Start me up
今日夜に散歩がてらブックオフに行ったんだ。
まぁ雨も降ってたから傘さして歩いてな。
店着いて適当にウロウロ本探してたら、
奥に楽器背負いながら本読んでる金髪の子がいたんだ。
大きさからしてアレはベースかな?
茶色の革のケースが目に入ったんだ。
まぁ別にそれだけで特になんも思わなくてそのままスルーしたんだけどね。
それからチョット疲れたから本読み終えて
外の喫煙所で雨に濡れないようにタバコ吹かして休憩してたんだ。
「雨止まねーなー」とか思いながら煙吐いてると、
店の中からさっきの金髪ベースの女の子が出て来たんだ。
その子、一瞬空を見上げてからフード被ってそのまま行こうとするんだ。
どうやら傘を持ってきてなかったのかな?
楽器背負ってるのに
「あー、ねー」声かけるとその子は振り向いた
「楽器を濡らしちゃだめだろ?傘さしなよ?」
俺は手に持ってた傘をそいつに向けた
「いや、悪いですよ」
んだよ遠慮しやがって・・・
「楽器濡らすのはよくねーぜ?ほら傘持てよ」
俺は傘を渡すとそいつはおずおずと傘をさした
「あ、どうも・・・」
「いや、いいよ。それより楽器やってるの?」
「うん」
「ベース?」
「そうです」
俺より頭一個違うそいつは見上げるようにして俺と話す
「やっぱそうか。俺も楽器やってるんだよ」
「へぇ?なんの?」
「俺はギター」
へぇ。っとそいつは少し微笑んだ
「だからまぁ、こんな雨の中傘もささずに楽器背負ってるやつに声かけたわけだ」
「あぁ~なるほど」
「いやいや、なるほどじゃないだろ」
俺らは笑いあった。
「とりあえず歩こう。家近いの?」
「はい、まぁちょっと歩くかな?」
「OK。じゃあ途中まで話しながらいこう」
「いいんですか?」
「かまわんよ。それに最近は傘も安くない」
我ながらセコい。
「じゃあ傘入ってくださいよ」
「俺は濡れてもいいんだよ。それより楽器濡らすなよ」
「はい・・・でも・・・」
「なに、よく言うだろ?『水も滴るいい男』ってな」
「あぁたしかに」
「今バカにしたろ?」
俺らはまた笑いあった。
「それじゃあ行きましょう『イケメンお兄さん』」
俺らは並んで歩き出した
それから俺らは色々話した。
こいつの名前はランと言うらしい。
俺もバンドネームのハイジといってやった。
ランは少し不思議そうな顔をしたけど、納得(でいいのかな?)してくれたようだ。
ランは今日はバンド練習だったみたいだが、メンバーとあまりうまくいってないみたい。
俺もバンドをやってるからそういうのはわかるが、やるせないものだ。
気が合うからバンドを組んだと思っても、意見が合わなかったりするものだ。
ランは今その真っ只中といえる。
そうこう話しているうちにだいぶ歩いた。家はまだなのか?
「あのさ、家ってあとどれくらいなの?」
「え?あ・・・もう家の前です」
前にはアパートが見えた。おーーい。
どうやら話しに夢中になっていたようだ。
俺は家の前にまで来てしまった。近くまで行ったら傘返してもらって帰るつもりだったのに・・・。
「そ、そうか。けっこう歩いたもんな」
「あはーすいません。こんなとこまで来ちゃって・・・」
「いや、いいよ。んじゃまぁ帰るわ」
俺は帰ろうと踵をかえした。ちょっと濡れすぎて寒くなってきた。
「あ、あの!」
ランが不意に呼びかけた。俺は振り返る。
「ん?どした?もう傘はいいだろ?」
「いや、そうじゃなくて」
「んだよ・・・。」
俺は寒くなってきたから自販機でコーヒーでも買って帰るつもりだった。
さすがに雨を浴びすぎてしまった。いい男になりすぎたな。
ランが躊躇うように口を開いた。
「あの、時間あったら家で少し休んでいきませんか?ここまで来させちゃったし・・・。それにもう少話したいし」
ほほう?これは儲けもんか?
「んーまぁ俺は暇だけど・・・でも」
「でも?」
「コーヒーある?」
俺は真顔で言った。
ランは
「ありますよ。コーヒーメーカーまでありますから」
と言って笑った。
だいぶ寒くなってきたし俺は甘えることにした。
やったぜ。
コーヒー代が浮いたね。
俺とランは降りしきる雨から逃げるようにアパートの中に入って行った。
何ともまぁ無骨な部屋であった。
物が少ないわけではない。しかし家具がポンと置いてあるような感じで部屋に転がっている。それも部屋の隅に固まるかのよう。その家具の中心にこじんまりとしたベットが置いてある。地震が来たら一発でアウトだと思った。
部屋の真ん中には背の低い四角いテーブルがあった。天板は透明のガラスで、少しくすんでライトの光を重く屈折させている。その重苦しいガラスの天板の上にはノーパソが置いてあった。
そしてその周りにはごちゃごちゃとケーブルや小さい機械が散乱していた。よく見るとケーブルはベースのシールドで、機械はエフェクターやチューナーであることから楽器の機材であることがわかった。
そのシールド類がテーブルの上のノーパソに繋がっている。どうやら曲を作ったりしているようだった。
部屋には2,3本のベースやギターがスタンドにかけてあった。ベースが2本、ギターが1本のようだ。お、フェンダーのストラトか。それもクラプトンの代名詞、ブラッキーのような黒のストラトだ。
「適当に座って。クッションも使っていいから」
そういうとランは洗面所らしき扉の中に入って行った。おいおいちょっと待ってくれ。なんて座りずらい部屋だよ。
俺は立っているのもなんだから適当に機材を隅に寄せて、クッションをたぐり寄せて座った。
どうやら散乱しているの機材だけで然程部屋自体は片付いているようであった。片付いているというよりもあまり手を付けてない印象がある。
ランが扉から出てきた。手にはタオルを持っている。自分の頭にもタオルを乗せている。
「はいタオル。雨拭わないと風邪ひくからさ」
俺はサンキュと言って受け取った。
「ちょっと待ってて今コーヒー入れてくるから」
「あー、悪いな」
「いや、傘のお礼だよ。すぐできるから」
そういってキッチン(台所と言ったほうが似合うきがするが)のほうに向いた。
俺は気づいたようにランの背中に声をかける。
「あ、ラン。待ってる間ギターいじってていい?」
ランは不意を突かれたように振り向いて
「え?あぁ、全然いいよ。でも弦あんまり替えてないからベロベロかもしれない」
「おっけ。んじゃお借りします」
ランは確認したように微笑みキッチンに向かった。ベロベロ?なんかいいじゃん。
俺はスタンドにかけてあるストラトを握った。ネックのシェイプはきつくなく、弾きやすそうだ。
ストラトは俺も持っているが、普段のメインギターがレスポールなのでストラトを触るのは久しぶりな気がする。家に帰ったら弾いてやらなきゃな。ギターが寂しがってるな。きっと。
弦に挟んであったピックを握り、優しく腕を一回下ろした。
弦は然程痛んでない。いい音がする。しかし1、2弦の音がずれているようだ。俺は軽くチューニングする。微調整を何回かしてからもう一度腕をダウンストローク。うん、いい感じだ。
俺は指慣らしに適当にアルペジオを弾いた。1音1音丁寧に。ギターの響きが心地いい。ちょっと指を素早く動かす。ギターもそれに合わせるように早口になった。
アンプには指していないが別に問題はない。部屋は静かだし、聞こえてくるのは窓を打つ雨音と、いい匂いがしているコーヒーメーカーのコポコポとした音だけだ。そんな部屋をギターの謙虚な音が包みこむ。
アルペジオからストロークに移した。Fコードを押さえてこれまた優しく丁寧に。優しく優しく、柔らかく。きれいな和音が溢れだす。時折カッティングなんかも織り交ぜながらもあくまで優しく。
ギターはアンプに繋いでないことを不満そうに喋る。もっと力を出せるのに。俺はそれを宥めるように優しく弾く。おいおい、そう不満顔すんなって。
まだ不満そうだけど、怒ってはいないようだ。その弦から放出される音はまっすぐ壁に伸びていき、壁にぶつかると四方に広がった。その音は、部屋を包みこむように次々と広がり俺の横に寄り添った。
俺はつい笑う。気分はどうだい?なかなかいいだろ?気に入ってくれたかい?
女の子を誘うような気持ちになってくる。俺って変かな?
指板を走る指が止まらない。もっともっと知りたい。もっとお前のことを教えてくれ。
夢中になって(ある種トランス?)弾いていて、部屋に戻ってきたランにしばらく気付かなかった。ランも俺に声をかけなかった。かけられなかった。
俺がようやくランに気付いた時、ランはまだその両手にコーヒーカップを持ったままだった。
「あれ?ラン?」
ギターを弾く手を止める。
「ごめんごめん、夢中になってたみたいだ。悪いな。コーヒー出来たのか?」
ランは気付いたように手元を見てから返事をする。
「え?あぁうん。今持ってくね」
ランはテーブルの向いに座った。
ランは俺にマグカップを一つ渡した。白い湯気にカフェインの香りが混じる。いい匂いだ。
ランも自分の分を両手に持って一口啜った。俺もそれにならって一口すする。
「うお!?めっちゃうめーな!」
一口啜って俺は驚いた。めちゃくちゃ美味い。香り高いし程よく苦い。酸味が少ないのも俺好みだ。
「ありがとう。苦くない?」
「大丈夫だ、普段はブラックだしな。丁度いいぜ。ランはコーヒー淹れるの美味いんだな。店で飲むやつみたいだ」
「それは言い過ぎだよ。コーヒーメーカーがいいだけ」
ランは少し恐縮したように謙遜したが、俺が言ったのは嘘じゃない。それぐらい本当に美味かったのだ。
俺はしばらくコーヒーに夢中になっていた。お代わりもあるみたいだし。こんなコーヒーが飲めるなんて今日はラッキーだったな。雨も悪くない。
コーヒーに夢中になっている間、ランは俺の顔を眺めていた。その視線に気付いた。
「どうした?」
「いや・・・・」
ランは視線を外す。俺は不思議に思ったが、コーヒーをまた飲む。美味い。
ランはもう一度視線を戻し話しかけた。
「ハイジ、ハイジはギター上手いね」
俺は急にそんなことを言われて少し驚いた。なにせ、俺の頭の中はこの手元のコーヒーのことばっかだったからだ。なんか俺アホみたい。
「そうか?さっきの聞こえたのかな?うるさかったか?」
ランは首を横に振ってから、
「うるさくなかったよ。この部屋は割と防音ちゃんとしてるし。ハイジのギター、すごいよかったと思う。あれ、誰の曲?」
「そうなんだ。あれは別に誰の曲ってわけじゃないよ。最近思いついたフレーズを適当に弾いてただけだし」
「そうなんだ・・・・」
ランはまたマグカップを見つめる。どうしたんだろう?
おもむろにランが話しかける。
「ハイジはその、バンドとかやってるの?」
俺はコーヒーをちょっと吐きそうになった。答えづらいな・・・・。
「まぁやってたかな・・・?」
「やってた?」
「うん、今はもうやってないんだ」
ランは不思議そうな顔をする。頬に当たった金髪を指先でかき分ける。
「なんでもうやってないか、聞いてもいい?」
おずおずしながら問いかけてきた。まぁ別にたいした話でもない。
「別にいいよ。前のバンドは割と上手くいってたんだけどね。人気もそこそこあったと思うし。だけど」
俺はコーヒーを一口飲んで続ける。
「少しづつなんだけど、俺たちの間で歪みが出来てきてたんだ。色々あったんだけどね。簡単に言えば、『方向性の違い』てやつかな」
苦笑いにも似た笑いをする。我ながら不細工な笑顔だろうな。
そうなんだ。ランはそう一言。二人してコーヒーを飲む。重くも軽くもない空気。なんか和む。
二人のマグカップが空になったのでランがキッチンへ。もう一杯飲むために。
俺は少し天井を眺める。そうだ、少しづつだったんだな。その『歪み』に気付いた時は手遅れだったんだ。何でもっと早く気付かなかったんだろう。もっと早く気付いていれば何とかなったかもしれない。
しかしそれは出来なかった。誰も気付かなかった。いや、俺だけ気付いていなかったのかもしれな。俺は、俺は、俺は・・・・・。
俺が悪いんだ。
ランが戻ってきた。湯気が立ったマグカップ二つ持って。俺は礼を言ってコーヒーを受け取った。雨はまだ降ってるようだな。
「ランはベースやって結構長いの?」
「どうだろ?長いのかな?2年くらいになるのかな。元々ピアノとかやってたんだ」
あれまピアノ。それが今じゃ金髪のベーシストか。別に悪い意味じゃないぜ?その変わりようには興味があるだろ?それに俺も人のこと言えたようなナリじゃないしな。
「ピアノか。なんでまたベース始めたん?」
「なんでだろう?ピアノは別に嫌いじゃなかったんだけど、他の楽器もやりたくなってね。親も別にピアノを強制してたわけじゃなかったし。それで楽器屋さん行った時にベースを試奏してた人がいてね。その人がすごい上手かったんだ。それにベースの重くて滑らかな音がすごく気に入ってね」
あーなるほど、なるほどね。運命的な出会いみたいなもんか。俺も似たようなもんだしな。それにしてもベースが重いってのは何となくわかるが、滑らかって言う奴は珍しいな。言われてみればそんな感じがするのも不思議。
ランにはベースを始めた時期を聞くより音楽を始めた時期を聞いたほうが正解のようだ。
ちゃんとした音楽教育を受けているのかな?見た目は派手だけど。人は見た目じゃないのよ。俺も含めてな。
「それでベース弾き始めたわけね。ちなみに今でもピアノは?」
「たまに弾くかな?別に嫌いになったわけじゃないしね」
「いつから金髪?」
「え?」
ちょっと意表を突いてみた。
「金髪で学校は大丈夫なん?」
素朴な質問
「あーこれ?うん、学校はそんなに規則は厳しくないんだ。やることやってればOKみたいな」
なんてこった。そんな天国みたいな学校がこの世にあるとはな。とは言っても俺の通ってた高校も別に厳しくはなかったけどな。やることもやらないとこが違うけど。
あれ?高校?
「ランは高校生だっけ?」
「そういえば言ってなかったね。私は高校生だよ。JKなのです」
最後は余計だ。
やっぱJK(とか言いながら俺も使ってみたり)だったのか。どこか子供っぽいとこもあったしな。それにしても高校生のくせにやけにコーヒー淹れるの上手いやつだな。(関係ないか)
「ハイジは?大学生かなんかなの?」
「そうだよ、大学生だね。世の中で一番暇な人種の一人だ」
そうそう大学生ってすっげー暇なの。その膨大な時間を何に使うかはそれぞれなんだけどね。起業して金儲けしたり義務教育みたいに絶対に講義を休まない奴とか色々いるわけだ。俺はその両者でもない。傍から見たら『遊んでる』ようにしか見えないかもね。
「そうなんだ。やっぱりね。なんとなくそんな感じがした」
「賢そうに見えた?」
「いや、暇そうに見えた」
このやろー。しかし言い返せないのがまた悔しいところ。大学生について一番くだらなく思ってるのがむしろ大学生なのかもね。自覚してるのが悲しいところ。
まったく生意気なJKだぜ
二人で笑い合ってると、ランがちょっと目に力を入れた。
「それでさ、ハイジ。暇なら私とバンド、やらない?」
こりゃまた唐突だねー。お兄さんびっくり。
「はぁ?どうした急に?」
「さっきのギター聞いたけど、アンプにも繋いでないくせにすごいよかった。ハイジのギターにベースを合わせてみたくなった、みたいな?」
みたいな?じゃねーよ。まだびっくりしてるってのに。
これは誰が見てもバンドの誘いだよな?うん、きっとそうだ。てか当たり前だろ。
さっきのギター?適当だぞ?コーヒー待ってる間の暇つぶしがオーディションだったのか?
「なんかよく分かんないけど、ランだって今バンド持ってるんだろ?そこに俺が入るってことか?」
「いや、そうじゃないかな。あのバンドはもういいんだ」
「もういい?」
「うん。なんか私がやりたいことじゃないし、メンバーとも上手くいってないし」
「それだけか?」
「色々あるけど、一番は音かな。ジャンルとかじゃなくてね?楽譜を弾いてるでしかない気がするんだ。今のメンバーは。私はそうじゃないと思うんだ」
「・・・・・。」
くそっ。こいつ若いくせに鋭いところ気付いてるじゃねーか。そう、弾いてるだけじゃだめなんだ。楽譜通り弾くことなんて簡単だ。誰だって出来る。それどころか機械にやらせたら正確無比に完璧に奏でさせることが出来るだろう。
しかしギターを弾くのは人間だ。打ち込みじゃない。ステージに立って音を奏でるのは楽譜じゃない。楽譜を見せるわけじゃない。
ギターという楽器、言ってみれば機材を弾くのが人間なら、そこに『何か』が必要だと思う。
それは『感情』だろう。ギターという『機材』に『感情』を込める。そうすることでギターは
感情吸い取り、増幅し、外に放出することができる。ピックアップの電気信号に自分の感情を織り交ぜるんだ。電気と感情をここまでリンクさせることが出来る楽器も珍しいだろうな。俺はそう思う。
ランが言ってることはそういうことだと思う。これはニュアンスの問題だろうな。とてもファジーでファニーな感じ。ギターってのはとても低俗て愉快な楽器なんだ。低俗だからこそ演奏者の力が左右する。馬鹿にするわけじゃないけど、バイオリンを聞いたら良く分かんなくても高級そうに聴こえるだろ?だからバイオリンは低俗じゃないんだよ。『貴族』なんだよ。ピアノも似たような感じかな。ちょっと羨ましかったりして?なんてね。
「なるほどね。お前が言うことは分かるぜ、JK。俺も同じこと考えてるしな」
そう言うとランはちょっと嬉しそうな顔をする。可愛い顔してるじゃん。
「でもバンドやるかはまだわからない。当分やるつもりはなかったしな」
可愛い顔から不安そうな顔をする。こういうところはまだまだ『JK』なんだな、とか思ってみたり。
「そんな・・・・せっかくあんなに弾けるのに。勿体ないよ」
嬉しいことを言ってくれるねー。ギターが弾けるだけじゃ意味がないことを知ってるセリフだ。まったく、どこまでも俺を揺さぶるJKだね。
「だけどちょっと迷ってる。ランとなら弾いてもいいかなってな」
まったく優柔不断なセリフ。しかしここまで言ったら後には引けない。
「それなら!」
「あぁ、だから俺も聞かせてもらう。まだ聞かせてもらってないからな、ランのベース。それを聞いてからでもいいだろ?」
正直すこしランのことをなめている。何せ若い。多くを知っていても、スキルがそれについてきているのかが心配なんだ。ベースが『上手い』だけじゃダメってことも分かってるはずだ。
ランは眉を歪めた。なんかいつの間にかオーディションみたいな感じになっちゃった。今日は色々ある日だね。俺はコーヒーを飲む。やっぱり美味い。
「いいよ、やろ。ハイジにも私のベースを聞かせたかったし」
俺はつい口が笑ってしまう。俺は嬉しいんだ。単純に。
バンドから離れてだいぶ経つ。もしかしたらまたバンドが出来るかもしれない。もしそうなったら、やっぱり嬉しいだろう。
「どうする?ハイジも弾くの?」
「もちろんだ」
合わせないと意味がない。何せ『バンド』なのだから。
俺はさっきのフェンダーをまた貸してもらう。ランも自分のベースを取り出す。それはさっきまで雨の中を歩いていたベースだ。
ボディは真っ赤でネックの尺が長い。ジャズベースではなくプレシジョンベースだ。俺の勝手なイメージだとランはジャズベ(こう略す。ちなみにプレシジョンはプレベ)だと思った。だからちょっと意外。
俺は聞いてみる。
「プレベか」
「うん。ジャズべもあるけどメインはこっち。ジャズべより音が太いしはっきりしてるからね。そのほうが良く分かるでしょ?」
このやろう。どこまでも俺を揺さぶるね。好きだよそういうの。
二人でセッティングする。今度はアンプに挿してやる。俺はランのチューナーを貸してもらう。さっきは耳でチューニングしたけど今度はより正確に。もともとチューニングには気を使ってる。チューニングのずれたギターは気持ち悪くかなわない。そこでチューナーで音を合わせるとだいたい合ってた。さすが俺。ほとんど弾いてたらずれるくらいの誤差だね。
ふとランのほうを見ると、ランはまず耳で合わせてからチューナーに繋いだ。そこでまた合わせる。ちょっと不思議だったから聞いてみる。
「なんで最初からチューナーじゃないんだ?」
「最初に自分の耳で一番心地いいとこで合わせてから機械で合わせるんだ。癖みたいなものかな?私、基本的には音は自分で合わせられるんだ」
マジかよ?こいつあれか?『絶対音感』てやつか?そういや聞いたことあるな。幼少期にちゃんとした音楽教育したやつはそういうのが身につくって。
「絶対音感?」
「まぁそんな感じ」
こいつスペック高いなー。お兄さん関心。
「ハイジもそんな感じじゃないの?さっき自分で合わせてたし」
「さすがにそこまでじゃないな。『相対音感』に近いかな?ランほどじゃない」
ランは少し微笑む。褒められて嬉しいのかな?
俺はちゃんとした音楽教育したわけじゃないからな。相対音感止まりだろう。相対音感はある音に対して他の音もそれに合わせることが出来ることだ。楽器やってればこれぐらい出来てくる。音を覚えちゃうからな。
俺とラン、二人ともチューニングを終えた。ランを見るとベースに隠れてしまってるようだ。
さて始めますかね。
「ランはどんなの弾ける?テンポ速いほうがいいか?」
「別にどんなのでもいいよ。あんまジャンルにこだわってないから。合わせるよ」
ほほう?そうきたか。何でも出来るってことかな?まぁ、ベーシストだわな。
「オーケー。んじゃ、始めるか」
黒のストラトを構えると、ランも真っ赤なベースをスタンバイした。どうやら指引きのようだ。あまり手首を曲げないで腕から指までを真っすぐとした構えだ。なるほど、
『何でも合わせる』か。おもしろい。
まずはゆっくり始める。単調なコード。バラードでもないような単調さ。ランを見ると、俺のほうを見返していた。なんて考えてるだろう?俺をつまらない奴と考えたか?
ランは手元に目線を戻しゆっくり目をつぶった。そしてゆっくり息を吐き、合わせるようにゆっくりと、目を開けた。
ギターのコードの頭にぴったりと一寸の狂いもなく合わせる。ごく当たり前のように、最初から合わせてるように、自然に。
別に難しいことじゃない。誰だって出来ることだ。だがランは、入る時の意気込みや音の変化を一切起こさず入った。わかるかい?この状況が。音は変わってなく、膨らんだんだ。俺のこのクソつまらないコードが膨らんだんだ。
こいつやるね。でもまだまだこれから。でもまぁ、最初は合格だ。それに俺はちょっと小細工をしてたんだ。ストロークのほんの一瞬だけタイミングをずらしてやってる。あえて違和感を出してるんだ。それも正確にね。ランはそれにも気付いたようで、そのタイミングにきっちり合わせて自分もずらす。そして生まれる違和感の穴埋めのようにベースラインを構成する。違和感をカバーするように。
気がきくJKだね。
このコードを2周したとこでメロディを変えた。ランもちゃんとついてくる。いや、一緒に並んでるような感じかな。遅れてない。
今までは単調なコードだけを弾いてただけだが今度はちょっと違う。ブルース調だ。
そのゆったりと流れるメロディにスパイスを効かせたアクセントを織り交ぜる。ブルースってのは人の感情に近いメロディ。個性が際立つ曲者だぜ?ラン。
俺のブルースにもいろいろ種類があると思うが、俺のブルースは少しエッジが効いた感じだ。イマドキの若者、みたいな感じ。いやわかんないか。
ランは静かにベースを弾いてタイミングを計ってる。どんなベースラインを見せてくれる?
ランの指が動く。跳ねるように、飛び回るように。
そうきたか!
俺のメロディがブルースってのは分かってたはずだ。セオリーで言えば、そのペースに合わせた重厚な厚ぼったいラインをしてくるはずだ。しかしランは違った。
『エッジ』の部分をひろったんだ。その部分を際立たせるように。
ランのベースは跳ねている。膨大なパワーをゆっくりと垂れ流すように。その開きかけた水門から溢れるメロディな水飛沫のように広がる。とてもファンキーだ。
もしかしてランはいらついているのかもしれない。俺が試すようなことをしてるから?いや違う。もっと俺の力が知りたいんだ。
俺が力を絞っていたんだ。それをランが急かすように煽ってる。
おいおいマジかよ。
俺が気付いていなかったことをこいつが気付いた?まさか。
でも俺は全力を出すことに躊躇するようになってたのかもしれない。それは、ある種の諦めのようなものだったから。
俺はいつだって一人だった。メンバーと同じステージに立っていてもそれは同じだった。
たまに他のバンドのヘルプを頼まれることがあった。メンバーがどうしても出れないということで俺が代わりをやってやった。
そこで気付いた。俺はいつもヘルプだったんだ。自分のバンドでもヘルプだったんだ。メンバーに合わせて、メンバーのミスをカバーして。自分の力を出し切ることをしないで人の尻拭い。
自分の力を出し切ることが出来ていなかった。
そうしているうちに俺は自分を見限った。それは諦めで、堕落だった。
ランはそこにいらついている。私はそんなオマエとバンドをやりたいわけじゃないんだ、と。
俺はラン見る。ランも俺を見ていた。訴えかけるような眼だ。
わかった。わかったよ。
俺はランに笑みをかける。ランも笑ってくれた。アイコンタクト。喋らなくても会話って出来るもんだ。こういうのを見てオーディエンスは喜んだりするんだぜ?
俺は自分のギターを見る。指を見る。
悪かったな。今までサボっててよ。
何やってたんだか。楽譜通り弾いてたのは俺だったようだ。楽譜通り正確に、機械ように正確に。つまらないことやってたもんだ。
今度は口から実際に音が出るような笑い。クックック。アホか俺は。
つまらにこといつまでもやってんじゃねーよ。
俺とバンドやりたいだ?わかったよ。なら見せてやるよ。
ついてこれるもんならついてこい。Aer you ready?
テンポを一気に早くする。さっきのブルースからしたらさらに早く感じるだろう。
俺は逆にランのファンキーなベースに合わせるように弾く。跳ねるように、飛ぶように。
こういうのは懐かしい。アハ!まだまだ!
オルタネイトでどんどんキーを高くしていく。細かく細かくフレットを全部使うようにキーを下げていく。
気付いたらネックの根元まで来ていた。あらら。それでも指は止まらない。細かく細かく鋭くなっていく。逃げ場のなくなった犬の唸り声のようなチョーキング。悔しい悔しいと叫ぶようなチョーキング。もう少しで逃げ切れる。そんな感じのチョーキング。
そこからフレットを上に戻して落ち着くような素振り。音を途切れないように繋いでいく。
たまにタイミングを速くして噛みつくよう素振り。まだまだ死んじゃいないぜ?ガウガウ!
そこに煽るような音が横から混じる。ランのベースだ。
ベースは俺の唸るようなギターをあえて引き留めずむしろ『道』を作ってくれる。こっちだよ。こっちだよ。誘うようにベースで道を作ってくれる。JKのくせに色っぽいことしてくれる。
俺はその道に進むことにする。なかなかスリリングなとこだ。ここなら思う存分暴れられるような気がする。
ギターが唸ると、ベースも唸った。もうこの部屋に隙間はない。満たされたんだ、俺とランの音に。世界に。そして俺ら自身も。
なんて心地いいんだこの世界は。何でもやれる気がする何でも出来る気がする。どうしようもなく気持ちよくてどうしようもないくらいに止まらない。止められないだろこんなの?
俺はランを見る。ランはベースのネックを見てる。瞬きをしていない。なぜか知らないがランの耳が俺を見てる気がした。俺の音を聞き逃さまいとしているようだ。いや、俺らの音をか。
その綺麗に流れるような金髪。小さな顔には汗が一筋流れている。そんなに気を張り詰めているのか?
もっと楽しもうぜ?せっかくこんな楽しい音楽だ。楽しまないと損だぜ?
そういうように俺はギターのフレーズを変えた。さっきみたいに鋭くなく滑らかに。尖ったカドがないように丸く緩やかに。俺のギターは囁く。
ランが俺のほうを見る。ちょっとびっくりしたように。そんなにびっくりすんなよ。俺は別に怒ってたわけじゃないんだ。ちょっとばかし興奮してただけだよ。激しくね。
俺はランに向かって微笑む。分かるかな?この笑みが。
ランは少し戸惑ったような目をしてる。いい目だ。金髪に映えるような真っ黒な瞳。俺はこういう意味で笑ったんだぜ?オマエは最高だ。
合格だ!とね?
ランは両方のアンプの電源を切った。俺は壁に寄り掛かってクールダウン。俺も歳かね?久しぶりに弾いて疲れちゃったよ。ほんと、久しぶりにね。ライブでもないのにさ。
ランは俺の前に座る。じっと俺のほうを見てる。ちょっと戸惑う俺。別にJKにドキドキしてるわけじゃないぜ?勘違いすんな。
そんでまた俺はランに向かって笑みを向ける。からかうように意地悪く。ランも安心したように軽く笑う。綺麗な瞳はまだちょっと不安そう。
さてどうしたものかね?俺は喋ろうかどうか迷っていると、ランが先に口を開いた。
「ハイジ、凄かった!やっぱハイジのギターは凄いよ!」
これギターって言わなかったらちょっとあれだよね?いや何でもない。
「ありがとさん♪ランもよかったぜ?いいリズムだった。久しぶりに燃えたぜ」
まったく末恐ろしいJKだぜ。年上つかまえて興奮させやがるんだから。参ったね。
ランはコーヒーを淹れに行くといってキッチンに向かった。ありがたい。ものすごくコーヒーが飲みたい気分だったんだ。乾いているのは喉だけだけど。
ランは戻ってきて俺にコーヒーを渡す。礼を言ってそれを受け取る。本日3回目の行動。うん、やっぱりいい香り。
ランはまた俺の目の前に座った。ちょこんと正座する。長い金髪は胸の辺りにまで伸びていて、その形に沿うように左右に逸れる。割と大きいだな、なんて俺は考えてない。考えてないぞ?
俺の顔をしばらく眺めているラン。ちょっと気まずい。気まずさを紛らわすためにコーヒーをちびりと飲む。やっぱ美味いなぁ。
「私、どう?」
ぶっ!俺は危うくコーヒーを吹き出しそうになった。ななな、何を言っているんだ⁉このJKは⁉さすがにそんな年下は・・・・・
「わ、悪いがさすがにそれは・・・・と、年の差とか世間の目が色々とな?」
「は?年の差?世間の目?」
「いや、オマエみたいな年代はそういうの気にしないだろうが俺は一応大学生だし成人だし・・・」
焦る俺、不思議そうなラン。
「あの、なんかよく分かんないけどバンドのことだよ?」
ランが小首をかしげて言った。ば、バンド?バンド!
「え、あ、いや、今のは関係ない!ちょっと考え事してたんだ!アッハ!そうだよな!バンドだよな!」
必死に取り繕う俺。冷めていくランの目つき。うぅ、怖いよー。JKにビビる成人。
「なに考えてたの?」
「いや、いいんだ!それよりバンドだよな!」
そういうとランは姿勢を直した。やれやれ・・・・危ない危ない。
「うん、どうだった?私のベース」
「そうだな。よかったぜ?正直ランのこと少しなめてたわ。JKだし若いからさ。でも全然関係なかった。俺と同年代よかいいグルーブ感だったわ。やりやすかったよ」
ランの顔がほころぶ。
「それにちゃんと合わせるし自分なりのアレンジもあったしな。しっかりと自分の世界観を持ってるって思った。ブルースの時はわざとあんな感じにやったんだろ?」
「うん。ハイジのメロディがゆったりしてたんだけどどこか尖ってたから。それに」
「それに?」
「なんかまだるっこしかった。もっとハイジの凄いところ聞きたいのに、焦らすようにするからさ。だからちょっと煽ってみたの」
悪戯がばれたような感じ。またまた可愛らしい。派手なくせにこういう仕草が似合う不思議。
「嫌だった?」
「いや、むしろよかったぜ。俺もあそこでちょっと吹っ切れたしさ」
これはホント。ちょっと感謝してたりする。
「そっか。よかった」
「はは。それでさ」
俺はコーヒーを飲んで一区切り入れる。ちょっと緊張。
「俺でよかったら、ランとのバンドやらせてくれないか?」
ランの眼を見ながら俺は言った。またバンドをやろうと気になるとは思わなかった。もう楽譜の音符を追うような、フォローばっかすることはしたくないと思っていた。
だけどランは違う。俺が俺でいれるようなギターを、音を奏でられると思った。俺が求めているよな音楽を作れると思ったんだ。
俺は俺のためにランとバンドをやりたい。ランのためにやるのではない。ヘルプとかではないんだ。
だから俺は言う。心では叫ぶ。俺とバンドをやってくれ。
ガバッ!
いきなりのことで俺は何が何だか分からなかった。その反動で俺は壁に頭を打ち付けた。
金髪が眼下に広がっている。俺はランに抱きつかれたようだ。
「ありがとう!ハイジ!私とバンドやってくれるのね」
ランは俺の胸の中でうねるように言った。どうしたんだ?てかどうしたらいい?
「あ、あぁ。俺のほうこそよろしくな」
手の置き場がなく(抱きしめるわけにはいかないだろう。てか何で抱きつかれているんだ)壁に両手をつける。その間にもランは俺の胸に強く顔を押し付ける。俺はウゲッと変な声(音か)を出す。それに気付いたラン。
「あ!ご、ゴメン。つい嬉しくて・・・・」
嬉しくて抱きつくのかよ。こいつ帰国子女かなんかか?それとも天然の小悪魔なのか?相手が俺でよかったな。他の奴ならどうなるかわからんぞ?まったく俺って紳士だわ。
「そ、そうか。まぁ・・・・あれだ。これからよろしくな?おまえのベースでいい曲たくさん作ろうぜ?相棒」
そういうとランは顔を勢いよく上げた。
俺の目の前にランの顔。サラサラの金髪が俺の頬にかかる。や、やべぇ。俺は紳士。俺は紳士。
「こっちこそよろしくね、ハイジ!」
そういうと俺の顔に近づき頬に唇をあてる。熱を持った柔らかいものを俺のほっぺたが感じ取る。し、紳士ーー!
そして俺から離れ、またベースを持ちだした。
「もうちょっと一緒にやろう?ハイジのギター聞きたいし、私のベースも聞いてほしいしね」
ランはベースをセッティングし始める。俺はしばらく動けす放心。
今のは、あ、嵐みたいなものだ。うんそうだ。きっとそうだ。まったくなにを動揺してるんだ俺は。適度な女遊びをしている健全な男子大学生の俺がJKごとき小娘相手に何を動揺しているんだ!まったく自分の紳士っぷりには関心するぜ。
俺とランは一晩中合わせて弾き明かし、気付いた時には雨は上がっていて空間に充満した水気が登り始めた太陽の光でキラキラと輝いていた。