4話 お墨付き
縫い物をしていた一人の小柄な修道女が、悲痛なほど大きく頭を振りブレースブリッジ夫人に言った。
「でも、もう私たち限界です……!
医師の要請を待っていては、ここでの看護は永遠にできません。
今日だって、一体何人の患者が神のもとに召されたか……!」
ブレースブリッジ夫人は彼女の訴えに憂いの表情で頷き、赤毛を灯火に輝かせながら空いていた椅子に腰を掛ける。
テーブルを取り囲む黒衣の集団のうち、修道女たちは皆現状の悲惨さを思い、溜め息したりうな垂れたりした。
小柄な彼女の隣にいた修道女が、わななくような声で続ける。
「必要な物資は一階の倉庫にちゃんとあるのに、
私たちは婦長の定めた規律のせいで一人も看護できないまま、
今日もたくさんの患者を見殺しにしています……!」
この場にいた四人の修道女は、自分たちが罪深いとばかりに胸に十字を切り、神への祈りをし始める。
家政婦のクラークとブレースブリッジ夫人はそれを困ったように見つめ、とにかく婦長の指示を待ちましょうと彼女たちを慰めて回った。
だが残り六人の看護婦は、修道女たちとは一線を画して縫い物を続けており、ハンクはその温度差を不思議な思いで見比べながら、ふと数日前蒸気船の中で読んだ「看護婦団が病院へ到着」と見出しされた記事を思い出していた。
(たしか、レディ・フローレンスは
『英国陸軍病院の女性看護要員の総監督』
だったはずだよな。
看護婦団員はレディ・フローレンスの指示に従うことを絶対条件に選別された
って書いてあったのに……、
どうしてみんなこんなに彼女のやり方に不満だらけなんだろう……)
看護婦たちからは誰からともなく溜め息が連鎖し、部屋には沈みきった雰囲気が垂れ込める。
そこへ扉がノックされ、返事もしないうちに突然開かれた。
家捜しでもするような無礼さで開け放たれた扉の向こうには、あの大きなほくろをつけた鉤鼻魔女、シスター・バーサが立ちはだかっていた。
彼女はその細長い目を吊り上げ、露骨に見下すような表情で部屋を見渡した。
「あら、どうも騒がしいと思ったら、
あなたたち昼間院内をうろついていた子供じゃないこと?
見たところ労働者階級の方ですわねぇ、
一体どうやってこの看護婦塔に入ったのかしら?」
さもこれから嫌味を言いますよという声で、彼女は両手を腹の前で組み揃え、つんけんと言い放つ。
「ここはあなたたちが働いていた病院とはわけが違うはずよ?
帰って今まで通り、町の患者を『助けて』差し上げなさいな」
ぷんぷん漂う侮蔑のにおいに素早く立ち上がったリタが、受けて立つわよと言いたげに腰に手を当て、蓮っ葉な調子で返す。
「はぁ?
何よあんた。あんたなんてシスター様のくせに看護婦なんでしょ?
看護婦が看護婦を馬鹿にして、神様はお空で喜んでるわけ?
あーあ、くっだらない!
禁欲女の欲求不満もいい加減にしな!
何ならあたしがそのでかいケツにお仕置きの鞭を打ってやってもいいわよ?」
つんと顎を上げたリタはシスター・バーサを見下すように睨むと、この数日行動をともにしていたハンクでさえも唖然とさせるほどの下品さで、舌なめずりをして見せた。
そして真っ赤な唇と細い片眉を挑発的に引き上げ、シスター・バーサを意地悪くからかうようにちょいちょいと手招く。
「――おぉ嫌だ! 何とはしたない!」
予想以上の反撃におののいたシスター・バーサは、口元にハンカチを当てて面長の顔を背けた。
今にも掴み掛かりそうなリタとそれを容易に助長しそうなシスター・バーサに、部屋中の看護婦たちがもめ事はごめんだと張り詰める。
シスター・エリザベスがおどけたような笑顔でリタの気を引くが、シスター・バーサの近くにいたクラークとブレースブリッジ夫人は困って顔を見合わせることしかできず、何とも居心地の悪い雰囲気が流れていく。
その空気をすり抜けるようにしてリタの前に歩み出たハンクが、邪気なくシスター・バーサに訊ねた。
「あの、どうして看護婦団の皆さんは、病室に入れてもらえないのでしょうか?
お医者さんとも、もめていたけれど……」
脈絡のないハンクの質問に、シスター・バーサは細い目を更に吊り上げ、鼻で笑いながら憎らしげな口調で言う。
「私たちは何も悪くありませんわよ。
彼らは、私たちが何もできないと決め込んで隠れて嫌味を言うばかり。
仕事の機会すら与えないでいれば、そのうち帰ると思っているのよ」
「じゃあシスターも、私たちと同じなんですね!」
ハンクは絶妙のタイミングで、花のほころぶような笑顔を浮かべた。
毒気のない笑みを向けられたシスター・バーサが、ハンクとのやりとりを自覚しはっとする。
それはまるで自分の乱射する銃の口がぐにゃりと反り返り、彼女の眉間に狙いを定めたかのような感覚だった。
もっと文句を連ねるつもりだった彼女の口が、引き金に掛けられたままの人差し指のようにわなわなと震える。
「あら、もう御挨拶は済んだようね?」
突然聞こえたフローレンスの声に驚き、シスター・バーサは飛び上がって後ろを振り向いた。
開きっぱなしの扉の先で微笑しているフローレンスが、ハンクを示して言葉を続ける。
「シスター・バーサ、この子はレディ・サマンサ・スミス。
むこうが看護婦のリタ・ヒン。
二人は私がイギリスから呼び寄せた雑用係です。
必要とあれば、汚物の処理など何でもさせるつもりです。
それが、あなたの為であっても」
微笑を湛えたままのフローレンスが、シスター・バーサの瞳を真っ直ぐ見据えて威圧した。
たじろいで冷や汗をかくシスター・バーサの脳裏に、数日前のトイレ掃除が浮かびあがる。
フローレンスに要請されたこの掃除を、彼女は完璧に行うと言いながら、実務は全て立場の低い看護婦たちに任せていたのだった。
おざなりにデッキブラシを鳴らしていた自分の姿と、散々に愚痴っていた汚物掃除への文句を、婦長であるフローレンスは間違いなく聞いていたのだ。
当てられたもう一つの銃口に、シスター・バーサはじりじりと後ずさる。
「……そ、そう! それは、良いわね。
新しい仲間が来たって事を、部屋の仲間にもおしえてあげる事にいたしますわ」
扉を閉めもせず、シスター・バーサは逃げるように階段を駆け上がっていった。
ハンクたちからは見えなくなったその背をフローレンスは最後まで見届け、三階で閉まる扉の音に満足そうな冷笑を浮かべていた。
【ブレースブリッジ夫人】
彼女は夫とともに、夫妻揃って看護婦団に同行した御夫人です。夫は経理係として看護団を支え働いてくれました。実在の人物ですが、容姿や性格などは懲りもせずにフィクションです。優雅で春の陽だまりのような女性、というぐろわナイズが施されています。




