの?
良ーく解りました。後で婦長に確認して……?
……恩人? 恩人って何?」
ハンクの視線の先でリタは、一人いそいそと白いついたてを広げ、包帯人間をしきりに気にしながらハンクに囁いた。
「何言ってんのよ、サムがこの人を助けたんじゃない!
お兄さんと思ったって、婦長が言ってたもん」
ハンクがその言葉にはっとして、ついたての向こうへ駆け寄ろうとする。
すると突然、ハンクの額には、鈍く重い衝撃が走った。
飛び交う星とともに白目をむいたハンクが遠のく意識に上体を仰け反らせると、リタの手がハンクの胸ぐらを乱暴に掴んで力強く引き戻す。
「だ・め・よ♪ 担当はあたし、サムは後ろで見てるだけ」
嬉しそうな笑顔と口調で、そう言いつけるリタ。
彼女の中に燃え盛る立腹を感じたハンクは、頭突きに痛む額を押さえながら口答えせずに頷いた。
「……お願いします。見学させてください……」
「よろしい♪」
手を放したリタはにっこりと微笑み、足取りも軽くついたての中へと入っていく。
一方のハンクは痛みで肩を落とし、足取りも重くその後をついていった。
ついたてに入る前は背に羽が生えたのではというほど浮かれにやけていたリタが、ついたてを越えた途端に別人のごとく顔を引きしめ、極めて上品な物腰でベッド脇に立つと、かすれを抑えた優しい声を出した。
「ユーリアさん、お加減はいかがかしら?
看護婦のリタ・ヒンと申します。
包帯交換と創消毒に参りました、
これからの看護は全て私が行うようにと、婦長から任命されましたの」
今までに見たこともないほど丁寧なリタに、ハンクはあんぐりと大口を開けた。
普段であれば、患者に「はいはい変えますよぉ」と声をかければいいほうで、何の会話もなしに手早く手当てをするのがハンクの知る『看護婦のリタ・ヒン』だったからだ。
恋をしたくらいで今までのやる気のなさやずぼらさを、ここまで恥ずかしげもなく変貌させる彼女に、ハンクは呆れて目を据わらせた。
リタはそんなハンクを構いもせず、「上体を起こしましょうね」などと言いながらユーリアの首へと腕を絡め、患者の上体をゆっくりと起こした。
そして仕草もしとやかに包帯へと手を伸ばし、顔の包帯をもったいぶるようにして解いていく。
ハンクが気を取り直し、やっと対面できる兄に期待を込めて身を乗り出した。
兄の顔を覆う包帯は目の部分にも遠慮なく巻かれていて、外部を見るための隙間は芝生の葉一枚分くらいしかなかった。
解けて広くなった視界で一番に自分を見つけて貰おうと、ハンクはリタの横に擦り寄り絶妙な位置を確保する。
厳重に巻かれていた包帯は、ゆっくりゆっくりと解かれ、あと数巻きを残すのみとなった。
徐々に露わとなる兄の輪郭に、ハンクは自然と破顔する。
そしてついに包帯があとひと巻きとなった時、ハンクはベッドにかぶりつき思わず毛布を握りしめていた。
最後の包帯が優雅なまでにひらりと、その白い尻尾を兄の顔から落としていく。
次の瞬間、ハンクはがく然として呟いていた。
「…………ドルス兄さんじゃない……」
包帯を解いた人間を睨み上げていた目を、こちらに向ける男。
その兄とは似ても似つかない男の顔をハンクは凝視し、何かの間違いだと言いたげな顔でねめ回す。
すらりと面長だった兄とは違う骨張った輪郭、温かく優しい兄とは違う冷たくて鋭い視線、よく見れば目の色も髪の色さえ違っていた。
泥にまみれていたとはいえ、自分と同じ柔らかな麻色の髪を持つ兄と、この険のあるチャコール色とをどうして見間違えたのか。
ハンクは強張った顔で、兄の碧眼とは重なりもしない男の蒼い瞳を見つめていた。
「あらやだ、もしかしてまだ思い違いしていたの?
いやあねぇ、この方はユーリアさんよ?」
そう言って笑ったリタを、ハンクは眉間に皺を寄せた顔で見上げる。
必死になって助けた相手が兄はではなかったという受け入れがたい無念と、それどころか勘違いした相手が敵国のロシア兵であったという真実に、ハンクの幼い愛国心は強烈に痛めつけられていた。
【カーディガン】
毛糸編みの暖かい防寒具であるカーディガンですが、その形状様式が生まれたのはクリミア戦争中のことでした。
季節は冬。兵士たちは皆軍服の他にセーターを着て戦闘を行います。毎日負傷兵が出る戦場で、胴体や腕、頭などを負傷した人間からセーターを脱ぎ着させることは、意外に大変な手間でした。
そんな状況で自身も負傷して不便を味わったジェームズ・トーマス・ブランデル氏が、前開きに作ったセーターをボタンでとめたらどうかと考案します。そうして作られた新しいセーターは着替える作業がとても簡単で、痛みに耐える兵士たちにはもってこいでした。
そしてその新しいセーターは、考案者であるジェームズ・トーマス・ブランデル氏が「カーディガン伯爵7代当主」と言う立場であったため、それにちなんでつけられてそうです。




